第4話 末摘花・近江の君・源典侍 平安地雷女列伝
文字数 5,367文字
『探偵は御簾の中』シリーズの汀こるものさんが、現代のエンタメと比較して『源氏物語』を紹介しまくる……いや、斬りまくるこのエッセイ。回を追うごとに文字数も増えて、こるもの節はますます絶好調! 今回のターゲットは現代人が思わずモヤってしまう女性たち!
今回のテーマは「平安地雷女列伝」ということになりました。
……俺は何とかこの連載で『末摘花』の帖に触れないで終われないかと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。4回で終わるところを6回に伸びた代わりに『末摘花』も入ることになった。
「いや……みんな知ってるやろ……」で済ませてはいけないそうです。
『末摘花』あらすじ
光源氏はかねてから、古めかしい風情のある邸に寂しげで優しい女が住んでいたらいいなあと思っていた。それに当てはまりそうなのが故・常陸宮の令嬢、末摘花の姫君。頭中将も末摘花に恋文を贈るようになり、焦る光源氏。
何とか紹介してもらってお近づきになったものの、姫君は琴の腕はいまいち。会話も弾まず、和歌を詠みかけても黙り込んでしまう。いっそ一夜をともにしたら態度が変わるだろうかと強引に彼女に迫った光源氏だったが、これもぴんと来ず、足しげく通うというほどでもない。
ある日、末摘花の邸を訪れた光源氏は側仕えたちが思った以上に貧しい暮らしをしているのに度肝を抜かれる。それだけではない。
朝日のもとで見た末摘花はやせて胴長で、何より顔が醜くかった。象のように長く伸びた鼻の先が赤いのが見ていて気の毒になるほど。よくよく見ると着物も古いだけではなく時代遅れのものばかり。
かえって恐縮してしまった光源氏は末摘花のもとに着物や食べもの、金品をお節介なほど贈ったが、末摘花は何を勘違いしたのか正式の妻であるかのように光源氏に返礼の品を贈ってきた。それも今どきの流行りのものではなくとても使えない。しかし彼女は美的感覚がずれているだけで律儀なのだ。
こんな女はとても他の男の妻にはなれないだろうと思い、光源氏は責任を取って彼女を一生養っていく決意をする。
……皆さん、これ、笑える? 俺、無理。
紫式部は絶対に世の中にそんなのいないと思って、
「普賢菩薩の乗物とおぼゆ」
とか書いたんだろうけど、マジ勘弁してください。ポリコレNGです。
(※当時は動物のエレファントがインドに実在すると思ってなかったので仏像でたとえている)
ブスがどうとかもだが「お互い、話してて楽しくない」質感が読んでいて我がことのようにつらい。
この後、『蓬生』の帖で末摘花はどさくさですっかり光源氏に忘れ去られていよいよド貧乏がシャレにならない。
貴族の姫君はまず親に食わせてもらい、親の補助輪つきで男を養い、その男に養われる方にシフトしていくものである。
親が早くに死んだ姫君が男に忘れられると貧乏になって、給料が払えないので使用人がいなくなって、でも姫君自身は外に働きに出られるほど器用ではない。そのうち邸の建材を焚きつけにしてしまい、あばら屋の中で食べるのにも事欠いて衰弱していく。そのまま飢えて死ぬこともあった。
典型的な平安恋愛バッドエンドルートです。メチャメチャ多かった。このパターンに陥った姫君を助けるばっかりの話もあったくらい。
末摘花の場合、更に「悪い叔母」がやって来て、自分は夫が九州で代官になった、夫について九州に赴任するのであなたも来ないか、と声をかけてくる。
常陸宮親王夫人だった末摘花の母に代官ごときの妻と見下されて恨んでいた叔母は、末摘花を侍女としてこき使ってやろうとたくらんでいた。
注:この時代の諸国代官は受領国司と言って貴族としては身分が低いが国1個分も年貢米が入るので年収はメチャ高い。自前領地しか持ってない京の上流の貴族より断然多い。それで上流貴族に賄賂を渡し、次も受領に推薦してくださいと頼み込むことで平安経済が回る。
ここに颯爽と光源氏が助けに来るわけである。他の女の家に行く途中で通りかかって。
光源氏は末摘花を二条院に住まわせることになった。
光源氏と関係のあった女が入るグループホーム・二条院に。
この時代の貴族の邸宅はアホみたいに広い(基本110メートル×110メートル)ので、住んでる棟が違うとまず出会わないのだが、コミュ障の末摘花を知り合いのいないグループホームに……?
