〈十五少女〉巳叉メメと辰見アクアの場合/小説:望月拓海
文字数 22,551文字
街と歌、現実と虚構、セカイとあなたーー
15人の仮想少女が【物語る】ジュブナイル。
エイベックス / 講談社 / 大日本印刷による
音楽×仮想世界プロジェクト『十五少女』の開幕前夜。
これは{7人目の少女}と{8人目の少女}の物語ーー
1 四年ぶりの会話
リンゴは美容にいい。
豊富に含まれているポリフェノールとペクチンとビタミンCは、シミやニキビを予防する。消化を促進させるから便秘や下痢にもなりにくい。
特にリンゴの皮にはポリフェノールとペクチンが大量に含まれている。だから皮ごと食べるのがいい。
ここ一年、あたしの夕食はリンゴ一個だけ。朝と昼は普通に食べているが、夕方だけリンゴ一個にしたらニキビも無くなりダイエットもできた。
顔は整形で簡単に変えられるが、肌と体型は日々の努力で決まる。自分の容姿が良くなるのなら、こんな努力など安いものだ。
放課後の校庭。木の下に座っていたあたしは、リンゴをナイフで少しずつ切り落としながら食べていた。夕日に照らされた校庭では陸上部やラクロス部、ソフトボール部が練習をしている。
リンゴを半分ほど食べた頃、ボールがコロコロと転がってきた。握り拳くらいのオレンジ色をしたその球は、あたしの1メートルほど前で静止する。
「ごめーん、それ投げてー!」
十数メートル先で、ラクロスのスティックを持ったロングヘアの女がさわやかな笑顔を見せていた。ラクロス部の女子部員か。
……めんどくせえ。自分で取れよ。
あたしはため息交じりに立ち上がる。少し歩いてボールに手を伸ばすと、
「すいません! 大丈夫です!」
ショートカットのラクロス部員が走ってきた。すぐにあたしの前までやってきてボールを拾い、
「お、お邪魔しました!」
引きつった笑みで頭を下げ、ロングヘアのもとに走っていく。
「行くよ」とショートヘアが言うと、
「あの子二年でしょ? なんで三年が二年に敬語使うのよ」ロングヘアは顔をしかめてあたしを見つめた。
「バカ! 猿飼さんはいいの!」
ショートヘアはロングヘアの腕を引っ張って逃げるようにグラウンドに戻っていった。ロングヘアはしばらく首をかしげてあたしを見ていた。
なんだよ。取ってやろうと思ったのに。
部員たちの後ろ姿を見ていると、
「ずいぶんと怖がられてるな」
後ろから声がした。
振り向くと、スラッとした女が木に寄りかかって腕を組んでいた。
女はクールな微笑みを浮かべている。
長身で細身、手足が長くて頭がやたらと小さい。その顔には完璧なバランスで大きな瞳と小さな鼻と口が配置されていた。
パッと見ただけで明らかに一般人ではないとわかる容姿。
「アクアか。ずっと見ないから死んだと思ってた」
あたしは冷めた目を向ける。
辰巳アクア。
相変わらず鼻につく容姿だ。あたしも生まれながらにこんな外見を持っていたら、毎日リンゴなんて食ってなかっただろう。世の中は不公平だ。
「そう言うなよ。仕事が込んでたんだ」
アクアは中学に入ってからモデルの仕事が忙しくなった。それからはほとんど学校には来ていない。こいつと話すのは四年ぶりくらいか。
「久々に来たら驚いたよ。あのサキが高校でいちばん恐れられてるなんてな。しかも一匹狼なんだって?」
ナイフでリンゴを切り取ったあたしは、
「うるさい小バエどもをたたき落としてきただけだ」
切れ端を口に含んだ。今日はやけに邪魔が入る。食事はひとりでゆっくりと取りたい。
「ああ。自分からは絡まないんだろ。弱いものいじめも絶対にしない。そこは変わってなくて安心したよ。昔のサキのままだ」
嬉しそうなその声を聞いて苛立ちが走る。
「なんの用だ?」
あたしが尖った声を出すと、アクアは組んでいた腕を降ろした。
「行方不明になったモデル仲間を探してる」
深刻な顔をして、あたしのほうに歩いてくる。
「Silicaで情報を求めてたら、不知火女子でも一ヶ月前から行方不明になっている生徒がいると聞いた。二つの事件は関係しているかもしれない。その生徒の調査を手伝ってほしいんだ」
なんの用かと思ったら——。
あたしは鼻で笑った。
「なんであたしが……ひとりで勝手にやれ」
あたしが行こうとすると、アクアは目の前に立った。
「不知火女子はメメとサキが仕切ってんだろ? 表はメメ、裏はサキが仕切ってるって聞いたよ」
「それならメメに頼めよ」
振り返って行こうとするが、また前に立たれた。
「その行方不明の生徒、この辺の不良と繋がってたらしいんだよ。サキなら顔が利くんだろ?」
眉間を寄せ、切実な声で言ってくる。
そうとう切羽詰まってるようだ。有名人のアクアでさえ探し出せないってことは、かなり手間のかかる調査なことは確かだろう。
まあ、なんにせよ、あたしには関係ない。
「知るか」
吐き捨てるように言ってアクアを横切ると、
「待てよ」
後ろから肩を掴まれた。
振り向くと、アクアは困ったように笑っていた。
その笑顔が、あたしにはとても汚く見えた。
薄汚れた大人と同じ笑顔だった。
上手く言いくるめようとする笑顔、おだててコントロールしようとする笑顔、暴力にビビってる笑顔、自分の保身しか考えていない笑顔——今まであたしが見てきた大人たちの笑顔を思い出す。
こいつは長いあいだ大人たちと仕事をしている。こいつも汚い大人みたいになっていてもおかしくない。
あたしはアクアの胸ぐらを掴み、木の下まで押していってナイフを振り上げた。
アクアの顔に向かって思い切りナイフを振り下ろす。
刺さった。
「なんだよ、これ」
アクアは顔色を変えず、強い瞳でまっすぐあたしを見つめる。
ナイフはアクアの顔の真横を通り過ぎ、木に刺さっていた。
あたしは眉をつり上げ、アクアを間近でにらむ。
「あんましつこいと、綺麗な顔をズタズタにするぞ」
「やってみろよ」
アクアは平然と言い返す。
こいつはあたしが持ってないものをすべて持っている。その事実もあたしを苛立たせる。
昔から何事も臆さず自分自身を堂々と表現できるやつだった。ビクビクしていたあの頃のあたしは、そんなアクアにいつも劣等感を抱いていた。
こいつがモデルの道に進んだのは必然だ。外見だけじゃなく内面にも恵まれている。まさに天職とも言える職業だろう。肝が据わっているこいつには脅しは通用しない。
だったら——この言葉はどうだよ?
