愛のない人生は蓬の苦ーい味がする!?/『可愛い女』

文字数 3,146文字

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「1人前食堂」を運営する、料理・食材愛好家のMaiによる初書評連載。


動画に映り込む本棚、そこに並ぶ数々の本。

Maiによって選び抜かれた1冊1冊に秘めた想いが明かされる。


第2回で取り上げたのは、アントン・チェーホフ『かわいい女』。

好きな人の意見は、私の意見。そんな「可愛い」女、オーレンカを現代の視点から読み解いていく。

ボルシチ、シチー、クワス、ピローグ、ヴォトカ、ブリヌイ、ピロシキ、スメタナ、ブーブリカ……。


このおまじないのような名前の正体はすべて、ロシアの食卓でお馴染みの郷土料理であり、それを先駆けて私に教えてくれたのは意外にもロシア文学だった。

大学時代、その食事風景に描写されてあるようなボルシチを作ろうと試みたが、学生街のスーパーでオシャレ野菜“ビーツ”が手にはいるはずもなく、騙し騙し大根やトマトで代用したもののそれは水っぽいシチューにしかならず、現実の生活に物足りなさを感じた記憶がある。

古びたアパートと辺鄙な地にあるキャンパスを往復するだけの平凡な学生生活を送っていた私も海外の文学に浸っているときは、様々な歴史や宗教や思想に遭遇したり、海の向こうの生活に触れたりすることができた。

文学という言葉の船に乗り、狭く閉ざされた退屈な日常から解き放たれ、自分の世界を広げるエキサイティングな旅に出る。劇作家アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(通称“チェーホフ”)は、私を新たな世界に導く旅の誘い人の一人だ。


チェーホフの戯曲や短編は、ロシアという異国の地に住む登場人物たちが紡ぎ出す物語なのだが、その舞台の上で描かれるのは観客の目を引くような劇的事件ではなく、どこにでも誰にでもあるありふれた日常の断片である。

主人公たちと現代に生きる私とでは、時代背景や身分階級が全く違うはずなのに、作者の鋭い人間観察はさることながら五感が研ぎ澄まされるような巧妙な描写により、別世界の住人である彼らの人間ドラマがまるで私の周りでも日常茶飯事のように起こっているように思えてくる。

物語世界に逃避行していると思ったら、いつのまにか現実に不時着しているのだ。

チェーホフの晩年の短編小説『可愛い女(ひと)』の主人公オーレンカは、タイトルの”可愛い女”を体現するような、まさに容姿端麗であり、”いつでもだれかしらを愛さずには生きていかれない”恋愛体質な女性だ。

ディズニープリンセスのかわいいお姫さまが、運命の王子様と恋に落ちるというのが常套句(クリシェ)であるように、かわいいオーレンカも劇団の演出家に猛烈に恋をし彼の妻になる。

夫に献身的に尽くす彼女は、いつからか彼の受け売りの人生観を自分の意見のように語るようにまでなる。ほどなくして夫が病で死んでしまうと、次は材木屋と結婚する。

途端に頭の中は材木のことでいっぱいになり、”芝居見物の暇なんぞありませんのよ”と屈託なく話すのだった。その幸せも長くは続かず、材木屋はあっさり死んでしまい、彼女は再び未亡人になる。


劇作家の本谷有希子は、芥川賞受賞作である『異類婚姻譚』で、双子のようにそっくりな夫婦を蛇ボールに例えている。

主人公夫婦は互いに互いの思考や言動で振る舞い続けた結果、相手と自分との境界が曖昧になり、本来の自分の姿が思い出せなくなるのだ。

まるで二匹の蛇が互いに互いの尻尾をどんどん食い続け、頭と頭だけのボールみたいになり最後どちらも食べられて消えてなくなるように。

一方オーレンカに溺愛された男達たちは愛情深い雌蛇であるオーレンカに飲み込まれるかのように最後ポックリ死んでしまうのであった。

この世にたった一人の運命の相手と結婚して幸せに暮らすというプリンセス的幻想は破られてしまったものの、オーレンカにとって恋愛に発展することはあまりにも容易く、この世に運命の相手が複数人いる彼女は、持ち前の切り替えの速さで獣医の愛人になる。

