やさしいの話/大前粟生

文字数 3,661文字

 

 3月31日は眠たくて仕方なかった。アルバイトをして、帰って原稿をした方がいいのだけれど、夜に友だちの家にいって14時間くらい眠った。
 
 起きてツイッターを見たら新元号が発表されていた。情報源のほとんどがツイッターで、新しい元号の名前もタイムラインで知った。その日は特に、陰謀論? みたいなものがよく目に入ってきて、その陰謀を作ってるのはあんたら自身では……と思った。
 
 言葉がひとを作ってしまう。言葉ってきっとネガティブなものと結びつきやすい。そういう言葉は発されるとどんどん加速してく。憎悪や危機への警鐘としてのものであっても、言葉が嫌なものを呼び込んでひとのなかに植え付けてしまう。

 僕はちょっとナイーブになりながら家に帰って、少し寝てその日もアルバイトだった。普段は暇だけど観光シーズンは忙しい。外国人観光客に簡単な単語と身振り手振りで対応する。ほとんど言葉の通じない、表情や声色でのコミュニケーションは安心する。

 僕は小説を書いているけど、言葉のことはかなり苦手で、嫌いなんじゃないかと思う。小説を書くことで分析するように嫌いなものと接して、できるだけ冷静で気さくでいられたらうれしい。

 花粉症がひどくて、風邪も長引き、はじめて書く中編にぴりぴりして、そのくせ眠ってばかりいた4月の前半、僕は友だちの勧めで2001年のアニメ「フルーツバスケット」を見はじめた。

 母親の死や、異性に抱き着かれると動物に変身してしまうという呪いや痛みを抱えている登場人物たちはやさしくて、すれ違うことで傷ついてさらにやさしくなっていく。まだぜんぶは見れていないけれど毎回号泣して、人生が救われてるんじゃないかと思ったし、出てくるひとたちのやさしさが苦しかった。痛々しかった。もっと自由になってほしかった。

 「フルーツバスケット」からもらったものをいつかなにかのかたちにしたいなと思いながら4月の下旬は東京にいった。

 お笑いコンビ「かが屋」の単独ライブを観ることが目的だった。コントばかりで、ふたりが演じるひとたちは仲がよくてお互いへの思いやりを絶えず持っているのだけど、そのやさしさを持ったまますれ違うことが笑いになっていて感動する。

 バラエティやお笑いを反映している現実の僕らを反映しているようなコントで、僕らの生活みたいだと思う。でもそこに「お笑い」っぽいしんどくなってしまうようなノリはなくて、心がぽかぽかになりながら大笑いした。最高で、本当に、かが屋のコントみたいに生きていけたらいいなと思う。

 最近は人生とか生活とか、すごく考えてしまう。

 僕が15歳のときに当時25歳だった兄が突然亡くなり、僕も25歳で死ぬのかな、という予感というか希死念慮に近いものを抱えた生活を続けてきて、いま26歳。生きてるよ。ことし27になる。もうひとりの兄と共に母の還暦を祝うことができるのがめっちゃうれしい。

 26歳の誕生日を迎えたとき、僕はいまから大前粟生2・0として生きるんだ……と漠然と思い、半年くらい経ったけど、あんまりまだ2・0じゃない。誰もつらい思いをしないでほしい。

 ひとが生きてて、死んでしまう、みんな生きてるだけなのに心が潰れてしまうことへの耐えられなさが年々大きくなってきているみたいで、事故や病気や災害に震えたままでいる。刹那的に、だからなのか、毎日よろこびもすごくある。最近発見した新しいうれしいはプリクラ。

 友だちの友だちの、ほぼ初対面だけれどそのひとの書いたものを読んでて会う前から友だちみたいだな、と思ってたひととプリクラを撮った。同い年で、平成最後だしプリクラを撮ろうということだった。プリクラを撮るのは高校生ぶりで、僕、すごい盛れる……! 