「3年ぶりに話しかけてきたと思ったらこれか? 都合のいいときだけ友達ヅラして、人のこと利用しようとすんじゃねえ!」
アクアの目の色は変わる。
強く光っていた瞳は徐々に弱々しくなっていき——顔を伏せた。
あたしはナイフを木から抜き、
「二度と近づくな」
そう言い放って歩きはじめる。
一瞬振り向くと、まだアクアはうつむいていた。
どうだ。言い負かしてやった。
あたしは昔の猿飼サキじゃない。今はこの高校でいちばん恐れられている。誰が相手だろうと、うるさくたかってくるやつはたたき落とす。有名モデルだろうと幼なじみだろうと関係ない。
あたしにはそれができる。実際にそうしてやった。あたしがいちばん強いんだ。あたしは誰にも負けない——。
傷つけばいい。こいつはそれだけのことをしたんだ。
けど——。
あたしは唇を噛んだ。
……なんでなんだろう。
アクアを言い負かしたのに、ぜんぜん気持ちよくない。
それどころか、余計に苛ついている。
このときのあたしは、その理由をまだわかっていなかった。
2 壊れた四人の友情
不知火女子を出たあたしはひとりで細道を歩いて帰っていた。
少し前に、はしゃぎながら下校している小学生の女子四人組がいた。じゃんけんをしてるだけなのに、四人は本当に楽しそうにはしゃいでいる。
あの頃の記憶が蘇った。
いつもの思い出だ。高校に入って以来、なぜかあたしはあの頃をよく思い出すようになった——。
小学生の頃、リン、メメ、アクア、あたしの四人はいつも一緒にいた。
あたしたちは幼稚園の頃からの幼なじみだった。
天然のリン、頭脳明晰なメメ、我が道を行くアクア、その三人にビクビクしながら着いていくのがあたしだった。
一見バラバラな性格だったけど、あたしたちはなぜかいつも一緒にいて居心地も良かった。「気が合う」とかいう特別な理由があったわけじゃない。
今思うと「幼い頃から一緒にいた」という単純な事実があたしたちを結びつけていた。相手の過去をすべて知っているだけで、人は無条件にその相手を信頼できるものだ。
小学校四年生の頃、学校帰りに川沿いの土手道を歩いていたときだった。
あまりにも夕日が綺麗で、あたしたちは自然と足を止めてしばらくそれを見ていた。
「ねえ、あたしたちって姉妹みたいなもんだよね?」
アクアが夕日を見ながら言った。
誰がどう答えたか覚えてないけど、あたしたちは「うん」「そうだね」と当然のように返した。
あたしにとって、この四人が姉妹みたいな存在だということは当然のことだった。あの頃のあたしにとっては、この四人の世界がすべてだった。あたしはほかの三人も同じだとわかって嬉しかった。
「じゃあ、ずっと一緒にいような」
アクアはあたしたちを見て、嬉しそうに頰を上げた。
ほかの三人はまた「うん」「そうだね」と返した。
どんなつもりでアクアがこんなことを言ったのかはわからない。
あたしたちの絆を確かめたかったのかもしれないし、ずっと一緒にいたかったのかもしれない。なにも考えてなかったのかもしれない。
だが、なんにせよ、現実はそうならなかった。
五年生になるとクラス替えをして、あたしだけ別のクラスになった。
その頃からあたしはひどいイジメを受けた。
三人はあたしを気遣い、顔を合わせるたびに話しかけてきた。けどそのたびに、あたしは素っ気ない態度を返した。
いじめられているとバレたくなかったからだ。とにかくその事実を知られるのが恥ずかしかった。
リンとメメとアクアがカーストの頂点にいたせいもあった。三人がこんなに目立っているのに、あたしだけ下にいると認めるのが嫌だった。
だから、しばらくひとりで耐えて、いつか自分がいじめられなくなったら三人とはまた話そうと思っていた。けど、いじめは終わらなかった。
中学に入ってから、アクアはモデルという夢を見つけてほとんど学校に来なくなった。メメも生徒会に入って忙しくなり顔を合わせなくなった。リンはたまに話しかけてきたけど、あたしが素っ気ない態度を取っていたために、あたしはますます孤立していった。
そんな中、あたしは聖と出会って強くなり、いじめられなくなった。
その頃に、やっと思えた。あの三人とまた話せると。もういじめられなくなったから、胸を張って対等に話せると思ったのだ。
けれど、あたしの期待通りにはならなかった。
聖が転校してすぐ、あたしはリンのクラスに行った。
リンの姿は見当たらなかった。少し前に転校していたのだ。あたしになにも言わずに。
リンのクラスメイトから「リンは自分の意思で目見田中学に転校した」と聞いた。
あたしは急にバカらしくなった。アクアは学校に来なくなり、メメも忙しくなって、リンは転校した。四人ともすっかりバラバラだ。
『じゃあ、ずっと一緒にいような』
あの約束はいったいなんだったのか。女同士の友情なんて所詮はこんなものなのかと思い知った。
高校に上がると、メメはファッションブランドも経営する女子高生投資家として有名になり、ますます忙しくなった。アクアもモデル活動が順調で女子高生たちの憧れの存在になった。リンは目見田高校に進学したようだが、一度も会っていない。
あたしはいつの間にか、学校の厄介ごとを暴力で解決する役割を担っていた。
いじめられている生徒や、男性教師にセクハラを受けている生徒、親や彼氏に暴力を振る舞われている生徒などがあたしに助けを求めてきた。
面倒ながらもそんな問題を解決しているうちに、あたしは周囲に恐れられるようになった。
知らないうちに取り巻きも増えた。だが、それはあの幼なじみ三人とは違って、とても距離のある存在だった。
誰ひとり本当のあたしを見ていない。自分たちに都合のいい「強い猿飼サキ」を見ているし、その猿飼サキにこびへつらう。
