第39話 薬物使用の現場、「GVルーム」に突入できるか
文字数 2,655文字
「なんだ? 協力してくれるのか?」
「お前が拉致(らち)でもされたら寝覚めが悪いからな。で、黒服をドアから引き離すって具体的になにをすればいいんだ?」
鈴村は相変わらず愛想のない口調で訊ねてきた。
「フロアを間違えたふりをして、忘れ物を取りにきたと言ってGVルームに入ろうとしてくれ。黒服がお前と揉み合っているうちに、俺が突入して撮影するから」
「俺と黒服が揉み合うって……」
立浪が説明すると、鈴村が言葉の続きを呑(の)み込んだ。
「逆でもいいんだぞ? 俺が揉み合っているうちにお前が突入しても」
「いや、撮影は苦手だから遠慮しとく。わかった。やるよ」
「じゃあ、行こう」
立浪はエレベーターではなく非常口に足を向けた。
☆
「一人だな」
地下二階の非常階段の踊り場――スチールドアを薄く開けた立浪の視線の先には、凛が言ったとおりにインカムをつけた黒服が一人、GVルームのドアの前に立っていた。
黒服の注意は正面のエレベーターに向き、立浪と鈴村が潜む右横の非常口はノーマークだった。
「でも、奥のほうから出てくるかもしれないぞ」
背後から不安げな声で鈴村が言った。
「臆病風邪に吹かれたなら、車に戻ってもいいからな」
立浪は突き放すように言った。
鈴村の負けん気を刺激しようとしたわけではない。
躊躇(ためら)いがあるなら、本当に外れてもいいと思っていた。
いや、外れてほしかった。
場合によっては怪我(けが)をするかもしれない危険な行為に、無理やり鈴村を巻き込みたくはなかった。
「お前が思っているほど腰抜けじゃないから安心しろ」
鈴村が言った。
「じゃあ、五秒数えてから行くぞ」
五、四、三、二……。
立浪は上げた右手の親指から順番に折った。
薬指を折ったところで立浪は振り返り鈴村に頷くと、非常口のドアを開けた。
歩み寄ってくる鈴村を認めた黒服の顔に緊張が走った。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
黒服が鈴村の進路を遮るように立ちはだかった。
「さっきまで飲んでたんだけど、スマホを忘れちゃって」
言い終わらないうちに鈴村が、GVルームのドアノブに手を伸ばした。
「お客様、フロアをお間違えです!」
慌てて黒服が、鈴村の腕を摑(つか)んだ。
「間違ってないよ。この部屋で飲んでたんだから」
鈴村が黒服の手を払いのけ、ふたたびドアノブに手を伸ばした。
「ここは一般フロアではないので、一階とお間違えだと思います!」
ふたたび、黒服が鈴村の腕を摑んだ。
「間違いじゃないって言ってるだろ! 俺はここで飲んでたんだよ! 離せよ」
鈴村が腕を振り払おうとしたが、今度は黒服は手を離さなかった。
「お前! 客に向かってその態度はなんだ!」
「お客様っ、お静かに願います!」
シナリオ通り、鈴村と黒服が揉み合いを始めた。
黒服はGVルームのドアの前から、鈴村を引き離そうとしていた。
鈴村も抵抗するふりをしながら、ドアからじょじょに離れた。
黒服がドアから離れれば離れるほどに、立浪がGVルームに突入しやすくなる。
二人は揉み合いながら、エレベーターのほうに移動した。
黒服は鈴村を、渾身の力でエレベーターに乗せようとしていた。
立浪は飛び出し、一直線にGVルームに向かった。
黒服は鈴村に気を取られ、立浪に気づいていなかった。
立浪はGVルームのドアを開け、飛び込むとすぐに閉めた。
六畳ほどのスクエアな空間、市松(いちまつ)模様のモノトーンの床……クロムハーツの白革の長ソファで抱き合いディープキスをしていた男女が、弾かれたように立浪を見た。
男は松野健で、女は杏樹だった。
二人の眼はとろんとして焦点が合っていない気がした。
彼らの前の楕円形の大理石のテーブルには、シャンパンのグラスと生ハムメロンの皿が載っていた。
立浪の視線が、シャンパングラスの横で止まった。
小瓶に詰められたカラフルな錠剤――セックスドラッグに違いない。
立浪は小瓶に身体を向けた――胸ポケットに仕込んだミニビデオカメラのレンズを向けた。
