〈十五少女〉伊田知リンの場合(後篇)/小説:円居挽
文字数 8,279文字
街と歌、現実と虚構、セカイとあなたーー
15人の仮想少女が【物語る】ジュブナイル。
エイベックス / 講談社 / 大日本印刷による
音楽×仮想世界プロジェクト『十五少女』の開幕前夜。
これは、5人目の少女の物語ーー
前篇はこちら。
8 思わぬ出会い
塾の中に消えていくリン先輩を見送ると、突然ひとりぼっちになってしまったことに気づく。急に駅前で一人になるのも手持ち無沙汰だ。
まだ17時前、家に帰れば夕飯があるし、半端なものをお腹に入れられる時間ではない。大人しく帰るべきだろうか。
そんなどうでもいいことを考えていると、背後から声をかけられた。
「ねえ、一緒に遊ばない?」
ひっ、カツアゲ……こういうのが厭で、学生の多い時間帯に駅前を歩くのを避けてきたというのに。いや、この近くには交番もあるし、どうにかしてそちらに誘導できたら……。
策を練りながらおそるおそる振り向くと、そこに立っていたのは想像していた野暮ったい田舎のヤンキー女ではなく、むしろ都会的な美女だった。
何よりこの異常なまでのスタイルの良さ……どこかで見た……ああっ!
「あの……もしかして辰見アクアさんですか?」
彼女はそんなボクの言葉にいたずらっぽい笑顔で応じてくれた。
「なんだ、私も結構有名になったんだな」
「願いを叶えるっていう大人バスを調べてたら、昨日のつぶやきを見ましたから……」
「あ、なんだ。大人バスの噂を知ってるのか? だったら二重に都合がいい」
そう言うとアクアさんはボクの両肩に手を載せる。
「暇なら少し付き合って。コーヒーでも何でも奢るから、話聴かせてよ」
ボクが、大人バスが願いを叶えるという都市伝説についてひとしきり要領の得ない話をし終えると、アクアさんは深く肯く。
「……なるほどなあ。じゃあ、情報は私と似たり寄ったりか」
「今更ですけど、アクアさんはどうして大人バスのことを調べてるんですか?」
ボクの不躾な質問にアクアさんは曖昧に笑いつつ、答えてくれた。
「いや、モデル仲間が『大人バスに乗る』って言い残して消えて。それから一向に連絡が取れないんだ。事務所も家族も心配しているし、警察も何も掴んでないらしいから、あたしなりに何かしたいと思って。そんな中、小耳に挟んだ願いを叶える大人バスってフレーズが妙に気になってさ……何か関係あるんじゃないかって」
「それであのつぶやきですか……大変だったでしょうね」
「うん、参ったよ。全部目を通したけど、それでいて収穫は特にないんだもん。Silicaで有益な情報を得ようとした自分の馬鹿らしさに不貞寝してたら夕方になってたんだ」
どうやらアクアさんもあのリプライに目を通したようだ。というか、この人も高校サボってるのだろうか。
「まあ、お陰でこんな成り行きになったんだからよしとしよう。で、今ので知ってることは全部?」
悩ましい。リン先輩が大人バスに乗った話をしたいが、ある意味でそれは個人情報と密接に関わってくる。下手に教えたらリン先輩に迷惑がかかる……というか、リン先輩と縁を切ろうとしているのに余計にこんがらがりそうで。
「実は大人バスに願いを叶えてもらったという人と接触できまして……」
まあ、名前を出さなかったら誤魔化しきれるだろう。そう判断して乗った人がいるということ、彼女が「永遠の17歳」と呼ぶループ能力を手に入れたということをかいつまんで説明した。
「そうそう、そういう話が聞きたかったんだ」
アクアさんはご満悦だった。
「なるほど……その大人バスに乗ったって奴が何者かは解らないけど、これからまた情報を引き出せる可能性があるってことだね。じゃあ、詳しく解ったらまた教えて」
と、アクアさん自ら大人バスの話題を打ち切ってしまった。
「どうしたの? そんな不思議そうな顔して」
「もっと根掘り葉掘り訊かれるものだと思ってました」
「いや、大人バスの話はむしろおまけでさ。第一、大人バスの話は私が声をかけてから出たもんだろ?」
