第5話 所属タレントのスキャンダルに、事務所社長は・・・・・・

文字数 2,867文字

 無理もない。
 立浪が「スラッシュ」編集部に異動して初めての現場でタッグを組んだのが、七十五歳のヨネだった。
 最初に当時の編集長にヨネを紹介されたときには、野々村と同じに担がれていると思ったものだ。
 だが、考えかたによっては張り込む際のパートナーとしてヨネは最強だった。
 住宅街を老婆と歩いていても、誰も疑いの目を向ける者はいない。
 不思議と、ヨネとはウマが合った――ヨネの前では素直になれた。

『この仕事、好かれようと思っちゃいかん。いくら正当化しても、人の隠し事やら性癖やらをネタにする仕事なんかろくなもんじゃいよ。現実に抗うほどに苦しくなる。カラスやネズミが嫌われるのと同じ、どうしようもないことじゃ。カラスにはカラスの、ネズミにはネズミの生き方があるように、嫌われ者として生きればいい。人に理解してもらおうとせんでもいい。自分だけ、嫌われ者としての誇りをひっそりと持っていればそれでいいんじゃ』
 初顔合わせのときに、唐突にヨネに言われた言葉だった。
 父と違ってスキャンダルをネタにする仕事を無理に美化しようとしないヨネだからこそ、立浪は好印象を抱いたのかもしれない。
 立浪は「アースタープロ」の電話番号をディスプレイに呼び出し、通話キーをタップした。
『アースタープロでございます』
 三回目の途中でコール音が途切れ、女性スタッフの声が流れてきた。
「『日光社』の立浪と申しますが、中富(なかとみ)社長はいらっしゃいますか?」
『中富はいま会議中で、折り返し……』
「『スラッシュ』編集部から、藤城宅麻さんと十七歳のモデルとの密会現場の掲載についてのご報告の電話だとお伝えください」
 立浪は女性スタッフを遮り、一方的に用件を告げた。
『しょ、少々、お待ちください』
 それまでと違い明らかに動揺した女性の声音が、保留のメロディに代わった。
 芸能事務所の社長にとって、看板タレントのスキャンダルの対応以上に優先することはないはずだ。
『お電話代わりました。中富です』
 立浪の予想通り、三十秒も経たないうちに太く低い声がながれてきた。
「アースタープロ」は所属タレント二十人ほどの中堅の芸能事務所だが、知名度があるのは藤城くらいのものだ。
「お忙しいところ申し訳ありません。『スラッシュ』編集部ニュースA班の立浪と申します。先日、貴社所属タレントの藤城宅麻さんのご自宅周辺で、若手モデルのカナンさんと密会している現場を押さえました。因(ちな)みにカナンさんは十七歳です。来週火曜の発売号の掲載を目指して進めておりますのでご報告致します」
 立浪は、淡々とした口調で告げた。
『ちょ……ちょっと待ってください。な、なにかの間違いではありませんか? 藤城は三年前のスキャンダルで懲(こ)りているはずですから、この大事な時期にそんな馬鹿なことをするとは思えません』
 中富は、自らに言い聞かせているようだった。
「お二人の画像はすぐに送りますから、確認して頂ければ間違いでないとわかります」
 立浪の言葉に、受話口越しに中富が息を吞む気配が伝わってきた。
『あの……ま、間違いなかったとして、交渉の余地はありませんか!? ウチのグラビアタレントで「サタデー」さん……いや、失礼しました、「スラッシュ」さんで何度かお世話になった未悠(みゆ)の初脱ぎを、ノーギャラでやっても構いませんから!』
 電話越しにも、中富の動転ぶりが伝わってきた。
「残念ですが、未悠さんの知名度では初脱ぎをやっても部数に響きません。ノーギャラでも得をするのはPRになる未悠さんだけです」
 立浪は、にべもなく言った。
『わ、わかりました。それでは、女優の前原千佳(まえはらちか)のヌード企画はいかがでしょう? いまは駆け出しですが、来クールの二十三時の連ドラで三番手での出演が決定していますっ。グラドルの未悠と違って前原千佳はウチとしても大事に育てている……』
『プライムタイムに放映される連ドラの主役クラスの初脱ぎでも、交渉には応じません』
 取り付く島もなく、立浪は中富を突き放した。
 立浪と中富の電話でのやり取りを見ていた福島と近田が、苦笑いしていた。
『お願いしますっ……今回だけ、なんとか見逃してください! ご存じの通り、藤城はウチの稼ぎ頭ですっ。藤城自身も二度目の女性スキャンダルが報じられてしまったら、芸能生命が終わってしまいますっ。松濤の邸宅のローンもまだ二十年近く残っていますし……』
「それは藤城さんと中富社長のご都合です。弊社としては事実を報じるだけです。この電話も、ご相談ではなくご報告なのでどれだけ食い下がられても交渉に応じることはできません。木曜か金曜にはゲラをPDFで送りできると思いますのでご確認ください。では、失礼します」
 立浪は平板な口調で一方的に告げると、電話を切った。
 間を置かず「アースタープロ」の番号から着信があったが、立浪は無視した。
「リカオンさんは、手厳しいね~。交渉に応じないにしても、言いかたを考えないと恨みを買うだけだぞ」
 福島が呆(あき)れたように言った。
「優しい言いかたをしても、記事は出すわけですから恨まれるのは同じです。偽善で下手(へた)な期待を持たせるより、現実を突きつけて心の準備を促すほうがまだましだと思いますがね」
 立浪は無表情に言うと、デスクチェアから腰を上げた。
「お前は写真週刊誌の編集者としては優秀だが、人としての情が欠落してるな」
 福島がため息を吐きながら、立浪を見上げた。
「これからプラン会議なので、ミーティングルームに行ってきます」
 立浪は言い残し、フロアを出るとエレベーターのボタンを押した。
 
『私は、記者の仕事を世直しだと思ってやっている』
 
 不意に、父の口癖が脳裏に浮かんだ。
 情があろうが志があろうが、スクープ絡みで殺されるような憐(あわ)れな男にはなりたくない。
 そう、父は自殺ではなく他殺――立浪は確信していた。
 立浪の最終目的は、黒幕を炙(あぶ)り出し立浪正蔵(しょうぞう)殺人事件を記事にすることだ。
だが、鈴村が言いかけたように父の仇(かたき)を討つために「スラッシュ」ニュース部に異動を志願したわけではない。
大スクープになり得るネタを摑んでいるのに、見過ごす馬鹿はいない。
人情も思いやりもいらない……正当化も大義名分もいらない。
立浪は写真週刊誌の編集者らしく記録的な部数を達成するために、大きな獲物をターゲットに選んだだけだ。
動機はそれ以上でもそれ以下でも、ましてや世直しなんかではない。
他人の恥部と暗部を暴いて社会的制裁を与えると同時に手柄を上げる……それが立浪流の嫌われ者の矜持(きょうじ)だ。
五階に到着したエレベーターの扉が開き、立浪は乗り込んだ。
「いざ、次の獲物へ」
 立浪は自嘲(じちょう)的に呟(つぶや)き、ミーティングルームのある四階ボタンを押した。
(第6話につづく)

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