〈十五少女〉猿飼サキの場合(後篇)/小説:望月拓海
文字数 9,083文字

街と歌、現実と虚構、セカイとあなたーー
15人の仮想少女が【物語る】ジュブナイル。
エイベックス / 講談社 / 大日本印刷による
音楽×仮想世界プロジェクト『十五少女』の開幕前夜。
これは、2人目の少女の物語ーー
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5
空手教室に通ってもうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
はじめはあたしに空手なんて出来るわけがないと思っていたのに、意外にも師範や聖からは「センスがある」と言われていた。
それは自分でも感じていた。技は一回教えてもらえばすぐに覚えられたし、顔や体に防具をつけているとはいえ、組み手相手の突きや蹴りも案外そこまで怖くなかった。もともとバレエをやっていて体が柔らかかったから上段回し蹴りも上手く出せて、何年も通っている同級生の男子に組み手で勝つこともあった。
師範によると、格闘技のセンスは生まれつきによるものが大きいらしい。少しの努力で思った以上に結果がついてくる経験は初めてだった。
予想外なことに、あれから真梨愛には絡まれなかった。聖を恐れてるのかもしれないけど許すつもりはない。聖にも「そろそろだね」と言われ、今度こそ真梨愛に勝てると思っていた。
あたしは自分の弱さを、まだわかってなかったら。
その日、あたしは昼休みに一人で屋上に向かっていた。給食を食べたあと、いつものように聖と屋上で過ごすためだった。
とはいえ、聖は女の子同士でベタベタとする子じゃない。仲のいい女子はあたしくらいだし、「誰かと一緒にトイレに行きたがる子の気持ちがわからない」とよく言ってて、あたしとも一度も一緒にトイレに行かなかった。体育の授業がある日も「着替えるのが面倒」という理由で、あらかじめ制服の下に体操服を着てきて更衣室で誰よりも早く着替えて出て行くようなサバサバした子だった。
その日も給食を食べたあとにあたしがトイレに行くことを告げると、聖は「先に行ってる」と一足先に屋上に向かっていた。
トイレを済ませたあたしが廊下を歩いていると、真梨愛と久住の話している姿が見えた。
瞬間、足が止まる。心臓が暴れ、足がすくんだ。
気づいたら廊下を引き返して別のルートで屋上に向かっていた。
今までだって真梨愛を校内で見かけたことはあったけど、こんなに怖気づくことはなかった。
いつも隣には聖がいたからだ。
聖に守られていたから強気でいられたのだ。あたしは弱いままだった。
一人だと、あの頃のモンちゃんのままなんだ。
6
「なんであたしに優しくしてくれるの?」
屋上に着くなり聖に聞いた。
「どうしたの、急に?」
聖は眉を寄せて少し笑った。
「……あたしには何の魅力もないから」
すっかり自信を失ったあたしは、また聖にすがった。
聖はなぜかあたしを応援してくれてる。
この一ヶ月で、その理由が気まぐれや暇潰しではなく良心によるものだとはわかっていた。聖はいい子だから、シンプルにあたしを可哀想だと思ったのだ。ただ、それだけじゃないと思いたかった。
あたしには自分でも気づいていない魅力があると信じたかった。そんなものがあると思えたら、真梨愛に立ち向かえる気がしたのだ。
「サキには勇気がある」
聖は優しく笑った。説得力がなさすぎて、あたしは少し笑ってしまう。
「ないよ。入学式の日も逃げたじゃん」
「立ち向かえたことが凄いの。今も立ち向かおうとしてる」
「……凄くない」
入学式の日も、さっきも、結局は逃げた。
聖はあたしを買い被ってる。あたしは、こんな自分がいつも恥ずかしくなる。
「サキは私に似てる。きっかけがあれば変われる」
「似てないよ。聖には怖いものなんてないでしょ?」
苛立ちの声を聖に向けた。
あたしと聖では根本的に違う。
どうしたら聖みたいに強くなれるのだろうと何度も考えた。でも結局、それは生まれつきとしか考えられなかった。聖は怖いものがない人間で、あたしは怖いものだらけの人間。あたしは聖が羨ましい。神様はなんであたしにも聖のようなタフなメンタルをくれなかったのだろう。
「私だって怖いよ。だから、理想の自分のフリをしてる。そうすれば、いつかはそんな自分になれるって信じてるだけ」
なぜだか聖は悲しそうな目をした。
今の聖は本当の聖じゃない? 本当は強くないってこと? じゃあ……なんで聖はそんな強いフリをしてるの?
