第1話 海に微睡みて、藍。

文字数 2,938文字

(*小説宝石2020年12月号掲載)

 その日はまるで、昨夜の(ほし)(くず)たちが朝とともに降ってきて、青のキャンバスに弾かれたように海が(きら)めいていた。
 パチパチと乱反射する光を浴びながら腰に手を当て遠くを見つめる彼は、丸めた頭と日焼けした肌が印象的な飼育員だ。あとで、「なぜ海を見つめていたの?」と訊くと、彼は当たり前のように「キラキラしてたから。シャッターを切られているみたいで気持ちよかった」と答えた。



 昭和六年四月一日、桂浜水族館は開館した。
 底引き漁業で財をなしていた初代館長「(なが)(くに) ()(れい)」が、地元の友人に働きかけ、機船底引き網でとれる土佐湾の種々の魚を生かして見せる水族館と釣堀を開設した。三年後に台風で致命的な被害に遭い一時休館するも、昭和十二年には本格的に建造。
 五台山の山中で秘密裏に設備を小作りし、こっそり桂浜に舟で運びあげて一晩で建て上げたらしい。(きよ)()(じよう)構築戦法ともいわれたその手口は、おそらく当時も違法なものだったに違いない。
 桂浜水族館は誕生からすでにアバンギャルドだったのだ。
 しかし、この時はまだ、この水族館がこんなにも数奇な歴史を生きるとは誰も予想しなかっただろう。

 私が生まれる少し前のこと、桂浜水族館で起きた職員一斉退職は、全国ニュースにもなり、高知県民にとってこの小さな浜辺の水族館は、大きな恥となった。
 それまで地元民が抱いていた「古い」「暗い」「臭い」などの負のイメージを(はら)んだ真っ黒い(とばり)は、暴力的な闇となって水族館を覆った。
 誰かが言った。
「このままじゃだめだ」
 そうして、平成二十八年四月十六日に私は生まれた。
 名前は「おとど」というらしい。
 桂浜水族館の公式マスコットキャラクター「おとどちゃん」。
 創業八十五年、「なんか変わるで、桂浜水族館」をモットーに、これまで抱かれてきた負のイメージを(ふつ)(しよく)すべく、桂浜水族館は改革を始めた。その一環として生まれたのがこの私で、私の役割は、ツイッター上での(どう)()()であり悩める芸術家であった。
 私が生まれた平成二十八年の年間来館者数は約七万人で、お世辞にも人気の水族館とは言えなかった。田舎の貧乏水族館には広報にかけるお金はなく、無料のツールを使っていかに巧みに魅力を発信するかは大きな課題のひとつだった。
「おとどちゃん、ツイッターやってよ」
 この日から私は広報に携わることとなる。
 しかし、これがなかなかに難しい。自分には「普通」というものがわからない。自分の中の「普通」は、世間一般の多くの人々にとって、とても異質で奇妙なものらしい。毎日のように「普通じゃない」ことを(とが)められた。時に心ない言葉を浴びせられることもあった。このつぎはぎだらけの貧乏水族館には、ここに来なければ見ることができない珍しい魚がたくさんいるわけでもなく、どんなに時代が新しくなろうとも、昭和時代に取り残されたような風貌で、音と光を駆使した都会の綺麗でおしゃれな施設には到底敵わないのだ。
 さて、どうしたものか。他の施設と同じことをしていても、誰の目にも止まらない。ここにしかないものはなんだろうか。そう考えた時、桂浜水族館はひとつの答えに辿り着いた。
「人」。
 魚や動物にスポットを当てて情報を発信するのが「普通」な水族館の広報では、人の呼吸は聞こえない。どの施設も魚や動物がぽっかりと(うき)(ぼり)になっているばかりで、ともに生きているはずの人間は存在しない。だからこそ、「人」にフォーカスを当てることにした。ここで同じ時間を生きていることを残そう。みんないつかはいなくなる。コンビニにでも行くみたいに(またた)きの間にふわりと消える。私が生まれてからこの四年の間にも、そうしてふわりといなくなった人たちがいる。しっかりと腰に掴まって彼らが()ぐ自転車の荷台に乗っていたはずなのに、彼らの背中越しに駆け抜けた景色の(はざま)に、気が付いたらぽつりとひとり取り残されていた。だから、またいつかそんな日が来ても寂しくないように、大丈夫なように、ちゃんとひとりで生きられるように、彼らと生きたことを残そうと思った。彼らがこの小さな水族館で生きものに注ぐ愛に紛れて、私は彼らにありったけの愛を注ごう。そうしているうちに、いつか自分のことも愛せるようになるかもしれない。
 私は、私自身を上手に愛せないように、自分が生まれ育った高知を愛することができなかった。街の(けん)(そう)も、人々が(かも)し出す独特な匂いも、文化が根付いた極彩色も、すべてが目や耳や鼻を(つんざ)いて脳の中で(せん)(こう)する。
 高知市の中心部にある「(おび)()(まち)」。人々が行き交うアーケード街は、古くからこの地に暮らす人々の生活や文化を支え続けてきた。一時はシャッター街となり、昼間は生命の気配を感じられない町も、夜になるとどこからともなく現れた人々のせいで活気づき、様々なものが営まれてきた。痛いくらいに目に突き刺さるネオンが嫌いだった。大きな声で幸せそうに笑うあの人も、どこにも焦点が合っておらず千鳥足であてもなく彷徨(さまよ)うゾンビみたいなあの人も、美しく着飾った長い(まつ)()(きや)(しや)なあの子も、全部全部嫌いだった。自分はそのどれにもなれなくて、自分の居場所がどこにも見いだせないことが生き苦しくてたまらなかった。
「おとどちゃん、ツイッターやってよ」
 この言葉がなかったら、私は今も自分と高知を愛せずにいたかもしれない。
 平成三十年五月のこと、館長にツイッターを任されてから初めてSNSが評価され、新聞に記事が掲載された。
「桂浜水族館 キモコワPR」「ツイッター人気急上昇」「面白ツイート 話題に」「有名歌手ら十万以上拡散」。
 この日の夕方、バスに揺られながら泣いたことをきっと生涯忘れることはないだろう。喉の奥にひっかかってずっととれなかった(なまり)のような塊が、蝶々結びを(ほど)くようにゆるりと(とろ)けて、(わずら)っていた生き苦しさが少し和らいだ気がした。目を閉じて瞼の裏でチカチカと弾ける淡い光に全神経を集中させ、溢れる涙をとめようとしても、(たが)が外れた涙腺のせいで、ぼろぼろと(こぼ)れる感情を抑えることができなかった。初めて自分の居場所を見いだせた気がした。全身の力が抜けて、しっとりとしびれた脳を置き去りにするように感覚が深い海に沈む。映画のエンドロールみたいに車窓に流れる夕暮れの街が、輪郭を(ぼか)して揺らめいていた。

 いのちは、どこから来てどこへ()くのだろう。

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続きはぜひ「小説宝石」12月号本誌でお楽しみください!

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