第4話 リカオンと呼ばれる男、立浪慎吾
文字数 2,829文字
金曜日は仮眠を取ったあとに一便の原稿の校了作業に入り、同時進行で二便の原稿の入稿作業に入る。
二便の原稿の校了が終わる翌土曜日の朝は、木曜日と金曜日の地獄の締め切りのツケが回り身も心も疲弊(ひへい)しきっている。
高校、大学時代に柔道で鍛え、体力に自信のある立浪でも、日曜日は抜け殻状態だ。
長く続けられる仕事ではないし、なにより好きで始めた仕事ではない。
だが、ターゲットに辿(たど)り着くまでは走り続けなければならない。
毎週、ネタにするためのターゲットではなく人生のターゲットだ。
「さすがはリカオンと呼ばれる敏腕編集者様だ。これでまた、一人の人間の人生をぶち壊すことになるな」
皮肉っぽい鈴村の言葉が、立浪の開きかけた暗鬱(あんうつ)な記憶の扉を閉めた。
「自業自得だ」
立浪は、素(そ)っ気(け)ない口調で言った。
リカオン――アフリカに生息するイヌ科の肉食獣で、獲物を仕留めるまで二、三日走り続ける持久力を持つ。
狩りの成功率がアフリカの捕食動物の中で一番であることから、狙ったターゲットを逃さない立浪を動物好きの記者がそう呼び始めた。
いまでは、写真週刊誌の業界でリカオンの存在を知らない者はいないほど、立浪は有名人になっていた。
「だとしても、お前に藤城宅麻の人生を破滅させる権利があるのか?」
すかさず鈴村が切り返した。
「俺がやらなくても、どこかの記者が取り上げるだけの話だ。お前らは小説という虚構を世に出し、俺らはスキャンダルという真実を世に出すのが仕事だ。少なくとも俺らは、嘘は吐かない」
立浪は皮肉を返した。
「俺ら文芸部は誰も傷つけていない」
「それはこっちも同じだ。俺も誰も傷つけてなんかいない。元からあった脛(すね)の傷を刺激するだけだ」
口元に酷薄な笑みを張りつけ、立浪は鈴村に冷眼を向けた。
「お前には罪悪感……」
「これからプラン会議があるんだ。不毛な論争につき合っている暇はない。小説担当の榎並(えなみ)は、いま、作家先生とミーティングルームにいるから早く行けよ」
立浪は鈴村を遮(さえぎ)り言うと、スマートフォンを取り出した。
あと三十分後の十一時半には、プラン会議のために記者達が集まる。
その前に、藤城の事務所に記事掲載の連絡を入れて仁義を切っておきたかった。
「言われなくても行くよ」
鈴村がデスクチェアから腰を上げ、出口に向かった。
「いまさらなんだが、訊(き)いてもいいか?」
鈴村が足を止めた。
「答えられることなら」
立浪は鈴村と入れ替わりにデスクチェアに座った。
「あれだけ嫌っていたニュース部に異動を志願したのは、亡くなったお父さんが関係しているのか?」
「答えたくないな」
スマートフォンの番号キーをタップしようとした立浪の指先が宙で止まった。
「もしかして、お父さんの死因を疑って……」
「俺が怒らないうちに消えろ」
押し殺した声で言うと、立浪は眼を閉じた。
『親父のせいで、俺がガキの頃からどれだけイジメられてきたか知らないだろう!? どうして、人の秘密を暴くような仕事をしてるんだよ!? どうして、人の家庭を壊すような仕事をしてるんだよ!? 人の不幸で金を稼いで、恥ずかしくないのか!?』
初めて父に反抗したのは、高一の夏休みだった。
『お前が幼い頃から私の仕事のせいでつらい目にあっていたことは謝る。だがな、私は自分の仕事を恥だと思ったことは一度もない』
父は息子を見据え、きっぱりと言った。
『開き直るのか!? 人の弱味につけ込んで……』
『私はスポーツ紙の記者という仕事に誇りを持っている。たしかに、著名人のスキャンダルを暴くのが父さんの仕事だ。世間から忌み嫌われる仕事なのはわかっている。だけどな、嫌われ者にも流儀はある。私は、数多くのスキャンダルを暴いてきたが後ろ指を指されるようなことは一度もしていない』
嫌われ者の流儀……思春期真っただ中の少年には、理解できるはずがなかった。
物心つくまでは大好きだった父を、自我が芽生(めば)え始めてからは軽蔑(けいべつ)した。
その思いは、父が死ぬ直前の五年前まで続いた。
父の遺体は、自殺の名所として有名な石川県のヤセの断崖(だんがい)で発見された。
遺書には、スキャンダルを暴き迷惑をかけてきた人々に死を以(もっ)て償(つぐな)いたいという旨(むね)の内容が綴(つづ)られていた。
