食べるように読む/『最後の晩餐』

文字数 2,530文字

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「1人前食堂」を運営する、料理・食材愛好家のMaiによる初書評連載。


動画に映り込む本棚、そこに並ぶ数々の本。

Maiによって選び抜かれた1冊1冊に秘めた想いが明かされる。


第8回で取り上げてくださったのは、開口健の『最後の晩餐』。

"食"と"文学"のかつてないハーモニーを、二つの意味でお楽しみください!

世に料理レシピを送り出す人たちのあいだでは暗黙の了解のようなものができあがっているように思える。

“うまい、簡単、時短、節約、ヘルシー、コスパ良し……” 

レシピをみた翌日いや当日に近所のスーパー・コンビニで購入できる食材で、忙しいけど自炊したい一人暮らしの老若男女、夫婦やカップルさんたちが「これなら私もつくってみたい」と共感し実践してくれるような献立を日々考える。

人のお役に立てるものなら、うまい、簡単、時短、節約、ヘルシー、コスパ良し!?とやらに迎合することくらいへっちゃらさ。

実用性、合理性、即効性、生産性、ミニマムを重要視する世間の要請に応えるべく、早さ、楽さ、美味さ、安さ、健康の最大公約数のような料理を捻出するのに腐心する毎日。時に女は思う。時代の潮流に流され続けた果てに残るもの(料理)とはなんだろうと。

女は夜な夜なコンビニのうるめイワシを炙って日本酒につけたヒレ酒風をちょびちょびすすりながら、いつぞやの箸にも棒にもかからないが己の好奇心の赴くままに作った料理を思い出しやり切れない気持ちとともに視界が煩悩の雲霧に蔽(おお)われる…。

こうしてはいられないと本を貪り読む。減るのは腹だけじゃない。飢餓状態で栄養失調になった頭にどんぶり鉢いっぱいの言葉を箸でかきこむように補給する。本を食べるように読む。

他人の創作物やフィクションに求めるのは、人生の安パイなるものを一切度外視した非日常、非実用、非合理、非生産、非科学、非論理、不条理、辺境、燃費の悪い、鈍臭い、泥臭いものに限る。


紹介する作品は、小説家・開高健が古今東西の食体験を綴ったエッセイならぬ食談「最後の晩餐」

かつて太宰、鴎外、谷崎などの文豪たちが女性たちに翻弄され、その儚い存在を描いたように、作者が森羅万象のグルメたちに世界各国飛び回され、食べたら消えるその刹那的存在に言葉を尽くしている。

本書はフレンチのフルコースのような読み応えで、門外不出の珍味が万華鏡のように皿の上に繰り出されるのに胸が高鳴り、たまに顔馴染みの鶏の煮込み料理が出てきて安堵するも、添えられたソースにフォワグラが仕込まれていておったまげるといった調子で読者の好奇心を緩める隙を与えない。

世に溢れた食エッセイとは一味も二味もちがう本書は、前菜となる一章目、中国大陸の食へと舵を切る。テーブルがグルグル回る中華のオイシイ話がきけると思いきや、瞬く間に中国の文人たちの政治・思想を巡る重厚なエピソードが展開される。二章目以降も紛争下のアフリカ、アウシュビッツ強制収容所、フランス革命前のヴェルサイユ宮殿の最中にいた人々の悲劇喜劇相半ばする晩餐に息を呑む。次いで007ジェームズボンドの卵論に目から鱗が落ち、日・中の文豪たちの饕餮(食いしん坊)ぶりに脱帽し、芭蕉の句にあるコンニャクや海苔の素食を以て我が故郷を一望する。
ちょびっとの料理を肴に文学、歴史、政治、思想、哲学、宗教…手当たり次第の大酒を食らう。まさに一を以て万を知るようなアペリティフ、オードブルで小腹がふくれてきたところに作者自身の食体験からなる出来立てほやほやのメインディッシュへと舞台は変わる。

一流シェフの指揮のもと総勢二十一人のコックがフルオーケストラでつくる至高のフレンチフルコースを堪能するため邸宅に缶詰めになったり、三重までクーラーボックスを担ぎ和田金牛のモツを買い締めドテ焼きしたのでは飽き足らず、フランスの本格郷土料理へと七変化させたりと熟練な舌を開発することに余念がない。

「少年の心と大人の財布で歩きなさい」という作者の言葉通り、小さな子どものように透き通った眼と無邪気な冒険心で美味しんぼの山岡士郎ばりに取材費と人脈を総動員し大人の課外活動に取り組む。作者の友人たちが玄人泣かせクオリティーの餃子やチーズケーキを作る回は料理人じゃないけど料理動画をつくる自分の境遇にもどこか似ていてお気に入りであり、心はアマ、腕はプロという言葉に痺れる…!!!


そしてコースを締めくくるデザートには人類が最も目を背けたい食事である食人(人間のお肉を食べる習慣)の実話をひっぱりだし、人間の本質に迫る食欲の深淵までものぞこうとする。


作者が極上のごちそうを表現するときの言葉を借りるなら、一皿一皿が独立しながらも全体にとけこむフルコースのように、一章一章が重奏しあい読後にまで広大なこだまをひびかせている。いつの間にやら、視界をしつこく覆っていた雲霧が吹き払われ、見晴らしのいい山頂まで登ってきたような気持ちだ。
作者はベトナム戦争の最前線に立ち命からがら取材したり、アマゾンまで巨魚怪魚を釣りにいき紀行文を書いたりと行動派の人物として知られているが、食事の方もかなり身体を張っていたようで肝臓付近の内臓をかなり悪くされていたようだ。

常人離れした食生活を見習うのはほどほどにしておかなくてはならないが、作者の生きた体験から紡ぎ出された正真正銘の言葉は、今もなお燦然と輝き、私の空腹な心にとって何よりのご馳走なのだ。


このご時世、作者みたく南米アマゾンなどの僻地へ不要不急の旅をすることが遠い夢のようになってしまったが、私もめげずに今朝は現代の密林ことアマゾンで未読の開高本を貪り買った。未だ見ぬ食体験に備え、内に閉じつつある視野を外に開いていかなくては。閉じないで開(高健)いていこう。

Mai

料理・食材愛好家。Youtubeで料理動画投稿チャンネル「1人前食堂」の運営をしている。

著書に『私の心と体が喜ぶ甘やかしごはん』『心も体もすっきり整う! 1人前食堂のからだリセットごはん』など。


Twitter:@ichininmae_1

Instagram:@mai__matsumoto

Youtube:1人前食堂

次回、近日公開!

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