第3話 葵の上 チートかフラグかツンデレか
文字数 4,899文字
『探偵は御簾の中 鳴かぬ螢が身を焦がす』で話題の汀こるものさんが、『源氏物語』は面白いところだけ読めばいいんだとおススメするこのエッセイ。今回のターゲットは光源氏と最初の正妻・葵の上。デレることのない冷淡な夫婦仲に、あなたは何を感じる?
今週は光源氏の最初の正妻・葵の上。
フツーの紹介だと高確率で「ツンデレ」と書いてあります。実際、どうなのか見ていきましょう。まずあらすじ。
『葵』あらすじ
桐壺帝が退位し、光源氏の兄が朱雀帝として即位。六条御息所が故東宮との間に産んだ姫宮は伊勢斎宮に選ばれた。
光源氏は大将となって葵祭の行列に出る。それを見物に行った正妻の葵の上は六条御息所と出会い、車争いになってしまう。負けた六条御息所は打ちひしがれて葵の上を恨み、たびたび身から魂が抜け出るようになり、奇妙な夢を見る。
葵の上は結婚十年目にして子を授かっていたがお産ははかどらず、物の怪が憑いていると噂される。光源氏は僧や修験者に祈祷させる。
「少し読経を緩めてくださいな」
光源氏が妻を覗くと、葵の上は六条御息所そっくりの声や仕草で光源氏に恨みを語る。
その後、葵の上は正気を取り戻し男児を出産。ほっとした光源氏は妻と初めて親しく言葉を交わし、いつもすげない妻を愛しいと思った。
しかし僧たちが帰ると葵の上の容態が急変し死んでしまった。
四十九日まで左大臣家で過ごした光源氏だったが、ついにかの邸を去って二条院できょうだいのように暮らしていた若紫と婚礼を挙げる。
先週と同じじゃねえか!
『葵』を六条御息所サイドと葵の上サイドで分けたからこうなってるんです、手抜きじゃないです!
そしてこれが通常の葵の上のキャラ紹介。
「12歳で元服したばかりの光源氏と政略結婚することに。4つ年上の16歳、父は左大臣、母は桐壺帝の妹、この上ない身分の姫君で蝶よ花よと育てられてプライドが高い。東宮妃になるつもりだったので、臣籍降下して皇位継承権のない光源氏と結婚することになるのを受け容れられず馴染めない」
この「政略結婚」って具体的に何か。
この時代の皇族の扱い。
宴に親王殿下をお招きして、臣下に盃を授けていただくと宴の品格が上がり主催者の格も上がる。
これが何周か回って。
「イケてる大臣なら宴会用にお酌係の親王の1人2人常備してなきゃね!」
となってイキった大臣が、ちょっと前の世代のあんまり知られてない親王を「廊」(※下人が住む部分)に住まわせていたらまんまと今上帝にバレて、怒られが発生した。(史実)
母親が弘徽殿大后にいじめ殺されて、残りの親族も大体全滅して父・桐壺帝にしかかわいがられていない光源氏、下手をするとこうなる。桐壺帝が死んだらあっという間に落ちぶれる。
この時代の物語、あらすじとしては「困っている人が助かる」が多い。
ただ現代と違って、助かる方法は「自分自身の努力」「根性」「決断力」「知略」「才能」などであってはならない。自力で這い上がるのはかわいげがないから。
高貴の男君女君が助かる方法は「チート」だ。それしかない。
光源氏に与えられたチートは。
桐壺帝「うちの子の世話してくれない?」
左大臣「じゃあうちの娘の婿にしてお世話してさしあげます」
桐壺帝「左大臣の婿ならすぐに中将くらいになれるな!」
不幸な皇子のための左大臣家のサポート。光源氏が権勢を振るって好き勝手できるのは政略結婚の成果。
キャラクターの形をしたチート、葵の上。
それで光源氏を邸に住まわせるようになった左大臣は牛車に一緒に乗るときも遠慮がちで自ら光源氏のために履物を用意し、豪華な服を選んで持ってくる。婿を着飾らせてご飯を食べさせるのは婚家の義務で権利。
光源氏「これは立派すぎます、儀式とかハレの日に着るものじゃないんですか? もっと普段着的なのは」
左大臣「儀式のときにはまた新しいの仕立てればいいから。こんなのいくらでも作れるから遠慮しないで」
ちなみにこのシーンの光源氏は18歳。
父親がこの態度、普通に葵の上はイヤなんじゃないですかね……「何、お父さま、美少年に必死に貢いで媚び売って、キモッ」ってなるんじゃないですかね……
更にこの夫、葵の上に相手にされないと、左大臣家の長男・頭中将と楽器をいじってセッションを始める。
頭中将は外でも光源氏が桐壺で宿直していると押しかけ、光源氏が北山で病気療養していると押しかけ、ことあるごとに2人でつるんで酒飲んで明るく楽しく過ごしている。
男同士でスケベな話もしている。
このウェイ系の兄、普通に葵の上は苦手なんじゃないですかね……
左大臣家の男どもが光源氏にベタベタし、一人、肝心の葵の上だけ置き去り。
この状況、「絶対父親や兄の言うことなんか聞かない! 仲よくしない!」ってなるんじゃないすかね。ツンデレ……デレてなくてツンだけでもツンデレなのか……?
