凪良ゆう『汝、星のごとく』ロングインタビュー(前編)

文字数 5,329文字

誘拐事件の「被害者」と「加害者」が15年後に再会し特別な絆を結ぶ『流浪の月』(2020年本屋大賞受賞作)、ボーイズラブ小説の新たなる金字塔『美しい彼』など作風の振り幅の大きさで知られる凪良ゆうが、クラシックとも言える題材に挑んだ最新作『汝、星のごとく』

村上春樹『ノルウェイの森』江國香織辻仁成『冷静と情熱のあいだ』など、時代を象徴し時代を変えてきた恋愛小説と肩を並べる傑作だ。

その刊行を記念して、2年がかりとなった本作の執筆経緯と創作秘話をインタビュー! 前後編の2回にわたってお届けします。


聞き手:吉田大助

このインタビューは、「小説現代」2022年9月号に掲載されました。

男女の「普通」の恋愛の話をまっすぐ丁寧に書けばいい



──世界滅亡モノでありながら家族小説でもある前作『滅びの前のシャングリラ』(2020年)刊行時にインタビューした際の、「次は自分にとっては初めて、男女のオーソドックスな恋愛の話を書く」という発言に衝撃を受けた記憶があります。振り幅が大きすぎる、と(笑)。この一歩を踏み出そうとした経緯とは?


 私の場合は小説を書くうえで、担当編集者さんの存在が大きいんです。『滅びの前のシャングリラ』はバイオレンスなものが好きな担当さんで、『流浪の月』の担当さんは繊細な感性の持ち主だった。担当さんのタイプによって「この話を書こう」という方向性が決まっていくんですね。『汝、星のごとく』の場合は、「小説現代」の編集長もされている担当さんと雑談をする中で、たまたま聞いてしまった担当さんの学生時代の恋の話が面白くて、「次は男女の恋愛で行こう!」となったのが企画のスタートです。


──講談社での既刊『神さまのビオトープ』(2017年)は、片方が幽霊になってしまった夫婦の関係を軸に据えた連作ミステリーでした。そこからの振り幅も大きいですよね。


 ご依頼いただいた「講談社タイガ」というレーベルはミステリーのイメージが強かったので、ミステリーテイストな物語に挑戦したんです。でも本作は、担当さんと雑談する中で、リアルな恋の話にスライドしていきました(笑)。担当さんは愛媛県今治市出身で、恋の話と一緒に出てくる瀬戸内海の風景の話がきれいだなぁと思ったことも大きかったです。その雑談の中で舞台を瀬戸内海の島にすることも決まりましたね。ただ、その後作った最初のプロットは、最終的にできあがった作品と大枠はそれほど変わらないんですが、ミステリーの要素が入っていたんですよね。叙述トリック的なものを使おうと思っていたんですが、担当さんに「物語の中で必然性がない、読者さんを騙すためだけのトリックを取り入れるのは良くないです」と指摘していただいて、ハッとしました。どうしてそういうアイデアを使おうと思ったかというと、今回の作品ってあらすじだけ取り出すと……。


──誤解を恐れずに言えば、「普通」ですよね(笑)。


 そうなんです(笑)。男女が出会って別れて、時間が流れて……という「普通」の話なので、何かで読者さんを楽しませなくちゃ、という思いが空回りしていた。どうしようかなぁと迷っていた時期に、たまたま映画の『花束みたいな恋をした』(2021年)を観たんです。


──『東京ラブストーリー』(1991年)をはじめ数々のテレビドラマの脚本を手がけてきた坂元裕二さんが、一四年ぶりに映画脚本を担当したラブストーリーですね。東京に暮らす大学三年生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が、明大前駅で終電を逃したことをきっかけに出会い恋をする。尖った作品が続いていた坂元脚本では極めて珍しい、「普通」のラブストーリーでした。


 突飛なことはまったく起こらない、男女の恋愛を真っ当に描いているだけなのに、こんなに引き込まれるんだと本当に驚きました。セリフのリアリティにももちろん揺さぶられたんですが、ひと組の男女の恋愛にまつわる一つ一つの出来事を丁寧に拾っていけば、こんなに面白くなるんだなと分かったんです。しかも、ものすごく新鮮に感じたんですよね。男女の恋愛モノをやるのは古臭いし今更やらなくていいんじゃないか、みたいな空気が世の中にありますよね。だとしたら、今っぽくないものを書く方が逆に新鮮だし、そもそも男女の恋愛に古臭いも今更もない。私も小手先のテクニックで読者さんの興味を引っ張ったりせずに、男女の「普通」の恋愛の話をまっすぐ丁寧に書けばいいんだ、と心を決めることができたんです。

