第1話 夕顔 ロジカルシチュエーションサスペンス

文字数 6,185文字

帰ってきたファスト源氏物語!

このコンテンツは、『探偵は御簾の中』の汀こるもの先生の独断と偏見でお送りします。
ちゃんと知りたい人は9月のNHK『100分de名著』のウェイリー版源氏物語とか見てください。


皆さん、TVerで『古畑任三郎』見ましたか?


第四帖『夕顔』あらすじ


 惟光の母である乳母の病気見舞いに来た十七歳の光源氏は、隣家の板垣に咲く可憐な夕顔の花に目を留めた。と、小綺麗な使いの童女が「頼りない花なのでこれをお使いください」と紙扇を差し出す。紙扇には思わせぶりな歌が……

 実は隣家に住んでいたのは頭中将の正妻にいびられて姿を隠していた愛人だった――光源氏一行を頭中将と見間違えて歌を寄越してきたのだった。


 勘違いから始まった恋。二人は互いの素性を詳しく知らないまま逢瀬を重ねていたが、あるとき、光源氏の気紛れで廃屋に行くことに。見慣れない場所で楽しく過ごしていた二人だったが、夜になって夕顔が身罷ってしまう。

 どうすることもできず泣くばかりの光源氏は翌朝、やって来た惟光に夕顔の亡骸を弔ってもらうことにしたが、やはり最後の別れをしたいと鳥辺野の小寺に行く。死んだとは思えない夕顔の美しい姿。光源氏は帰り道、落馬して泣き崩れる。

 その後も光源氏はショックで臥せり、夕顔との恋は苦い青春の痛みに変わってゆく……


 はい。

 この話は恋バナではなく「光源氏の従者・惟光が主人公の倒叙ミステリ」として読むととてもはかどります。

 六条御息所が夕顔を祟り殺した?

 どうでもいいじゃないですか。


 倒叙とは「犯人が主人公で、探偵にしばかれる」のを楽しむ形式のミステリで『警部補・古畑任三郎』『刑事コロンボ』『福家警部補』などが有名です。

 主に犯人がちょっとしたミスをしたのを意地の悪い刑事などがあげつらって血祭りに上げるのを楽しむドSミステリです。

 何で『夕顔』を3rdシーズンまで取っておいたって、これ単品で平安ミステリにしようと思ったのに企画書が通らなかったから……


「光源氏の乳母の子・惟光がいきなり死人が出たと無茶ブリされて必死こいて主人の代わりに死体を捨てに行ったら、アリバイを作っていたはずの当の光源氏が〝最後の別れをしたい〟とワガママを言い始める。仕方なく連れていったら帰り道に落馬。誰に見られているかわからないところで〝もうここで死ぬ〟とかたわごとをほざいて泣きじゃくるのを慰め、二人でヨレヨレで帰る」


 倒叙映えするんだこれが!

 倒叙犯人はバカではダメなのだ。

 倒叙犯人自身は頭がよくて一見うまくやっているのに、顔のいいバカ息子の光源氏が横で足を引っ張ってくるのがすごくいい出汁が出てはかどる!

 この帖の光源氏はひたすら頼りない17歳!


