『メスを握る大天使』特別番外編 「クリスマスの夜に」/春原いずみ

文字数 3,248文字

 その店は、とても可愛らしい店だった。
 店自体がこぢんまりしているわけではない。店の内装、雰囲気、客筋が「可愛らしい」のだ。
「いやぁ、場違い感ハンパないなぁ」
 くすくすとどこか嬉しそうに笑いながら、芳賀が言う。
「見て見て、詩音。あのクリスマスツリー!」
 アイボリーホワイトとくすんだピンクで統一された店内。生花がたっぷりと飾られた中に、きらきらとLEDライトで輝くクリスマスツリーが置いてあった。白いツリーは高さが二メートル以上もあり、たくさんの金と銀のボールのオーナメントが輝き、七色に色を変えるライトがふわふわと揺れている。
「……大きな声を出さないでほしい」
 小泉が少し不機嫌に言う。
 二人は中庭を見渡せる特等席に座っていた。万事に気が利きすぎる芳賀がリザーブした席である。そこに天使の美貌を輝かせた美青年とモデル体型のハンサムが向かい合っているのだ。否応なく目立つ。
「いいじゃん」
 芳賀が屈託なく笑った。
「俺の自慢の恋人を存分に見せつけたいんだからさ」
「…………」
 芳賀がクリスマスディナーを予約したと言った時から、何となく嫌な予感はしていた。ディナーなら、芳賀の兄である水本の店で十分じゃないかと言ったのだが、せっかく予約したのだからと、半ば強引に連れて来られたのが、このフレンチレストラン『ル・ヴァン』である。
「女性客ばかりじゃないか……っ」
 思わずぼそぼそと文句を言う小泉だが、芳賀はにこにこと笑っているだけだ。
 こいつはわかっていて連れてきたのだ。
「……こんな店、何で君が知ってるんだ。……女性と来たことがあるのか?」
 どうやら、コースは事前に頼んであったらしく、飲み物だけをウェイターにオーダーして、小泉は半ば詰問口調で言った。
「あれ? 詩音、嫉妬してる?」
 少しからかうように、芳賀が言う。グレイッシュパープルの美しい瞳がきらきらと楽しそうに輝いている。その瞳に一瞬魅入られながら、小泉はすっと視線を外した。
「……そんなことあるわけないじゃないか」
 耳が熱い。たぶんうっすらと血の色をのぼらせているはずだ。陶器のようにすべすべとした白い肌がふわっと桜色に染まる。向かいに座っている芳賀がびっくりしたような顔をしてから、なぜか彼もすっと視線を外した。
「……詩音、反則」
「え?」
 突然、訳のわからないことを言われた。きょとんと大きな目を見開き、小泉は再びまともに芳賀を見る。なぜか、芳賀の方が小泉よりも恥ずかしそうな風情だ。
「君は何を言っている?」
「だーかーらーっ」
 芳賀ははぁっとため息をついた。
「まぁ……そういう自覚がないところが詩音のいいとこだとは思うけどさ」
「何のことだ……?」
 訳がわからないと、小泉はまた不機嫌な顔に戻ってしまった。
「お待たせいたしました」
 そこに、ウェイターがアペリティフを運んでくる。
「キールロワイヤルでございます」
 ルビー色のカクテルを満たした美しいシャンパングラスが二つ運ばれてきた。ふわふわと柔らかな気泡が薄く滑らかなグラスの中を泳いでいる。
 きらきらと揺れるクリスマスツリーのライトがグラスに映り込み、虹色の輝きを振りこぼす。
「……きれいだ」
 思わず、小泉はつぶやいていた。
「すごく……きれいだ」
「俺には、詩音の方がきれいに見えるけど」
 グラスを手に取りながら、芳賀が優しくささやく。
「きれいすぎて、怖いくらい」
「何を……言っているんだ」
 小泉は呆れたように言い、そして、小さく笑う。
 少しずつ笑うようになった小泉は、何だかとても可愛らしい。可愛いという年齢でも、キャリアでもないのだが、やはり可愛らしい。
 ずっと笑うことなどなく過ごしてきた十七年間。封印され続けてきた柔らかな笑顔を少しずつ取り戻している小泉を、芳賀はとても愛しいと思う。
「ほら、詩音もグラス取って。乾杯しよう」
