ウルフ・チャット#1

文字数 6,135文字

「群像」2020年11月号から、あるテーマについて対談より気軽におしゃべりする新コーナーが始まりました!


初回は同人誌「かわいいウルフ」が話題の小澤みゆきさんと、本屋lighthouse店主の関口竜平さんが、復刊や新訳が相次ぐヴァージニア・ウルフについて楽しく話す「ウルフ・チャット#1」です。

私は2019年に「かわいいウルフ」という文芸同人誌を出して、うれしいことにたくさんの人に読んでいただいたんです。関口さんが店主をされている本屋lighthouseでも販売していただきまして、ありがとうございました。

こう言っちゃなんですけど、「そんなに売れる!?」ってくらい売れてビビりました(笑)。本屋lighthouseでも完売です。小屋って呼んでいるほど小さな本屋なのに。だから「かわいいウルフ」の魅力に加えて、どこか時代がウルフを求めているような感じがしています。

そうなんです。最近、復刊や新訳も相次いでいますし、昨年末はウィーンで『オーランドー』がオペラ化されたりと、文芸以外の分野でもウルフが取り上げられることが増えてきています。今日は関口さんとウルフについてお話ししていきたいと思うのですが、まず関口さんは『ダロウェイ夫人』の集英社版を翻訳された丹治愛先生のゼミにいらっしゃったんですよね。

愛ちゃんとは長い付き合いですね。あ、ゼミ生はだいたいみんな愛ちゃんって呼んでて(笑)。僕が学部2年の時に愛ちゃんが移籍してきて、そこから修士2年までの5年間お世話になりましたけど、愛ちゃんはその間ずっとウルフ研究をしてた気がします。(注:丹治愛氏は東京大学から法政大学へ2012年に移籍しており、関口氏は2011年に法政大学に入学している)だからそれだけでもう僕は「ウルフって面白い作家なんだ!」って刷り込まれちゃってる。研究しがいのある作家なんだろうなあ……。

そうなんですね。「かわいいウルフ」も、ウルフの解釈の一つでしかなくて、無限に読みかたがある。私は、ウルフはいろいろな顔がある人だったなと思っていて。作家で、病気などに苦しんだ人だけれども、それだけではない。夫レナードとホガース・プレスという出版社を作って自分の本を出しつつ、よその雑誌にも寄稿していて。中産階級の人ではありますけど、そういった経済的感覚があるビジネスパーソンでもあり、かつ『自分ひとりの部屋』を唱えるようなアクティビストでもあった。ウルフの肉声がウィキペディアにあるんですが、聞いたことありますか?

知らなかったです。というかよく残ってましたね……。

私は何と言ってるかよく聞き取れないんですが……それを聞いて、ふだんからよく喋る人だったんじゃないかなって妄想したりして。決して寡黙な人ではなかったんじゃないかなって思うんです。

ウルフと犬

関口さんは、最近復刊された『フラッシュ 或る伝記』を読まれたということですが、どうでした? この本は、犬の目線で書かれた伝記という形式のお話で、ウルフの作品の中でも異色の作品です。

僕は一番最初に読んだのが、『ダロウェイ夫人』か『灯台へ』のどっちかなんです、授業で。それと比べると『フラッシュ』と『オーランドー』は全然違う。楽しく書いてるなって思いました。たぶんこの二つは一番読みやすいんじゃないかと。

私も『フラッシュ』が『波』の後に書かれたと知って改めて驚いて。『波』っていう、シリアスな作品の直後に書いたっていうことは、息抜きじゃないけれど、「あー、もう疲れた、犬になりたい!」みたいな気持ちがあったのかなって思います。『フラッシュ』の中で一番好きな文章が「いまやフラッシュは人間には決してわからないものを知った――純粋な愛、無邪気な愛、至純な愛である。愛が冷めた時に次々と心配ごとの起らない愛、恥も後悔もない愛である」というもので。そんなことを犬を見ながら思ってたのかと思うと、ウルフ愛おしいなって。最初の原稿料で猫を飼ったという話がありますけど、猫派じゃなかったんですね。

なんかちがうなって思ったんでしょうね。猫は献身的な愛はなさそうですよね。

『フラッシュ』は犬になりたい欲望、『オーランドー』も男性になりたいみたいな話で。『ダロウェイ夫人』を書いた後に、『灯台へ』『オーランドー』『波』『フラッシュ』『歳月』『幕間』の順番で書いているんです。想像ですけど、『灯台へ』をやりきってからヴィタ・サックヴィル=ウェストという女性となかよくなって、『オーランドー』を楽しく書いた。そして『波』でまた人間の深いところに入ってからの、『フラッシュ』で陽の光を浴びた、みたいな感じ。

『オーランドー』にも犬が出てきますね。「オーランドーは犬どもを自分の寝室に連れてこさせたのであった。『人間はもうごめんだからな』」という描写がありますね。その直後のパラグラフで「かようにして、三十歳かそこらでこの若き貴族は人生が提供するほどの経験を悉く味わったのみならずそれ全て無価値なりと知ったのであった」とあって。やっぱり人間はもうごめんだからな、と言って寝室に連れて行くっていう。ウルフ犬派だな~っていう。ウルフって犬を飼っていたんですか。