立浪は、違和感を覚えた。
父が命を絶って償うほどに自らの仕事に罪の意識を感じていたとは思えない。
そんな人間味に溢(あふ)れた父なら、立浪が軽蔑することもなかった。
自殺ではない――根拠はないが、立浪の疑念は日増しに膨(ふく)らんだ。
疑念が確信に変わったのは、遺品のICレコーダーに録音されていた会話だった。
『それは脅しと受け取ってもいいですか?』
『立浪さんでしたか? あなたの身を案じての助言だと思ってください』
『わかりました。助言としてありがたく聞き入れながら、予定通り記事は掲載させて頂きます』
『もう一つ、助言しておきます。意地も通し過ぎると、取り返しのつかないことになりますよ』
『私がこの世で嫌いなのは、脅しで相手を屈服させようとする人間です。さらに嫌いなのは、脅しに屈してしまう自分です』
ICレコーダーの会話には、ターゲットの名前も所属事務所名も入っていなかった。
内容から察して、記事の掲載を告げる報告をターゲットの所属事務所に入れたときのものだろう。
父が勤務していた「毎朝スポーツ」の手順が「スラッシュ」と同じなら、電話の相手はターゲットの担当マネージャーか所属事務所の社長に違いない。
声の感じと恫喝(どうかつ)的な口調から、社長の線が強い。
それも、反社会勢力の臭いがする事務所……。
「え? 入院って、本当ですか!?」
野々村(ののむら)の素頓狂な声が、立浪を回想から引き戻した。
「ああ、本当だ。入院っていうか、ホスピスだけどな。今回のヤマを引退作として、外出許可を貰って裏どりに挑んだのさ」
福島が野々村に事の経緯を説明しているのは、ヨネのことに違いない。
野々村は立浪と同じニュースA班の編集者で、入社一年目の新卒ルーキーだ。
「ホスピスって、終末緩和ケアの施設のホスピスですか?」
「そう、ヨネさんは末期の癌だ」
「え!? またまた~。僕がその人のこと知らないからって、担がないでくださいよ。八十歳で写真誌の記者をやっていること自体が信じられないことなのに、末期癌だなんて。ねえ、先輩」
野々村が、立浪に顔を向けた。
「本当だ。今度見舞いに行くときに、一緒に連れて行ってやる」
立浪が言うと、野々村があんぐりと口を開けて絶句した。
(第5話につづく)
二便の原稿の校了が終わる翌土曜日の朝は、木曜日と金曜日の地獄の締め切りのツケが回り身も心も疲弊(ひへい)しきっている。
高校、大学時代に柔道で鍛え、体力に自信のある立浪でも、日曜日は抜け殻状態だ。
長く続けられる仕事ではないし、なにより好きで始めた仕事ではない。
だが、ターゲットに辿(たど)り着くまでは走り続けなければならない。
毎週、ネタにするためのターゲットではなく人生のターゲットだ。
「さすがはリカオンと呼ばれる敏腕編集者様だ。これでまた、一人の人間の人生をぶち壊すことになるな」
皮肉っぽい鈴村の言葉が、立浪の開きかけた暗鬱(あんうつ)な記憶の扉を閉めた。
「自業自得だ」
立浪は、素(そ)っ気(け)ない口調で言った。
リカオン――アフリカに生息するイヌ科の肉食獣で、獲物を仕留めるまで二、三日走り続ける持久力を持つ。
狩りの成功率がアフリカの捕食動物の中で一番であることから、狙ったターゲットを逃さない立浪を動物好きの記者がそう呼び始めた。
いまでは、写真週刊誌の業界でリカオンの存在を知らない者はいないほど、立浪は有名人になっていた。
「だとしても、お前に藤城宅麻の人生を破滅させる権利があるのか?」
すかさず鈴村が切り返した。
「俺がやらなくても、どこかの記者が取り上げるだけの話だ。お前らは小説という虚構を世に出し、俺らはスキャンダルという真実を世に出すのが仕事だ。少なくとも俺らは、嘘は吐かない」
立浪は皮肉を返した。
「俺ら文芸部は誰も傷つけていない」
「それはこっちも同じだ。俺も誰も傷つけてなんかいない。元からあった脛(すね)の傷を刺激するだけだ」
口元に酷薄な笑みを張りつけ、立浪は鈴村に冷眼を向けた。
「お前には罪悪感……」
「これからプラン会議があるんだ。不毛な論争につき合っている暇はない。小説担当の榎並(えなみ)は、いま、作家先生とミーティングルームにいるから早く行けよ」
立浪は鈴村を遮(さえぎ)り言うと、スマートフォンを取り出した。
あと三十分後の十一時半には、プラン会議のために記者達が集まる。