そういえばそうでした。
「本題は伊田知リンの話なんだ」
9 先輩の過去
「リン先輩の?」
思わぬ名前が出てきた。まさかリン先輩とアクアさんに繋がりがあるとは。
「リンとは幼稚園の頃からの幼なじみでさ。たまたま街でリンを見かけたと思ったら、隣に知らない奴がいたからな。リンに直接話しかけるのも気まずいし、まずはリンの知り合いから情報収集しようと思って」
ああ、それでアクアさんから話しかけられたわけだ。
「仲良かったんでしょ? ボクなんか使わないで、普通にリン先輩に話しかけて下さいよ」
「それなんだけど、中学の頃にリンが公立に転校してから疎遠になっちゃって。私はリンのことを悪く思ってないけど、リンがどう思ってるか解らないでしょ?」
その考え方にも一理ある。それに考えようによってはリン先輩の情報を得る格好の機会だ。
「アクアさん、もしかしてリン先輩が大人バスに乗った理由に心当たりがありませんか?」
「どういうこと?」
突然アクアさんに睨まれて、萎縮してしまった。こういう表情を向けられることにはまだ慣れない……。
しかしアクアさんも自分の態度がおかしさにすぐに気づいたのか、頭を下げてくれた。
「ああ、ごめん。私の中では大人バスのこととリンのことは全く別の事柄になってたからさ。まさかそこが繋がるとは思ってなくて。何より、私の知ってるリンってそういう怪しい迷信にすがるような人間じゃなかった」
「実は……先ほどお話しした大人バスに願いを叶えてもらった人って、リン先輩のことなんですよ」
アクアさんは天を仰いでいた。
「リン、どうしちゃったんだ……よりにもよって何にでもなれる人間が何かになれないままループしてるなんて、ひどい冗談」
ああ、ボクと全く同じ感想だ。
「でもおかしなところもある。リンが本当にループしてるなら、もっとスマートなやり方を見つけて君に接触するんじゃないか?」
「ああ!」
そうだ。仮に数十回のループを経ていたなら、ボクの行動や思考をもっと先回りしててしかるべきなんだ。
「話を聴いてると、リンが不器用ながらも考えて、君に体当たりでコミュニケーションしてる感じだね。それは私の知ってるリンだよ」
「つまりリン先輩はループ自体をさほど経験していない可能性があるわけですね……」
「少なくとも君との接触は初めてと考えていいんじゃないかな」
これはリン先輩の謎を解くのに大きなヒントになりそうだ。でもまだ手がかりが足りない。
「他に何か、心当たりはありませんか?」
「一応確認しとくけど、リンのループは17歳限定なんだよね?」
「その筈です」
「うーん、じゃあ違うか……」
「あの、何が違うんですか?」
「中学の頃、私たちは四人だけが世界の全てだった。それは他の二人もそう思ってただろうし、リンが一番そう思ってたんじゃないかな。もしも不思議な力でやり直せるとするなら、転校の前から巻き戻してもおかしくはないんだけど……」
アクアさんはリン先輩にとって四人の絆が一番大事だったと疑いもしていない様子だ。それだけ思い込める関係性がボクにはとても羨ましい。
「そこは大人バスの限界だったのかもしれませんね。三年も巻き戻せなかったとか」
アクアさんは何か深く考え込んでいる様子だったが、やがて何かを閃いたようだ。
「またちょっと思ったんだけど、まだおかしなことがあるよ」
「なんですか?」
「そのループって現象が大人バスに乗った結果だとして……普通そんなこと願うかな?」
「どういう意味でしょうか?」
「ループって何かをやり直すための手段であって、決して目的じゃない。なのに君の話だと、まるでリンがループそのものを願ったみたいだ」
アクアさんの言葉を聞いた瞬間、ボクの頭に全ての答えが閃いた。
やっぱりボクはリン先輩の決意を変えたい……助けたい。
10 17歳を願う理由
塾から出てきたリン先輩はボクの顔を見て流石に驚いたようだ。
「まさか、私を待ってたの?」
