村上春樹について私が語れる二、三の事柄 /『羊をめぐる冒険』

文字数 3,706文字

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「1人前食堂」を運営する、料理・食材愛好家のMaiによる初書評連載。


動画に映り込む本棚、そこに並ぶ数々の本。

Maiによって選び抜かれた1冊1冊に秘めた想いが明かされる。


第6回は村上春樹『羊をめぐる冒険』との奇跡的な出会いについて。

私は学校を休んだ


ティーンネイジャーも終わりに差し掛かっていた。

朝寝坊をしたという理由で学校を休んでしまった。先ほどまでタルトの重石のように重たくのしかかっていた布団は、一日中家でゴロゴロできることがわかると下手っぴな天ぷらの衣のようにぺろりとはがれてくれた。

親兄弟は出払っており、通常いるはずじゃない自分がひとり家にいる。自分の家であるはずなのにまるで自分の家ではないような気がした。

出所したての囚人はどんな気持ちだろうと想像しながら食卓に向かう。お弁当のおかずになる予定だった卵焼きと唐揚げにはまだ温もりがあり、それらを茶碗一杯の白飯にのせて食べた。

忙しくもなく、暇でもないネジを巻かれたような日常を保つのに手一杯で意識したことがなかったが、時間や周囲にせきたてられず、心置きなく食べる朝ごはんはいつぶりだろう。リビングのデジタル時計に目をやると8:30を指していたのでちょうど今頃クラスの朝礼が始まっているだろうと思った。

冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを取り出し、残り少ないことを確認してから空中で一気に飲み干した。

こうしている今も学校ではいつも通り授業が行われている、なんとも不思議な感覚。

社会は前へ前へと進み続けているのに私の時間はピタリと歩みを止めてしまったみたいだ。

どうやら社会は私抜きでも平然な顔をして動きつづけているようである。

そんなことを考えると明日からいつも通りラッシュアワーに乗り込める気がしなかった。

注ぎ口が履き潰された上履きみたいになった紙パックを気の毒に思いながら三つ折りに畳んでゴミ箱に捨てた。


私は外の世界とのつながりを断ち切ったまま、自分専用の殻に永久に閉じこもってしまうのではないかという気がして目の前が暗くなった。

外界のしがらみに一時的に解放されたかと思いきや、かえってドストエフスキーの小説に出てくる主人公みたいに自虐的になってしまった朝、鬱々とした気分を他のもので紛らわさなくてはとリビングの本棚を眺めた。

それは私に開かれるのを今か今かと待ちわびているようだったーー村上春樹著「羊をめぐる冒険」の文庫本とピタリと目があった。

まだページをひらいたこともなかったが、”羊”といういかにもミステリアスで趣があるワード、1日で完読できそうな分厚さ(後に下巻があることが判明)、表紙のーいかにも思春期の心をくすぐりそうな-シュルレアリスム的な世界観が気に入った。私はそれを蜘蛛の糸にすがる気持ちで手に取り読み進めた。

ー私は村上春樹のファンになったー


大方のファンがそうであるように、私は村上春樹の小説に出会い文学というものが好きになった。(村上春樹風に書いてみた)

私はその日のうちに上巻を、その後2日間かけて下巻を読んだ。後にも先にもこれほど寝食忘れて-とはいえ朝昼晩きちんと食べ、グッスリ7時間睡眠したがーー読んだのはこの作品が初めてだ。

羊をめぐる冒険のあらすじ


主人公の「僕」はある日、広告写真に映るー存在するはずのないー1頭の「羊」を探す旅に出る。

9月下旬、「僕」は魔性の耳を持つガールフレンドと北海道奥地に飛び立ち、写真を送った張本人である「鼠」を待ち伏せるため彼の別荘である牧場に泊まり込む。(北海道の秋はもう寒い!) 

物語が終盤に差し掛かかると事態は思わぬ方向に展開する。

突如「耳」のガールフレンドが「僕」の前から姿を消したのと入れ替わりに正体不明の「羊男」が別荘を出入りするようになる。彼は羊皮の衣装を着ているが、映画「羊たちの沈黙」の動物の皮を着ける殺人鬼みたいな悪党ではない。