言葉の真意を確かめようとした時、風が吹いてあたしと聖の髪が舞う。
「髪の毛、食べてる」と聖が笑った。
今の風で髪の毛が口に入った。
聖が手を伸ばし、指先であたしの髪の毛を耳にかけた。
色っぽい視線を見て、ついドキッとして目を逸らしてしまう。
あたしは慌ててその感情を否定する。
「……ありがと」
あたしが照れ笑いすると、聖もクスッとした。そして、
「明日、家に来ない?」
はずんだ声を出した。聖の家に誘われたのは初めてだった。
「家に友達を連れてくのは初めてなの。サキは親友だから」
「……行きたい」
聖に「あたしも親友だと思ってる」と伝えられなかった。あたしみたいなのが聖の親友だなんてふさわしくないと思ったからだ。
入学式の日に、聖にスマホを拾われなかったらどうなっていただろう。
今頃あたしは教室の席に一人でぽつんと座っていたと思う。
聖と出会えて、本当によかった。
7
翌朝、教室に入ると、黒板に大きな文字が書かれていた。
『光井聖は男だった!』
デマかと思った。でも、黒板には黒髪をしばった男子の写真が貼られていた。パソコンで文字の書かれた紙も貼られ、聖の過去が書かれていた。
聖は小学校を卒業するタイミングで、当時のクラスメイトや通っていた空手道場の生徒たちに自分の心は女だとカミングアウトしたという。そして中学からは男ではなく女として生きると宣言したそうだ。
写真の男の子はどう見ても小学生の頃の聖だ。それだけに、この情報には信憑性があった。
驚きのあまり声を失っていると、久住と取り巻きの二人が近づいてきた。
「猿飼さん、知ってた?」
久住に訊かれ、あたしは首を振る。
「知らなかった」
「光井さんの心の問題には同情するよ。でも隠してたのは酷くない? 私たち一緒に着替えてたしトイレも同じじゃん。そういうの話し合うべきだったよね」
久住は怒っていた。けれど”同情”という言葉を使うのもデリカシーがないし、聖のことを全く見ていなかったとわかった。
あたしの知る限り、聖は一度も女子トイレに行ってない。学校では一度もトイレに行かなかったか、誰もいない体育館や運動場の女子トイレを使っていたはずだ。もしかしたら、そこでも男子トイレを使っていたかも。
着替えの時も、誰も服を脱がないうちに更衣室から出ていた。聖は女子たちに気を遣っていたんだ。自分も女の子なのに。
「猿飼さんは一番仲が良かったから、もっと許せないよね?」
久住に同意を求められる。
許せない?
聖に感謝はしても、責める気になんて少しもなれない。体が男で心が女という重い事実なんて簡単に話せるわけがない。
屋上で言っていた聖の言葉を思い出した。
『理想の自分のフリをしてる。そうすれば、いつかはそんな自分になれるって信じてるだけ』
聖はずっと苦しんでいたんだ。
自分の体が男であることが嫌だったから、完璧に理想の女を演じていた。少しでもなりたい自分に……女に近づきたかったから。
あたしに真実を言えない罪悪感も抱えていたはずだ。
そんな聖の気持ちを考えると、なんでもっと早く気づいてあげられなかったんだろうと胸が痛くなった。
同時に、聖の秘密をみんなに暴露した犯人への怒りも湧いた。
いったい、誰がこんなことを……?
「もう光井さんと話すのやめなよ。猿飼さんまで嫌われるよ」
久住に煽られた。聖を孤立させようとしてる。
言わないと。あたしはそんなことをしないって。聖は悪くないって。こんなことで軽蔑しているあんたたちがおかしいって。
だけど……今回は入学式の時とは状況が違う。
クラスメイトの大半が聖の苦しみも着替えやトイレの件もちゃんとわかってない。教室の雰囲気からも、聖を悪だと思ってる生徒が多い。
また聖が力で久住に勝てても、聖とあたしは孤立するかもしれない。
久住はまだ真梨愛からあたしがいじめられっ子だった話を聞いてなさそう。聞いていたとしても、たぶん気にしていない。
けど、ここで久住に反発したら、あたしはまたいじめられっ子に戻ってしまうかもしれない。もうあんな地獄のような日々に戻りたくない。
あたしの膝がガクガクと震え始めた時、
「サーキ!」
教室に入ってきた聖に後ろから抱きつかれた。
「今夜さ、うちでご飯食べてきなよ。お母さん張り切っちゃて大変なの」
はしゃいだ声に、あたしは応えられなかった。
久住たちが白い目を聖に向ける。ほかのクラスメイトたちの視線も集まった。得体の知れない生き物を見るようだった。
その不穏な空気を察した聖が黒板の文字に気づいた。
聖は少しのあいだ目を丸くしたけど、すぐに冷静な顔に戻った。いつかはバレることを覚悟していたように見えた。
「これ、本当なの?」久住が尖った声を聖に向けると、
「本当だよ」驚くほど聖はあっさりと認めた。そして頬をゆるませ、
「いつかは言うつもりだった。みんな、ごめん」
クラスのみんなに頭を下げた。
いったい聖がなにについて謝っているのかわからなかった。
自分の体が男だと言わなかったことについて? それとも、自分の体が男だったことについて?