我を取り戻した牧野が慌てて小瓶を摑み、上着のポケットに入れた。
「あの……どちら様……ですか?」
平静を装っているつもりだろうが、杏樹の呂律(ろれつ)は回っていなかった。
「俳優の牧野健さんですよね?」
立浪は訊ねた。
「あんた、誰だ……よ?」
牧野の呂律も怪しく、立浪を睨(にら)みつける眼は据わっていた。
「週刊誌の記者です。牧野さん、いまポケットに入れた小瓶に入っているタブレットはセックスドラッグですよね?」
立浪は切り込んだ。
「はぁ!? なにを言ってんだ~てめえ!」
牧野がふらふらと立ち上がり、シャンパンのグラスを倒しながら立浪に摑みかかってきた。
「ちょっと、暴力はやめてください!」
立浪はミニビデオカメラを意識しながら大袈裟(おおげさ)に言った。
「記者がどうしてここに……いるん……だよ!?」
牧野が伸ばした右手を、立浪は躱(かわ)した。
バランスを崩した牧野が、仰向けに倒れた。
「ふざけんじゃねえぞ……てめえ! 俺を誰だと思ってる!? おいっ、答えろ! ただで済むと思ってんのか!? ああ!?」
引っ繰り返った昆虫のように激しく手足をバタつかせ、牧野が喚(わめ)き散らした。
牧野は開いた瞳孔で立浪を睨みつけ、荒々しい口調で恫喝(どうかつ)してきた。
ドラマや映画の番宣で、バラエティ番組に出演しているときの腰が低くシャイな好感度俳優とは別人のようだった。
薬物の現場を押さえただけでも大スクープなのに、牧野が激怒して脅してくるというおまけまでついた。
「落ち着いてくださいっ、牧野さん! 薬物で錯乱していますから、大事故に繋がります!」
立浪は、牧野の名前と薬物というワードを強調した。
予想以上の撮れ高に撤収しようと立浪が踵(きびす)を返した瞬間、GVルームのドアが開いた。
「お前っ、誰だ!? こんなところでなにを……」
鈴村と揉めていた黒服に体当たりし、立浪は非常口にダッシュした。
「GVルームに侵入していた不審者が、非常口から逃走しました!」
インカムで応援を要請しながらあとを追ってくる黒服の足音を振り切るように、立浪は非常階段を駆け上った。
(第40話につづく)
「お前が拉致(らち)でもされたら寝覚めが悪いからな。で、黒服をドアから引き離すって具体的になにをすればいいんだ?」
鈴村は相変わらず愛想のない口調で訊ねてきた。
「フロアを間違えたふりをして、忘れ物を取りにきたと言ってGVルームに入ろうとしてくれ。黒服がお前と揉み合っているうちに、俺が突入して撮影するから」
「俺と黒服が揉み合うって……」
立浪が説明すると、鈴村が言葉の続きを呑(の)み込んだ。
「逆でもいいんだぞ? 俺が揉み合っているうちにお前が突入しても」
「いや、撮影は苦手だから遠慮しとく。わかった。やるよ」
「じゃあ、行こう」
立浪はエレベーターではなく非常口に足を向けた。
☆
「一人だな」
地下二階の非常階段の踊り場――スチールドアを薄く開けた立浪の視線の先には、凛が言ったとおりにインカムをつけた黒服が一人、GVルームのドアの前に立っていた。
黒服の注意は正面のエレベーターに向き、立浪と鈴村が潜む右横の非常口はノーマークだった。
「でも、奥のほうから出てくるかもしれないぞ」
背後から不安げな声で鈴村が言った。
「臆病風邪に吹かれたなら、車に戻ってもいいからな」
立浪は突き放すように言った。
鈴村の負けん気を刺激しようとしたわけではない。
躊躇(ためら)いがあるなら、本当に外れてもいいと思っていた。
いや、外れてほしかった。
場合によっては怪我(けが)をするかもしれない危険な行為に、無理やり鈴村を巻き込みたくはなかった。
「お前が思っているほど腰抜けじゃないから安心しろ」
鈴村が言った。
「じゃあ、五秒数えてから行くぞ」
五、四、三、二……。
立浪は上げた右手の親指から順番に折った。
薬指を折ったところで立浪は振り返り鈴村に頷くと、非常口のドアを開けた。
歩み寄ってくる鈴村を認めた黒服の顔に緊張が走った。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
黒服が鈴村の進路を遮るように立ちはだかった。
