『花の下にて春死なむ』北森鴻 新装版刊行記念・冒頭無料公開! 1

文字数 1,610文字



 淡い空の青に、ぬっと突き出した煙突の先から白い煙が細く溶けてゆくのが見えた。今日、この斎場を利用しているのは(なな)()のグループ以外にはないはずであるから、煙は(かた)(おか)(そう)(ぎょ)が姿を変えたものにちがいない。そういえば、わずかな春の風にも簡単にたなびく煙の様子が、
 ──いかにもあの人らしい……。
 グループの集まりが終ると、卑屈なほどに腰を低くして、何度もメンバーにさようならを告げた、初老の片岡草魚を思わせた。
 先ほどから(いい)(じま)七緒は、片岡草魚に送るべき言葉を探している。
 ──こんなにも別れを急ぐから。
 その思いは夢の中で感じる(のど)の渇きに似ていて、いくら言葉を探し、つぶやいてみても(いや)されることがない。そのうちにも煙は確実に薄くなってゆく。「ずいぶん()せた仏様のようですから」と、斎場の係員が告げた予定時間が、もうすぐそこに来ていた。
 目を()らして煙の行方を追うと、額に春の陽の(ぬく)もりが感じられた。恐ろしく希薄な温もり。かつて一度だけ、七緒の額にあてられたことのある片岡草魚の手の平も、果たしてこのように温かかっただろうか。思い出そうとしてもかなわぬほど、記憶は遠い所にある。
 ──草魚さん、本当はあなたは誰だったのですか。誰にも知られぬまま、煙になってそれでいいのですか?
 最後の煙がつっと消え、建物のマイクが、七緒たちのグループの代表者名を告げた。その案内に導かれるまま、小さな白い部屋に入ると、白い灰の(かたまり)となって片岡草魚が皆を迎えた。
 鉄製の長い台に、それがかつて人の形をしていたことが信じられない乱雑さで、ばらまかれた骨の寄せ集め。台の端には、木の箱に収められた陶器の(つぼ)が、(ふた)を取った状態でポッカリと口を()けている。長い木の(はし)を手渡され、めいめいが片岡草魚であった「塊」の一つを拾って、壺へと導こうとする。ところが塊は、箸が触れるか触れぬかのところでもろく崩れて、作業がなかなかうまく運ばない。二人がかりの箸で下から支えるようにしてはじめて「彼」を眠りにつかせる儀式は進行していった。
「草魚さん、いかにも栄養の状態が良くなさそうだったから」
 誰かがポツリと言うのを右の耳で聞きながら、飯島七緒はなおも灰の塊を壺へと移す作業を続けた。
 箸の先にカチンと当たるものがあった。拾いあげると、長さ一センチほどの小さなビスだった。
「ははァ、草魚さん、かなり昔に骨をつなぐ手術を受けたんだね」
 そう言ったのは、グループの幹事を務める(なが)(みね)である。長峰は、さらに灰の中を探って人さし指大の金属のプレートを引っ張り出して見せた。
「骨折の連結に使われる金具とビスだよ。確かこの形は(だい)(たい)(こつ)のあたりに使われるのではなかったかな」
 専門こそちがっても、本業が医師である長峰は()(ぎわ)よく、灰の中の異物を分別して台の外に置いた。
「今は拒絶反応を軽減させるためにセラミックが使われることが多い。そう、この材質から言うと、三、四十年前のものじゃないか」
 周囲の視線が長峰に向かっているすきに、七緒はビスとプレートをハンカチで包んでポケットにしまいこんだ。どうしてそんなことをしなければならないのか、自分にもよくわからない。ビスを見ているうちに、この無機質な部品になにか特別な仕事が与えられているような、そして自分が重大なパートナーに選ばれたような、(ばく)(ぜん)とした思いが湧いてきた。
 すべての儀式が終了して、これから野辺送りの句会を開こうという誘いも、七緒は断った。ビスとプレートと自分に与えられた仕事について、
 ──ゆっくりと考えなければ。
 と思った。

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