そうみたいです。ネットで検索すると、晩年のウルフが犬と一緒にいる写真が出てきます。

夫のレナードも犬と写ってますね。

犬の名前、ピンカって名前らしいですね。かわいい! お姉さんで画家のヴァネッサも犬を描いていて、『フラッシュ』の装画も担当しています。そんな風に犬に安らぎを感じるところ、私はウルフかわいいなって思います。人間の意識にしか興味ない人なんだと思いきや。

意識の流れなんて手法を編み出した割には、人間よりも犬の方が好きって言う。

『フラッシュ』は、挿絵も含めて、姉妹で楽しく作った本なんだろうなっていうのを、とても感じます。思わず犬を飼いたくなっちゃう。自分以外の何かになりたい欲望がむき出しになっている『オーランドー』と『フラッシュ』って、ウルフの中でも重要な作品だなって思います。

ウルフの描く男性像

ウルフの男性の描きかたがすごい好きで。しょうもない男がたくさん出てくるじゃないですか。男として、読んでてもグサッと刺さるところもありつつ、でもこうやって書いてくれるのもすごくいいなって。

どのキャラが一番しょうもないと思います?

やっぱり『ダロウェイ夫人』のピーターのダサさが最高だなって。憎めないですよね。

憎めない! 萌えキャラです! やっぱり出てくる中年女性は少なからずウルフ自身が投影されているわけじゃないですか。ちょっぴりオタサーの姫的なところがある気がしています。だから周りの男性達にも、ブルームズベリーの人々の影があるんだろうなと想像すると面白い。あとなんといっても、ピーターがナイフをいじり回す描写が、気持ち悪いけれど好きですね。

あれは本当にそういう癖を持っている人、もしくはその何かをやってた人がウルフの周りにいたんでしょうね。そうじゃないと思いつかない気がします。

しかもなんだかんだツンデレで、クラリッサのことが大好き。こじれを感じます(笑)。

僕の断片的なメモに「ダサ男のような手紙」って書いてあるんですよ。クラリッサが若い頃にピーターからもらった手紙のことを回想していて、そこには「僕はインドに行って、こんな人と結婚しました。でも僕の人生は失敗でした」みたいなことが書かれてる、と。インドに行く前にピーターはクラリッサに振られてるわけですよね。その相手にこんな手紙……いやでも俺にもこういうの身に覚えあるぞー! つらいー! みたいな(笑)。

痛いLINEを送っちゃったみたいな。

高校生、大学生くらいの時にやらなくもないこと。古傷をえぐってくる感じがあって。そこをグサっと書いてきてくれる。でもクラリッサはそんな憎んでないですよね、ピーターのこと。

あと、街で見かけた女性を尾行するところなんかも……。「おや、魅力的な女の人だな」「背筋をぴんとのばし、ひそかにポケット・ナイフをいじりながら、彼はこの女のあとをつけはじめた」うーん気持ち悪い(笑)。

「『ご一緒にアイスクリームでもいかが』と言おう。そう言えば彼女はごくあっさり『ええ』と言うだろう」ここいいですよね。こういうのをやりそうだなっていう男性がいたわけですよね、たぶん。これを読んだ時にウルフの周りの男性たちがどう思ったのか、すごい気になるな。

夫のレナードは何を思っていたんだろう……もちろんフィクションだから想像も入っているんでしょうけど。ウルフは気に入らないものに関しては徹底的にこき下ろすところがありますよね。男嫌いとまでは言わないけど。

こき下ろすんだけど、でもどこか、嫌ってはいない。『灯台へ』のタンズリーにも救いを持たせるというか。タンズリー、残念ですよね。いいところでミスる。第一部の1で、ラムジー夫人がタンズリーにも良いところがあるんだよねって散歩の途中で気づいて。で、つぎの2って短いじゃないですか。ここでタンズリーが「明日の灯台行きはないよ」って言っちゃう。それを聞いて、夫人が「まったくいやな人ね」って思う。わざわざ彼を落とすためだけにページを割いている。

ウルフからキャラクターへの愛情を感じますね。

オチをつけてるんですよね。ユニークというか、ここは笑ってほしいところだったんだろうな。登場人物全員がだいたい、独白で相手のことを話している。こういうところが嫌だとか、みっともないとか。それをお互いにやっている感じがいいですよね。

日本語訳について

翻訳については、『ダロウェイ夫人』ですと集英社文庫の丹治愛さんの訳(2007年刊)が一番スタンダードに思います。光文社古典新訳文庫の土屋政雄さん訳(2010年刊)は人によって好みが分かれると聞くこともありますが、私自身は好きで、一番キャラクターが立っているように思います。

