私は女になりたい/窪美澄

文字数 1,448文字

大好きな小説のPOPを一枚一枚、丁寧に描きつづけた男がいた。何百枚、何千枚とPOPに”想い”を込め続けるうちに、いつしか人々は彼を「POP王」と呼ぶようになった……。

こちらは”POP王”として知られる敏腕書店員・アルパカ氏が、お手製POPとともにイチオシ書籍をご紹介するコーナーです!

(※POPとは、書店でよく見られる小さな宣伝の掌サイズのチラシ)

窪美澄の描き出す文学世界は妖しくも危うい。

薄皮一枚で繋がっているような際どい人間関係を鋭いナイフのような筆致で描き切る。透明感のある描写からは空気の粒子、その一粒までも、そして皮膚に覆われた骨や内蔵までも見えるような迫力だ。

まさに切れば血が出るような生々しさ。

取り乱し理屈にはならない思いまでがリアルに再現され、隠された人間の素顔が暴かれるこの騒めきは快感となる。あまりにも率直な本能が手に取るように伝わってきてゾクっとするのだ。


これは特別な物語なのではない。誰もが共感できる普遍的な人間ドラマである。

主人公・赤澤奈美はアラフィフの美容皮膚科医である。

いつまでも若くありたい、美しくありたい、女でいたい。この切実な想いは古今東西共通のテーマである。

彼女自身も院長として第一線で働きながら年齢の壁とも闘っている。

もちろん悩みは自分の肌だけではない。一度は切り捨てた年老いた母の終末、離婚後も生活費を無心するダメな元夫、仕事優先の母の生き方に反発するひとり息子・・・。

確執のある家族問題を中心に背負う十字架がますます重たくのしかかってくる。


物語の軸となるのはそんな懊悩に揺らぐ日常を救ってくれた人生最後とも思える強烈な愛。

若い男との刹那的な快楽か、現実を冷静に見つめて年相応に積み重ねたピースで残された時間を生き抜くのか。

孤独を癒すのは愛だが、愛だけでは生きられない。

『私は女になりたい』はたった一度きりの人生を選択しながら切り開く、一人の女性の鮮烈な生き様を描いた作品なのでもある。

窪美澄作品から感じられる手指の感触と水の潤いは、この一冊からも存分に伝わってくる。


いびつな関係となってしまった病院のオーナーからは働く者の手の美しさを褒められる。若い恋人の親指を握りしめるシーンも頼りないようでいても力強さがあって象徴的に使われる。

そして湿気ある空気や人肌の潤いからは水っぽさが強調されるのだ。

人間は母なる海から生まれ、身体の大部分は水で構成されてれている。血も汗も涙も水分だ。

登場人物が語らうポイントで様々な飲みのものが登場する。コーヒー、ビール、ミネラルウオーター・・・口に入れられるそれらも紛れもなく水分。カップ、ジョッキ、グラスと言った容器、それらを握る手と飲み方の描写にも注目してもらいたい。

「人の縁とは事故のようなもの」というフレーズはこの社会を達観しているからこそ説得力がある。

ままならぬ空気の中で運命に翻弄されながらも強かに生きる女性の姿は窪美澄の生き方そのものだ。

まったくブレることのない作品の魅力はもちろんのこと、生活をするために作家になったと公言する彼女自身が醸し出す、生命力あふれるオーラを支持する読者は多い。だからこそ熱烈なファンが増え続けているのだろう。


この作家は作品から伝わる水分と同様にこの世に必要な存在だ。これからも人の血となり骨となり記憶に刻まれる作品を出し続けるに違いない。

POP王

アルパカにして書店員。POPを描き続け、王の称号を得る。最近では動画にも出たりして好きな小説を布教しているらしい。

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