砥上裕將×吉田大助 『7.5グラムの奇跡』深掘り対談②

文字数 4,462文字

砥上裕將(水墨画家・作家)×吉田大助(ライター)

『7.5グラムの奇跡』深掘り対談(全3回)



第2回 「盲目の海に浮かぶ孤島」から「光への瞬目」まで

水墨画の小説でデビューした砥上裕將さんが、2作目のテーマに選んだのは眼科医療。

今回は、連作短編の各話についての吉田大助さんとの対話です。

「なぜ?」という疑問を解き明かしていく。

眼科医療の現場はミステリーそのもの

吉田 第1話「盲目の海に浮かぶ孤島」は、本作の真髄が詰め込まれた一編です。 

 新米視能訓練士の野宮が、街の個人病院・北見眼科医院で働き始めて1ヵ月半の頃のお話です。先輩視能訓練士の広瀬からは「叱られっぱなし」で、「自分はこんなにも使えない人間なのか」と俯きがちな日々の中、小学校1年生の女の子が、母親に連れられて病院へやって来ます。視力検査を行うと、「見えにくい」という本人の主訴通りの結果が出た。

 重篤な病気なのか? 院長の北見から新たな検査をするよう指示され、現れた意外な結果から導き出された病名は……と物語は進んでいきます。

 いわゆる医療ミステリー、その中でもレアな「病名当てミステリー」なんです。「新本格ミステリーの登竜門・メフィスト賞受賞作なのに、ミステリーじゃない!」と驚かされた前作から一転し、物語にミステリーとしての骨格を取り入れた理由はぜひお伺いしたいと思っていました。



 砥上 そもそも、メフィスト賞がミステリーの賞だと思ってなかったんです(笑)。

 応募要項にも「エンターテインメント全般」と書いてあったので、なんの疑問も持っていませんでした。

 受賞後第1作の短編を「メフィスト」に載せようということになり、編集者から「ミステリーっぽいテイストもちょっと欲しい」と言われたのは確かなんですけれど、ミステリーを感じさせる部分があるとしたら、眼科医療の現場で実際に起こっていることがミステリーそのものだからだと思います。

「どうしてこんな検査結果が出るの?」「原因は何なの?」と疑問に感じたことを、プロたちが解き明かしていくプロセスが、ミステリーの骨格を持っているということかなと。

 第1話に出てくるのは、教科書には載っていないけれど、視能訓練士さんたちは経験的に知っている症状です。だから、広瀬先輩は最初から気付いているんだけれども、新人の野宮君は分からない。同じ検査結果を前にしても、経験の差によって見えてくる世界が違う、ということは最初に示しておきたいと思いました。



 吉田 6歳の女の子がこの状態に陥った「原因」は、「この症例では、よくあること」と記されています。でも、まだ経験が浅い野宮や、眼科医療の門外漢であるほとんどの読者にとっては、その「原因」は鮮烈な驚きとして飛び込んでくる。その専門領域においての「あるある」は、一般人にとっての驚きや魅力の源泉となる。 

 アイデアって、何か真新しいものを発明することだけではなく、こういう発見を指す言葉だよなと思うんです。

 

砥上 僕もこの症例を初めて耳にした時は、「そんなことがあるなんて、普通は思いつかないよ」と(笑)。


吉田 第1話でGPという、ゴールドマン視野計を使った視野検査のシーンが登場します。このシーンで、〈視野というのは、盲目の海にポツンと一つ浮かぶ孤島に例えられる〉という一文を皮切りに、視野にまつわる詩的な比喩表現が登場しますよね。こうした比喩表現は、前作にはほぼ出てこなかったと思うんです。GPにまつわる一連の文章は、どのような意図で書かれたものだったんでしょうか。



 砥上 GPの検査のシーンって、そのまま書いたら超面白くないと思うんですよ。患者さんが暗室に入って機器を覗き込み、光が見えたから、ボタンを押した、また見えた、押した……というだけなので。でも検査をする側は、ちょっと違っています。

 まず「盲目の海に浮かぶ島」というのは、視能訓練士さんが共通して持っている視野のイメージなんです。何も見えないのが海の部分で、見えているのが島の部分です。GPでは、島の輪郭=視野を計測していく。

 その計測を臨場感あるものとして描くにはどうしたらいいか。飛躍がある比喩のほうがいいと思いました。

 視能訓練士が機器を通して放つ光は、島の上空を飛ぶプロペラ機。患者さんはそのプロペラ機が見えた瞬間、「見えたよ!」とボタンを押す。そんなふうに描写したら印象的になるかなと工夫しました。



 吉田 第2話以降も、ともすれば地味で淡々となりがちな眼科医療の検査を、躍動感のある比喩で表現されていますね。



 砥上 ありがとうございます。眼科医療の世界をどう表現したら伝わるんだろう、身近に感じてもらえるんだろうということは、ずっと考えていました。

 第2話に出てきた、検影器を使って目視で屈折度数の検査をする検影法を書くのは難しかったです。実際に僕もやらせてもらったりして、やっと摑んだのが「瞳の中にある月の満ち欠け」を「天体観測」するという表現でした。それが浮かんだ時は「俺、ちゃんと物書きとしての仕事をしてるな!」と思いました(笑)。

