『旅する練習』で読書の練習

文字数 2,696文字

「練習」への愛おしさ。これ、「被虐趣味」なんかじゃない!

私がはじめて舞台に立ったのは9歳で、そこから13歳くらいまで練習の日々だったけれど、何かを繰り返す事をあれくらい愛した日々はなく、歌えば歌うほど、踊れば踊るほど、飽きるのではなく細部が見えてくるあの感触が、自意識や人の評価から私を解放してくれた覚えがあります。


3人兄弟の長女であることも忘れて、学校に友達がいないことも忘れて(そんな期間を1年経て翌年には友達ができましたけれども)、全力を練習に注いだのは、私が今も健康な心を忘れそうになったときに思い出すお守りみたいな時間でした。そしてたしかに私はこの作品を通して、練習への愛情を思い出しました。


先の緊急事態宣言ど真ん中、ゴールデンウィークの始まりたてにKindleで購入したのが乗代雄介『旅する練習』。言わずもがな、残量が見た目で分かり手に紙の感触があり表のデザインも存分に楽しめ棚に飾ることもでき印刷の匂いも嗅げる本物の本はやはり素敵ですし、けれどもKindleで本を読むときの荷物の軽さ、手のひらの軽さは途方もなく心まで軽くしますから、どちらでも購入するぞ、というのが現在のこの私でございます。

「無限ドリブル」はロマンです、練習マニアにとって。

「歩く」という行動が旅には必ずあるとして、たしかめるように、いや踏み締めるように進んでゆくのが『旅する練習』の文章でした、そのように私は感じました。


 タクシーを使って目的地にただびゅんとひとっ飛び(もちろんタクシーの運転手さんも面白いですし車からの景色も楽しいですが)するのは旅上手とは言えないでしょうね。間違っても、まどろっこしくても、自分の足で踏み締めて、周りの景色に是非とも浸透させていただく(景色に対する謙譲語)のが私はいちばん良い感じ旅だと思うのですが、みなさんいかがでしょう。


『旅する練習』は、サッカー少女である13歳の亜美とその小説家である叔父の「練習の旅」でした。コロナ禍による緊急事態宣言発令1ヶ月前の春、という設定でこの作品がかなり時勢的に描かれているのが分かります。亜美にとっては中学入学前の春です。その春に、ふたりは千葉の手賀沼から鹿島まで、利根川沿いを歩く6日間徒歩の旅に出ます。あの、鹿島アントラーズの鹿島ですね。


目的は以前亜美が宿泊した鹿島の合宿場で借りっぱなしにしてしまった本を返す事。ただ行くのではなく、道中叔父は景色を描く練習、亜美はリフティングやドリブルなどサッカーの練習をする事になりました。

柳田國男とおジャ魔女。そして、全力でオムライス。

途中ジーコ好きのみどりさんという女性に出会います。大人になると旅先で美味しいものを食べるけれど、亜美がオムライスが大好きなのでほとんどオムライスを食べるばかりなんですね。いわゆる大人の美味しい食べ物が全然出てこない。その点は笑ってしまいました。柳田國男。ジーコ。おジャ魔女ドレミ。さまざまな引用とともに作品は進んでいきます。


 実際に乗代雄介さんが6日間徒歩でその道を歩いたらしいですね。作中の引用、土地の描写は面白いです。柳田國男、志賀直哉、田山花袋、土地にゆかりのある作家の文章の引用や、見かけた鳥の描写がふんだんで(特に鳥はいろんな種類が出てきて楽しいです)、ストーリーを追いながらもなんとなく別の事を考えてしまう広がりがあって、一筋縄ではいかない読み応えがかなり魅力的です。その広がりはまさに歩く旅そのものといった感じ。何度か読んで噛み締めていくのも、この作品の味わい方なんじゃないかなとも思っています。


  亜美という人間の素直さが眩しくて、私は冒頭書いたように「練習」を思い出しました。私にとっての練習とは舞台稽古でした。練習して上手くなるということに対して亜美は素直な向上心を持っていて、サッカーって男の子にプレイヤーが多い競技ですけれど、その逆境を自覚しつついちばん上手くなる、プロになる事を諦めない亜美の真っ直ぐさが曇りなく作品がきらきらっと光るんです。「本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい」って亜美が言うんですけど、その台詞の眩しさったらないですよ。まさにそういう生き方しかできない感じがたまらなく私の心を支えました。

赤いベレーの気になるアイツ。

そいうえば乗代雄介さんを知ったのは5年ほど前。舞台の合間にやっていたアルバイト先のコールセンターで不思議な先輩が強烈に勧めてくれたのでした。


いつも同じ赤いベレー帽を被っていて、のびた君みたいな眼鏡をかけていてとても色白で、ずっと感じよく笑っている音楽をやっている男性でした。自作のCDなんかも下さったりして。その先輩は普段とても優しい人なんですけど、その時ばかりはなぜか恐ろしい調子で「乗代雄介を読んだ方が良い」と私に言いました。そうとう真剣だったのでしょう。今思えば、ずいぶんセンスの良い紹介をしてくれていたのだなと身に染みます。めちゃくちゃ読書家でした。


先輩は今何をしていらっしゃるのでしょうか? 彼も、大切なことに自分を合わせて生きていたのではないかと思うのですが、今回の作品は読まれたのかな?
きっと読んだのだろうなーと、短い間だったけれど良くしてくれた中で、きっと良い読書をしてきたんだろうなとその信頼だけは消えずに5年間覚えているコールセンターでの会話のひとときなのでした。


本はみなさんとてもご存知のように色々なものがありますよね。すっごく時間がかかるものもあれば、字は少ないけれど何度も読み返さないと分からないもの、字は多いけれどするすると読めてしまうもの、色々な本、色々な読書があります。自分で選んで、細部まで見たり、はたまた見なかったり。すごく繰り返し読んだり、飛ばしたり。なんでも良いという中で、どう読むか。それは自分だけが知っている読書と自分の練習の関係なのではないかなとも思いました。自信がないので今日も読書の練習に出るとします。(といってもそんなにストイックな人間ではないです私は

『旅する練習』乗代雄介/著(講談社)

木村美月(きむら・みつき)

1994年3月生まれ。劇団・阿佐ヶ谷スパイダース所属。俳優部。『MAKOTO』や『桜姫〜燃焦旋律隊殺於焼跡』などに出演。自身で脚本執筆や演劇プロデュースもしており、2019年の、ふたり芝居『まざまざと夢』では初脚本と主演を務めた。11月公演予定の阿佐ヶ谷スパイダースの新作にも出演予定。しっかり読書を始めたのは13歳。ラム肉と大根おろしが好き。

Twitter/@MiChan0315

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