光文社の古典新訳文庫は好き嫌いが分かれるみたいですね。大雑把に言うと読みやすさ重視っていうのをテーゼにして立ち上げているところもあるので。僕は結構光文社の新訳をおすすめしていますね。海外文学を読んでみたいんだけど、どれから読んだらいいかわからない……っていう人に。注釈も結構あるじゃないですか。しおりに登場人物表があったりもするし。

映画『ア・ゴースト・ストーリー』の元ネタになった「幽霊屋敷」が「MONKEY」に、『オーランドー』の抄訳が「SWITCH」に、それぞれ柴田元幸さん訳で載っていて。『オーランドー』は大変だけどすごく楽しかったみたいなことをあとがきに書かれてます。杉山洋子さん訳とはまた雰囲気の違うパンクな感じで。欲を言えば全訳を読みたいなと思いますけれども、抄訳でもあの雑誌に出たのはすごく意義があることだなと。『灯台へ』については、私が先に読んだのは河出書房新社の鴻巣友季子さん訳(2009年刊)です。後から岩波文庫の御輿哲也さん訳(2004年刊)を読みました。河出版は特に思い入れがあります。

僕は確か岩波版を先に読んだと思います。

さらに古い訳はまだ読めていません。昔の翻訳もあるけれど、私は基本、新しい訳ほど良いというイメージがあります。

最新の研究成果が反映されているほうがいいですよね。もちろんこれはウルフに限った話ではないですけど。ピーターも萌え萌え路線で読んでくれる人がもっと増えたらいいですよね。

そうなんです。キャラ萌え小説としての読み方も広まってほしいな。

堅さを一回取っ払って、そういう目線で読んでみると、また違う面白さがあると思います。

変わらないウルフの魅力

最近ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』を久しぶりに読み直して相変わらず最高だって思いました。

私も『灯台守の話』を初めて読みましたが、本当に素晴らしかった。本屋lighthouseさんで買ったんです。店名の由来のひとつになっている本なんですよね。

『灯台守の話』には、ウルフと重なるところがあるなって思いました。例えば「ただ、結びつけよ」っていうところ。確かフォースター『ハワーズ・エンド』のエピグラフも、「結びつけよ」って意味合いの文言なんです。ウルフもフォースターとほぼ同時代だし、しかも人々を結びつけるとかそういうことを作品内で誰かが考えてたりするから、これは意識してるのかなと思ったりして。フォースター、ウルフ、ウィンターソンが繫がって、英文学科卒としては大興奮という(笑)。

『灯台へ』は最終的にみんなで灯台に行くお話です。あと『波』も、六人の男女が子どもから大人になるまでの話で、途中みんながレストランで再会するシーンがあったりします。ウルフもそういう、人が集まる場面を大切にしている印象があります。

『ダロウェイ夫人』で「その人たちを一緒に集められたらどんなに素晴らしいだろう」と言っていて。パーティーをやっている時に、クラリッサが人々を結びつけようとしているのを気にしているのが印象的です。誰が来ると場の空気がどう変わる、みたいなことをすごく気にしている。

あとウルフはやはり時間に対する感覚がすごいです。私は『灯台へ』の第二部「時はゆく」がとても好きなんです。およそ十年が過ぎゆくさまがぎゅぎゅっと短い文章に閉じ込められている。映画みたいな早回しを文章でやってしまう凄みがあります。

『灯台守の話』だと、灯台にはいつでも主人公や「世界そのもの」を見守るピューという存在がいて、二百年も前の話を、その時生きていたように話す。そういう超越する感じが、ウルフに似てると感じました。最近、僕も雑誌「灯台より」(注:本屋lighthouseが制作・発行しているZINE)を作っているので、かっこいいエピグラフみたいなものを集めてるんです。それで改めて『灯台守の話』を読んだら、使えそうな言葉がいっぱい出てきて。「灯台より」はウルフの『灯台へ』をもじったタイトルなので、この雑誌をきっかけにウルフを読んでくれる人がいたらうれしいですね。雑誌の中身はウルフ関係ないですけど、「あ、ウルフから取ってきたな」って気づいてニヤッとしてほしい。「確かに使いたくなるよな、かっこいいし」って(笑)。

ウルフの作品も彼女自身も、プリズムみたいだなと常々思っていて。入り方も出方も自由自在で、どんな色にも見える。色々なウルフがある。とても不思議で、素敵な作家だなと思います。たくさんの人にもっと読まれてほしいと思います。             

(2020年8月8日Skypeで収録 構成:小澤みゆき)

小澤みゆき(おざわ・みゆき)

ライター、編集者。1988年生まれ。自費出版の文芸プロジェクト「海響舎(かいきょうしゃ)」主宰。編著に「かわいいウルフ」「海響0号 情報技術」(いずれも2019年刊)「海響一号 大恋愛」(2020年刊)など。文芸誌を中心に書評・コラム等も執筆している。

関口竜平(せきぐち・りょうへい)

千葉市幕張に2019年にオープンした本屋「lighthouse」の店主。1993年生まれ。編著に「灯台より」。幕張支店が2021年1月にオープン予定。

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