自分ではなにもしないであたしに助けを求めるやつらにも、あたしにひっつくことで自分を強く見せようとしている取り巻きたちにも、いいかげんうんざりしていた。
やつらといると、「自分から強さを取ったらなんの価値もない人間なんだ」と感じてしまう。あたしはこいつらに利用されているだけだ。
……いや。
あの幼なじみ三人も、こどもの頃からあたしを利用していただけなのかもしれない。あたしが気づいていなかっただけで、おどおどしている当時のあたしにも、なにか利用価値があったかもしれないのだ。
実際、今日もそうだった。アクアはあたしを都合良く利用しようとした。
そんな役割はもううんざりなんだよ——。
あたしのスマホが短く鳴った。
過去を思い出していたあたしは我に返り、スマホをポケットから出して確認する。
SilicaのアカウントにDMが入っていた。
『今からバイト。そっちのバイトは順調?』
文字を読んだあたしの口元がゆるむ。
『順調。卒業までには余裕で貯められそう』
『私も。あっ、シェアハウスの物件、いいとこ見つけた』
『気が早すぎだろ。二年後だぞ?』
『そう言われると、そっか 笑』
あたしはやり取りしていた相手のアイコンを見つめる。
金髪の美人が笑っていた。その下には「光井聖」の文字。
中学の頃に転校した聖はそのまま地元の高校に進学したが、高校卒業後にこの街の大学に進学する予定だ。
あたしは卒業後の進路はまだ決めていないが、聖と相談してシェアハウスで一緒に暮らすことにした。その資金を貯めるためにあたしたちはバイトをしている。
そう、あたしの友達は聖だけだ。聖がいればそれでいい。
と、またスマホが鳴った。
今度は違うやつからスマホにメール。
送ってきたのは——辰巳アクアだった。
3 アクアからのメッセージ
『サキ、悪かった。
たしかにずっと音沙汰もなかったのに、再会した矢先に頼み事なんて、利用していると思われてもしょうがないよな。
あとは、こっちでどうにかするよ。
ただ、なにかわかったときには連絡してほしいんだ。
こんなこと頼める義理じゃないかもだけど、それくらい切羽詰まっててさ。
なにも手がかりがないんだよ。
だから、失踪したモデル仲間の情報を伝えておく。
探している子の名前は向坂ルイ。
私たちと同い年の17歳だ。
ルイに会ったのは2年前。私がまだ駆け出しの読者モデルだった頃だった。
私とルイは同じ雑誌で一緒にモデルをしていた。
撮影中のルイのポーズを初めて見たときは全身に鳥肌が立ったんだ。
同い年とは思えない大人っぽさが溢れてて、最高にカッコ良かった。
けど、撮影が終わった瞬間は、こどものような笑顔をこぼして、私に気さくに話しかけてきた。そんなギャップにも惹かれた。
二人とも好きなアーティストが「NINE」だったこともあって、すぐに意気投合して、私たちは撮影の休憩時間にいつも一緒にいるようになった。
そのうち、私たちには夢ができた。
いつか一緒に雑誌の表紙を飾ること。それができたら、一緒にバンドを組んでデビューすること。私が歌い、ルイがギターを弾く。そんな約束をしていた。
二人ともその夢を目標に切磋琢磨した。
少しずつ仕事も増えてきて、ようやくプロのモデルとして認知され始めた。
このまま頑張れば、夢にも手が届くと思っていた。
でも、ルイは消えた。
ある日、「大人バスに乗る」と言って姿を消してしまったんだ。
しかも、失踪した日は乗車日の8月31日じゃない。
それから必死にルイを探したけど見つからなかった。
大人バスに乗った人が戻って来ない噂は知っていた。同時に、それはごく稀なことで、自分の友達に起きるとは思ってもみなかった。
インターネットには、ファンやアンチによるいろんな噂話が書かれていた。
「ルイと同じバスに乗った」
「ルイは子供都市に残ったらしい」
「通過儀礼で行方不明になった」
いろんなことが書かれていたけど、どれも信憑性は薄かった。
そんな噂もすぐに飽きられて、ルイは世間から忘れ去られていった。
ルイはきっとどこかで元気にしている。私の頑張る姿を見せれば戻ってくる。それが、「私は夢を忘れていない」というルイへのメッセージになる。
そう思いながら、私は仕事に没頭した。そして表紙も夢ではないポジションまで辿り着いた。
だけど、相変わらずルイからは連絡がない。
どこでなにをしているかわからない。生きているか、死んでいるかも。
私が悲しくて悔しいのは、向坂ルイという魅力的な人間が、世界から忘れられていくことだ。
私は絶対に、ルイという唯一無二の格好良さを持つモデルがいたことを忘れたりしない。
ずいぶんと長くなったな。ごめん。でも、詳しく伝えたほうが少しでも手がかりを集めやすいと思って、みんなにこんな説明をしてるんだ。
サキにはぜんぜん関係のない話なのはわかってる。
けど、頼む。
ルイのことでなにか耳に挟んだら、連絡してほしい。
アクアより』
メッセージを読んだあたしはスマホに文字を打とうとする。
だが、すぐにやめた。
あたしには関係ない。
お前の友達のことなんて知るか。
今さら、なんだっていうんだよ。
4 メメとサキの秘密
翌日の放課後、あたしは校内の廊下を歩いていた。
おもむろに立ち止まったあたしはスマホを取り出し、アクアのメッセージを見つめる。
返信しようと指を動かすが、首を左右に降ってポケットにしまった。そして歩き出す。
昨日の夜からずっとこんな具合だ。
「あたしには関係ない」と思いつつも、「助けてやってもいい」と思って返信しようとしてしまう。だが、そのたびにバカらしくなってスマホをしまう。けどまたすぐにメッセージを読んでしまう——その繰り返しだった。
いったいどうしたいんだよ、あたしは。ほっとけばいいだろ?
