〈十五少女〉秋子エミと秋子ナミの場合(前篇)/小説:望月拓海
文字数 8,909文字

街と歌、現実と虚構、セカイとあなたーー
15人の仮想少女が【物語る】ジュブナイル。
エイベックス / 講談社 / 大日本印刷による
音楽×仮想世界プロジェクト『十五少女』の開幕前夜。
これは、3人目と4人目の少女の物語ーー
1
ナミちゃんがついに刺そうとした。
下校時刻の廊下。目の前では、腰を抜かした灰原くんが尻餅をついている。
わたしはナミちゃんの体を抱えて動かないように押さえていた。
カッターナイフを握ったナミちゃんの興奮した息遣いが聞こえる。
たった今、ナミちゃんはたしかに灰原くんに斬りかかろうとしていた。わたしが止めなかったら……。
「灰原くん、どうかしたの?」
教室から出てきた三人の女子たちが、灰原くんの異変に気づいて近づいた。
写真部の灰原蓮(はいばられん)くんは普段からこの中学の女子たちを撮影し、その写真を本人たちに無料であげている。容姿も良く話もおもしろいから、わたしのクラスの女子たちからも人気がある。
幸いにもさっきの傷害未遂の現場はナミちゃんと灰原くんとわたししか見ていなかったようだ。
わたしはとっさにナミちゃんの手からカッターナイフを掴み取ってポケットに隠した。
「灰原くんが……めまいで倒れたみたいで」
女子たちにそう言って、目で灰原くんに合図を送る。
お願い。話を合わせて。じゃなきゃ大事になるーー。
「あ……う、うん。めまいがしたんだ」
戸惑いながらも、灰原くんはそう言ってくれた。そして女子たちに連れられ、保健室に行った。
わたしは肩をなで下ろし、ナミちゃんを連れて下駄箱に向かった。
2
「なんであんなことしたの?」
学校前のバス停でバスを待つあいだ、ナミちゃんに聞いた。
「あのオセロ野郎、わたしをエミだと思って告白してきた」
そう言って怒りの表情を浮かべる。
ナミちゃんは以前から灰原くんのことを「表では女子に優しいけど裏では何股もしているオセロ野郎」と言って嫌っていた。
わたしと灰原くんが仲良くすることも良く思ってなかったから、動機はだいたい予想通りだった。
わたしたち双子は見た目が似ている。髪型も制服も同じだから、同級生たちからよく間違えられる。
わたしの左目の下にホクロ、ナミちゃんの右目の下にはアザがある。一緒に暮らしている祖母はこの部分でわたしたちを見分けているらしい。ただ、このホクロもアザもよく見ないとわからないほど小さい。
灰原くんとナミちゃんとわたしは全員クラスが違う。下校時にわたしと帰ろうとして教室の前で待っていたナミちゃんを、灰原くんはわたしだと勘違いして告白したのだろう。
「カッターナイフを持っていたのは、前から灰原くんを傷つけようとしてたから?」
「……違う」
「じゃあ、なんで持ってたの?」
ナミちゃんは口を閉ざした。
沈黙のあいだにバスがやってきたために二人で乗り込む。
わたしたちが一番後ろの席に腰を下ろすと、幼馴染の牛林ウタちゃんもバスに乗り込んできた。
ウタちゃんはわたしたちに気づいて、
「あら、エミちゃんとナミちゃん。今日も可愛いね」
と微笑み、隣の席に座った。
「ありがと。ウタちゃんも可愛いよ」
わたしも微笑むと、ウタちゃんは「やった」と喜んだ。
バスが発車する。
わたしたちは中高一貫の公立学校に通っている。
わたしとナミちゃんは中三でウタちゃんは高二だけど、同じ敷地内に中学と高校があるために、こうしてたまに同じバスに乗ることがある。
「ウタちゃん、昨日は相談に乗ってくれてありがと」
わたしはウタちゃんにお礼を言った。
「ううん、お安い御用よ」
ウタちゃんと微笑み合っていると、ナミちゃんが顔を曇らせた。
「何の話?」
わたしについて知らないことがあると、いつもこうして不安そうにする。
「生徒会のことで相談したの」
わたしはナミちゃんに言った。
「生徒会?」
ナミちゃんが聞くと、ウタちゃんが説明してくれた。
「エミちゃんね、クラスの子たちから生徒会長に推薦されてるの。わたしも高校で生徒会やってるじゃない? だから相談に乗ったの」
ナミちゃんは少し驚いた顔をしたあと、わたしに言った。
「どうするの?」
「立候補してみる。ウタちゃんに聞いたら学べることも多そうだったからーー」