どちらにせよ、聖は悪くない。
けれど、久住と取り巻きたちは怪訝な顔で聖を横切り教室を出ようとする。そして久住が扉の前で振り返った。
「猿飼さん、行きましょ」
その一言でわかった。あたしを自分たちのグループに入れて聖を孤立させるつもりだと。
彼女たちのグループになんて入りたいわけがない。
なにより、あたしは聖に救われた。聖のおかげで真っ暗な人生に光がさした。聖は命の恩人だ。そんな聖を助けたいとも思う。
それでもーー
「ごめん」
あたしはそう言って聖を横切り、久住たちに着いて行った。
あたしはクズだ。
だけど、しょうがないじゃない? あたしは聖みたいに強くはないんだから。聖だってあたしみたいな怖がりになればわかる。
あたしは久住も真梨愛も怖い。みんなに嫌われることも、怖くて怖くてたまらない。
弱者は上手く立ち回るしかない。強者にくっついて生きるしかないのだ。このまま怖い思いをするくらいなら、クズなままでいい。自分に嘘をついたままでいい。
人は、変われないんだ。
8
あたしは久住たちと過ごすようになり、聖は完全に孤立した。
でも少し不思議だった。
久住たちは大きな声でわざと聖に聞こえるように悪口を言ったり、聖の頭にティッシュを投げて笑うこともあった。だけど聖は無視していた。
一時的になら暴力でねじ伏せられるのに、そんな素振りを見せない。みんなに隠し事をしていた罪悪感もあるだろうけど、今までの好戦的な聖を振り返ると、ここまで無抵抗なのは違和感があった。
そんな聖を見て罪悪感を抱えながらも、あたしはどこかほっとしていた。このままやり過ごせば誰にもいじめられないからだ。あたしはどこまでもクズだ。
そうして一週間が経った頃だった。
休み時間に久住たちと一緒にトイレに入ると、洗面台の前で手を洗っていた真梨愛と出くわした。
いつかはこんな時が来るとは思っていた。でも、どこかで久住にも真梨愛にも期待していたのだ。真梨愛は大人になったかもと。真梨愛に絡まれても久住が守ってくれるかもと。
あたしはバカだった。
真梨愛は鏡越しにあたしを見つめ、冷たく笑った。
「光井聖の秘密、私が書いたの」
額から汗が出てきた。胸が苦しくなって眩暈がする。
「なんで……?」
あたしは答えが半分わかっているのに確認した。真梨愛はもうあたしのことなど、どうでもいいと思っていると信じたかった。
「久住からあんたの話は聞いてたのよ。光井聖はどうでもよかったけど、あんたがイキってんのはイラついた」
ぜんぶ真梨愛の仕業だったんだ。
「光井聖と同じ地元の子がバレエ教室にいたからいろいろと聞いたの」
あたしを一人にしたかったんだ。だから聖を孤立させ、あたしと仲違いさせた。あたしのせいで、何の罪もない聖まで犠牲になったんだ。
一人になったあたしを助ける人はもういない。ここからは、真梨愛はあたしを思う存分いじめられる。
振り返った真梨愛は、あたしの右手を掴んだ。恐怖のせいで真梨愛から目をそらせない。
真梨愛はあたしの右手に何かを握らせた。フワフワして柔らかい感触。
「これからもよろしくね。モンちゃん」
綺麗な顔をあたしの耳元に近づけてささやいた。
あたしは下を向き、掌をゆっくりと開いた。
蛾の死骸だった。
喉元から酸っぱいものが込み上げてきて洗面所に吐いた。
高笑いする真梨愛の声が聞こえる。
また地獄が始まった。あがきまくったのに、結局はすべて無駄だった。あたしはなにをどうしても普通の女の子にはなれないのだ。
顔を上げて鏡を見ると、「きったな」と久住が眉間にシワを寄せていた。取り巻きたちも軽蔑の目をあたしに向けている。
真梨愛はまだ声をあげて笑っていた。
この悪魔はあたしを逃さない。あたしは一生こいつに支配されるーー。
「次は聖やっちゃおっか」
と、笑い終わった真梨愛が目尻の涙をぬぐった。
「あいつまだ偉そうなんだよね」
と久住が顔をしかめる。
「モンちゃんに殴らせようよ。あいつ男なんでしょ。キモいんだよね、ああいうやつ」
真梨愛はそう言って鼻で笑った。
だけど次の瞬間、「なに?」と眉を寄せて鏡を見つめる。
「もしかして、にらんでんの?」