なんでこんなにアクアを気にしてるんだよ。
廊下を進んだあたしは図書室の扉を開いて中に入った。
相変わらず無駄に広い部屋だ。教室の五、六倍はあるこの図書室の蔵所数は十万冊以上もあるらしい。
数人の生徒たちが本を読んだり選んだりしている。
まだあいつは来ていない。一応本棚の奥の席も確認する。
すると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
アクアだ。
机の上には本が散らばっていた。十冊以上はあるが大人バスに関する本ばかり。本を読みながらノートにメモをしていた。
「あー、わっかんない!」
アクアは両手で頭をかきむしった。
大人バスを調べて向坂ルイを見つめるためのヒントを探ろうとしているのか。でも、あいつはたしか——。
「そもそも漢字が多すぎるんだよ!」
アクアが苛立ちながら悪態をついた。
やっぱりか。本を読むのが苦手なのは変わっていない。
こいつは昔から地頭はいいが勉強や読書は苦手だった。自分の興味のある分野は徹底的に追求するが、興味のないことにはまったくやる気を見せない。
それでも小さい頃からテストではそこそこの点数を取っていたから、もともと能力が高いのは間違いないのだけれど。
かなり無理をしてるみたいだな。
どうする? やっぱり助けてやるか?
いや、でも……。
声をかけようか迷っていると、あいつがやってきてアクアの前に立った。
「うるさいのがいると思ったら。生きてたんだ?」
上品な微笑みとピンと伸びた背筋。自分用にアレンジして作った制服はセンスが良く、まるでファッションデザイナーのような出で立ち。その風貌を見るだけで育ちの良さがわかる。
アクアほど背が高くないが大きな瞳と長いまつげ、小さな顔は同じだ。こいつもモデルのような容姿を持っている。しかも優秀な頭脳も金も権力もある。
そう——この巳叉メメも、あたしにないものをすべて持っている。
アクアは顔をしかめた。
「サキにも同じこと言われたよ。お前らには優しさって言葉はないのかよ」
机に目をやったメメは、
「大人バス? これを調べるために学校に来たの?」と眉を寄せる。
「それは——」とアクアは言いかけ、
「……なんでもいいだろ」と目を伏せた。
メメはきょとんとするが、
「あら、来てたの?」
と、あたしに気づき、すぐにアクアへの興味を無くした。
「サキ……」アクアが振り返ってあたしを見るが、すぐに目を伏せる。
あたしもうつむき、なにも言わなかった。
知らないやつと喧嘩してもこうはならない。昔から知っている幼なじみには妙な情を持ってしまう。
「アクア、調べるのはまたにしてちょうだい。サキと話があるの。ほかの生徒にも出てもらった」
ほかの席を確認すると、いつの間にか生徒たちがいなくなっていた。アクアが声をかけたようだ。
「……は? 図書室はみんなのもんだろ?」
「そうね。けど優先権は私にある。校長にこの話をしたら私につくわ」
「なんで校長がメメの味方をするんだよ」アクアは怪訝な顔をする。
「この図書館は巳叉家の寄付金で作ったから。その大人バスの本も巳叉家のお金で買ったから」
メメの家は代々地元の名家で、父親はこのカグツチ市の市長をしている。地域貢献にも積極的であらゆる施設に寄付をしてきた。この図書館も数年前に巳叉家の寄付で改築されている。それ以外にも、巳叉家は毎年この不知火女子校に多大な寄付をしていた。
アクアは諦めたようにため息をついた。
「金がすべてってことかよ」
「そうは言ってないわ。ただ、すべてのことはお金に換算できる。世の中はそういうものよ」メメは薄く笑う。
「メメ……変わったな」アクアは険しい顔をするが、
「そうかしら?」メメは余裕の笑みを浮かべていた。
この二人の会話を見るのも四年ぶりだ。あたしとアクアと同じように、メメとアクアの関係も変わった。まるで初めて会ったやつらみたいだ。
「……わかったよ」とアクアはノートを閉じ、
「どのみち、あたしにはこういう調べ方は向いてないや」と立ち上がる。
「本はそのままでいいわ。生徒会のメンバーに片付けてもらうから」
「生徒会長ともなると、そんな命令もできるのか」
メメは一ヶ月ほど前に生徒会長になったばかりだ。
「頼み事をするとメンバーが喜ぶのよ」
「へえ。慕われてるんだな」
「あなたみたいに見た目だけで勝負してないから」
「そうかよ。あたしも内面を磨かなきゃな」
アクアは「じゃあな、サキ」とあたしの横を通り過ぎ、図書室を出ていった。
メメの変わりようにアクアは驚いていたようだった。メメはあの頃と比べるとドライになった。そんなところも昔からあったが、今はほとんど感情が見えない。たまに顔を合わせているあたしでも、メメがなにを考えているのかまったくわからない。
「さあ、話を済ませましょうか」
メメの乾いた声ががらんとした図書室に響く。
「例の件、NINEってバンドのものらしいの」
「NINE?」あたしは顔をしかめた。
「ええ。知ってるの?」
アクアの好きなバンドだ。向坂ルイも好きだったと言っていた。
「聞いたことがある程度だ」
「単刀直入に言うわ。そういう子は目障りだからどっかにやって」
「……わかった」
あたしが静かにうなずくと、メメは満足げに頰を上げた。
「そういえば、向こうの生徒会長はリンに伝えるって言ってた」
「……なんであいつが出てくんだよ?」
「いろいろあってね。リンはそういうのは放っておけないと思うから、それも頭に入れておいて」
「……ああ。仕事はそれだけか?」
「ええ。お金はいつも通り振り込んでおくから」
あたしは図書室の扉に向かう。
メメとあたしの関係も変わった。
あたしたちを繋いでいるのは「友情」ではなく「金」で、二人の関係は「友達」ではなく、「利害の一致しているビジネスパートナー」だ。
あたしは聖と一緒に暮らすための金を手に入れたいし、メメは自分の思い通りに動いてくれる駒がほしい。お互いに納得してこの関係を続けている。
……けど、メメと今日みたいな話をするたびに空しくなる。
あたしには、その理由がよくわからない。突き止める気にもならない。
きっと時間が経ちすぎたんだ。もう、あの頃には戻れないんだ。
そんなことを考えながら図書室の扉を開けると、アクアが立っていた。
あたしに気づいたアクアは目を大きくする。
「なにしてんだよ?」あたしが眉を寄せると、
「ボールペン、忘れたんだ」取り繕った笑顔を見せた。
……メメとの会話を聞かれたか?