「私も入る」
ナミちゃんの言葉を聞いたわたしは戸惑いの笑みを浮かべ、
「生徒会に興味あるの?」
答えはわかっていながらも一応確認する。
「ない。でもエミが入るなら入る」
そう言ったナミちゃんを見て、ウタちゃんが軽く笑った。
「二人とも、相変わらず仲がいいね」
わたしはウタちゃんに合わせるように微笑した。
でも、このナミちゃんの言動には、わたしは素直に喜べなかった。
わたしたち姉妹の関係は、「仲がいい」とはちょっと違う。
わたしたちの愛は、歪んでいる。
3
わたしとナミちゃんは親の愛を知らない。
物心付いた頃には父親は蒸発していて、母親もほとんど家にはいなかった。
朝起きると、いつも台所のテーブルには千円札が一枚置かれていた。わたしたちの母の味はコンビニ弁当だった。
そんな母親もやがて姿を消した。それからは一度も母親とは会っていない。
わたしたちを引き取ってくれた祖母も、いつも仕事で忙しかったから、それからも食事はコンビニ弁当ばかりだった。
いつだったか、ナミちゃんと一緒にウタちゃんの家で夕食をご馳走になった。家族全員が食卓を囲み、手作りのハンバーグやポテトサラダを食べる。こんなドラマのような幸せな家族が本当に実在するのだと驚いた。
その夜、家に帰ったわたしたちは二人で泣いた。
幸せな家庭に生まれなかったことが悔しかった。
「誰もわたしたちのことなんて好きじゃない」
そう言って泣き止まないわたしを、ナミちゃんはずっと抱きしめてくれた。
「わたしたち、太陽と月みたいに支え合おう」
わたしはナミちゃんにそう言った。
両親はわたしたちに愛を与えなかった。そのことでわたしたちの心には傷が残った。
わたしは他人に愛想を振りまいた。
少しでも優しくしてくれた人には、すぐに心を許したふりをした。とにかくみんなに受け入れてもらいたかった。
一方、ナミちゃんはわたしに依存した。
わたしのことを「八方美人」や「惚れっぽい」と怒り、わたしと仲良くする人につらく当たった。その攻撃性は日に日にエスカレートした。
見かねたわたしは少し前に、「また誰かを傷つけたら口を聞かない」とナミちゃんに釘を刺した。だからここ最近は大人しかったけど、むしろ逆効果だった。
ナミちゃんの怒りは蓄積されていたのだ。
結果的に溜まっていた怒りが一気に噴火し、灰原くんを刺そうとした。
4
家の近くのバス停で降り、ウタちゃんと別れた。
ナミちゃんと住宅街を歩いて自宅に向かっていると、バイクが近づいてきて目の前で止まった。
小太りの運転手はヘルメットをかぶっていない。金髪の坊主頭と両耳のピアスが目立っている。
クラスメイトの岩国龍司(いわくにりゅうじ)くんだ。
エンジンを切った岩国くんは、わたしより前にいたナミちゃんに、
「おうーー」と話しかけたあと、すぐに間違えたとわかって舌打ちする。そして、
「おうエミ。学校帰りか?」
わたしに微笑みかけた。
眉毛のない強面だけどわたしには優しい。
「うん。またズル休み?」
「ああ。先輩と遊んでた」
岩国くんは有名な不良でほとんど学校に来ていない。中学生で免許はないのに、こうしてバイクを乗り回している。
「エミ、土曜に映画観に行かね?」
岩国くんが少し恥ずかしそうに誘ってきた。
どうしよう。土曜日は図書館で勉強する予定だったけど……
「いいよ」
わたしは岩国くんに笑みを向けた。
その時、ハッとする。またナミちゃんが嫉妬したらーー。
けれどナミちゃんの顔を見ると、以外にも無表情で怒っていない。
岩国くんは嬉しそうに、「また連絡するわ」と言ったあと、ナミちゃんに顔を向けた。
「おいナミ。まだエミと同じ髪型にしてるのかよ。紛らわしいんだよ」
ナミちゃんはわたしの髪型も服装も真似する。だからこうして間違われることも多いのだ。
ナミちゃんは岩国くんを無視して、スタスタと先を歩いていった。
わたしは「岩国くん、また」と微笑み、ナミちゃんを追う。
岩国くんも「おう」と笑顔を返し、バイクのエンジンをかけた。
すぐにナミちゃんに追いついたわたしは歩きながら言った。
「ナミちゃん、よく我慢したね」
わたしと岩国くんが映画に行くことになっても怒らなかった。
すると、ナミちゃんが冷たく笑った。
「あいつ、どうせ事故るから」
「えっ?」