真梨愛があたしに言った。
あたしは洗面台の前で鏡ごしに真梨愛をにらんでいた。
自分でも驚いた。真梨愛に逆らう気なんてなかった。今までも一度も逆らったことはない。
でも、聖の抱えている切実なものをバカにされたのは許せなかった。
真梨愛があたしの背後に立って鏡越しににらみ返す。
「あたしに喧嘩売ってるんだ?」
足がすくむ。
整形してマシな顔になった。空手も習った。あんなに強い聖から勇気があるとも言われた。でも、どうしても怖くて動けない。
あたしはやっぱり変われないんだーー。
そう絶望しかけた時、誰かが真梨愛の脇腹に飛び蹴りを食らわせた。
真梨愛が体勢を崩し、隣の洗面台の鏡に顔をぶつける。
綺麗な顔から鼻血がツーッと流れた。
「その顔!」
と、真梨愛を指差して大笑いする子がいた。
飛び蹴りをしたのは聖だった。
真梨愛も久住も取り巻きたちも唖然としている。
あたしを助けた? 聖を裏切ったのに? それとも真梨愛や久住が気に入らなかっただけ? でも、なんで今まで大人しくしてたの?
いろんな感情が渦巻いたけど、一番強く思ったのは「やっぱり聖は強かった」ということだ。あたしが怖がっていた連中を、一瞬で飲み込んでしまった。
笑いを止めた聖があたしを見つめる。
その瞬間、罪悪感が込み上げた。
あたしは聖を裏切った。なのに、聖はあたしを助けようとしてる。もう聖と友達に戻る資格なんてない。でも、せめて謝らないと。
なんとか声を出した。
「聖、あたしーー」
「サキ、今しかないよ」
その一言でわかった。聖はずっと変わらずに、あたしを親友だと思っていたと。そして聖は親友として「今しかない」と言ってる。
空手も習った。目の前に宿敵がいる。やらないとやられることが改めてわかった。もう戦うしかないタイミングが来たんだ。聖の期待にも応えたい。
でも、あたしはーー。
「あたしは聖みたいに強くない」
どうしても怖い。真梨愛も久住も取り巻きも、自分が負けることも怖い。
臆病者と言われるだろうけど、どうしても怖くて真梨愛を殴れないのだ。
うつむいていると、聖の指先が視界に入った。
聖は自分の足を指差していた。
その足は震えていた。よく見ると指先も震えている。笑顔もこわばっていた。
「あたしも怖いよ。でも、今しかないと思った」
その瞬間、あたしの中の光井聖の幻想が崩れた。
クラスのみんなは聖を見てなかったけど、あたしも同じだったんだ。
聖は女の子だ。背も高くて空手も強いけど普通の女の子で、あたしと同じように喧嘩が怖いんだ。
入学式の時も、あたしを守るために立ち向かったんだ。今もあたしのために理想の自分のふりをしている。今しかないと思ったから無理をしてる。
怖いのはみんな同じなんだ。
あたしは拳を握り、自分の顔を思い切り殴った。
ゴッという大きな音が鳴り、鼻から血が流れる。
覚悟が決まった。
絶対に負けないという覚悟だ。たとえ今回負けたとしても、地獄の果てまで真梨愛を追いつめると決めた。
あたしは高笑いした。初めて出会った時の聖のように。
「あんた……おかしくなったの?」
真梨愛が戸惑いの顔をする。
あたしは大きな声を出した。
「うるせえよ、ブス」
そこからは呆気なかった。
逆上して掴みかかってきた真梨愛に上段回し蹴りを喰らわせた。
膝をついた真梨愛の鼻からさらに鼻血が出て、もう立ち上がらなかった。
拍子抜けしすぎて、あたしは呆然とした。
真梨愛もただのひ弱な女子だったんだ。
「サキの勝ちだね」
聖にそう言われた瞬間、これまでの人生で最も胸が高鳴った。
嫌なドキドキは数え切れないほど感じてきたけど、こんな高鳴りは初めてだった。眠っていた本当の自分が目覚めた気がした。
その時だった。
「どきなさい」という声が入り口から聞こえる。
女子トイレの入り口には、いつの間にか人だかりができていた。彼女たちが左右に分かれてどいた。
その隙間から生徒会のメンバーが現れた。
「この不知火女子で殴り合いなんて……恥ずかしい」
生徒会長は毅然とした態度で言った。
あたしは目を丸くする。
会長の隣に、あたしの幼馴染、巳叉メメが立っていたのだ。
なんでメメが会長と……?