 いつになくきびきび動く惟光は光源氏に絶対の忠誠を誓っている。

 この時代、御家への忠誠心とかはあんまりない。

 道長と実資とどっちも藤原なのに家が違うとか言われてもよくわからんのもあると思う。

 惟光の母は光源氏の乳母で、実母が早くに死んだ光源氏の事実上の育ての母。

「乳母の家族」には養い君への忠義が発生する。


 この帖は光源氏が母を見舞いに来たところから話が始まっているので、惟光は病身の母への恩義のために光源氏を助けなければならないのである。

 キチッとキャラクターの動線ができている紫式部パイセン。

 キャラが動かないとか勝手に動きすぎるとかない。


 で。夕顔と出会ってつき合うには、スマホのないこの時代、従者が手紙を持っていかねばならない。

 夕顔は惟光の実家の隣に住んでるんだから惟光が持っていきますわなあ。

 持っていくついでに、自分でも夕顔の侍女をコマシますわなあ。

 これは「主人が次の連絡がしやすくなるように従者が縁を作っておく」で平安貴族の恋愛に必要な手順です。


 廃屋で主人が恋愛してる間、従者がぼーっと待ってたらいかんのですよ。

 本当は同時進行で従者も主人の恋人の家来と仲よくなって、世間話とか御家の台所事情とか昨今の政治情勢とか聞き出しておくものなんですよ。

 道長が六条のあばら屋でまひろと会っている間、百舌彦は乙丸と二人でぼーっと待っている、これは従者としては〝死んだ時間〟です。


 何の成果も得られない。

 倫子様や明子様なら道長がぼーっとしててもその間、従者は倫子様のカネでご馳走を食べて、明子様の兄・俊賢の従者と交流して政界事情を根掘り葉掘り聞いて、自分も各邸の女房とねんごろになる。

 こうして得た成果を移動時間中・何かの待ち時間中に主従で情報共有する。

 こうして平安政治経済は回る。


 まひろは結婚対象にはならない。

 道長本人が何を思っていようと百舌彦より有能な従者が〝死んだ時間〟を許さない。

 平安ならではのタイパコスパがある。


 ということで主人のために自分も女をコマすのは惟光の〝仕事〟です。

 彼はバリバリのやり手です。

 ちなみに19歳です。


 しかしバリバリのやり手なので、光源氏が夕顔とあばら屋デートしたいとかたわごとをほざいたときに「気を利かして席を外した」らその間に夕顔は頓死していた。


光源氏「(半泣き)一晩中ずっと探してたのに何でいないの!?」

惟光「すいません……」

(※従者も通い婚で複数の愛人がいるので主人と違うところに行ってると、夜、どこにいるかわからない。

 光源氏がお姫様を愛人にした数だけこいつもお姫様の付き人を愛人にしていて、光源氏が不義理していたら代わりにこいつがお歳暮を持っていってフォローするなどしなければならず、出会いが多い代償としてプライベートがない)


 朝になって廃屋に駆けつけ、夕顔の亡骸を確かめるや否や敷物に包んで手際よく牛車に乗せる惟光19歳。

 失態を取り繕うためとはいえテキパキしている。

 千年前のネームドモブのくせに「死体を捨てる百合」の適性がある。

 敷物から夕顔の長い髪がぞろっとはみ出す描写がちょいホラー。


惟光「知り合いの寺でうまくやっておきますから、光源氏様はお邸に戻ってアリバイを作っておいてください!」

光源氏「わ、わかった」


 こうして二条院邸に戻った光源氏はショックで寝込む。

 そこに頭中将が訪ねてくる。

 夕顔は身分のよくわからん女で病死でも殺人死体遺棄でも大した罪にはならんのだが、頭中将の子を産んでいる。

 頭中将に民事で訴えられたらいかに光源氏が傍若無人でもまずい。

 殺人か病死か、ではなく頭中将の心証を損なうのがまずい。

 恋愛してるときは「頭中将の女をNTRってやったぜ!」とテンションの高かった光源氏、ここに来てスリルとサスペンスが高まってくる。

 六条御息所の生き霊が? 今それ何か関係ある?


頭中将「最近無断欠勤してて桐壺帝がご心配なさってるけどどうなん?」

(※頭中将=蔵人頭と中将を兼任、ということで帝が一番近くにいたやつを非公式の使いとして寄越してきた。光源氏は宰相中将で頭中将より微妙に身分は上だが帝と気軽に話せるのは頭中将。光源氏は桐壺帝の実子なのであんまり露骨にヒイキしたらダメだよね、でもあって間に挟まる頭中将)

光源氏「いやあの、乳母の家の下人が死んでうっかり触穢しちゃったから君、座らない方がいいよ。何てことない下人なんだけど死の穢れは穢れだからさあ。しばらく出勤できないからよろしく言っておいて」

(※触穢の家では来客は立ったままで穢れが移らないようにするという平安謎ルール)


 一応、死人が出たということは明言するがそれが誰かは伏せる光源氏。

 何とか頭中将はやり過ごし、これで一か月くらい欠勤できる!