背後から「ドンッ!」という衝撃音が聞こえた。
振り返ると、道の先の十字路で車が停車し、その前で岩国くんのバイクが転倒していた。
岩国くんが道路に横たわり、左腕を押さえて悶絶している。
「ざまあ」
ナミちゃんは楽しげに笑った。
わたしは急いで岩国くんのもとに向かう。けどすぐに、
「行かないで」
後ろからナミちゃんに言われ、足が止まった。
「わたしとあいつ、どっちが大事なの?」
振り返ると、ナミちゃんは怯えた顔をしていた。
同じ言葉をどれくらい言われてきただろう。何百回……いや、もしかしたら何千回かもしれない。そのたびにわたしは罪悪感を抱えてきた。
「君、大丈夫か⁉︎」
十字路を見ると、車から降りてきた運転手が岩国くんに話しかけていた。
運転手がスマホで電話をかける。救急車を呼んだようだ。
岩国くんは運転手の問いかけに答え、頭を怪我している様子もない。
命に別状はなさそうなので、わたしはナミちゃんのもとにゆっくりと戻った。
「行こ」と、わたしが笑顔を作ると、
「うん」ナミちゃんは満足げに頬をゆるめた。
ナミちゃんには予知能力がある。
わたしたちを引き取ってくれた祖母は占い師だ。祖母の才能を引き継いだナミちゃんは幼い頃から他人の不幸を予知できた。
クラスで飼っていたウサギが死んだり、クラスメイトが交通事故に遭ったり、先生が病気で入院することなどを予知した。
ナミちゃんは良かれと思ってその未来を本人や周囲の人に伝えたけど、感謝されるどころか不気味がられ、ついにはその悪い出来事を起こしている犯人だと疑われた。
そのうちナミちゃんは、わたし以外の他人と距離を取るようになった。
ただ、ナミちゃんが人嫌いになった理由はそれだけじゃない。
わたしのせいでもあるのだ。
「ナミちゃん、灰原くんに謝ろ?」
歩きながらナミちゃんに言った。
「……嫌だ」不機嫌に答える。
「どうして?」
「わたしを怖がれば、もうエミに近づかない」
「近づけたくないのは、わたしを独り占めしたいから?」
「それだけじゃない。灰原が女遊びの激しいクズだからだ。岩国も同じだ」
「女の子なら仲良くしていいいの?」
「ダメだ」
ナミちゃんは足を止め、わたしを見つめる。
「エミに近づくのは女もクズばかりだ。みんな私をエミだと勘違いしては、がっかりした顔をする。私の気持ちを全く考えない。そんなクズどもとは付き合わないほうがいい」
誰にでもいい顔をしてしまうわたしは、思いやりのない人とも仲良くしてしまう。わたしのせいでそんな人もたくさん見てきたこともあり、ナミちゃんは人間不信になってしまったのかもしれないのだ。
「でも、またあんなことをしたら警察に捕まる。わたしと暮らせなくなるよ」
ナミちゃんは口を閉ざした。
脅迫みたいなことはしたくないけど、これは事実だ。
「それは……嫌だ」
「じゃあ、今から灰原くんに電話するから謝って」
「……わかった」
ナミちゃんは拗ねたようにうなずいた。
良かった。これでわたしからも灰原くんに頼めば、さっきのことはきっと黙っててくれる。
でも……このままじゃいけない。
今日はたまたま止められたけど、また似たようなことがあったら今度こそ取り返しのつかないことになる。
そんな未来はあまりにも悔しい。
”あの人たち”に負けたことになる。
「ナミちゃん、わたしが八方美人なのも、ナミちゃんがわたしを気になるのも、”あの人たち”のせいなの」
わたしとナミちゃんは両親のことを”あの人たち”と呼んでいる。
「あの人たちのせいで、わたしたちはこんな性格になった。もう一緒にいないのに、まだ縛られてるなんて悔しいよね?」
ナミちゃんは眉間を寄せた。
「……悔しい」
「わたしたち、変わろう。わたしも八方美人をやめるし、ナミちゃんも怒るのをやめる。わたしたちは、もっと幸せにならないといけない。それがあの人たちへの復讐にもなるの」
ナミちゃんは変わる必要がある。
そのためには、わたしも変わらないといけない。わたしが八方美人を止めればナミちゃんも怒りを溜めなくなるからだ。
変わりたい。
自分たちの未来のために。そしてなにより、もうあの人たちに操られないために。
「わかった。わたしもエミも幸せになる」
「うん」
わたしはスマホで灰原くんに電話した。