このグループホーム二条院、「光源氏との交際をお断りし続けた空蝉」とかも入っている。お断りしたのに行く先がないから。
他人事なのに読んでる俺の胃が痛い。
恐らく周囲の読者がこうしろと言って書かせたのであろう多数決が透けて見える安易な展開。中宮彰子文学サロンの傲慢、京から目線が千年の時空を超えて現代の俺に突き刺さる。
ポリコレもあれだが、食い詰めた高貴の姫君を自宅に連れて帰って「よかったねー」と言うだけの話、ここで読む必要が全くないド定番テンプレ。お前はそんな普通の話を書く女じゃなかっただろう、紫式部!? ネタ切れか!?
もう1つ、現代人にはモヤる点がある。
末摘花、働けよ。
3年とは言わんからせめて2週間くらい我慢して労働しろよ。ちょっとくらいこき使われてから光源氏が助けに来いよ。何が嫌とかコミュ障だからとか言いわけから入るな。
書いてる紫式部本人は受領の妻でお妃の侍女でメッチャ働いてる。
実は末摘花、金策の案を投げ捨てている。
女房「姫さま、この邸の庭など気に入って買いたいと申す者がおります。いよいよあばら屋になって不気味ですしよそに移りましょうよ」
末摘花「お父さまが建てた邸を人に譲るなんてできないわ」
女房「ではこちらの調度類、骨董品として評価額がこれくらいになるそうですが」
末摘花「お父さまの形見よ。売っては駄目」
何か1つくらい妥協できんのかお前は!?
しかしこれは話の都合ではなく、ポリシーなのである。
紫式部の。
平安京では働いたら負けだ。
偉い人は受領が年貢米を持ってくるのを待っている。いや寝ないで会議とかやって働いてるんだけど、労働が直接収入につながらない謎システムになっている。
食べるために働くとか身分卑しいやつにさせとったらええんですよ、偉い人は綺麗な着物着て恋バナで泣いたりしてればいいんです、恋バナで負けて死ぬっていうのは貧乏になって飢え死にすることなんかじゃないんです、という哲学からこの作品はこうなっている。
テンプレ展開だが筋は通っている。
平安京では努力や根性や知略バトルは評価されない。評価されるのはチートのみ。
末摘花は貧乏脱出の努力をしていなかったので、チートの力で光源氏を引き寄せた。セコセコ家財道具売って小銭を数えてたんじゃチートは消えて光源氏は2度と戻ってこなかっただろう。
ここでこの作品の頭から終わりまで一貫している紫式部の地雷女判定基準です。
実は顔の造りはあんまり問題じゃなく、末摘花は全然地雷ではありません。
「早口であってはいけない」
「難しい言葉を使ってはいけない」
「働き者であってはいけない」
大抵のラノベヒロインはこの判定でふるい落とされる。
1番きついのが3つ目。
現代とは価値観が違うのだ。共感できない。
冗談だと思ってる?
わかりやすい例では源氏物語に多大な影響を与えた『伊勢物語』から、「高安の女」。
昔、男ありけり。高安の女が美人で金持ちなので結婚した。
だがある日、女がしゃもじを取って飯のお代わりを盛っているのを見て別れた。
皆さん、男が高安の女と別れた理由を考えてみてください。
考えましたか?
「平安の姫君は男の前でご飯をモリモリ食べたら駄目なのか。しんどいなあ」とか思った?
これ、「家来にご飯をよそってやっているのを見てガッカリした」という説がある。
一生懸命で健気な努力が評価されないって怖いでしょう?
