第2話 六条御息所のコンプライアンス
文字数 4,884文字
皆さん。平安時代、「和歌とか詠んでる平和ボケのイケメンと鬼に変化する美女」のイメージついてない?
それは全部源氏物語のこの帖のせいです。
『葵』あらすじ
桐壺帝が退位し、光源氏の兄が朱雀帝として即位。六条御息所が故東宮との間に産んだ姫宮は伊勢斎宮に選ばれた。
光源氏は大将となって葵祭の行列に出る。それを見物に行った正妻の葵の上は六条御息所と出会い、車争いになってしまう。負けた六条御息所は打ちひしがれて葵の上を恨み、たびたび身から魂が抜け出るようになり、奇妙な夢を見る。
葵の上は結婚十年目にして子を授かっていたがお産ははかどらず、物の怪が憑いていると噂される。光源氏は僧や修験者に祈祷させる。
「少し読経を緩めてくださいな」
光源氏が妻を覗くと、葵の上は六条御息所そっくりの声や仕草で光源氏に恨みを語る。
その後、葵の上は正気を取り戻し男児を出産。ほっとした光源氏は妻と初めて親しく言葉を交わし、いつもすげない妻を愛しいと思った。
しかし僧たちが帰ると葵の上の容態が急変し死んでしまった。
四十九日まで左大臣家で過ごした光源氏だったが、ついにかの邸を去って二条院できょうだいのように暮らしていた若紫と婚礼を挙げる。
「車争い」とは牛車を取り囲む十数人の「お伴」が「うちの主人の方がすごい」などとイキってよそのお伴と喧嘩を始めることです。
牛車はちゃんと運用する際は横を歩くお伴がとんでもない人数いる。葵祭は京の民にとっては年に一度のイベント、パレードを見たいし他の観客に自分の晴れ姿も見せつけたい、ということでいつも以上に牛車をゴテゴテに飾って行列の人数も多い。
さて先行作『落窪物語』の車争い。
「イケメン主人公が祭りの場所取りをしていたら因縁をつけてきた、その相手は悪い継母一行だった。遠慮する理由が何もないので敵方のじいさん1人を大勢の下人で取り囲んで〝一足づつ蹴る〟。動かなくなったじいさんは見えない路地裏に捨てて、勢いでビビった敵の牛車を破壊。中の継母は地べたに落ち、泣きながら壊れた牛車で帰る。その後、じいさんはナレ死」
リアル寄りのバイオレンス描写。
中宮彰子に読ませたくない。それはそうなる。平成初期に落窪物語が流行ったときもこのくだりは削除された。怖すぎる。
源氏物語の車争い。
「祭りのパレードに出る光源氏の晴れ姿を一目見ようとお忍びで少し貧相な牛車で出てきた六条御息所。しかし左大臣家の葵の上のゴージャスな行列とバッタリ遭遇。葵の上は何も言ってないが、牛車に付き添う下人たちが御息所一行に絡む。
〝光源氏さまの愛人ごときが。こちらは正妻だぞ〟
牛車の踏み台を壊され、隅っこに追いやられた六条御息所。そこにパレード行列がやって来たが光源氏は六条御息所には全然気づかず、葵の上の立派な牛車にだけ会釈して通りすぎていく。
六条御息所もかつては大臣の姫と褒めそやされていた。16歳で東宮妃になり皇女まで産んだ。今やそのプライドはズタズタ。父親も夫も死んでしまい娘は斎宮に取られ、光源氏はこの態度。もう誰もいないのだ」
中宮彰子文学サロンのレーティングはこの基準。
物理暴力よりも精神攻撃、尊厳陵辱がメイン。
怪我人はなく、壊れている部分も牛車本体でなくオプション。修理が簡単。
ていうか落窪、源平合戦でもそんな壊し方してないぞという勢いで壊した。
紫式部も平安京の現実は嫌というほどわかっているが、せめて源氏物語のレーティングは暴力なしにしたい……レイプっぽく見えるけどこれは女が流され受なんです……悪い人なんかここにはいない……という主張が見える独特の世界観。やさしいせかい。
上品すぎて車争いの本質が損なわれていて物足りない感じ。肝心なところがふわっとしている。車争いの主体である「お姫さまと直接口を利くことのないお伴の下人たち」がふわっとしてるからだ。その辺ちゃんと書いてる落窪物語は怖すぎて「これ何の話やったっけ。平安のシンデレラ? 物語の主題にそぐわないのでは?」ってなってしまうが。車争い、王朝文学に書くべきでない平安の暗黒面では?