ナミちゃんは灰原くんに謝ってくれた。
普通の人より苦しんできたわたしたちは、普通の人よりも幸せにならなければいけない。
幸せな家庭で育った人が幸せになり、不幸な家庭で育ったわたしたちが不幸せになるなんて納得いかない。
自分の未来は自分で変えられる。
わたしたちは、自分の力で幸せになるのだ。

5
翌日、変わろうとするわたしたちに早速試練がやってきた。
ナミちゃんと登校して校内の廊下を歩いていると、学級委員の青木くんに声をかけられた。
「秋子、放課後みんなとカラオケに行かないか?」
青木颯真(あおきそうま)くんは成績優秀で運動神経もいいクラスの人気者だ。
仲のいい男子二人女子二人とカラオケに行くらしく、わたしも誘ってくれた。さらに青木くんは、
「よかったらナミさんもどう?」
とナミちゃんも誘った。
ナミちゃんは断ると思ったのだけど、
「……行く」
無愛想ながらも誘いを受けた。
「やった。じゃあ、放課後」
青木くんは屈託のない笑顔を見せて教室に向かった。
「わたしと青木くんの仲が気になる?」
ナミちゃんに確認する。
人見知りのナミちゃんが誘いに乗ったのは、それしか考えられなかったけど、
「違う」とナミちゃんは答えた。
「エミが男と話してる状況に慣れたい。私はもう怒らない」
その健気な姿を見て泣きそうになった。
ナミちゃんが頑張ろうとしているんだから、わたしも八方美人にならないように頑張ろう。
あの人たちに縛られずに生きるんだ。
わたしたちは生まれ変わる。
今日が新しいわたしたちの第一歩だ。
6
放課後、七人でカラオケを楽しんだ。
ただでさえ人見知りなのに、一人だけクラスの違うナミちゃんが浮いてしまわないか心配だったけど、青木くんのおかげでそうはならなかった。
青木くんはナミちゃんに「どんな曲を聴くの?」とか「カラオケは行ったことある?」とか何気ない会話を振ってくれて、ナミちゃんも辿々しくも答えていたために、それなりに溶け込んでいた。
ただ、一回だけ困った時があった。青木くんの男友達がナミちゃんに歌うことを薦めてきたのだ。
ナミちゃんはカラオケにも初めて来たし、ほぼ初対面の人たちの前で歌えるわけがない。
ナミちゃんが断ってるのに彼がしつこく薦めていると、青木くんが「無理強いするなよ」と止めてくれた。すぐにナミちゃんに「ごめんね」と謝ると、ナミちゃんは戸惑いながらもうなずいた。
ナミちゃんは青木くんと同じクラスになったことはないし、こんなに性格の良さそうな男子とはあまり絡んだこともない。
今日をきっかけに人嫌いも治っていくかもしれない。ちょっと不安だったけど二人で来て良かった。
しばらくして一人でトイレに行った。
そしてトイレから出ると、青木くんが通路で待っていた。
「話があるんだ」
緊張した面持ちを向けられる。
「おれと付き合ってくれないか?」
驚きで声を失った。
「ずっと秋子のことが好きだったんだ。今日もみんなと一緒なら遊んでくれると思って、ほかのやつらも誘ったんだ」
顔が真っ赤だった。本気で告白してるんだ。
でも……わたしは青木くんに特別な感情を持っていない。
そして何より、今誰かと付き合ったら、ナミちゃんが不安定になる。
断りたいけど……なんて言っていいかわからない。
一旦家に帰ってどう断るかを考えてからスマホでメッセージを送ろう。
とにかく今は部屋に戻らないと。戻るのが遅いとナミちゃんが怪しむ。
「返事は……帰ってからするね。部屋に戻ろ」
足を踏み出すと、後ろから手首を掴まれ止められた。
「あっ、ごめん」
と青木くんはすぐに手を放す。
「ほんとは……秋子もおれを好きかもって、ちょっとだけ期待してたんだ。ほんとごめん。手も握っちゃって……嫌だったよな。うわ、おれ最悪だ」
恥ずかしそうに額に手を当てている。
勇気を振り絞って告白したのだろう。何回もシミュレーションしたのかもしれない。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
これもわたしの八方美人が招いた罪だ。これからはほかの男子にも勘違いさせないようにしないと。
早く部屋に戻ろう。
「嫌じゃないよ」
わたしは青木くんの手を握り、笑顔を浮かべた。
「っていうか、嬉しかった」
わたしは……何を言ってるの?
