◆掌編【章の夜中飯】インチキカルボナーラ

文字数 2,395文字

秋川滝美さんの新刊『湯けむり食事処ヒソップ亭2』刊行を記念した掌編をお届けいたします!


温泉旅館『猫柳苑』の中にある食事処『ヒソップ亭』をきりもりする店主・章。

くたくたになって帰宅したあとに彼が食べる、簡単!至福!の夜中飯とはーー?

 ガチャリ――深夜のアパートにドアを閉める音が響く。

 いつもどおり靴を脱ぐなり洗濯機をセットしに行ったあと、やれやれと台所に入る。


 今日は、夜の営業を始めて一時間半が過ぎても誰も来なかった。『猫柳苑』の泊まり客もそう多くないとのこと……どうなることかと心配したが、八時近くにふたり連れが入ってきたのを皮切りに、三人連れ、ひとり、ひとり、ひとり、ふたり……といった具合で、気がつけばほとんどの席が埋まっていた。

 そういえば今日は水曜日だ。この町の飲食店は水曜を定休日にあてているところが多いから、行く店に困って訪れた客が多かったのかもしれない。

 いずれにしても、売上はいつもと同じぐらい。ただ、短時間に集中したせいでより疲れたような気がする。こんな日は、多少ボリュームのあるものを食べても許されるのではないか……


 今、章が猛烈に食べたいのはカルボナーラだ。とはいえ、まっとうなカルボナーラを作るほどの気力も体力も残っていない。フライパンひとつでできるレシピもあるが、いざ作るとなるとやっぱり手をかけてしまう。それが料理人の性というものだ。

 自転車やバイクを使った宅配が流行っているが、この町にカルボナーラの出前をやっている店があるかどうか怪しい。そもそも、こんな時間では来てくれないに決まっている。


 それでも諦めきれず、なんとかならないかと流しの下の扉を開けた。

――確かひとつだけ残ってたはず……お、あった、あった!

 にんまり笑いながら取り出したのは小さな袋、昭和から令和の今に至るまで人気ランキングの上位に入り続けている塩味のインスタントラーメンだった。

 とはいえ、普通にラーメンを作るわけではない。章が食べたいのは、あくまでもカルボナーラなのである。たとえ塩味でバターをたっぷり落としたとしても、汁気たっぷりのラーメンでは満足できない、ということで章は小さなフライパンを取り出した。

 コンロに乗せて火をつける。袋の裏にある作り方をちらっと見たあと、マグカップに九分目ほど水を入れる。これでおよそ二百二十ミリリットル、ラーメンには全然足りないし、袋の裏にも『五百五十』という数字があった。そもそもフライパンとは何事だ、と叱られそうだが、本日の章の夜中飯にそんなに大量の水は必要ないのだ。

 最大火力で一気に加熱、フライパンの底から大きな泡がボコボコ出てきたのを確かめ、袋から出した麺を投入。あとは乾麺タイプのインスタント焼きそば同様に、麺に水を吸わせていく。二百二十ミリリットルというのは、乾麺タイプのインスタント焼きそばに使う水の量だから、乾麺に吸わせる水の量としては適当なはずだ。

 水が余りすぎてもいけないし、全部なくなって焦げるのはもってのほかだ。慎重に見守り、わずかに水が残る程度で付属の粉末スープの封を切る。三分の一ほど入れてかき混ぜ、塩加減を見てもう少し足す。もう一度味見をし、うん、と頷いて火を止めた。

――おっといけない、卵を割ってなかった!

 大慌てで冷蔵庫から取り出した卵を割り、お椀に白身だけを落とす。殻に残った黄身を麺の上に落としてくるくるかき混ぜれば、インチキカルボナーラの完成だった。


――彩りがほしい……とか、考えたら負けだぜ!

 座卓に運んだ皿は黄色に近いクリーム一色。仕事であれば、せめてパセリでもと思うが、そもそも仕事でこんなものは作らない。客に見せるものではないし、栄養なんて端から無視なのだから、彩りなんてどうでもよかった。

 本当はバターも入れたかったが『なけなしの理性』で思いとどまった。これはそのご褒美だ、とばかりに、冷蔵庫から缶ビールを持ってくる。これでプラスマイナスゼロ、上等じゃねえか、と開き直って蓋を開ける。グビグビグビ……とやって、ぷはーっと息を吐いた。

――かーっ、旨え! そこにこいつを……

 ビールの味が消えないうちに、と急いで麺を啜り込む。本物のカルボナーラはパスタなので啜り込むなんて御法度だろうけれど、これはラーメン……いやラーメンで作った焼きそばみたいなものだ。啜って許される食品に違いない。

 少し強めの塩気が卵の黄身の甘さで緩められ、絶妙な味わいである。パスタだったら最悪としか言いようのない麺の柔らかさも、箸で切りやすいし、まとめて口に運ぶのにとても都合がいい。

 なによりバターはもちろん、生クリームも牛乳も使っていないのにこのクリーミーさはどうしたことだ。もしかしてスープにもともと入っていたのか? だとしたら、いい仕事しすぎだろう、と褒め称えつつ、食べ進む。あまりにも希望どおりの味で笑い出したくなるほどだった。

――うーん、神! 食えば食うほど神!

 インスタントラーメンで作ったインチキカルボナーラに、神もへったくれもない。それでも、食べたいと思ったものを、食べたいと思ったときに食べられる喜びはなにものにも勝る。


 章は以前から時折このラーメンをこんなふうに焼きそばのような作り方で食べていた。だがそれは、テレビか雑誌で知った方法だ。もしかしたらインターネットだったかもしれない。さらに同じ作り方をしても、ほかの塩ラーメンではインチキカルボナーラにはならない。このメーカーのこの商品だけが、章がこよなく好むインチキカルボナーラになり得る。きっとスープの調合が唯一無二なのだろう。

 いずれにしても、こんな食べ方を考えついた誰かも神なら、この塩ラーメンを作ったメーカーも神、夜中に頑張って作った俺も神……と、ただでさえ八百万と言われる日本の神々をさらに増員し、本日の夜中飯は終了した。

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