平安最強の鬼女は源氏物語のやさしいせかいから爆誕する。業が深い。
深く傷ついた六条御息所は葵の上を恨んだが。
この時代、道具を使って儀式魔術をしたり専門家に依頼したりは殺人罪で逮捕されます。元東宮妃が左大臣家の姫を呪い殺したら大事件です。歴史が動きます。島流しです。斎宮になるのが決まった娘もどうなるか。
悪人が出現するのは君主の不徳ということになって御代替わりしたばっかりの若き朱雀帝にもケチがつきます。
なので。
持って生まれた精神力だけで生き霊を飛ばして攻撃。
これは彼女が生まれつき持っていたユニークスキル、しかも本人の意思では制御不能なので無罪。よい子が真似することも不可能。誰も生き霊とか信じていないからできるホラー。
レーティングと品格を守るためのファンタジー傷害致死描写。コンプライアンスに配慮した異能力。
どうせなら「夢の中で貴婦人を相手に暴れ回ったら本当に相手が死んだ」「密教退魔儀式で使う芥子の匂いが髪に染みついて洗っても洗っても取れない」などのディテールを盛ってみた。
盛りすぎてここだけキャラ立ちして後世、平安鬼女といえばこう、とお約束化してしまった。
光源氏が出てこなくてもここだけスピンオフで見れるというほど盛り上がってしまった。
このタイプの鬼女の流行は鎌倉以降で平安リアルタイム当時はそこまでウケたわけではない。
源氏物語の悪役は、光源氏の継母・弘徽殿大后と紫の上の継母・兵部卿宮の北の方。
のはずなのにそっちは誰も知らない。
六条御息所のユニークスキルばっか悪目立ちしていった……
出崎統監督ノイタミナアニメ『源氏物語千年紀 Genji』、全裸の六条御息所が水中に全身浸かって「気を高める」シーンをやたら覚えてるがあれ何してたんだっけ。
後、声が杉田智和の頭中将が湯漬け食うだけで3回パンするシーン。
今、アニメのWikipedia見てもどんな話だったか思い出せなくてゾクゾクする。
原作の六条御息所はそんなに悪い人ではない。
何せ葵の上は光源氏の本命ではないので。本命の藤壺中宮の死はこの何年も後で、死因は「厄年」で全然関係ないので。
第三十四・三十五帖『若菜』で紫の上に彼女の呪いが届くのは20年後、それも光源氏をタゲろうとしても無理だったのでこっちを狙うしかなかったという消極的事情。ここの御息所、「死後強まる念」を使ってくるがそんなに活躍したかというと。『若菜』の帖、いろいろそれどころではない。
何より六条御息所は葵の上を呪い殺して「ヤッター!」と達成感を得たりしていない。
「流石に夢で見たら人が死んだとか自意識過剰でしょ……令室を亡くした源氏の君に弔問のお手紙くらい差し上げないと……アッ源氏の君はわたしのせいだと思ってる! やってもた! アーッ!」
むしろ思い悩んで寝込んだ。
それで次の帖『賢木』で娘の斎宮群行に付き添って伊勢に下ることに。
普通、斎宮に母親が付き添ったりしない。
全ての知り合いと縁を切って光源氏とも別れて京の都を出る、悲愴な決意からの旅立ち。
平安王朝の貴婦人、奥ゆかしい。
なのに光源氏が嵯峨野の野宮まで追いかけてくる。
旅立つ前の斎宮が巫女に都を離れ、身を清めている郊外の竹林の急ごしらえの神殿に。
お前がおったら精進潔斎の意味ないんじゃ!