ボクはアクアさんと別れて、塾の前でリン先輩が出てくるのを待っていた。日を改めるより、帰りを狙った方がいいと判断したためだ。
「あの、どうしてもお話したいことがありまして。歩きませんか?」
「私、まだ返事の準備ができてないんだけど……」
そう言いながら歩き始めたボクに着いてきてくれる。これで説得ができるかもしれない。ただし、最終的には命がけの説得になるけど……。
「実は待っている間に気づいてしまったんです」
本当はアクアさんとの話で気づいたのだが、そこは黙っておく。今その話するとややこしいし。
「乗れば願いが叶う大人バスが存在する……これは大前提としても、リン先輩の話にはおかしなところがあると思うんです」
「どこが?」
「普通、時間のループというのは起きてしまったことを変えるための手段ですよね」
「そうなの?」
解らないのか、とぼけているのか判断できない返事だ。ボクは話を続ける。
「でもリン先輩の語ったループは明らかにそれとは違っていて、ループそのものが目的になっているんですよ」
リン先輩は黙ってしまった。それでボクは自分の推理の正解を確信した。
「だからリン先輩が願ったのは17歳のループそのものじゃなくて、ただ18歳より向こうの世界に行きたくなかっただけなんじゃないですか?」
リン先輩は出会って初めて、動揺した表情を見せた。人形のように感情が表に出ない人だと思っていたけど、芯には人間らしい部分がある……あるからこそ、こんなことになっているのだ。
「まさかレオナに言い当てられるとは思ってなかったけど……概ねそうよ」
そう、リン先輩は人間なのだ。だから説得する余地がある。ただし最後の詰めでは命を張る必要がある……そのためにボクはさりげなく「こっち通りましょう」とルートを誘導する。リン先輩は訝しむ様子もなく、着いてきてくれる。
「……中学の頃にね、仲良しだった子たちがいたの。あの子たちとは幼稚園から仲良しで、私は同じ歳の姉妹ぐらいに思っていた」
きっとアクアさんたちの話だ。ボクは黙ってリン先輩の話に耳を傾ける。
「だけど中学校で色々あって、私は親から二つの選択を突きつけられた。私立に残るか、公立に転校するか……私は真剣に悩んで、公立への転校を選んだ。だけど本当はあの子たちと別れたくなかった……」
「離れても連絡取り合う方法は色々あるわけですし、そんな大袈裟な……」
「実際、その中の二人からは特に嫌われた。私が転校したせいでね」
それがアクアさん以外の二人か……今のボクにはとても立ち入れない話だ。
「勿論、公立に転校したり、高校生になったことで私の世界は大きく広がったから、それ自体が悪かったとは思わない。さっき君が口にした通り、その気になれば何にでもなれるだけの可能性も見えた。先生になっている私、弁護士になっている私、研究者になっている私、経営者になっている私……どれも本気で頑張れば、なれる気がする」
「だったら……何かになって下さいよ。勿体ないじゃないですか」
「確かに、私は何にでもなれる今の自分が好き。だけどね……転校の時に思い知ったの。何かを選べば、選ばなかった可能性を捨てることになる。そして抱えている可能性が大きいほど、捨てる苦しみも大きくなる……私はこれ以上、何も選びたくなかったの。あんな苦しい思いは二度としたくないから……」
歳上の筈のリン先輩が小さな子供に見えた。
「だからって永遠に17歳を生きるつもりなんですか?」
おそらくアクアさんが指摘した通り、リン先輩はループ慣れしていない。ボクへの対応が最適化されていないのもそうだが、何より全然スレきってない。だからこんなピュアな反応を返してくれるのだ。もしかするとまだループそのものを経験していない可能性すらある。
いや、リン先輩のループが本物かどうか、それ自体は問題じゃない。問題なのはループを信じ、それにすがらないといけなかったリン先輩の心の有り様だ。そしてボクはそれを壊したい。
「レオナには関係ないでしょう」