彼の同僚の前で獣医の知識をひけらかし、彼にこっぴどく叱られるお茶目なオーレンカ。やがて獣医も去り、ほんとうのひとりぼっちになると、その可愛い女は、”意見というものが一つもない”いわば空っぽの器のようになってしまう。その虚無感は、まるで“蓬(よもぎ)をどっさり食べた”時のような苦々しい後味がするのだとか。

当時、ロシア文学の巨匠トルストイは、オーレンカのことを聖女のような理想の女性像であると絶賛したらしいがその褒め言葉がチェーホフ本人の意図するところだったかは定かではない。

社会的にも精神的にも女性の自立が叫ばれる今のご時世、男性に息を吹き込まれないと生活がままならない空気人形のようなオーレンカの精神を無償の愛などと手放しで褒めるわけにはいかない。


かくいう私は、彼女の生き様を他人事として軽く笑ってみることもできず、どうしようもなくむしゃくしゃしてしまう。この煩わしさはむしろ共感にも似た、歪でアンビバレンツな感情の現れであるかもしれない。

近年でいうと、安野モヨコの漫画『ハッピーマニア』を読んで、彼氏をつくること以外の自己実現欲求を持たない主人公重田加代子に眉をひそめたり、今年芥川賞作品として話題になった小説『推し、燃ゆ』のアイドルを推すことで主体性を発揮しようとする女子高生の主人公に危うさを感じたりするのに等しい。

実際、私も過去の恋愛体験を思い返してみるとオーレンカに負けず劣らず、好きな人と一緒にいたいという気持ち以上に、その人そのものになりたい願望が芽生え、見た目だけではなく本や音楽、映画のラインナップまで好きな人仕様に変えたりした。さらに自分の自我が相手の邪魔になろうものなら、一旦自分をシャットダウンし、相手の意のままの”可愛い女”になるという自己演出も自ら望んでできたのであった。


いつもはおひとりさまが最高だとか虚勢を張っている私も、ある時ふと私の中の重田加代子や女子高生、オーレンカが呼び覚まされ、居ても立っても居られない気持ちになり、あのいまいましい蓬の苦い後味を舌の奥に感じるのだった。

19世紀の先行き不透明な時代に、弱さや優しさやゆえに滑稽に生きざるを得ない人間をドラマティックなストーリー展開に依ることなく、シンプルでユーモアたっぷりの文章で世に知らしめたチェーホフ。


『可愛い女』を特別に感じたのは、従来のボーイミーツガール的な男性からみた女性を描いたのではなく、愛を欲する主体としての女性を主人公にしたところであった。

オーレンカの自画像は、当時のロシア女性のマジョリティを投影させたものであり、今現在漠然とした生きづらさを感じながら過ごす女性たちが自分自身を見つめ直す鏡のように思える。

チェーホフは女性の客体化から女性の主体化へと歩み寄ることで、後世にボーイミーツガールならぬ“ガールミーツボーイの”新しい風をふき込んだのかもしれない。


日頃、キャプテン・マーベルのようなすこぶる強い女性ヒーローやシスターフッド的な人生を謳歌する自由な女性の姿に背中を押されているがゆえに、その真逆にいるオーレンカに向かって「あっちいけ!この可愛い女」と反発してしまうのだが、彼女が紙の上で奔走する姿をみては心を揺さぶられ、胸の奥底に閉じ込めていた感情が溢れ出し救われる自分がいるのだ。

Mai

料理・食材愛好家。Youtubeで料理動画投稿チャンネル「1人前食堂」の運営をしている。

著書に『私の心と体が喜ぶ甘やかしごはん』『心も体もすっきり整う! 1人前食堂のからだリセットごはん』など。


Twitter:@ichininmae_1

Instagram:@mai__matsumoto

Youtube:1人前食堂

次回は7/2(金)18時!

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