「多様性」という言葉の危うさ
文字数 1,761文字
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『正欲』朝井リョウ
読むのにかかる時間:約2分51秒
・『正欲』とは:フェチを抱える生きづらさを通して「多様性」を問う
・フェチってそれは悪なのか?
・私たちは本当に「多様性」を理解しているか?
■フェチを抱える生きづらさと「多様性」
「多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ」
「みんな違ってみんな良い」「自分と違う存在を受け入れよう」そんな多様性がひとつの「良いもの」として語られるようになったのはいつごろからだっただろう。
『正欲』は朝井リョウ氏が作家生活10周年記念として書き下ろした長編小説だ。物語はさまざまな登場人物の目線から語られる。検事で登校拒否の息子を持つ寺井啓喜、寝具店に勤める桐生夏月、大学生で男性が苦手な神戸八重子。後半は寺井のほか、夏月の同級生の佐々木佳道、八重子が想いを寄せる同級生・諸橋大也の目線から語られる。
夏月と佳道、大也はある共通点を抱えており、物語の中心にある。それは「水」に性的興奮を覚えること。自分のフェチを自覚してから、彼らの人生は生きづらさと共にあった。
■フェチってそれは悪なのか?
作中にもあるが、幸せにはいろんな形がある、という風潮が強まりつつあるのは事実だ。「結婚ではなく、事実婚、同性婚、ポリアモリー、アセクシャル、ノンセクシャル」など、誰かと一緒にいるという形ひとつをとってもさまざま。
フェチはどうだろうか。人は人を愛し、人間に性的興奮を覚えるとは限らない。それらに当てはめることができないフェチを持っている人間もいる。そして自分がみんなと違うことに苦しみ、疎外感を覚え、周りに怒る。
特に若い大也は戸惑い、自分が誰かに性的な視線で見られることを不快に思い、親身になって話を聞こうとする八重子にも「自分が想像できる‟多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」と言い、自分たちの気持ちが分かるものかと突き放す。ただ、八重子も黙っておらず「そうやって不幸でいるほうが、楽なんだよ」と反論する。
大也目線で世界を見れば、正義は大也だし、八重子は自分を性的な目で見てくる好ましくない存在、悪だ。一方の八重子は性欲からではなく、善意で大也の理解者になりたいし、それが正義だと思っている。それぞれが自分の「性欲」を正当化しようとしている。
性欲は悪なわけではない。それが犯罪に繋がらなければいい。だが、人間は自分の理解の範疇を超えるフェチズムを目にすると、「変態」と言って嗤い、それが当人たちを苦しめる。
■私たちは「多様性」を本当に理解しているか?
物語の冒頭には「明日死にたくないことを前提に世界は動いている」ということが記されている。明日も生きていることを前提に情報やモノ、娯楽は提供されている。
日常の中でどれだけの人が「明日、死にたくない」とわざわざ思いながら生きているだろうか。そんなことを思わなくても、生きられるし――突発的な事故や災害は別として――日々に忙殺されていてそんなことを考えている暇はない。
しかし、作中に登場する多くの人間は自分の秘密を知られることに怯え、肉体的にも社会的にも「死」を常に感じている。正しくないものとされる自分がいつ抹消されるのかと怯えている。頭がおかしい人という断罪がなされ、自分の行為も大多数が納得されるべき名前が付けられ、時として罪になる。
多様性、多様性と言うのは簡単だ。ただ、本書を読んだあとは、本当に自分は「多様性」を理解しているのかと今一度、自問自答させられるに違いない。