第1話 若紫のアリバイ

文字数 4,826文字

『源氏物語』を読もうとして、どれほど挫折した人が多いことか……。

紫式部には失礼ですが、はっきり言います。正直面白くないところも多いので、五十四帖を読破する必要なんてないんです! つまみ食いで楽しめるんです!

平安ラブコメミステリー「探偵は御簾の中」シリーズで話題の汀こるものさんが逆転的発想と偏見で解説した、大人のための『源氏物語』やりなおしエッセイ。

これで古文の授業や夏休みの宿題の苦い思い出とはサヨナラだ!

「探御簾の宣伝を兼ねて、何かTreeでできる平安ネタコラムとかないですか」


 このタイトルで企画を送ったところ一発で通りました。

 タダだからって青空文庫の与謝野晶子を『桐壺』から読んではいけない。

 このキャッチフレーズが講談社編集さんの共感を呼んだ。


「指輪物語の中つ国の歴史で死ぬ」

「銀河英雄伝説のゴールデンバウム王朝及び自由惑星同盟の歴史で死ぬ」

「黒死館殺人事件で作中の誰よりも早く読んでる自分が死ぬ」


 皆さま、いろいろな経験があるでしょう。

「教科書に載ってる『雀の子をいぬきが逃がしてしまったの』源氏物語の中でも屈指のつまらなさ」

 既に30年前に田辺聖子先生が嘆いています。

 発想を逆転させるんだ。源氏物語は時系列を順繰りに読んで伏線の妙を味わう話じゃない。先にオチを知っちゃっていいんだ。

 どうせ藤原定家が後から辻褄合わせたんだろうし(※根拠のない思い込み、偏見です)


「天皇皇后も読んでた王朝文学にそんなこと書いてあるわけないやろ」と思った人はこのサイトで確認してみてください。本当に書いてあるから。

<源氏物語の世界 再編集版>

http://www.genji-monogatari.net/


 ちなみに世界で一番言ってみたい平安人の台詞

「まろは、皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ」

(わたしは何をしても許される身なので人を呼んでも無駄です)

 は第八帖『花宴』です。ただのビッグマウスでそれほど権力はないです。


 さて、第五帖『若紫』あらすじから。


 北山に赴いた18歳の光源氏は少女に目を留める。彼女は最愛の義母・藤壺の兄の娘だった。継母と折り合いが悪く祖母尼君に育てられている若紫だが、尼君は先が長くない。

 藤壺と一緒にいられないならせめてよく似た人を我がものとしたい、幼い女の子を自分の思う通りに育てて妻とすれば理想的だと考えた光源氏は自分が引き取れないか尼君に交渉するが、尼君は「まだ子供なので結婚はもう少し大きくなってから」と全く理解しない。

 尼君が亡くなると光源氏は父親が迎えに来るその日の早朝に強引に若紫を乳母ごと誘拐して二条院の邸に連れ去った。

 親子でもきょうだいでもない二人の不思議な生活が始まった――


 言っておきます。


「イケメンがお姫さまを誘拐する」はこの時代の鉄板ネタです。


 源氏物語の少し前に発表されたのが『落窪物語』(作者不詳)

 意地悪な継母にいじめられて家中の針仕事をさせられている落窪姫が、イケメンの少将にさらわれて豪邸に住むようになって幸せになる。平成の最初の頃にも流行った。


「式部さん! こないだの『夕顔』メチャ面白かったよ! 今度うちの娘モデルにして1個書いてくんない? 今流行りの誘拐婚ネタで! 皇子さまが可憐な姫君を意地悪な継母のもとからさらって幸せに!」