ありふれて聞こえる「悪くなってないですよ」は、

眼科医療に長年携わって初めて出てくる言葉

吉田 第2話は、カラーコンタクトに依存している野宮の同僚の友人女性が、患者として北見眼科医院を訪ねてきます。コンタクトレンズ使用に起因する眼障害の患者数は、10人に1人という高い割合である……という情報には驚かされました。続く第3話では、緑内障を患う患者さんが登場します。緑内障は治らない病気である、という事実から物語が始まりますね。



 砥上 その2話には、お話を伺ったり資料を調べたりするうちに「この事実は伝えたい」と思ったことを盛り込みました

 第1話では問題が解決しましたけれども、第2話のコンタクトレンズの問題は、ほぼ解決しようがないんです。自分を変えるためにカラーコンタクトを着けたい、着けなければ自分じゃないと言う患者さんに対して、医師ができることは限られている。人の行動を制御することはできません。カラーコンタクトをやめないで、まずい状態になる人も実際にいると聞きました。



 吉田 野宮の視点を通して記述される、〈先生は、自分の感情に耐えていた〉という1行には訴えかけてくるものがありました。「見える」という奇跡を自ら放棄しようとしている患者さんに対して、怒りや悔しさを飲み込んでいるんですよね。



 砥上 第3話に出てくる緑内障の患者さんは、決められた時間に目薬を点眼すれば病気の進行は抑えられると言われても、点眼しない。こういう患者さんは、すごく多いらしいんです。医療従事者の方も患者さんに言いたいことはいっぱいあるんですけど、なかなか言えない。それで心を痛めていて。「それでも力を貸したいんだ」という気持ちは、話を伺っていてすごく伝わってきました。



 吉田 「先生の言葉こそが彼が受け取るべき処方箋なのだ」という文もありますが、医療において言葉が癒やす部分ってすごく大きいと思うんです。そうしたリアリティも、取材を通して感じ取っていかれたことだったんじゃないでしょうか。



 砥上 さりげない一言に、グッと来ることが何度もありました。例えば、東先生がおっしゃっていたのは、緑内障の患者さんの定期検診の時、「悪くなってないですよ」っていう言葉が一番ホッとしてくれるんだよ、ということ。「悪くなってないですよ」ってありふれた言葉だけど、眼科医療に長年携わって初めて言える言葉だと知りました。緑内障は治らない病気ですから、「良くなっています」と言うのは、ウソになる。ウソではなく、でも患者さんを温かい気持ちにさせられる言葉が「悪くなってないですよ」なんだなあと。「頑張っていますね」という相手を認める言葉でもあるし、患者さんの気持ちを考えた時に出てくる、素敵な言葉だなと思いました。



 吉田 各話の着想は、例えば第3話であれば、緑内障の患者さん、門村の人物像を固めて、彼に対してどう向き合うかを考えていった形なのでしょうか?



 砥上 第3話はその形でした。門村さんは、目薬を差さなきゃいけないよと何度言われても、やりません。やらない理由というか、そこに自分の体とか心が向いていかない理由が彼にはあるんです。目薬を差さないことを断罪するんじゃなくて、彼の心情に歩み寄りたい、小説ならそれができるかもしれないと思いました。



 吉田 クライマックス直前のシーンが素晴らしいんですよ。「見る」とは全く違う目の動作が、えも言われぬ感動を連れてくる。決して書き過ぎない抑えた筆致が、読み手の感情移入を高めていたと思います。

 続く第4話は、認知症と緑内障を患った高齢の夫と、彼を支える妻の物語です。「8割方真相は分かったけれども、残りの2割が分からない」という、ミステリー的にもっともグッとくるバランスで真相開示の瞬間が訪れます。驚きました。



 砥上 第4話のようなケースは、学会でも取り上げられているんです。こういう例があるけれども、どう解決したらいいんだ、と。もしも自分が同じ状況になったら、どう考えてどう行動したらいいのか。現実にこういうことが起こっているということを伝えることも大事だと思い、挑戦したいなと思いました。



 吉田 最終第5話を読み終えた時に、前作との違いではなく、共鳴を強く感じました。2作はどちらも、今やなかなか見かけなくなった真っ当にして真っ直ぐな、主人公の成長物語なんです。視能訓練士としての野宮の成長のグラデーションが本当に滑らかで、最後に辿り着いた状態に説得力がありました



 砥上 そう言っていただけると、とても嬉しいです。「リアルに成長する」ということはすごく意識していました。実際には、野宮君は1年でめちゃくちゃ成長しているんですけど(笑)。視能訓練士にとって何が難しいのか、何が簡単なのか、どういう時につまずくのか、どういう失敗をしがちなのか……。その辺りは細かくお話を伺って考えを巡らせました。



 吉田 全5話をざっと振り返っていただきました。次回は本作のもう一つのテーマである「働くこと」について、お話を伺っていきたいと思います。

砥上裕將(とがみ・ひろまさ)

1984年生まれ。水墨画家、作家。『線は、僕を描く』で第59回メフィスト賞を受賞しデビュー。同作は、王様のブランチBOOK大賞2019受賞、2020年本屋大賞第3位に選出された。

吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年生まれ。ライター。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説 野性時代」「小説現代」「週刊文春WOMAN」などで書評や作家インタビューを行う。Twitter(@readabookreview)で書評情報を発信中。

人気声優の鳥海浩輔さんによる、『7.5グラムの奇跡』スピンオフ掌編「一秒の景色」(著/砥上裕將)朗読動画はこちら!

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