 ひたすら自己肯定感が上がるようなたのしさがあった。友だちに平成最後にできた友だち~、と伝えるとよろこんでくれた。「#アオハル」というプリ機がたのしいです。

 東京には五日間滞在して、会ったほぼほぼのひととジェンダーの話をした。僕はヘテロセクシャルの「男性」で、僕が誰であれ僕の言葉や行動が「男性」の言葉や行動として働きうることがしんどい。「男性」であることで誰かを怖がらせてしまう可能性がある、現状そういう社会だと思う。

 僕は「男性」ではなくなりたい。「女性」になりたいということではなくて、誰も傷つけないように自分のあらゆる属性を剝がしたいなと思うけれど、剝がし方がまだよくわからない。

 レッテルやアイデンティティを作ることに言葉は向いているけれど、言葉で別のアイデンティティを作らないようにして枠から抜けていくことはむずかしいのかも。

 セクハラや差別がどこかで起きたことを耳にすると、僕が実際に被害を受けたわけではないのに、トラウマが蘇ったみたいになって体調が一気に崩れてくる。いつのまにかそういう体になった。

 抑うつ状態というか、常に疲れている感じで、それと連動しているように語彙がシンプルなものになっていく。小説にもこういうエッセイにも、凝った表現や比喩を使わないようになってきた。

 なにか僕の心と、表現やコンテンツやフィクションといったものとのあいだに壁ができて、使えないのかもしれない。それって悔しい。でもその、僕自身の疲弊や生きづらさからくる文章が、社会との接点になっているのかもしれない、それは少し、便利なことかも、とか、思ってしまうんだ。

 現実はよろこびがたくさんある。しんどいとき、見つけられなくてもそこらへんによろこびが漂ってる。でも小説は書かれていること以外はそこにないみたいだから、大事なことばかり書くのだと登場人物を道具のようにしてしまうのかもしれない。

 映像ってすばらしい。そのなかで発されている言葉が重くつらいものでも、その瞬間にも背景にはなにか映っている。自然があり、髪が揺れると風が吹いたことがわかり、映っていないところからも音が聞こえる。

 作り込みの度合いによるけれど、映すべきものと関係なくよろこびが入り込んでくれるんだなって、代々木公園で友だちとした配信を見返していて思った。

 4月の27日にしては寒い日で、小雨が降ったり止んだりしている。ゴールデンウィークがはじまった日で、フリスビーを投げたりシャボン玉を吹いたりしてるひとがたくさんいる。そうした公園的光景が配信に映っていたし、ほがらかなものが画面の外にあるときでも公園のたのしそうなひとや犬をうきうき見ている僕らが映ってた。

 配信をするのははじめてだったけれど、しているあいだうれしかった。体調がよかった。

 住んでいる京都に帰ってくると次の日にはバイトがあり、平成最後の日は近所の友だちの家の猫とあそんだ。友だちが家を空けているので猫はさびしくて犬みたいになっていた。軽めの猫アレルギーがあるから、マスクをしてなるべく目を擦らないようにして、猫を視界に捉えながら仕事のための本を読んで過ごした。

 夜になって帰ってきた友だちとテレビを見ていると改元までのカウントダウンがはじまった。

 渋谷や皇居前や大阪の道頓堀にひとが自然発生的に集まり、スカイツリーで改元を迎えようとするひとたち、令和になった瞬間に婚姻届けを出そうと市役所に集まっているひとたち、改元を祝う栃木のお祭りで踊る大量のひとたち、バーチャル空間でVTuberとカウントダウンするひとたち……日付が変わった。

 5月1日になった。けれど、テレビで見る限りではどこも盛り上がり切れておらず、誰かがなにか起こしてくれるのを待つように雨天の路上に大勢が立ったままだった。

 ゴールデンウィークの最終日とその週末、自著『私と鰐と妹の部屋』の刊行記念イベントを大阪と福岡でした。

 4日間滞在した福岡は思ってたより暑かったり冷房が涼しかったりでお腹を壊してばかりいた。旅行中はこのまま帰らなかったらとかこのまま失踪したらとか考えてしまうのであぶない。

 人生……失ってしまう、失われてしまうということばかり考えてしまう。僕もまた痛々しい、もっと素朴にどきどきしたい、恋でもできたらいいのかなって、プリクラを撮った友だちにラインで3時間くらい恋愛相談を聞いてもらう。

「やさしすぎる……」「やさしさ大学を首席で卒業している???」とかいってきてくれる友だち、誰よりもやさしいじゃん。

 早く僕はやさしさ国の大統領になって、みんなやさしくなくても大丈夫な、社会にやさしさが埋め込まれたやさしい世界にできたらいいのに。僕は周りのひとに恵まれてる。友だち全員に何度でも会いにいってありがとうっていいたいな。

【大前粟生(おおまえ・あお)】
作家。92年生まれ。著書に『回転草』『私と鰐と妹の部屋』など。

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