なお、光源氏は葵の上の側仕えの女房にも手を出しています(※当時としては当然で葵の上はそこには嫉妬していない)
一方、妻に邪険にされていじけて「女は気持ちが優しいのがいい」と拉致った若紫に洗脳教育を施し始める光源氏。破滅のカウントダウン。どっちにも譲歩する気配がない。
『若紫』からの4年間、光源氏は女と遊んでは二条院の若紫のもとに戻ってきて、
「あー美少女のいる生活、癒されるー! まだわたしですら手を出してない美少女最高ー! 何であんなしょーもない女と遊んじゃったんだろー!」
とほざいては、また次の帖で別の女をかまうという生活を送る。
そんなことしてると葵の上の「側仕えの女房」が「光源氏さまが左大臣家に来ない。二条院に女を囲ってるんだわ」とささやく。葵の上は気が気でなく、嫉妬をこじらせる。
……デレてないのに嫉妬だけはすんの?
「二条院にいるのはまだ疑似家族モードでかわいいだけの若紫で女として嫉妬するような相手じゃないのにね☆」
……何か……キャラのいじめ方が真綿で首を絞めるように陰湿だな……
それで、ここまでで葵の上が光源氏を好きになる要素がほぼほぼないのに『葵』でいきなり妊娠している葵の上。
ここに限らず帖と帖の間がメチャ飛んでて「いつの間にかそういうことになった」とか平然と書いてくる紫式部。他の女はラブシーン書いてあるのによりによってそこを飛ばされてしまう葵の上。
デレてないのに妊娠している葵の上。主観的に、授かったというめでたさがない。
そして運命の車争い。
噂を聞いた光源氏は
「あー、葵の上はそういうひどいことをする」
と六条御息所にフォローの手紙を送り、訪ねたりもしたがカタストロフは始まっていて止まらなかった。
その翌日。
自分のパレードが終わったので2日目のパレードを見に行くため、若紫の髪を自ら切り揃えて着飾らせる光源氏。
若紫と出かけるのにいい時間がいつ頃か、暦博士(陰陽師)を呼び出して占わせる。
……陰陽師。
光源氏に「お前の嫁が平安最強の鬼女に呪われて死ぬ! 昨日決まった!」って教えてやれよ!
どうにも俺が安倍晴明最強平安オカルトファンタジーにノリきれない理由がここにあった。リアタイ平安貴族はわりとカジュアルに「ヘイ、Siri、今日の運勢は?」程度で安倍晴明を呼びつける。
こうして葵の上は恨みを買って死ぬのだが。
懐妊する前にデレなかった葵の上がデレるのはお産の後。どっちかというと。
「これまで通りの減らず口を叩く元気もない」
ちょっとうなずいてじっと光源氏を見つめる。光源氏の方は
「やっぱりよく見るとこの人、美人だよなあ。あなたが母親べったりだから普段話しかけづらいんですよ。……何かじっと見てると生き霊憑依モード思い出して怖いからもう仕事に行く。誰か薬湯とか持ってきなさい」
デレとビビリが入り交じりつつ内裏に向かう。
……双方、デレてなくない? ていうか光源氏が「死亡フラグにかわいさを感じ取るタイプの人」ってだけなのでは?