千年で人の心ってこんなに変わる。
実際にこの基準でハネられた女が他にいる。
第二十九帖『行幸』の近江の君。頭中将の隠し子、滋賀県出身。
さあ、これが五十四帖の中でも選りすぐりの平安地雷女の台詞です。
「わたし、尚侍になって帝にお仕えしたいです。お父さま、お姉さま、推薦してください。一生懸命働きます。何でもします。おまるの掃除だってやります」
※尚侍は偉い女官。
朝ドラヒロインみたいだ。
これが令和スローライフ異世界ラノベなら。
「おまるの掃除は別の人がする決まりになっています。他にこれをしてください。君はどうやらかなりの慌て者で天然ボケだな。そんなので尚侍が勤まるわけないだろう」
親切なイケメンが出てきてツッコミを入れ、コンビ結成するところだ。この世界の成り立ちを神話の段階から懇切丁寧に教えるパートが始まるところだ。
しかし源氏物語は千年前の王朝文学なので、実際に返ってくるリアクションはこう。
「落ち込んだときは近江の君を見るのに限るな! マジウケるわー」
親兄弟、みんな笑うだけで尚侍になるのに何をしたらいいのかは教えてくれない。
親切な人も眉をひそめて「そういう言い方はないじゃん」と言うが、その真意は「田舎者をこじらせているとかわいそうだな、親はせめて目立たないように家に閉じ込めておけばいいのに」で尚侍になる手助けはしてくれない。
彼女に必要な返答は「尚侍は上流貴族の娘の名誉職なので頑張ってなるものではない」。
働き者に「働くな」と言ったところでかえって惨いのかもしれない。
インターネットの人たちはことあるごとに現代京都人の陰険な言い回しで大喜利をしているが、千年前の京都人はそんなもんじゃない。
近江の君は派手に死んだりはしていないが尚侍は別のキャラがなっているので、夢破れたままフェードアウトした。
ギャグとして出てくるので本当にしんどい。
地雷女列伝と言いながらここまででまだ地雷女が1人しかいない。
最後にもう1つ、紹介します。地雷女判定バッチリです。
『紅葉賀』あらすじ
宮中には源典侍という名物女官がいた。もう58歳なのに男好きだと言うのだ。
好奇心でつき合ってみた19歳の光源氏は彼女とやり取りしているのを桐壺帝に見られてしまい、噂になってしまう。
するとどういうわけだか光源氏に対抗意識を燃やす頭中将まで源典侍とつき合い始めた。
ある日、光源氏が源典侍の部屋に泊まっていると頭中将がやって来る。頭中将は「おのれ間男め」とわざとらしく屏風を畳んだり開いたり、太刀を抜いたり小芝居を始める。「おやめください、あなた」と修羅場におろおろする源典侍。相手が頭中将と察した光源氏は冷めた態度で去ろうとするが、頭中将がしつこくじゃれつく。
朝になってやっと頭中将を振り払って自分の部屋に帰る光源氏。そこに源典侍の使いが忘れものを持ってくる。それは源典侍の部屋で脱いだ直衣だが片袖がなく、帯の色が違う。同じ頃、直衣の袖と帯は頭中将のもとに届いていた。
改めて参内した2人は密かにそれぞれの忘れものを交換し、「アヤがついたからこの恋はもう駄目だなあ」「弱みを握ってやったぞ」と笑うのだった。
すごい。
「イケメン様が年増にかまってくださるのは福祉」というこの時代特有の唾棄すべきエイジズムで女を馬鹿にしているが、女を馬鹿にしているのは別の帖も全部同じなので1周回っていい話に見える。胸糞かける胸糞で逆にプラスだ。
ていうかライトBL? この話のヒロイン、頭中将だな?
光源氏と頭中将に挟まれる58歳、ご褒美か? ここに感情移入しろってスロット空けてくれてるのか?
エンタメとして飛び抜けてるよこの話。他の何でも得られない栄養素がある。
ちなみに「典侍」は「ないしのすけ」で内侍所の女官。女官の長は尚侍だが半分后妃扱いの名誉職なので実務のトップは典侍。バリキャリ中流貴族女子の目指すテッペンの1つ。
仕事の内容はといえば、帝の身の回りの世話。秘書業務。そして。
三種の神器・八咫鏡、その他国宝の管理。
光源氏と頭中将にフラレても何もダメージがない!
既に出世して内侍所のトップになって桐壺帝と親しい58歳! この世界にも真面目な働き者がいて評価されていた! 地雷女判定が出たからどうだと言うのだ! 恋に破れたところで絶対に邸に引きこもって飢えて死んだりしない! ていうかその後もちょろちょろ出てきて光源氏に絡んだ挙げ句、70まで生きてて尼になってた! 紫式部の壊滅的なギャグセンスの中でこれはギリ笑える!
こんなに後味さっぱりした話、五十四帖で他にないよ!?
汀こるもの(みぎわ・こるもの)
1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。
『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。
Twitter:@korumono
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