光源氏は六条御息所が葵の上に憑依した瞬間を見ていた。この世界で葵の上の死因を知ってるのは御息所と光源氏だけ。
なのに光源氏の方は「別れる気はないんだけど」。
ユニークスキルで当時の刑法で裁かれない御息所。
責めるのも引き留めるのも光源氏1人のマッチポンプ。
人の心とかないんか?
いや紫式部は斎宮のおわす野宮でのラブロマンスを書きたかったんだろうけどよ……この時代のイケメンといえば『伊勢物語』、斎宮を口説いてナンボ。
でも伊勢まで追いかけるのは大変だしパクリに見えるから嵯峨野で……14やそこらの斎宮を口説いたら紫の上の立場がないから、斎宮本体に色目使うのは朱雀帝で、光源氏は六条御息所担当……作者としては筋が通ってるのかもしれないが、『葵』から通して読んだら光源氏の感情見失うだろうが……
六条御息所の初出は『夕顔』の帖。当時の光源氏17歳。
「ああ、藤壺に憧れるあまり年上子持ち未亡人で代用しようとしたら大地雷踏んだんだな」と同情できなくもない。光源氏の元服、12歳だけど御息所は何歳でつき合い始めた? 御息所の方こそ児童虐待ちゃうんか? となる。
一方、『賢木』で嵯峨野に押しかける頃の光源氏は23歳。二児の父。責任能力アリアリ。
何考えてんのかよくわからん。
「妻を亡くした直後は動揺して悪霊を見た気になってあなたを責めてしまった、悪かった。今、落ち着いて考えたら何も証拠はなかった」とかそういう?
御息所もかき口説かれて多少ほだされて、プラトニックに手だけ握って泣いたりしたが伊勢下向の決意は揺るがなかった。
自分の妻を呪い殺した女に優しい男。自分の妻を呪い殺された経験とかないから光源氏が何考えてるのか全然わからん。ブッダの転生と言われるとそれはそうなのかもしれん。特殊設定シチュエーションすぎて共感できない。そこにフォロー入れると死んだ葵の上の立場は? ユニークスキルがあろうとなかろうと精神的に追い詰められた御息所には田舎での療養を勧めるのが人情というものでは? 考えるほど混乱する。あまりにもわからないのでこの原稿、1回ボツが出た。
『賢木』の帖全体を見ると「光源氏と彼が愛する人々を次々襲う破滅の運命!」となってるがこうしてシーンを切り出すとわかりにくいな! ここがわかりにくいから余計『葵』の六条御息所の鬼モード部分ばっか注目しちゃうのかな! 『賢木』の展開が早すぎる。一帖に入ってていい破滅の量じゃない。
結局2人は旅立つギリギリまで連絡取って、ついに斎宮群行の列は京を出ることになった。
一行が逢坂山を越えた後も光源氏と六条御息所は手紙をやったり取ったりしていた。
逢坂山は大阪府ではなく滋賀県。
今、メールやLINEを送る感覚で考えてはいけない。人間が運ばなければ手紙は届かない。
平安京は大体、今の二条城の位置としよう。
街道は江戸時代より全然治安が悪く、代官クラスでも盗賊に殺されるので使者は1人では行かない。5、6人連れ立ってないと。
それでいて元皇太子妃の手紙を持っている使者は全力で馬を駆けさせたりしてはいけない。急いだらみっともない。
現代人は「牛車とか遅いもんにちんたら乗ってるから平安貴族は」と思いがちだが、遅くて優雅であることに価値がある。
この時代の牛車や馬は基本的に最高速度を出すことはなく、横を歩く徒歩の従者にペースを合わせる。
Googleマップによると逢坂山関跡から元離宮二条城まで、徒歩では2時間26分。
御息所が「あ、歌を思いついた……鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢まで誰れか思ひおこせむ……源氏の君に届けて」とやるたび、いちいち誰かが2時間26分歩いて手紙を届けることになる。
呪われて死んだ葵の上も浮かばれないが、この手紙を滋賀県から京都まで運んでた人たちの気持ち思うとやってられませんなあ!
そりゃあ平清盛も「武士の世を作るのじゃ!」言い出すわなあ!
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