「ボクだって人生を舐めている人間なんて放っておきたいんですよ!」
ボクの剣幕にリン先輩は言葉を失った。ボクはエナのことを思い出しながら、言葉を接ぐ。
「だけど、それじゃ何かを選びたくても掴めなくて、死んでしまった人間がかわいそうじゃないですか」
何かを選べば何かを失う。それは人間が生きている限り、避けられないことだ。何よりボクはエナを失い、そしてリン先輩と出会えた……ボクでさえ受け入れたことから、この人は逃げようとしている。
ボクはそんなリン先輩の手を引っ張って、こちらに引き戻したい。
「ここは……」
リン先輩は会話に夢中で、自分がどこを歩いているのかようやく気づいたようだ。
そう、ここは歩道橋の上。それも少し前にエナが身を投げたばかりの場所だ。
これは賭けだ。それもとても危険な賭け。なにせ、失敗すればボクは死ぬ。
11 大人になんてなれなくていいかも
ボクはいきなり歩道橋の手すりに手をかけ、両腕の力でつま先を浮かせる。傍目にも危ないと解る状態だ。
「あの時、エナは飛び降りる直前、こんな体勢だったんですよね」
「一体何をしてるの?」
リン先輩は表情を変えない。そういう人だ。内心、ボクを心配してくれていたら嬉しいけど。
「リン先輩には関係ないでしょう。ボクがここで死んだところで、次のループでは生き返ってるんですから。どうせリン先輩はこれから数百回か数千回ループするんですから、沢山いる竹虎レオナの内の一人が死ぬだけじゃないですか!」
そう言いながらボクは下の道路に視線を向ける。しかし交通量の多さに目眩がしそうで、すぐに目を逸らした。
正直、怖い。エナがどんな思いでここから飛び降りたのか少しは解ればいいと思ったが、無理だった。普通は浮いたつま先をまたすぐに接地させるだろう。この恐怖を知って尚、死のうと思ったのか……。
「卑怯ね。自分の命を盾にするなんて」
リン先輩だってボクの策ぐらいは承知している。でも承知していたって、心を持った人間なら無視できないものがある筈だ……。
あの時、リン先輩は命を懸けて道路を横断した。ボクはあの姿に心を掴まれて、そして今に至る。きっとこれぐらいじゃまだ足りない。だからボクも命を懸ける。
もっと前のめりになって下の道路を覗く。
「やめなさい……」
制止するリン先輩の声がなんだか遠い。もう少しで向こうの世界に行ってしまいそうだ。
先ほどとは比べものにならないぐらい死が迫ってきている。そんな状態で頭に浮かんだのは生への未練ではなく、この世界への疑問……いや絶望だった。
リン先輩との話でも考えさせられたことだが、大人バスに乗って大人になっても、正しい人間になって正しい世界に行けるわけではない。それどころか、いじめをした連中でさえ、時が来れば大人バスに乗せられ、一人前の顔をする日が来るのだ。
何よりいじめを止めようとしない汚い大人たち……大人バスに乗れば、強制的にあいつらの仲間にさせられてしまう。想像しただけで吐きそうになるが、それが真実だし、現実なのだろう。
ああ、解った。きっとエナは大人にならないことを自ら選んだんだ。
これが都合のいい妄想だって解っている。でも少しだけエナの心が解った気がして、ずっとボクの心にかかっていた霧が晴れた。
リン先輩はまだ助けに来る気配はない。今はまだ残した後ろ足でバランスをギリギリ保てているが、あともう少しでそれを維持できなくなる。本当に数秒後には死んでしまうだろう。
まあいいか。リン先輩を説得できなくて、ここで無駄死にしてしまっても。エナを死なせた分ぐらいはチャラにして向こうへ行ける。
「じゃあ、リン先輩。お元気で……」
更に体重を前に預けようとした瞬間、リン先輩に後ろから抱き留められた。
助かった……リン先輩が止めてくれなかったら本当に死んでた。
死なずに済んだ安堵、そしてリン先輩がボクを選んでくれた安堵で足が動かなくなった。ボクは仕方なくその場に座り込むと、呼吸を整えて、リン先輩の方に向き直る。日頃のあの人形のような顔立ちからは想像もできない心配そうな顔。
