牛込御徒町 ~大樹スタンプラリー⁉邪推作家、執念の捜査~

文字数 3,178文字

「都バスで五指に入る好路線!」。残りの四つが気になる人、マニアです。

根来衆と雑賀衆……? 胸にモヤモヤしたものを溜めたまま、来たバスに飛び乗った。


「橋63」系統。JRの新橋駅前と、大久保駅の向こう、小滝橋の車庫前とを結ぶ路線で、私は都バスの中でもベスト5に入るくらいの面白い路線、と思っています。


呑み屋街の新橋から、国会議事堂前へ。国会図書館前を通って自民党本部の前、と日本政治の中心部を走り抜け、紀尾井町から市ヶ谷を通って牛込。国立国際医療研究センターと総務省統計局の間を抜けて雑多な大久保の街へ……と色んな東京の顔を眺めながら走る。これが一本の路線なんて、と思うと楽しくて仕方がない。


……と、さんざん宣伝しましたが今回、乗ったのはたったのバス停2つ分だけ。だって第4と第5の放火現場、こんなに近いんですもの。


まぁ勝手に決めたのは、自分自身なんですけどね。何でここに決めたんだっけ? と記憶ももう曖昧なくらい。

さてさて「牛込柳町駅前」のバス停から乗って、「牛込北町」で降ります。バスはここから「牛込中央通り」へ右折し、JR市ヶ谷駅の方へ向かう。


バス停2つ分くらい歩け、って? いやまぁ、そうなんですけどね。でもこれまでも結構、歩いたんでもう足が疲れてた。この先もどれだけウロつくことになるか、分かりませんしね。

だから移動の間くらい、足を休めたかったんですよ。


いいじゃないですか都バス一日乗車券なんだから。むしろなるべく多く乗った方が、お得なんだから

「御徒町に集合ね!」の罠。
※掲載の地図は国土地理院のものを加工しています。出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)


さて永井荷風はこの辺りについて、こう書いてます。


「牛込御徒町辺を通れば昔は旗本の屋敷らしい邸内の其処此処に銀杏の大樹の立っているのを見る。」


「御徒町」って上野の横なんじゃないの、って? そう、あっちは駅もあるので有名ですね。ただ「御徒町」というのは「徒士(かち)」、つまり乗馬は許されず徒歩で戦う下級武士の住む町だったから、ついた名前なんですよ。江戸にはあちこちにあったんです


他にも似たような由来の町名に、伊賀組百人鉄砲隊が住んでいた、ということでつけられた「百人町」があります。


JR新大久保駅の隣に皆中(かいちゅう)稲荷神社がありますが、鉄砲を扱う部隊だけに「皆、命中しますように」と祈っていたわけですね。


さて「根来橋」の回にも掲げた切絵図を、再掲してみましょう。

国会図書館コレクションの江戸切絵図「市ヶ谷牛込絵図」を一部加工しています。

ね、「御徒組」の表示が並んでるでしょう。下級武士だから屋敷ではなく長屋に住んでた。広い敷地にただ「御徒組」とあるのは、ここに長屋が並んでた、という意味です。


この地割、現在もほとんど変わってません。道も多少、改修されたりはしてますが基本的にはこのままで、平行に真っ直ぐ走ってます。現在の町名ではそのまま北から、新宿区北町、中町、南町に分かれてる。名前、そのまんま過ぎ


「御徒組」の周りには苗字の書かれた敷地や、大名屋敷らしい表示もありますね。この辺は上級から下級まで、色んな階層の武士が住んでた土地だったんでしょう。


そこが明治維新で武士がいなくなり、広い土地が空いた。代わりに金持ちが屋敷を構えたということでしょう。「昔は旗本の屋敷らしい邸内の」と荷風が書いたのはそういうことですね。

とめてくれるな、おっかさん! 荷風の銀杏が呼んでいる。

さて問題は、ここから。荷風はその屋敷のそこここに「銀杏の大樹の立って」いたのが見えた、と書いている。


武家屋敷は当然、もうない。荷風の眺めた頃の家主も入れ替わって、今はいないにしても、大木はまだ残っていてもおかしくはないじゃないですか。さぁ、この文章の面影を探して、銀杏探しに出発!


まずは北町の真ん中を東西に貫く通りへ。入り口の直ぐ左手に「区立愛日(あいじつ)小学校」がありました。学校があるってことはそれだけ、広い敷地がキープできたということ。


先に進むとなるほど、マンションと並んで立派なお屋敷が点在してる。住んでる人は変わっても、この光景は荷風の頃と変わってない(マンションは別ですよ、当然)ということなんでしょう。


ところが、「あっ大木だ!」塀の向こうに聳え立つ木があったので歩み寄って見るが、残念ながら銀杏じゃない。その後も「あっ大木、でも松」「また大木、だけど杉」が続いた。


道を端まで歩いたので一本、南に移って今度は中町の真ん中を貫く道を歩いてみる。歩き始めてすぐ、左手に公園を発見。表示を見ると「中町公園」だ。


公園なら銀杏くらいあるだろう、と期待して入ってみたが、入り口に聳えているのは、榎。公園の中をぐるりと回って見たけど、大木はいっぱいあったが銀杏は一本も立ってはいなかった。


悪い予感がし始めた


このまま一日、歩き回って結局は銀杏だけ見つからない。別にそれで、原稿にならないわけじゃないけど、やっぱり寂しい。


とうとう中町の道も歩き尽くした。悪い予感がいよいよ募る。せっかくバスで癒やした足の、疲れがぶり返すようだ。歩みが、重い


ふと「牛込中央通り」の先を見ると、渡った向こうにも茂みのようなものが。別に昔の御徒町から一歩も外に出てはならない、なんて法はあるまい。通りを渡って茂みのところまで行って見た。そこは、「なんど(納戸)児童遊園」だった。だけどーー


既に読者の皆さんにも予想がついたろうが、ここにも銀杏はなかった

ハズレ樹木のみなさま
学びの庭に、大銀杏。荷風の銀杏(推定)を発見!


いやぁ、もう無理かな。大木をいっぱい見た。これで、満足して帰るしかないか。


ところがふと見ると、道の先にまた木が立っている。おっ、あれは!?


別に植物に詳しいわけではない。でも東京にはいっぱい立ってますからね。しょっちゅう見てますからね。あれは、もしや……


歩み寄って見た。中学校の敷地の角。間違いない。銀杏だった。それもかなりの大木。空に突き刺さるように聳え立っていた。これだったら荷風だって、エッセイの中で取り上げる気になったとしてもおかしくはない。


更に正門の方に行ってみるとこれまた立派な銀杏。更に校庭にも1本、立っているのが見えた。


ふと学校の掲示板を見ると、学校便りが貼り出されてある。タイトルは、「大銀杏」! そりゃこれだけ立派な銀杏に囲まれてりゃ、校内便りのタイトルにもなりますわなぁ。


いやいや何と素晴らしい中学校なのでしょう!? 卒業生の思い出にはきっと、銀杏にまつわるものがいっぱいあるのに違いない。


お陰さまで大満足して、家路に就くことができたのでした。あぁ、見つかってよかった。



次回は深川まで足を延ばします。

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

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