その前に、藤城の事務所に記事掲載の連絡を入れて仁義を切っておきたかった。
「言われなくても行くよ」
鈴村がデスクチェアから腰を上げ、出口に向かった。
「いまさらなんだが、訊(き)いてもいいか?」
鈴村が足を止めた。
「答えられることなら」
立浪は鈴村と入れ替わりにデスクチェアに座った。
「あれだけ嫌っていたニュース部に異動を志願したのは、亡くなったお父さんが関係しているのか?」
「答えたくないな」
スマートフォンの番号キーをタップしようとした立浪の指先が宙で止まった。
「もしかして、お父さんの死因を疑って……」
「俺が怒らないうちに消えろ」
押し殺した声で言うと、立浪は眼を閉じた。
『親父のせいで、俺がガキの頃からどれだけイジメられてきたか知らないだろう!? どうして、人の秘密を暴くような仕事をしてるんだよ!? どうして、人の家庭を壊すような仕事をしてるんだよ!? 人の不幸で金を稼いで、恥ずかしくないのか!?』
初めて父に反抗したのは、高一の夏休みだった。
『お前が幼い頃から私の仕事のせいでつらい目にあっていたことは謝る。だがな、私は自分の仕事を恥だと思ったことは一度もない』
父は息子を見据え、きっぱりと言った。
『開き直るのか!? 人の弱味につけ込んで……』
『私はスポーツ紙の記者という仕事に誇りを持っている。たしかに、著名人のスキャンダルを暴くのが父さんの仕事だ。世間から忌み嫌われる仕事なのはわかっている。だけどな、嫌われ者にも流儀はある。私は、数多くのスキャンダルを暴いてきたが後ろ指を指されるようなことは一度もしていない』
嫌われ者の流儀……思春期真っただ中の少年には、理解できるはずがなかった。
物心つくまでは大好きだった父を、自我が芽生(めば)え始めてからは軽蔑(けいべつ)した。
その思いは、父が死ぬ直前の五年前まで続いた。
父の遺体は、自殺の名所として有名な石川県のヤセの断崖(だんがい)で発見された。
遺書には、スキャンダルを暴き迷惑をかけてきた人々に死を以(もっ)て償(つぐな)いたいという旨(むね)の内容が綴(つづ)られていた。
立浪は、違和感を覚えた。
父が命を絶って償うほどに自らの仕事に罪の意識を感じていたとは思えない。
そんな人間味に溢(あふ)れた父なら、立浪が軽蔑することもなかった。
自殺ではない――根拠はないが、立浪の疑念は日増しに膨(ふく)らんだ。
疑念が確信に変わったのは、遺品のICレコーダーに録音されていた会話だった。
『それは脅しと受け取ってもいいですか?』
『立浪さんでしたか? あなたの身を案じての助言だと思ってください』
『わかりました。助言としてありがたく聞き入れながら、予定通り記事は掲載させて頂きます』
『もう一つ、助言しておきます。意地も通し過ぎると、取り返しのつかないことになりますよ』
『私がこの世で嫌いなのは、脅しで相手を屈服させようとする人間です。さらに嫌いなのは、脅しに屈してしまう自分です』
ICレコーダーの会話には、ターゲットの名前も所属事務所名も入っていなかった。
内容から察して、記事の掲載を告げる報告をターゲットの所属事務所に入れたときのものだろう。
父が勤務していた「毎朝スポーツ」の手順が「スラッシュ」と同じなら、電話の相手はターゲットの担当マネージャーか所属事務所の社長に違いない。
声の感じと恫喝(どうかつ)的な口調から、社長の線が強い。
それも、反社会勢力の臭いがする事務所……。
「え? 入院って、本当ですか!?」
野々村(ののむら)の素頓狂な声が、立浪を回想から引き戻した。
「ああ、本当だ。入院っていうか、ホスピスだけどな。今回のヤマを引退作として、外出許可を貰って裏どりに挑んだのさ」
福島が野々村に事の経緯を説明しているのは、ヨネのことに違いない。
野々村は立浪と同じニュースA班の編集者で、入社一年目の新卒ルーキーだ。
「ホスピスって、終末緩和ケアの施設のホスピスですか?」
「そう、ヨネさんは末期の癌だ」
「え!? またまた~。僕がその人のこと知らないからって、担がないでくださいよ。八十歳で写真誌の記者をやっていること自体が信じられないことなのに、末期癌だなんて。ねえ、先輩」
野々村が、立浪に顔を向けた。
「本当だ。今度見舞いに行くときに、一緒に連れて行ってやる」
立浪が言うと、野々村があんぐりと口を開けて絶句した。
(第5話につづく)