戸惑いながらも、また口から言葉が出てくる。
「ほんとは、わたしも青木くんのこと気になってた。でも青木くんはモテるから、ほかの女子に嫉妬されるのが怖いの。もうすぐ受験で大事な時期だし、付き合う話は高校に入ってからにしない?」
青木くんが口を開けてわたしを見つめている。
……違う。わたしが誰とも付き合わない理由は、ほかの男子に冷たくされるのが怖いからだ。
わたしは誰にも嫌われたくない。だから全員にいい顔をしようとしている。
みんなに愛されたいのだ。
「だから、お互いを好きなことは二人だけの秘密にしよ?」
「……わかった」
赤面した青木くんが嬉しそうにうなずいた。
自分では制御できない。初めて真正面から対峙して、それがわかった。
笑顔のまま絶望にも落胆にも似た感情に包まれていると、青木くんの視線がわたしの後ろに向いた。
振り返ると、ナミちゃんが通路に立っていた。
手を繋いでいるわたしたちを見て唖然としていたナミちゃんは、すぐに走って逃げてしまった。
一瞬、迷った。
青木くんを置いて行ったら嫌われるかもしれない。
こんな時まで青木くんの顔色を気にしてる。自分に嫌気がさした。
今はナミちゃんを助けるほうが先だ。行かないと。
「ごめん」
青木くんに言ってナミちゃんを探しに行った。
無人のカラオケルームに入っているかもと思い、一つずつ電気のついていない暗い部屋の中を確認しながら歩く。
しばらく探していると、ナミちゃんらしき人影が見える部屋に着いた。
その部屋のドアを開ける。
ナミちゃんの腕からポタポタと何かが滴り落ちていた。
電気をつけて、それが血だとわかる。
ナミちゃんは服の袖をまくって左腕を出していた。右手にはカッターナイフを握っている。自分の腕を傷つけていたのだ。
左腕の内側、肘から手首にかけていくつかの切り傷があった。そのうちの一つの傷から血が流れている。
「ナミちゃん……」
「青木もクズだ。岩国のように私をエミだと勘違いして舌打ちしたことがある。今日はエミによく思われたくて私に優しくしているだけだ」
ナミちゃんは怒りの形相をしていた。
ある可能性に気づいた。
「わたしのことで怒るたびに、こうしてたの?」
「こうすれば怒りが収まる。最近わかった。切る場所はまだたくさんある」
ナミちゃんは無理に頬を上げた。
わたしが男子にいい顔をするたびに、こうして切ってきたんだ。そしてこれからも、怒りを制御するために切ろうとしている。
「こんな危ないもの、もう持ち歩かないで」
ナミちゃんからカッターナイフを掴み取った。
こんなものを持ち歩いてたから、灰原くんのこともとっさに刺そうとしてしまったんだ。
みんなに愛されたいわたしと、わたしに依存するナミちゃん。
あの人たちのせいで苦しんできたわたしたちは、あの人たちが消えた今も後遺症に苦しめられている。
神様は、どうしてこの世界をこんな不公平に作ったのだろう。
わたしたちは一体、どうやって生きていったらいいのだろう。
7
ずっと苦しんできたわたしたちは幸せにならないといけない。
なのに、地に足をつけて生きようとするほど追い込まれていく。
数日後の朝、学校の下駄箱を開けると、一輪のバラと数十枚の写真が入っていた。
写真を手にしたわたしが目を丸くしていると、「どうしたの?」と隣にいたナミちゃんが写真を覗き見た。
登校中のわたしが写っていた。
ナミちゃんがほかの写真も確認する。
学校の授業中、バスの中、自宅の部屋……あらゆる場所で隠し撮りされた写真だ。
「なにこれ……」
とナミちゃんは下駄箱の中に手を伸ばし、メッセージカードも確認する。
『いつも見てる』
「完璧ストーカーじゃん」
「……そうだね」
わたしはナミちゃんに笑みを向けた。
「そうだねって……なんでそんな普通なの?」
「少し前から無言電話とメッセージも頻繁に来てるの」
「スマホ見せて」
わたしはスマホの画面を見せる。
『ほかの男と話すな』
『ほかの男と話すな』
『ほかの男と話すな』
『ほかの男と話すな』
『ほかの男と話すな』
同じ文言のメッセージが何百件も入っていた。
わたしがほかの男子と話すことを嫌がっていると取れる文章だ。
心配そうな顔のナミちゃんに、わたしは言った。
「大丈夫。わたしの招いた罪はわたしが解決するから」
そう。わたしはもう、自分の生き方を決めなければいけないのだ。
〈後篇〉は8月3日(水)公開予定です。