 光源氏18歳、若紫10歳。

 一条天皇と中宮彰子が8歳差なのを意識した組み合わせ。恐らくスポンサーからこういうオーダーがあったものと思う。


「男は絶対、ロリコンとか言わないように。絶対絶対幼女趣味って思われないように」


 若紫が14歳になるまで待っているのもそういう事情だ。全然娘を攫われたりしていないスポンサーの目が光る。


 それで紫式部が何をしたか。


「違います! この男は大人の女に相手にされないからもののわからん幼女に無体して言うことを聞かせたいわけではないんです、大人の女の恋人がちゃんといるんです、モテモテのハイパーイケメンです! 運命で出会いました!」


 若紫と出会った後に、藤壺中宮との濡れ場がある。

 濡れ場をあんまり詳細に書かない源氏物語なのだが。


「藤壺の側仕え、命婦が源氏の脱ぎ捨てた直衣をかき集めて持ってくる」


 ここだけメチャメチャエロい。

 和歌のやり取りをして、合意があったアピールまでする。ちなみにこの1回だけではなく『帚木』の頃から匂わせがある。


「この2人は大人の恋愛を繰り広げているけど、叶わないので! 彼は狂おしく切ない恋の代償を、彼女に似た無垢な少女に求めているのです……ロリコンではなく……運命……」


 それも令和ではどうかと思うがとにかく言いわけがものすごい。なおこの連載ではあんまり藤壺にフォーカスしません。


 祖母尼君が亡くなっても若紫は乳母やら女房やらに囲まれていてすぐに何か困るわけではないが、主人なしで邸を切り盛りするのは大変だよね。と、光源氏はただの顔見知りなのに保護者ヅラで居座るようになる。


「絶対意地悪な継母より彼女を愛しているわたしのところに来た方がいいって」


 などと意味不明な供述をしており。

 側仕えたちは皆「何でこの人が……?」とドン引きしているが、身分が高い相手に文句が言えない。

 昭和以降の女子向け平安ラノベならここではきはきした気の強い女が出てきて

「あなた、何なんですか、失礼ですよ!」

「おもしれー女……」

 とかいうやり取りが入るところだが、これはフィクションでもホンマモンの平安人の話なので身分の高い人に言いたいことがあっても黙っている。


「今日は風が強くて怖いでしょう、わたしが番をしてあげましょう。わたしの真心を皆に見てもらいましょう」

「えっ逆に怖い。わ、わたしもう眠い。一人で寝る」

「絵やお人形を買ってあげるから」


 夜になると若紫の寝床に強引に入っていく光源氏。

 何と童女の気を引く変質者の台詞は千年で変わっていない。


 10歳にもなっていれば何かクソ図々しい男にとんでもないことをされているのを察して寝るどころではない若紫。

 夜明け頃、側仕えの皆を追い払ったりせず堂々とハグして睡眠取っただけなので一人、晴れやかな気分の光源氏。


「これで皆、わたしの誠意が理解できただろう!」


 注:誰も理解していない。


「新婚の朝のようだ! でもムラムラしたままで物足りない……そうだ、この近所にも恋人いるからその女に処理してもらおう!」


 それで帰り道に他の女の家に押しかけた。

 果たして女のリアクションは。


「朝から何ですか。こんな時間に男君を迎える趣味はありません」


 不発! 目当ての家に入れてもらえない!

(※平安通い婚社会、時間帯によっては門番が寝ていて起きず、訪ねたのを女に気づかれないこともある)


 ……そうまでして10歳少女に何もしてない証明、必要だった?

「自分はスケベではないと主張する男・綺麗事を言うヤツは信用ならない」という哲学のもとにほとばしる18歳の性欲。

 こんなに言いわけしていても作中登場人物、そして現代の読者の印象は「このロリコン野郎」になってしまうのだから文学は難しい。


 光源氏が帰った後、入れ替わりに若紫の実父・兵部卿宮が久しぶりに娘に会いに来た。


「そろそろうちの正妻の世話になりなさい。……いい香を焚いているけど衣はもう古くてかわいそうだな……」


 と言う、匂いは光源氏が抱いて寝たときの残り香。


 きっしょ!!!!