「たった今、解った。私は……あなたに死んでほしくない。これから先、どれだけループしても今のあなたにはもう二度と会えない。そう思ったら勝手に身体が動いてた」
ループのトリガーはリン先輩自身の死だという……それではリン先輩が18歳になるまで死を選ばなければ永遠の17歳は終わり、ループも起きないということになると考えた。
ただ、そのためにはリン先輩にループでやり直すという選択を捨てさせる必要がある。そのためにボクは命を懸けたのだ。
「ねえ、何か言って」
そう催促するリン先輩は何だか恥ずかしそうだ。ボクはどうにか言葉を探し、口から押し出した。
「ボクと一緒に大人になってくれるんですね?」
何よりリン先輩が無限の可能性を捨てて、ボクを選んでくれたことが嬉しかった。
12 そして日常へ
「レオナ、制服似合ってる」
「……ありがとうございます」
あれから一週間が経ち、今日はボクの初登校日。わざわざ家の前までリン先輩が迎えに来てくれた。
「でもなんか変な感じですよ。拘束具みたいで」
初めて高校の制服に袖を通したがどうにも硬い。まるで人並みの青春から拒絶されているようだ。
「大袈裟ね。ただのセーラー服なんだから」
入学して初めて登校するのだ。2学期の終わりが近くなってから突然来られてもクラスメイトだって困るだろうし、まあいじめられなかったら御の字ぐらいの気持ちでいる。それでも行く気になったのはリン先輩とのあの一件のおかげだ。ボクも閉ざされた可能性から飛び出すことを選んだ。
クラスに居場所がなくたってファミレスでも街でもどこでも、他に場所はいくらでもある。そう思えるようになっただけ僕も成長したのかもしれない。
「それにしても急に張り合いがなくなってしまったわ。17歳を完璧にする計画が崩れて、目標がなくなってしまったから……」
リン先輩曰く、18歳になるまで死ななければループは発生せず、永遠の17歳も消えてしまうということだった。だからリン先輩はこれから先、18歳まで平穏無事に生きればいいだけだ。
「いいじゃないですか。やり直しがきかないからこそ、きっとボクたちは真剣に生きるんですよ」
適当に口にした言葉だったが、案外本当にそうかもしれないと思い始めた。
「でも18歳まで死ねないと思うと途端に怖くなったわ。どれだけ気をつけても事故は避けられないし、ひょんなことで命を落とすかもしれないし」
「いや、人間それが普通ですからね……」
そう言ってから、ボクは肝心なことを知らないことに思い至った。
「ところでリン先輩って何回目のループだったんですか?」
「ループ……した記憶がない」
「はあ?」
思ってもなかった答えに変な声が出た。
「死ねばやり直せるって言われてたけど、人間って無茶したって案外死なないものよ。それにただ私はしたいと思ったことを当たり前にやっただけ。赤信号を突っ切ったのだって、必要だと思ったからそうしたの」
つまるところ、リン先輩はループに不慣れではないかというアクアさんの見立ては正しかったのだ。完璧超人なようでいて、自分を取り巻く可能性を選び取ることをあえてしない勇敢な少女……それが伊田知リンだ。あるいは、その可能性を選び取ることができない臆病なだけの子供なのか。そんなボクの疑念を振り払うように、彼女は平然と言ってのけた。
「そういえば私が助けた時、レオナは『一緒に大人になってくれるんですね?』って言ったのを憶えてる?」
「そりゃまあ」
「答えがまだだったわね。私は絶対に大人になんかならない」
この人は本当に別の世界に生きているのかも知れない。
それでも隣を歩くことはできる。私は大人になるから。
「実はボク、音楽作ってるんですよ。割とマジに」
相変わらず、リン先輩の表情に変化はない。
「それは、レオナが大人になるだけの価値があるものなの?」
ボクはそんな先輩に向けて心からの言葉を口にした。
「だから……リン先輩にボクの曲を歌ってほしくなったんですよ」