【書評】「不可逆な裁判におけるタイムスリップの仕掛け」三宅香帆

文字数 1,422文字

<STORY>

裁判所書記官として働く宇久井傑(うぐいすぐる)。ある日、法廷で意識を失って目覚めると、そこは五年前――父親が有罪判決を受けた裁判のさなかだった。冤罪の可能性に気がついた傑は、タイムリープを繰り返しながら真相を探り始める。しかし、過去に影響を及ぼした分だけ、五年後の「今」が変容。親友を失い、さらに最悪の事態が傑を襲う。未来を懸けたタイムリープの果てに、傑が導く真実とは。リーガルミステリーの新星、圧巻の最高到達点!

不可逆で、不可侵。それが裁判という場の常識だった。裁判を行うとき、私たちはその場でなされた決定が絶対に覆らないことを知っている。もちろん控訴審など手続きと時間を経て判決が変わることはあるが、それでも一度下された「その場」の判決は変わらない。が、本書は、その常識を覆す。時間を遡ることのできる主人公は、とある裁判の判決をめぐって、何度も何度もタイムスリップを行う。そして何度も当時の裁判所に入り込む。それは彼の家族をめぐる謎を解くためだった。


主人公の傑は、昔、自分の父親が強制わいせつ罪の有罪判決を受ける瞬間を、法廷で見ていた。父親が性犯罪者だったことにショックを受けつつも、成長した傑は、裁判所書記官として働くようになる。しかしある日、突然、父の裁判の第一回公判期日が開かれた日にタイムスリップしてしまう。そして過去からまた現在にタイムスリップして戻って来たとき、傑は気づく。友人の宗二との関係が、変わってしまっていることに。そう、彼の過去へのタイムスリップは現在の人々の運命を変えられるのだ。傑は自分の能力を使い、父の罪に向き合い始める。


リーガルミステリーでありながら、タイムリープSF小説でもある。そんな華やかな設定で小説は進むが、なかでも丁寧に描かれているのは、親子の物語だ。傑と父親の物語、そして思いがけない形で傑と関わることになる、凜と母親の物語。家庭のなかで、子供は愛情の名のもとに真実を隠されることがある。しかし果たしてその行為は本当に正しいのか。愛情と真実の狭間で歪む親子の関係性を、小説は克明に綴る。


また「裁判官」という責任の重い仕事を背負う若者たちについて、その本音を読むことができる点も本書の魅力のひとつ。私たちはつい裁判官に対して、いつでも平常心を保つことのできる、全知全能の人間のような印象を抱いてしまう。しかし彼らも当然のことながら、普通の人間なのだ。裁判官という職業への葛藤、その覚悟を抱くに至るまでの逡巡。それらを抱えながら進む裁判官のキャリアを覗き見できる本書は、読者に法廷という場を少し身近に感じさせるかもしれない。


ニュースに登場するような裁判の場も、もともとは普通の人間たちの集まりだった。しかしそれでも裁判官と被告、原告という立場に、彼らを分けたものは何だったのか。そして彼らの家庭は、家族は、いったいどのようにして未来へ向かうことができるのか。――裁判所で起こった不思議なタイムスリップは、閉じられた裁判という場を、少しだけ私たちに向けて開いてくれる。

三宅香帆

1994年生まれ。書評家。作家。著書に、『それを読むたび思い出す』『女の子の謎を解く』『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』などがある。批評・エッセイ・インタビュー等の執筆業、文章の書き方や小説の読み方を伝える講師業、メディア出演を中心に活動している。

公式ツイッター:@m3_myk  

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