まあ、構わないか。たとえ聞かれてもなにも把握できないだろう。
そんなことよりも、
「これからどうするんだ?」
あたしの問いかけに、アクアは「なにが?」と眉を寄せた。
「向坂ルイのことだよ」
……なんであたしはこんなことを聞いてるんだ?
だから、どうでもいいだろ?
「ああ、そのことか。わかんないけど、散歩でもしながら考えるよ。動いてるほが頭が回るんだ」
「……そうか」
「じゃあな」
アクアはそう言って図書室に入っていった。
5 アクアを尾行する
夕方、あたしはカグツク市駅の近くを歩いていた。
十メートルほど前にはアクアも歩いていて、さっきから腕を組んだり空を仰いだり首を捻ったりしている。
あのあと、あたしは図書室から出てきたアクアを尾けてしまった。
……なにをしているんだ、あたしは。
もしかして、アクアを助けてやりたいのか?
そんなわけないだろ。……じゃあ、なんで帰らないんだよ。
あたしは首を左右に振る。
さっきからこんなふうに自問自答ばかりをしている。どうかしてる。
横断歩道の信号が赤になり、アクアが立ち止まった。
あたしも立ち止まる。
……いつまでもこんなことをしててもなんだな。
仕方ない。そうとう困っているようだし手を貸してやるか。
けど、助けるのは一度だけだ。
アクアを助けたいんじゃない。助けないとまた頼んできそうだから仕方なく助けてやるだけだ。あいつがどうなろうがどうでもいいんだ。
あたしは歩き出し、アクアに近づいていく。
そのとき、アクアが横を向き、目を大きく見張った。
なにを驚いているんだ?
アクアの視線の先をたどると——リン?
リンが誰かと話している。キャップをかぶった金髪の女だ。
二人はすぐに別れ、リンは建物の中に入った。
アクアが歩き出したため、あたしは追いかける。
リンを追いかけると思ったら、アクアは金髪の女に歩み寄った。
そして、
「ねえ、一緒に遊ばない?」
声をかける。
振り返った女は怪訝な顔をしていたが、声をかけてきたのがあの辰巳アクアだとわかると話しはじめた。
「昨日のつぶやき見ました……私も願いを叶えるっていう大人バスのこと調べてたんで」
「大人バスの噂も知ってるのか? だったら二重に都合がいい。暇なら少し付き合って。コーヒーでも何でも奢るから、話聴かせてよ」
アクアと金髪の女はファミレスに入った。
あたしもバレないように店内に入り、二人の近くに座る。あたしたちのあいだには大きな柱があるために、お互いの顔は見えない。この位置なら聞き耳を立ててもバレないだろう。
金髪の女の名前は竹虎レオナ。リンと同じ目見田高校の一年生だった。
アクアはレオナに最近のリンの様子を聞こうとしていた。リンとはずっと話していなかったから、直接は話しかけづらかったらしい。
するとアクアが妙なことを言った。
「実は……先ほどお話しした大人バスに願いを叶えてもらった人って、リン先輩のことなんですよ」
リンが大人バスに乗った?
しかも、大人バスに願いを叶えてもらって、「永遠の17歳」というループ能力を手に入れて、何十回もタイムループしている?
おいおい、どうししちまったんだよ、リン?
……でも、あいつは嘘をつくやつじゃない。本当にタイムループしてるってことか?
あたしが困惑しているとアクアが言った。
「中学の頃の私たちは、仲良しグループだった4人だけが世界の全てだった。それは、リンが一番そう思ってたんじゃないかな。もしも不思議な力でやり直せるとするなら、転校の前から巻き戻してもおかしくはないんだけど……」
そのときにわかった。
アクアもあたしたちとの関係を大切に思っていたと。おそらくリンも……。
本当はわかっていた。四人ともあたしと同じようにあたしたちの関係を大切に思っていたと。
けれど、いつの間にか、それすら信じられなくなっていた。
あたしの心にぽっかりと開いていた大きな穴が、ゆっくりと埋まっていく感覚になった。
所詮はこどもの頃の話だ。あたしたちはあの頃とは変わった。
それでも、あたしの頰は自然と上がっていた。
あのときの絆が本物だったとわかって、あたしの胸はあたたかくなった。
「ごめんなさい! やることできちゃったんで、ボク帰ってもいいですか?」
レオナは先に帰った。
レオナの後ろ姿を見ていると、あたしの席の前に誰かが立った。
「……で、なんで私を尾けてるんだ、サキ?」
アクアが腕を組んで笑っていた。
あたしはアクアの顔に見とれる。
不思議だった。
アクアの笑顔が、昨日みたいに汚く見えなかった。
そのときに気づいた。
あたしはアクアのことを「汚い大人になった」という色眼鏡で見ていたのかもしれないと。
変わったのは疑い深くなったあたしで、こいつは、あの頃となにも変わっていないのかもしれないんだ。
6 アクアの覚悟
ファミレスを出たあたしは急ぎ足で歩く。
そんなあたしの横を、アクアがぴったりと張り付いてくる。
「なんで尾行していたんだよ?」アクアが顔を寄せる。
「してねえよ」あたしは目をそらした。
手を貸したかったとはとてもじゃないが言えない。尾行がバレたことで逆に手を貸しにくくなった。
「やっぱりなにか知ってんのか?」疑惑の目を向けられた。
「なんの話だよ」歩きながら聞き返す。
「図書室でメメとNINEの話をしてたろ?」
やっぱりあのとき聞いてたのか。けど、妙な勘違いをしている。
「あれは別の件だ。お前とは関係ない」
「別の件って?」
「だから、関係ないだろ?」
「私だけハブるなよ。リンとも会ってるのか?」
リンの話も出たから、自分だけ仲間外れにされたと思ってるのか。
「リンとは会ってないし、メメとはただのビジネスパートナーだ。お前が思ってるような関係じゃない」
「だったらなんで私を尾けてたんだよ?」
だから、手を貸そうとしてたんだよ! ——と、つい言いそうになる。
追求されるほど、「手伝う」という、たったひと言がどんどん言えなくなる。
……とにかく、今日はいったん帰るか。手伝うにしても後日だ。
あたしは走り出した。
「あっ!」とアクアもすぐに走って追いかけてくる。
アクアにはほとんどのことは勝てないが、運動神経だけはあたしのほうが上だ。アクアは小さい頃から運動はそこまで得意ではなかったし、最近は体育の授業にも出ていないから体力が落ちている。すぐにへばるだろう。
——と思ったら、意外にもしつこく着いてきた。
五百メートルほど走ってもアクアはへばらなかった。
「待てよ、サキ」
「しつこいな。諦めろよ」
どうするか——と思ったとき、不知火女子校が見えた。ひらめいたあたしは、そのまま不知火女子校まで走っていった。そして校門をくぐり中に入る。
後ろを見ると、まだアクアが着いてきていた。綺麗な顔をゆがめて苦しそうに走っているがペースは落ちていない。その表情からは執念のようなものを感じる。なんでこんなに必死になって着いてくるんだよ?
