第3話 黒髪
文字数 2,278文字
幸せなはずなのに悲しくて、苦しいけれどかけがえが無い。
そんな私たちの日々が、もしもフィクションだったら、どんな物語として描かれるでしょうか。
ごめん(https://instagram.com/gomendayo0?igshid=1rh9l0sv9qtd2)
さんが、
あなたの体験をもとに、掌編小説・イラストにしていく隔週連載。
この物語の主人公は、「あなたによく似た誰か」です。
【第3話 黒髪】
僕は権利を持ってない
左。左。左。
女の子の写真と簡易的なプロフィールが、液晶に次々と浮かんでくる。気になったら右にスワイプ、そうでなければ、左。そうしてお互いがお互いのプロフィールを右にスワイプすれば、ようやくマッチング成立。チャットで会話ができるというシステムらしい。
気になる人を探すというよりはむしろ、仕分け作業という感覚の方がしっくりくる。「タイプか」、「タイプじゃないか」で滑らせていたはずの人差し指は、気がつけば「先輩に近いか」、「遠いか」という基準のもとに動いてしまっていた。
手を伸ばしても届かないものというのは、いつまでも脳みその隅っこに図々しく居座り、前に進もうとする僕に隙あらば語りかける。
「あの人じゃないと駄目なくせに」
そんな鬱陶しい想いに寄生されたまま、気づけば僕は社会人三年目を迎えようとしていた。
先輩との出会いは今から6年ほど前、僕が大学一年の頃に遡る。
入学当時、友達に誘われて行った軽音部の新歓ライブは想像していたよりも本格的で、バーも兼ねた小さなライブハウスを貸し切って行われていた。
僕は先輩の喋り声よりも先に、歌声を聴いた。
ステージの中央で、水色のライトに照らされた黒髪。内蔵まで響くような音圧をたやすくくぐりぬける、透き通る声。目が覚めるように、目が離せなかった。
そうしてその二週間後、僕はまんまとギターを背負うことになる。
「メタモンに似てるよね」
煙草に火をつけながら、先輩が笑う。どうやらポケモンのキャラクターらしい。調べてみたら、かなり脱力系の見た目をしていた。先輩には僕がこう見えているのかと、少し複雑な気持ちになってしまう。
「先輩、からかってます?」
「違うよ。可愛い後輩を可愛がってんだよ。」
わははと笑う声が響いて、僕もつられて笑ってしまった。こんなに明るくて無邪気な人が、ステージの上ではあんな風に繊細に歌うなんて嘘みたいだ。
軽音部に入部して数ヵ月経った頃には、こんな会話ができるくらいには先輩とも打ち解けていた。一緒のバンドを組ませてもらえるときもあったし、学祭終わりにラーメンを奢ってもらったりもした。
この頃にはもう、僕は先輩のことが好きだったと思う。僕は20歳になって、先輩と同じ煙草を吸うようになった。
先輩に彼氏ができたことを知ったのは、2年の終わり頃だった。
「可愛い後輩」というポジションは失恋フラグだとなんとなく勘づいてはいたけれど、それでも、大切にしてきたつもりの恋がこんなにもあっけなく終わるなんてことは予想できなかった。
「別にタイプとかじゃないんだけどさ、なんか落ち着くんだよね」
そういうのあるよね、と照れ笑いをしながら、先輩は長い黒髪を人差し指でいじる。「彼氏」だったらきっと、この髪に触れる理由さえいらない。
願わくは、その相手が実は遊び人で、実は何股もしていて、それを知って先輩が傷つけばいいのに。そしたら善人のふりをして手を差し伸べることだってできるのに。そんなことを考えてしまう自分を、僕は幾度となく嫌悪した。何も知らない先輩は、愛されてるひとの顔をして、いつものように僕に笑いかけた。
それから暫くして、僕にも彼女ができた。ひとつ年下のその子は、長い黒髪が綺麗だった。初めて彼女を抱きしめたとき、僕は何故だか泣きそうになった。シャンプーと香水の匂い。女の子の匂いだった。たばこの匂いは、しなかった。
「わたしのことなんてちっとも見てくれなかったじゃない」
別れの日、狭いワンルームで、彼女は吐き捨てるように言った。僕を傷つけることだけを目的としたその言葉は、僕の心臓を掴んで離さなかった。やさしいはずの彼女にそんなことを言わせたことが申し訳なくて、悲しかった。僕はこの人と付き合っている間、きっとずっと、違うひとを見ていた。
左。左。左。
スマホの上を、自動的に人差し指が滑っていく。また誰かと恋人になれたとして、僕は前に進めるんだろうか。いつも頭に浮かぶ黒髪は、同じひとなのに。
アプリを閉じ、ラインを開いてみる。友達の一覧をスクロールすると、見慣れた名前が出てきた。いや、正しくは、頭の中で何度も呼んだ名前。もう何ヶ月も、このひとの声は聞いてない。
イチかバチか、通話ボタンを押す。
10秒くらい響いた呼び出し音の後、わはは、どうしたの、と、あの声がした。
ごめんさんが、あなたの体験をもとに、掌編小説・イラストにしていきます。
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