「忘れられない人」になった二人の男女それぞれの物語



──日常風景の中に不穏な空気が漂うプロローグから始まる本作は、第一章の第一節は「青埜櫂 十七歳 春」、次いで「井上暁海 十七歳 春」と、節が変わるごとに主人公二人の視点がスイッチするデュエット形式が採用されています。櫂は瀬戸内海に浮かぶ島へ、母親とともに京都から一年前に引っ越してきた男の子。島で唯一のスナックを経営する母の存在も影響しコミュニティに馴染めずにいたものの、自分が原作を書いてネットで知り合った友人が作画する漫画家コンビが絶好調で、新人賞を受賞し連載枠獲得に向けて頑張っている。一方の暁海は、この島で生まれ育った少女です。この春から父が不倫相手の家に居着いてしまったことは、島の大人たちの噂の的となっている。精神が不安定になった母との息苦しい毎日の中で、同級生の櫂と偶然会話を交わす機会があり、二人は少しずつ距離を縮めて同じ速度で恋をする。要所要所で、相手の心を開くパスワードのような言葉を発し合うんですよね。この二人だから恋をしたんだ、両思いになれたんだという説得力が抜群でした。


 自分は体験していない初恋を、私も満喫しました(笑)。私は女なので、ぎゅーっと気持ちをくっつけて書けるのは暁海の方なんですが、同じように櫂のことも愛しているし、二人のことをもっと知りたい、もっと分かりたいと思いながら書き進めていった感じです。


──高校卒業後に櫂は東京へ行き、暁海は島に残って就職するとなった後も遠距離恋愛は続いていたんですが……徐々に心が離れていってしまう。


 こんなに好きだけど、こんなにすれ違ってしまう。櫂と暁海がすれ違っていく様子は、書いていて辛かったです。そこにあったのは男女の考え方の違いではなくて、人間のタイプの違いだったのかなと思うんです。仕事に熱中しているとプライベートまで潰してしまうタイプの人と、会っている時は自分だけを見てよというタイプの人では、どうしたってすれ違いが生じますよね。仕事がこんなにいっぱいあるのに君と会っているじゃないか、それが愛だと言われても、後者は受け入れられないよなと思うんです。


──ちなみに、凪良さんはどっちのタイプですか?


 どっちにも当てはまるタイプです(苦笑)。締め切りの前なんかになると、目の前に相手がいても構ってられないって気持ちは出てきちゃいますね。ただ、基本的なタイプは逆です。私は、普段の人間関係ではがちっと固まっている感じは苦手で、ある時はこちらとくっついて離れて、別の時は別の人とくっついて離れて……というのがいいなぁと思っているんですね。そのくせ異性のことを恋愛という意味で好きになっちゃうと、普段のあっさり感が崩れるんですよ。「好き」に溺れてしまうし、相手とずっと一緒にいたくなってしまうんです。そういう態度は重たいしダメだと頭では分かっているようなことも、恋愛となるとコントロールができずに気持ちがぐちゃぐちゃになっていく。でも、そういう自分がいなかったら、今回の話は書けなかったでしょうね。


──櫂と暁海は好き合っているのに別れてしまい、逆に複雑な感情を抱いている母に対しては捨てるとか逃げるという選択肢には至らない。とかく現実はままならないなと感じました。ただ、実は別れた後に二人の中で流れた時間の方が、ボリューム的にも小説のメインとなっているんです。本作の大きな特色ではないでしょうか。


 確かに、こんなに二人が一緒にいない恋愛ものは珍しいかもしれません。一五、六年にわたる物語なのに、一緒にいた時間って全部合わせてたぶん一年ちょっとくらい。人生のところどころで折に触れてふっと思い出してしまう、「忘れられない人」って誰しもいるんじゃないかなと思うんです。その存在が自分の中から消えるわけではなく、でも実際に会ったりするわけでもなく、ずっと心の中にたなびいている人。お互いがそういう相手となった二人の物語、それぞれの人生の物語なんです。