 汗だくになっていると惟光が戻ってくる。


惟光「知り合いの寺にまるっと作り話、嘘八百言って頼んでおきました。明日火葬だそうです。火葬して墓に入れてしまえば死因も身許もわかりません!」

光源氏「……やっぱり最後の別れがしたい。わたしも寺に行っちゃダメ?」

惟光「ええー……」


 そんなん絶対行ったらダメに決まってるが、こういう話でじゃあやめよう、とはならない。

 何せ相手は死んでしまったのだ。人情として。

 コテコテベタベタの動線は千年前から決まっている。

 光源氏と惟光と二人で、鳥辺野の小寺へ。

 現代で言えば清水寺の裏辺り。

 現代でも墓だらけです。

 Googleマップで「大谷本廟」「大谷墓地」を見てください。

 そこ全部、墓です。

 司馬遼太郎の墓もあるらしい。


 いかにも薄暗い中を光源氏は惟光の引く馬に乗って二人きりで進む。

 夜だし遠いし洛外で治安が悪いし普通に怖い上に、目的は死体を見に行くこと。

 スリル&サスペンス。

 平安の夜道、マジで鬼や盗賊に出会いかねないという恐怖の道行きである。

 夢枕陰陽師なら間違いなくこの女たらし二人は、道中で六条御息所の生き霊と夕顔の死霊のダブルパンチに襲われてハラワタをブチ撒けて死ぬ。

 紫式部は夢枕獏ではないのでかろうじて寺にたどり着く二人。

 やっと来れて、まだ綺麗な夕顔の亡骸を見て光源氏はわんわん泣いてそれでいいか知らんが、亡骸に付き添ってきた夕顔の侍女・右近も「わたしも死ぬ」と大騒ぎだし、やってられない惟光。


 そのとどめに、帰り道で落馬する光源氏。

 MP0


光源氏「もう駄目だ、ここで死ぬ」


 光源氏虐待に余念のない紫式部。

 パーフェクトイケメンだからこそ容赦のないダメージを与えてぐったりさせると映える。

 ゴアよりも尊厳陵辱に興奮する紫式部。


 ところで紫式部はヘテロ恋愛の書き手なのにかなりのBLの使い手です。

 古典で『源氏物語』にだけ出てくる表現。


「女にて見奉らまほし」

「女にて見ばや」


 国文学的にはざっくりと「光源氏が女だったらやっちゃうのに」と「自分が女だったら光源氏に抱かれまくりたい」の二つの解釈ができる。

 これは頭中将や兵部卿宮など、光源氏との身分が誤差の男が場にいるときに発生する文章。

 日本の歴史上、基本的に男色は身分の低い方・年下が受で、攻は兄貴分で「弟分や家来を指導してやる」という形を取るので身分が誤差で年上の頭中将や兵部卿宮は頑張ったら光源氏をコマせなくもない。

 年上受なら(当時としては)若干の倒錯が入る。

「女になって光源氏に尽くしまくったら楽しいだろうな」という高度な夢小説とも取れる。

 紫式部本人や読者である彰子サロンの女房は光源氏に仕える身分の女で、彼女らがこれを読むと「わたしたちより身分の高い立派なイケメンも光源氏様に尽くしたいんですって! キャー!」と二重三重の倒錯ファンサービスになる。