……まあ、いい。これで諦めるだろ。
そのまま校舎まで走ったあたしは花壇を越えて外壁に飛びつく。
そしてロッククライミングのように、外壁の出っ張りやパイプや窓の縁を掴んで上に登っていく。
二階まで登ったところで下を見ると、アクアが口をぽかんと開けてあたしを見上げていた。
「人間かよ……」
あたしはニヤリと笑い、横に伸びているパイプの上に立った。
見上げると、三階の教室の窓が開いている。誰かが開けっぱなしのまま帰ったようだ。
ジャンプして窓の縁に手をかけた。そのまま這い上がり教室に入った。
窓から顔を出して下を見ると、アクアが呆然としていた。
これで諦めるだろう。そう思ったあたしは、
「じゃあな」
とアクアに手を振る。しかし、
「ちょっと待て! ……私も登る」
アクアは外壁のパイプに手をかけた。
はじめは冗談かと思ったけど、本当に登ってきた。
「無理すんなよ。怪我したら仕事できねえだろ」あたしはアクアを見下ろす。
「うるさいな。黙って待ってろよ」
アクアが近づいてくるにつれ、あたしの笑顔は曇りはじめた。
地面はコンクリート。この高さから落ちたら確実に怪我をするし、当たり所が悪ければ死ぬことだってある。
しかし、アクアはさらによじ登ってパイプの上に立つ。あとはジャンプしてあたしのいる三階の窓の縁を掴み、教室に入るだけだ。
アクアは下を見た。その瞬間、細い首の喉仏が動く。
これだけ高いところに立てば、肝の据わったアクアでも怖いはずだ。
「怖いだろ? やめとけよ」
「怖くないよ」
アクアはジャンプして窓の縁に両手をかけた。
しかし、すぐに左手がすべり、右手一本でぶら下がる形になった。
あたしは反射的にアクアの右手を掴もうとする。だが、
「さわんな!」
そうさけばれ、あたしの動きが止まる。
アクアは左手で窓の縁を掴んだ。そのまま両腕を曲げて這い上がろうとする。
が、腕が伸びた。ここまで登ってきて腕の力が残ってないんだ。
「このままだと落ちるぞ」あたしは苦笑いするが、
「自分で上がらないと意味がないんだよ!」アクアはあたしを見上げる。
「自分で? ……なんで?」
「こどもの頃も……こうしてくっついてればよかったんだ」
アクアは眉間にしわを寄せる。その大きな瞳には悔しさがにじんでいた。
「いじめられてたんだろ? 昨日学校の子たちにサキのことを聞いた。それで初めて知ったんだ。小五から中一までの三年間、なにも気づかなかった」
アクアの左手がまた縁から離れ、右手だけでぶら下がる。
あたしは右手を掴もうとするが、
「さわんなって!」
また制止されて固まる。
アクアはあたしをまっすぐ見つめる。
「どんなに素っ気なくされても、こうしてくっついてればよかったんだよ。私はずっと四人を姉妹みたいに思ってたよ。離れてても、話さなくても。けど、会わなきゃいけなかったし、連絡しなきゃいけなかったし、くっついてないといけなかった。思ってるだけじゃダメだったんだよ。これは、私なりの”ずっと友達でいる覚悟”だ。自分の力でサキとくっついてないといけないんだ」
アクアはまた左手で縁を掴んだ。両手を曲げてなんとか上がろうとする。
執念の源はこれか。
あたしを見つめる瞳から、窓の縁にかけた真っ赤な指先から、肘や膝の擦り傷から、アクアの本心が伝わってきた。
あたしはアクアを見つめる。こいつは本心をさらけ出した。
だったら、あたしはどうする。あたしは、どうしたいんだ——?