「決断」に説得力を持たせるためジリジリと匍匐前進を続けた



──櫂と暁海は、ひょっとすると小説の「キャラ」としては弱いくらいかもしれない。でも、だからこそ固有名詞が消えて、二人の心情に入り込んでいけるところがある。自分は島生まれで、あんな初恋をしたんだっけと勘違いする人が続出すると思います(笑)。


 今のお話を聞いて思い出したのは、『流浪の月』を読んでくださった方の感想の多くは、例えば「文と更紗が幸せになってほしい」「もしも自分がこの物語の中の登場人物だったら、二人を糾弾するほうの立場だったかもしれません」と、あくまで二人のことを外側から見たうえでのものだったんですよね。でも今回は、書店員さん達の感想を伺ってみても、自分に重ねてくれる人が多いんです。「〝自分はあの時どうすればよかったの?〟って、終わった恋を反芻するような読書をした」という感想をいただいたりして、すごく嬉しいなって。


──今文芸の世界で書かれているラブストーリーの多くは、設定上の新奇なフックがあったり、あるいはファンタジー要素を導入して世界そのものが歪んでいたりする。『汝、星のごとく』はそういった武器を一切持たず、拳ひとつで戦っている〝ステゴロ〟感があります。その選択により、等身大の登場人物たちへの共感度が高まる部分もあったと思うんですね。ただ、小説の「リアルさ」や「面白さ」が、読み手の生きている現実と同じ地平から厳しくジャッジされてしまう怖さがあったのではとも思うんです。


 ものすごく怖かったです。どの作家さんも書きながら「この話は面白いのか?」と一瞬の迷いに囚われることはあると思うんですが、今回は頻繁にその思いに駆られました。「こんなになんの変哲もない男女の話が本当に面白いのか?」と。オーソドックスなものだからこそ、読んでもらうには筆力がいるんだなと痛感しましたし、何回も「もう無理!」と筆が止まりました。


──「もう無理!」な気持ちを、どうやって奮い立たせましたか?


 この小説は頭から順番に書いていったんですが、後半のある登場人物の「決断」を書きたい、そこへ辿り着きたいという気持ちが一番の支えでした。私が書かなければ、その「決断」が存在しないことになってしまうわけですから。


──その「決断」をする人の、人生の実感を丁寧に積み上げてきたからこそ、その場面で読者は驚くと同時に、その人物への理解からくる納得を得るんだと思います。この人だから、この人生があったからそれを選ぶんだ、と。本作は決してミステリーではないんですが、そこに至るすべての文章が伏線だったとも言える。あるいは、まじないの言葉を一文字でも間違えたら発動しない魔法みたいなもので、長い正確な詠唱が必要なぶん破壊力がとてつもないんです。よくぞ、これをおやりになりましたね。


 ありがとうございます。おっしゃっていただいた通りで、あそこへ行き着くまでが本当に大変で、あの「決断」に説得力を持たせるために、ジリジリと文章で匍匐前進をし続けていた感じだったんです。たぶん、あの場面だけ抜き出して読んだら「勝手な人たちだな」としか思わない(笑)。ずっと積み重ねていった先であの選択だったら、読者さんがなるほどと思ってくれるんじゃないかなと願いながら書いたんです。

気になる後編は9月22日12:00に公開いたします!


https://tree-novel.com/works/episode/adf47ea66fb09a1be9a53773857f3408.html

『汝、星のごとく』

凪良ゆう

講談社 

定価:1760円(税込)


風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂。ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた凪良ゆうが紡ぐ、ひとつではない愛の物語。本屋大賞受賞作『流浪の月』著者の、心の奥深くに響く最高傑作。

凪良ゆう (なぎら・ゆう)

京都府在住。2006年にBL作品にてデビューし、代表作「美しい彼」シリーズ(徳間書店)など作品多数。2017年非BL作品である『神さまのビオトープ』(講談社タイガ)を刊行し高い支持を得る。2019年に『流浪の月』(東京創元社)を刊行し、翌年、同作で本屋大賞を受賞した。さらに、2021年『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社)で2年連続本屋大賞ノミネート。他の著書に、『すみれ荘ファミリア』『わたしの美しい庭』などがある。

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