 小説でしかできない五感をフルに使ったNTR描写。この兵部卿宮、「光源氏被害者の会・男性部門」ランキング3位内に入る。


 光源氏にドン引きしていた邸の人々、だが父親に「姫さまが変態に目をつけられているんです」とはとても言えない。

「お前がついていながら何だ」と言われたら困るし光源氏は身分ある貴族で気色悪いストーキング行為をしているくらいでは起訴できない。

「言っても自分が怒られるだけで状況はよくならない」となると人間の行動は萎縮する。

 リアリズム。


 光源氏はといえば自分は家に帰っても、若紫の邸に手下の惟光を残して逐一情報を入手していた。


「光源氏さま、明日、兵部卿宮さまが若紫さまを邸に引き取るそうです!」


 報告を受けて明け方、朝霧が煙る中、正妻・葵の上の寝室を飛び出して10歳少女のもとに走る凛々しい青年。


「継母にいじめられるお姫さまを皇子さまが颯爽と助けに行くシーン」です。

 何でこの時間になったって流石に妻の手前、真夜中は動けなくて「いや急に実家に用事が」と言いわけして出ていくからメチャ格好悪いんだけど。


 門番はもののわからないやつで光源氏が牛車で乗りつけて偉そうオーラを放っているだけで門を開けてしまった。

 熟睡していた若紫を牛車に押し込む光源氏。流石に若紫は大泣きするものの、おしとやかに育てられた10歳の少女、男を殴って押しのけるとかもうできない。


 光源氏といえども皇族の子供を誘拐して噂になったら外聞が悪いのだが。

 噂にならなきゃいいじゃん! というコペルニクス的発想に至った。


「わたしはこの子と行くけど君ら、ついて来ないの? じゃ後から来ればいいから」


 あまりに盗人猛々しく、姫を一人にできないので乳母だけついて行った。

 こんなに堂々とさらわれると残された人々は検非違使に通報もできない。三位の公卿である光源氏、「帝や大臣を呪い殺そうとした」くらいの重罪でなければ検非違使は捕縛できない。民事不介入。これ民事なんです。

 それどころか噂になったら姫君はこの後、嫁のもらい手がつくのか。


 忖度した結果、迎えに来た父宮には「そちらの正妻とうまくやっていけないのでは、と思い詰めた乳母がどこかに連れていってしまった」と嘘八百言うことになった。


 光源氏の邸(婿入り婚なので葵の上が住んでるのと別にある)に連れ込まれた若紫はもう泣きはしないものの震えている。


「わたし、乳母と一緒に寝たい」

「あなたはもう乳母と寝たりするものではない」


 継母にいじめられるかわいそうなお姫さまを颯爽と……?


 ちなみにこの意地悪な継母、若紫と全然顔を合わせないままこの帖は終わって、次に登場するのは第十二帖『須磨』で時系列としては10年くらい後です。


 因果関係としては光源氏がさらったから残された継母が意地悪になったんじゃないのか!?


 超絶怖いけど若紫もいつまでも泣いてはいられない。父宮をごまかした後に他の側仕えの人たちも光源氏の邸にやって来て、皆で落ち着くと光源氏の思惑通りに懐いていく。


「オーダー通りの18歳と10歳の誘拐婚、絶対ロリコンではないほのぼの疑似家族ですよ!」


 ……藤原道長は納得したの?

 納得したから今もあるんだろうな……

汀こるもの(みぎわ・こるもの)

1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。

『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。

Twitter:@korumono

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8月12日(木)刊行!

両片思い夫婦にときめいた。


「私が決める、向こう1000年で最高のラブコメ本格ミステリー!」
ーー斜線堂有紀さん絶賛!


夫はヘタレな警察トップ、妻は隠れた名探偵。
平安ラブコメミステリー「探偵は御簾の中」(略して、探御簾<たんみす>)シリーズ最新作!

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