アクアの両手が窓の縁から離れた。
地面に向かって落下しかけたとき——あたしは右手でアクアの左手を掴む。そのまま片腕だけで体を引き上げて教室に入れた。
アクアは床に尻餅をつく。
「軽すぎだろ。飯食ってんのかよ?」無表情で見下ろすと、
「モデルは体型が命なんだよ」アクアはうつむき息切れしていた。
「空手やってるんだろ。私も同じところに通っていいか?」アクアがあたしを見上げる。
「……なんで?」
「ベタベタさわってくるカメラマンがいるんだ。そいつを蹴り上げたい」
アクアは笑った。だが、
「断る」
あたしが冷たく言うと、その顔から笑みが消える。
しゃがみ込み、あたしはアクアに顔を近づけた。
「あたしもベタベタされるのにはウザいんだ。今日だけ付き合ってやる」
あたしが顔をゆるめると、アクアも口元を上げた。
あたしはやっぱり、これくらいでいいや。
7 サキのSilicaで聞き込み開始
「早速はじめるか。Silicaで聞き込み開始だ」
教室の机に座っていたあたしはスマホを取り出す。
「サキ、Silicaやってんのか?」アクアは意外そうに眉を寄せた。
「鍵垢でな。この辺のヤンチャな女子たちにフォローされてる。あたしのつぶやきはこの子たちしか見られない」
アクアにスマホの画面を見せた。アカウントのアイコンはブルースリーの写真だ。
「フォロワー1000人か。サキはこの子らのボスってこと?」
「そんなんじゃない。メメと同じで利害関係が一致してるだけだ」
あたしは文字を打ち込む。
『あんたたち、向坂ルイって子のこと知らない?』
アクアから聞いた情報もすべて書いて投稿した。
すぐに反応が返ってきた。
『知らないです』
『そいつ、サキさんになんかしたんすか?』
『捕まえるなら協力しますよ』
瞬く間に五十件以上のリプライが返ってきた。
だが、どれも役に立ちそうな情報じゃない。
「すっごいね、サキ。めちゃくちゃ慕われてるじゃん!」
「だから、そういうんじゃねえって。次は行方不明になった不知火女子の生徒のことだな」
その女子生徒と向坂ルイの共通点は行方不明になったこと。二人に接点があるかはわからないが、「女子高生が行方不明になる」なんて滅多にない。
アクアの言う通り、なんらかのヒントが掴める可能性もなくはない。
『一ヶ月前にうちの高校で行方不明になった生徒がいるらしい。詳しく知ってるやつはいるか?』
今度もすぐにリプがつく。
しかも、さっきと違って役に立ちそうな情報が次々と舞い込んできた。
『その子、不良の友達は多かったけど本人は真面目でしたよ。家も金持ちで頭も良い、典型的なお嬢様って感じでした。恋愛にはハマるタイプでしたけど』
『あの子って不知火女子の数学教師と付き合ってなかったっけ?』
『それ、ウチのクラスの担任。一緒に腕組んで歩いてたとこ見たよ』
『あの教師、ほかの学校に赴任したよね?』
『その少し前に、あの子も行方不明になったんすよ』
『っていうか、あの教師も赴任先で行方不明になったって聞いたよ。赴任したの従兄弟の高校なんだよね』
女子生徒と男性教師の写真も投稿された。
アクアが顔をしかめる。
「おいおい、ほぼ同じタイミングで教師と生徒が行方不明って……もしかして、駆け落ちか?」
「……どうだろうな」あたしは頬杖をつく。
その可能性もある。ただ、それなりに頭のいい生徒なら、駆け落ちなんてしたらどうなるかは予想できるはすだ。
世間の目から隠れ、知らない土地で暮らす。今までは贅沢をしていたのに、実家の金も使えずに大学進学も諦めないといけないかもしれない。本人は不良ではないし、いくら恋愛体質だからって、そんな思い切ったことができるだろうか。
「サキ、このリプって……」
アクアがスマホを指さす。
あたしはそれを読んだ。
『そういえば、こないだ生徒会室を通りかかったとき、メメさんがその件について話してる声が聞こえたんです。なにかの冗談だと思ったから、わざわざサキさんに話すことじゃないかもですけど……』
あたしは文字を打つ。
『いいから教えて』
『……はい。メメさんと誰かがその二人のことを話してて、「二人を消してください」って言ってたんです』
「……なあ、メメって生徒会長になったばっかだよな?」アクアが深刻そうに腕を組む。
「一ヶ月前になったばっかだ」
「メメのこともみんなに聞いたんだ。”愛校心が強い”ってみんな口を揃えていた。まさか……学校の評判を汚さないために殺すなんてことはないよな。さすがにそんなの現実離れしてるよな?」
アクアは引きつった笑顔を見せ、自分の予想を否定しようとする。
たしかに現実離れしている話だが、メメはのめり込んだら止まらない。その性格がわかりやすく表れているのがビジネスだ。
メメは中学に入ってから金に執着しはじめた。
ファッションブランドやコスメブランド、不動産投資や米国株投資、暗号通貨などのビジネスを行い、今や年商は一億と越えると言われている。
メメのいちばんの凄さは行動力だ。頭もいいが、目標を決めたらとにかく愚直に行動して実現させる。そのやりぬく力が常人とはかけ離れている。
あいつの愛校心が、金への執着心と同じくらい強かったとしたら……。
あたしは机から降りてアクアに言った。
「行くぞ。本人に聞けばわかることだ」
8 メメの闇
あたしとアクアが生徒会室に着くと、ちょうどメメが部屋に入るところだった。
「メメ」とアクアが走っていく。
メメは首を傾げてあたしたちを交互に見た。
「意外な組み合わせね。同窓会でも計画してるの?」
「メメ、”二人を消してください”ってどういう意味だよ。前にここで話してたんだってな」アクアは興奮気味に生徒会室を指さす。
しかしメメは微笑したまま、
「……なんのことかしら? 同窓会の日取りが決まったら連絡して。時間があれば顔を出すわ」
生徒会室の扉に手をかける。その手をアクアが掴んだ。
「やばいこと……してないよな?」
眉を寄せ、心配そうな顔。アクアはメメを友達だと思っている。あたしにはそれがわかった。
「離して。あなたたちには関係ないでしょ?」
メメは目を見開き、鬼気迫る顔でアクアを見据える。
その瞳には憎悪が燃えていた。
きっとその怒りはアクアにもあたしにも向いていない。けれど、メメはなにかにすごく怒っていることだけはわかった。
今にも爆発しそうなその怒りが、メメの原動力になっている。そんな気がした。
あたしもそうだからわかる。いじめられてきた怒りが原動力になっていろんな揉めごとを解決してきた。その根底には「もう自分のような犠牲者を出したくない」という怒りがある。
だったら、メメはなんでこうなった?
いったい、なにに怒っている?
メメを突き動かしているものはなんだ?