どうやら彼は「鼠」の居場所を知っているらしく、まるで世界で「僕」ひとりだけが事の真相を知らないように思われた。

「僕」の意志と行動により導かれていたはずの”羊をめぐる冒険”は、初めから大きな権力の思惑を実現するために仕組まれていたのだった。

「僕」がいくら行動しようが現実を変えることはできないし、触れることすらできない。

すると「僕」の旅ーー「僕」自身の存在意義が揺らぎはじめる……というあらすじだ。

「僕」おおいに食べ、おおいに道草する


数ある小説の中で私がこの作品を特に好きなのは、主人公の「僕」がこれでもかというほど飲み食いしている場面があるからだ。

この小説は、劇的展開の数より食事の回数の方が多い。

「僕」の名前は最後まで明かされないが、彼が夕飯時何杯ワインを飲んだかはわかる。

耳のガールフレンドが消えてしまった日の夜、「僕」ときたら”ひどく腹が減っている”ことに気づいて、りんごをむきながらワインを三杯晩酌し、オーケストラを聴きながらシチューとパンを食べ、食後のコーヒーを飲んだ。

その後も”頭を整理するために台所でハンバーグ・ステーキを作った”り、 別荘をワックスがけしたあと昼食に”たらことバターをたっぷりと白ワインと醤油”のスパゲティを作った。

さらには「僕」は「鼠」の寝室に置いてあった「パンの焼き方」という本を読みながら自家製パンを作る。

「僕」は、過酷な境遇のように思われた巣ごもり生活をまるで逆説的に(密かに)謳歌しているようなのだ。

「僕」は、料理以外にも北海道に着いてすぐ二本立ての映画を観たり、すかさず年代もののレコードをかけたり、スキマ時間に読みかけの『シャーロックホームズの冒険』を読んだりするなど自分の心を癒すための時間をつくる。

物語の中で「僕」は、どんなに理不尽で不公平な状況に置かれても、それに反発したりあるいは逃げたりせず、諦念的ともとれる態度で全てを一旦受け入れてゆく。

一見無気力な若者に見えるがそれは決して彼自身が何かに無条件に従ったり、長いものに巻かれたりするスタンスであるというわけではない。

繰り返しになってしまうが「僕」は凝った料理を作ってみたり、趣味の音楽を聴いたり、好きな本を読んだりするのを絶対譲らない。

それは、効率や実効性や利害関係ばかりが重視される現実社会で自分の個を見失わないという宣言のように思える。

映画「花束みたいな恋をした」で菅田将暉が演じる若いサラリーマンの事例が記憶に新しいが、大学時代小説や漫画、音楽などを愛するサブカル少年だった彼は、社会人となり忙しい生活に疲弊することで趣味をする気力もなくなり”パズドラしかやる気がしないの”と言っていた。

私も就職活動中や会社勤めの頃は、休日せっかく時間があっても1日だらだら寝たり、映画観賞や読書をしたところで仕事や他のことで頭がいっぱいになって全然息抜きにならなかったりと完全に菅田将暉タイプだった。

外の価値観に晒されながら、自分の好きなことを享受し続けるのは意外と難しく、体力や心の余裕が必要であることを私たちは知りすぎるくらいに知っている。

だからこそ私は、村上春樹の描く「僕」の何気ない佇まいの中に、かねてから漠然と思い描いていた自分のペースで歩く健全な生き方、いわば等身大のライフスタイルを見つけ出すことができた。

ちょうど「僕」が道草としての趣味を楽しみ、やがて本道である物語に戻っていくみたいに、私も村上文学の世界と現実の世界を行ったり来たりして心をチューニングする。

その内なる冒険は、現代の生きづらさの原因となっている既成概念を克服し、新しい価値観を見つけ出だす手がかりになる。


もしあの時――私の中から生きることの意味がすっぽり抜け落ちてしまい何をしていいわからなくなった朝――「羊をめぐる冒険」に巡り会わなかったら、私はたぶん今の仕事――YouTubeしながらこの書評を書かせてもらったり――とは全く違う道を歩んでいたのではないかという気さえする。

さて、ここまで長々と書いてきたことをちゃぶ台返ししてしまうようであるが、村上春樹についてあれやこれや語ったりするのは、彼の作品の本質を損ねてしまうのではないかとさっきからヒヤヒヤしている。

生搾りのオレンジジュースに果汁1%のオレンジジュースをドバドバと注ぐようなもので、もともとの濃厚さや独特の香りや喉越しが失われてはもったいない。


だからさっそく本を手にとり読んでいただけるのがいちばんいい。

私もそろそろサイレントな村上春樹読者に戻ることにする。

p.s 題名は村上春樹の好きな映画監督ジャン=リュック・ゴダールの映画タイトル「彼女について私が知っているニ、三の事柄」から頂戴した。
Mai

料理・食材愛好家。Youtubeで料理動画投稿チャンネル「1人前食堂」の運営をしている。

著書に『私の心と体が喜ぶ甘やかしごはん』『心も体もすっきり整う! 1人前食堂のからだリセットごはん』など。


Twitter:@ichininmae_1

Instagram:@mai__matsumoto

Youtube:1人前食堂

近日、次回公開予定!

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