2人で子供を抱いて喜んだりしていないので一層薄情感が募る。光源氏は赤ん坊にはわりとベタベタしているが葵の上にはまだ一歩引いてる。同じく光源氏の子を産んでても藤壺と明石は「産前産後、物理的に近づけない」ので産後の妻と接する描写、ここだけなのに。
同時代の話には産後の妻に栄養食を手ずから食べさせて介抱するのもあるのに、「薬湯とか持ってきなさい」で出勤するってお前。これで葵の上の女房たちは「おー、光源氏さまにしては気遣い」と思ってるのでお前普段どんだけってなる。
この時代にひしと抱き合って喜ぶ風習はない。それはそうとしてもこれ以上に喜びを表明する方法はあるので、やっぱり薄情ですよ。メシ食うシーンを極力排除してスタイリッシュな作風って言うけどさあ。
てか薬湯を勧めるだけなら女三の宮にも勧めてる。あのさあ……
思えば「嫉妬の女」六条御息所、葵の上が嫉妬しているときは出てこないという習性がある。六条御息所が嫉妬してるの『葵』と『夕顔』だけだが『夕顔』はフラグ程度で薄味。葵の上が若紫に嫉妬する方が多い。
そして六条御息所は紫の上に嫉妬しない。
大臣の娘で完璧な姫君なのに東宮妃になりたくて果たせなかった葵の上。
実際に東宮妃になり皇女までもうけたが肝心の夫に死なれた六条御息所。
葵の上の延長線上に六条御息所がいて、葵の上から六条御息所への言及はない。
2人は表裏一体なのではないか。
あるいは葵の上自身、六条御息所の生き霊に取り憑かれたふりでもしなければ光源氏に恨み言一つ言えず自家中毒で病んでいったのか。
死因ははっきりしない。
葵の上は呆気なく死んで左大臣家のチートの力は息子の夕霧に移った。しかしこの頃、光源氏は23歳で大将にまでなって、左大臣家の庇護がなくても落ちぶれるということはなくなる。
葵の上の四十九日が過ぎると、二条院に帰って若紫と即結婚。
ここで平安リアタイ当時、妻が亡くなった際の夫と周囲のリアクション一例(史実)
藤原実資「そこのキミ、道長の息子で将来有望な若者よ。麿の娘と結婚しない?」
藤原長家「ありがたいお話ですが産で妻を亡くしたばかりで、死後1年経つまで新たに結婚はしないと決めたもので……」
実資「あ、そうなの、ごめんね無神経で。じゃもうちょっと後なら?」
長家「その日程もちょっと……心の準備が……」
~こうして1つの縁談が破談になった。その後~
実資「あやつ、あのときはあんなこと言って麿の娘を袖にしたくせに、(他の)妻の死後1年経ってないのにさっさとよその女と結婚した! 今どきの若いヤツは! 親戚に吹聴してやる! 日記に書いて千年後まで残してやる!」
この2人は他にもいろいろあったし誰も彼も1年待たなければならないわけではない。
わけではないが、この分では光源氏が妻の四十九日過ぎてすぐ若い娘と結婚したの、薄情者の所行として左大臣家にめたくそ悪口言われても仕方ない。
これ、葵の上は「ツンデレ」じゃないような気がするのだが。
全体に「高貴の姫だからってこんなことしてたら死んだ後に速攻再婚される」っていう姫君の心得、教訓の書のような気がするんだが。現代の我々が歴史ファンタジー、純粋エンタメとして読みすぎなだけでこれが実用書だった時代、千年の間にかなり長くあったと思うんだが。
ちょっと昭和~平成の解釈で「ツンデレ」に夢見すぎてるんじゃないか。むしろ「ざまあ」じゃないのか。
だって葵の上の死と紫の上との結婚を同じ帖に書く理由、他にないよ?
汀こるもの(みぎわ・こるもの)
1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。
『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。
Twitter:@korumono
平安ラブコメミステリー「探御簾(たんみす)」シリーズ最新作
『探偵は御簾の中 鳴かぬ螢が身を焦がす』発売中!