「さっきまで飲んでたんだけど、スマホを忘れちゃって」
言い終わらないうちに鈴村が、GVルームのドアノブに手を伸ばした。
「お客様、フロアをお間違えです!」
慌てて黒服が、鈴村の腕を摑(つか)んだ。
「間違ってないよ。この部屋で飲んでたんだから」
鈴村が黒服の手を払いのけ、ふたたびドアノブに手を伸ばした。
「ここは一般フロアではないので、一階とお間違えだと思います!」
ふたたび、黒服が鈴村の腕を摑んだ。
「間違いじゃないって言ってるだろ! 俺はここで飲んでたんだよ! 離せよ」
鈴村が腕を振り払おうとしたが、今度は黒服は手を離さなかった。
「お前! 客に向かってその態度はなんだ!」
「お客様っ、お静かに願います!」
シナリオ通り、鈴村と黒服が揉み合いを始めた。
黒服はGVルームのドアの前から、鈴村を引き離そうとしていた。
鈴村も抵抗するふりをしながら、ドアからじょじょに離れた。
黒服がドアから離れれば離れるほどに、立浪がGVルームに突入しやすくなる。
二人は揉み合いながら、エレベーターのほうに移動した。
黒服は鈴村を、渾身の力でエレベーターに乗せようとしていた。
立浪は飛び出し、一直線にGVルームに向かった。
黒服は鈴村に気を取られ、立浪に気づいていなかった。
立浪はGVルームのドアを開け、飛び込むとすぐに閉めた。
六畳ほどのスクエアな空間、市松(いちまつ)模様のモノトーンの床……クロムハーツの白革の長ソファで抱き合いディープキスをしていた男女が、弾かれたように立浪を見た。
男は松野健で、女は杏樹だった。
二人の眼はとろんとして焦点が合っていない気がした。
彼らの前の楕円形の大理石のテーブルには、シャンパンのグラスと生ハムメロンの皿が載っていた。
立浪の視線が、シャンパングラスの横で止まった。
小瓶に詰められたカラフルな錠剤――セックスドラッグに違いない。
立浪は小瓶に身体を向けた――胸ポケットに仕込んだミニビデオカメラのレンズを向けた。
我を取り戻した牧野が慌てて小瓶を摑み、上着のポケットに入れた。
「あの……どちら様……ですか?」
平静を装っているつもりだろうが、杏樹の呂律(ろれつ)は回っていなかった。
「俳優の牧野健さんですよね?」
立浪は訊ねた。
「あんた、誰だ……よ?」
牧野の呂律も怪しく、立浪を睨(にら)みつける眼は据わっていた。
「週刊誌の記者です。牧野さん、いまポケットに入れた小瓶に入っているタブレットはセックスドラッグですよね?」
立浪は切り込んだ。
「はぁ!? なにを言ってんだ~てめえ!」
牧野がふらふらと立ち上がり、シャンパンのグラスを倒しながら立浪に摑みかかってきた。
「ちょっと、暴力はやめてください!」
立浪はミニビデオカメラを意識しながら大袈裟(おおげさ)に言った。
「記者がどうしてここに……いるん……だよ!?」
牧野が伸ばした右手を、立浪は躱(かわ)した。
バランスを崩した牧野が、仰向けに倒れた。
「ふざけんじゃねえぞ……てめえ! 俺を誰だと思ってる!? おいっ、答えろ! ただで済むと思ってんのか!? ああ!?」
引っ繰り返った昆虫のように激しく手足をバタつかせ、牧野が喚(わめ)き散らした。
牧野は開いた瞳孔で立浪を睨みつけ、荒々しい口調で恫喝(どうかつ)してきた。
ドラマや映画の番宣で、バラエティ番組に出演しているときの腰が低くシャイな好感度俳優とは別人のようだった。
薬物の現場を押さえただけでも大スクープなのに、牧野が激怒して脅してくるというおまけまでついた。
「落ち着いてくださいっ、牧野さん! 薬物で錯乱していますから、大事故に繋がります!」
立浪は、牧野の名前と薬物というワードを強調した。
予想以上の撮れ高に撤収しようと立浪が踵(きびす)を返した瞬間、GVルームのドアが開いた。
「お前っ、誰だ!? こんなところでなにを……」
鈴村と揉めていた黒服に体当たりし、立浪は非常口にダッシュした。
「GVルームに侵入していた不審者が、非常口から逃走しました!」
インカムで応援を要請しながらあとを追ってくる黒服の足音を振り切るように、立浪は非常階段を駆け上った。
(第40話につづく)