「光源氏様が女ならやっちゃうのに! キャー!」も楽しい。

 ヘテロ恋バナとBL趣味の両方に対応している手厚い福祉設計、しかもリバにも配慮。

 女性ファンに千年語り継がれるツボがある。


 しかし惟光は乳母の子で、母の養い君の光源氏との間には越えられない格差がある。

 身分が下の惟光が光源氏にBL感情を抱くことは「無礼」である。

 現代BLで言う「下克上主従カップル」はこっちだが、リアルタイム平安人はそんなにはっちゃけたら主題がぶれる。


 なので、泣いている光源氏をかき抱いて一緒に泣いたりはしない。

「お前そんなん泣いたって仕方ないやろが! おれの気持ちも考えろ!」と叱りつけたりもしない。

 実際の惟光の行動は。


 こんなところに光源氏を連れてくるべきではなかったと反省し、鴨川の水で手を洗い、清水寺の観音様に手を合わせて拝む。


 ストイック。

 これがリアルタイム平安主従萌えの極地だ。


 その後、光源氏は家に帰って今度こそしばらく寝込んでいた。


 問題は惟光。

 彼の実家は夕顔の家の隣。

 残された夕顔の侍女たちは当然、お姫様が変な男と出ていったきり帰ってこないと大騒ぎになっている。

 幸いにして光源氏は夕顔に全く素性を明かしていないので、いきなり夕顔ごと消えても捜しようがない。

 唯一、夕顔に付き添ってあばら屋まで行った右近は二条院で雇用、と言えば人聞きはいいが監禁して口を塞いでいる。

 だが夕顔が死んだからといって、惟光までつき合い始めた女と即切れると怪しまれる。

 惟光が疑われると芋蔓式に母が乳母という線から光源氏まで話が及びかねない。


 なので、惟光は平然と夕顔の侍女とつき合い続けていた。

 二か月くらい。

 侍女たちは惟光を問い詰めたが、あまりにも堂々としているしモブ顔なので、誰も惟光が死体を捨てに行ったとは思わなかった……

 恐らく、

「ええ? お姫様がいなくなった? そりゃ大変だなあ。おれもできることがあったら力になるよ」

 とか言ってた。


 19歳、怖っ!

 デスノートの登場人物か!?


 まんまと惟光を容疑者リストから外した夕顔の侍女たち。

 頭中将の正妻が陰謀をたくらんで夕顔を亡き者にしたのでは、あるいは受領国司の誰かが夕顔に惚れ込んで任地に連れていってしまい、もう京にいないのでは。

 だとしたら捜しようがない。

 勝手に妄想して結論をつけて、各自散会してしまった。

 完全犯罪成立!


 夕顔と光源氏の儚い恋がどうとか、六条御息所の嫉妬がどうとか、光源氏がその後いかにしてトラウマから立ち直ったかの詳細を知りたい方は普通にファストじゃない本をご覧ください!


 この帖の惟光は神算鬼謀で神がかっているが、残念ながらこの帖だけだ。

 他の帖では「従者の中では一番気が利いている」程度で、そのうち娘が生まれると完全にアホなおっさんになってしまうのが非常に惜しい。

 この路線でずっと頭中将と丁々発止してくれればいいのに。

 追い詰められると真価を発揮する昼行灯参謀タイプ。

 この頃の彼が一番輝いていた。

 いや、泣くばっかりの17歳の光源氏の方が人間としては真っ当だが……


 ということで道端で落馬して泣き出す光源氏を通りすがりの今泉くんが目撃して、古畑任三郎が乗り込んできて光源氏と惟光をネチネチ問い詰めるとかなりいい感じの倒叙ミステリになる。

 ほぼそのまんま使える。

 すごいぜ紫式部パイセン。

 自分の邸で寝込んだり夜中に出かけたりまた泣いて臥せったりして挙動不審な光源氏をうっすら疑っている二条院の侍女に、古畑任三郎が聞き込みをかけると致命的なミスが見つかるタイプ。

 二条院には右近もいるし。


 問題は千年前には古畑任三郎がいなくて、これが恋愛大河小説だということである。

 ……何でこの帖だけこんな?

汀こるもの(みぎわ・こるもの)

 1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。

『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」「煮売屋なびきの謎解き仕度」シリーズのほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。

X:@korumono

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妻は隠れた名探偵。
夫にかわって謎解きよ!

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