「会長、一年の問題は私に任せてもらえませんか?」
「……いいでしょう。風紀委員長の巳叉さんに任せます」
メメはこの一ヶ月で生徒会に認められてメンバーになっていたんだ……しかも、まだ一年なのに風紀委員長に。
会長と生徒会のメンバーは去り、メメだけが残った。
メメはゆっくりと歩み寄り、床に倒れたマリアを見下ろす。
「あなた……どこかで会った?」
「高橋です。巳叉さんとは小学生の頃に一度お話を……」
真梨愛が鼻を抑えながらも媚びた笑顔を見せる。
しかしメメは無表情のままだった。
「あの、私はこいつらに……」
「高橋さんは聞いたことだけ答えて。あなたーーなんで一人で倒れてるの?」
「……はい? こいつらにやられたんです」
真梨愛があたしを指さす。
けれどメメはあたしを見ず、真梨愛に顔を寄せた。
「私がそういえばそうなの。私の学園で、はしゃぎすぎないで」
マリアは見たこともない情けない顔になった。
聖が私の手を引いて、トイレから出ようとする。
あたしが横切った時、メメは小さな声で呟いた。
「今回だけだから」
あたしは立ち止まり、メメを見つめた。
「余計なことすんなよ」
あたしの言葉を聞いたメメは目をまん丸くさせる。そして小さく笑った。
それを見たあたしも軽く笑った。
聖と出口に向かうと、みんなが道を開けた。
怖がられるのは初めてだったけど、意外にもすごく気持ちが良かった。
人に怖がられる猿飼サキ。そんな自分になるのもいいかもしれない。
そう……あたしは変われるんだ。
あたしは入学式の朝に撮ったもう一つの映像を思い出した。

9
「四月七日、午前七時十五分。ここはあたしの部屋。
あたしは猿飼サキ。
やっぱり、あたしがいじめられたきっかけについても話しておく。
もう、自分に嘘をつきたくないから。
五年生の時、真梨愛たちと好きな子の名前を言い合った。
みんなが男子の名前を言う中、あたしは女の子の名前を言った。
あたしは小さい頃から男子にも女子にも恋愛感情を抱いてきた。その頃のあたしは、それが悪いことだとは思わなかった。
真梨愛はそんなあたしを気持ち悪がった。
そこからいじめが始まった。
真梨愛はそのきっかけをもう覚えてないかもしれないけど、あたしはそれから他人の目を気にした。本当の自分をずっと押し殺しながら生きてきた。
女の子に恋心を抱きそうになったときは、その素直な気持ちを必死にかき消してきた。
……だけど。
真梨愛に勝ったら、もう自分に嘘をつかない。
これからは誰かを好きになったら、自分の気持ちを正直に相手に伝える。
その相手が、男でも女でも。
大丈夫。あたしは変われる」
10
真梨愛への復讐が成功した日の夜、聖の家で夕食をご馳走になった。
聖のお母さんは喜んでいた。聖は本当に一度も友達を家に連れてきたことがなかったそうだ。
聖は小さい頃から自分が周りと違うと自覚して孤独だったのかもしれない。聖が女の子として生きることで、お母さんと何度も話してきたのかもしれない。
いろんなことがよぎったけど、二人の笑顔を見ていたら嬉しくなった。
その食事の最中に、聖から来月に転校することを伝えられた。お父さんの転勤が急に決まったらしい。
聖に「あたしは大丈夫」と言った。そして、「離れても親友のままだから」と伝えた。
「嬉しい」と笑った聖を見てくすぐったい感情が芽生えた。今までと違ってあたしはその感情を否定しなかった。これがあたしだ。
かと言って、すぐに聖に告白しようなんて思わない。この気持ちが恋心と確信できてはいないからだ。聖との友情も大切だ。少なくとも今は、自分の気持ちも聖の気持ちも大切にしながら、聖と親友を続けていきたい。
聖があたしを助けてくれたのは、男にも女にも恋愛感情を抱くあたしに共感できるところがあったからかもしれない。
あたしたちは少数派だ。人は自分と違う存在を除け者にしようとする。でも、時にはこうやって理解してくれる人もたまにはいる。そういう人を大切にしていきたい。
あたしはきっと、もう他人の目を気にすることはないと思う。
あたしは猿飼サキ。
もう二度と、自分に嘘をつかない。
【猿飼サキの場合】了