 芳賀に促されて、小泉はシャンパングラスの細いステムに指をかけた。薄いグラスは軽く持ち上がる。
「何に乾杯するんだ?」
 グラスが触れ合う直前に、小泉が言った。芳賀はちょっと考えてから、にこりと笑う。
「詩音の美しさに」
「蹴飛ばすぞ」
「何で? だめ?」
 ねだるような表情の恋人に蹴りを入れられるほど、小泉は恋に慣れていない。また耳たぶを淡く染めて、ふんと視線を外す。その桜色の柔らかそうな耳たぶを十分に堪能してから、芳賀は言った。
「じゃあ、初めての二人のクリスマスに」
「それも恥ずかしいな……」
 それでも『二人』という言葉の甘さに、胸が高鳴る。どきどきを隠して、ようやく視線を戻すと、小泉は軽くグラスを上げた。
 ちりんっと澄んだ音がして、グラスが触れ合った。
「乾杯」
「……乾杯」
 口に含んだカクテルは、甘くて爽やかだ。シャンパンのいい香りが鼻先をくすぐり、柔らかに弾ける気泡が唇に触れる。
「……美味しい」
 小泉は思わずつぶやいていた。
「店の雰囲気はなんだけど、すごく……美味しい」
 リキュールもシャンパンもいいものなのだろう。滑らかな舌触りのカクテルは、食事への期待を高めてくれる。
「そう馬鹿にしたもんでもないんだぜ」
 芳賀が笑った。
「ここ、あの賀来玲二の店なんだから」
「賀来玲二? え、彼って本格フレンチの人だと思ってたけど」
 外食の習慣がほとんどない小泉でも、業界一の有名人の名は知っている。
「そう。その彼が初めて手がけたカジュアル寄りの店がここ。……あれ?」
 芳賀がふと妙な声を出した。その視線は小泉ではなく、その後ろを見ている。
「詩音……」
「どうしたんだ?」
 グラスを半端な位置で止めたまま、芳賀はすいと視線で誘った。思わず、小泉もそっと自分の後ろを振り返る。
「え?」
 小泉も声が出てしまった。
 たった今、店に入ってきた二人連れ。姿勢のいい優雅な身のこなしのインテリと、驚くほどラフで驚くほど存在感のない小柄な青年。
「あれ、志築先生と……えと、誰だっけ」
「消化器外科の谷澤先生だ。あの二人、仲良かったんだな……」
「てかさ」
 芳賀がちょっと呆れたような表情をしている。
「あれ、エスコートって言う?」
「え?」
 改めて、小泉はウェイターに案内されて、予約席に向かう二人を見た。
 先を行く志築の手が、谷澤の腕を摑んでいる。そう、まるで『連行』するかのように。
「何、あれ」
 どう見ても、楽しく食事という絵面ではない。テーブルにつくところまで見届けて、小泉はすっと姿勢を元に戻した。軽くぷっと吹き出してしまう。
「詩音?」
「いや……」
 くすくすと小さな笑いが止まらない。グラスを手にして、冷たいカクテルでどうにか笑いをおさめる。
「……志築はおかしなやつだから、あいつに見込まれると大変だなと思って」
「おかしなやつ?」
 小泉はふわっと甘やかな視線を芳賀に投げた。黒い大きな瞳に、クリスマスツリーの光が映る。
「……面倒くさい僕にずっとつき合ってくれていた……おかしなやつだ」
 芳賀はすっと手を伸ばすと、グラスのステムを摘まんでいる小泉の指に軽く触れた。柔らかな体温が伝わって、心の中までほんのりとあたたかくなる。
「じゃあ、俺も……おかしなやつかな」
 見つめる宝石の瞳。すうっと一瞬周囲の音が消え、二人は見つめ合う。
 ちらちらと舞いはじめた今年最初の雪。ホワイトクリスマスと言うには、少し足りないけれど、二人の初めてのクリスマスを祝う花吹雪のようで、何だか嬉しい。
「ああ……おかしなやつだ」
 見つめ合う視線で交わす、まなざしのキス。お互いの瞳だけを見つめたまま、再びグラスを触れ合わせる。
「僕を……ずっと好きだったなんて」
 メリークリスマス。
 君と僕の……初めての冬に乾杯。



春原いずみ(すのはら・いずみ)
新潟県出身。作家は夜稼業。昼稼業は某開業医での医療職。

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