メメとアクアが見つめ合う中、生徒会室の扉が開いた。
「会長、お客様がお待ちです」
「”あの二人のこと”でお話があると」
無表情で部屋から出てきたのは生徒会のメンバー二人。メメの側近たちだ。
メメはアクアの手を掴んで自分の手から離し、口元をゆるめた。
「今日は時間がないの。話はまた今度にしましょう」
ひとりで生徒会室に入る。そして、
「あなたたちも帰っていいわ。お客様とは二人で話したいから」
生徒会のメンバーたちに言った。
「おい、話はまだ——」
アクアが言っている最中、メメは扉を閉めた。中から鍵をかける音がする。
生徒会のメンバーたちは廊下を歩いていった。
アクアが扉を開けようとするがビクともしない。
「なんだよ」とアクアが苛立ちながら後頭部をかく。
「……どうする、サキ?」
今までだったら放っておいただろう。
メメとあたしの関係はただのビジネスパートナーだったんだから。お互いに利害が一致しているから付き合っていた。
ただ、あたしはさっき気づいてしまった。
「アクアのこともメメのことも、もう関係ないと思おうとしてた。でも、はっきりとわかったよ。メメが”あなたたちには関係ない”と言ったとき、ムカついた。だから、無理にでもどういうことなのか聞いてやる」
あたしは、やっと自分の気持ちに素直になれた。
こうなったら、もう迷うことはない。
自分にやれることをやるだけだ。
9 ロッククライミング
あたしはジャンプして外壁のパイプを両手で掴む。
足が宙に浮きぶらりと揺れた。
両手に力を入れて這い上がり、横に伸びるパイプの上に立つ。
あたしの横には五階の教室の窓がある。
パイプを少し歩くと、足を踏み外した。体勢を崩すが、壁の出っ張りを掴んですぐに立て直す。
ここまで来ると地面の花壇がかなり小さく見える。
手の平を見ると、汗がべったりとついていた。
さすがにこれだけ高いとあたしでも怖い。
あたしはまた、校舎の外壁を登っていた。
あのあと、あたしたちは生徒会室の前で聞き耳を立てたが、メメと”お客様”の会話は聞こえてこなかった。メメは部屋の奥で会話しているか、声のボリュームをかなり落としているかもしれない。
だからあたしは、外壁を登って七階の生徒会室まで行くことにした。
本当は同じ七階のどこかの窓から出て外壁を移動したかったが、放課後の教室には鍵がかけられていて入れない。十階建ての校舎の屋上から降りると逆に危険だ。メメが誰とどんな話をしているのか知るにはこの方法しかなかった。
今度は三階まで上がったときとはわけが違う。五階以上の高さからコンクリートに落ちれば、怪我をするより死ぬ確率のほうが高いだろう。
しかも、外は夕日が登って暗くなりはじめている。早く登らないと辺りが見えなくなって危険度は高くなる。我ながらバカなことをしている。
——けど、あたしはメメに教えないといけない。
メメへの思いが勝手に溢れてきた。自分の本心がわかったから、今まで溜めていた感情が出ているのかもしれない。
あたしは外壁をよじ登っていく。
が、動きが止まる。高くなるにつれ、止まる回数が増えている。
どこを掴むか、どこに足をかけるか、どのルートで登るか——迷ってなかなか上がれない。こうしてひとりで登っていると怖くなるんだ。だから判断力も鈍る。
——メメも今こんな感じかもしれない。あいつは孤独なんだ。
あたしはパイプに足をかけた。しかし足に踏ん張りがきかず、踏み外してしまう。あたしの体が後ろに倒れる。
——ひとりで進もうとするとこんなミスも起こる。判断力が鈍り、足を踏み外してしまうんだ。
だが、あたしの体が静止する。そして前に引き寄せられた。
「サキ、大丈夫か?」
上に目をやると、アクアがロープを引っ張っていた。そのロープはあたしの体に巻き付いている。
「大丈夫だ」
あたしが口元を上げると、アクアも白い歯を見せた。
——そう、足を踏み外しても、仲間がいたら戻ってこられる。メメ、お前はそのことを知らないだろ?
あたしは再びパイプに足をかけて外壁を登っていく。
一度アクアに引っ張られたからだろう。「ミスっても大丈夫」という安心感もあって、ルートに迷うことがなくなり、すぐに七階の高さまで登れた。
——メメ、仲間がいれば、こうして道を踏み外さずに進んでいけるんだ。
パイプに立ったあたしはロープを外し、アクアに向かって親指を立てた。アクアも親指を立ててロープを引き上げる。このあとアクアは生徒会室の前で待機している予定だ。
あたしは横に伸びるパイプを歩いて生徒会室に近づいていく。
生徒会室の窓がすぐそこに見えた。窓が少し開いている。あたしはそこに向かう。
——あたしはここまで孤独でキツかった。メメもキツいんだろ。あたしたちに頼れよ。そうすれば楽になるから。
「以上、説明した通り二人は完全に消しました。消した痕跡もなにひとつ残していません」
開いている窓から声が聞こえた。
男の声だ。メメは大人の男と話しているのか。
「ご苦労様でした。大変でしたか?」メメの声だ。
「口止め料でしぶる人物が何人かいまして……しかし、金額を上乗せすることで納得しました」
口止め料?
まさか……殺人事件を目撃したやつを金で口止めしたってことかよ?
唖然としていると、メメがクスクスと笑いはじめた。
「どうされました?」
「いえ……昔の知り合いに”金がすべてってことかよ”と言われたんです。彼女は怒ってて、こどもの頃と変わっていませんでした。可愛かったです」
男はメメに合わせるように少し笑って、
「十七歳なら、それくらいが普通かもしれません」落ち着いた声を出す。
「そうですね。なにもわかってないわ」
「ええ」
この男の声……どこかで聞いたことがある。
どこで聞いた? ……今まで何度も聞いている。
身近な人間か? 誰だ?
「では、私はこれで。経費が正確に出ましたらまたご報告します」
椅子を引く音。
まずい。男に逃げられる。
あたしは窓を開けて生徒会室に入った。
メメと男があたしを見る。
あたしは男の顔を見て絶句した。
その男は——この高校の校長だった。
10 明らかになる真相
「どういうことだよ……校長が殺したのか?」
あたしが目を丸くしていると、メメが頰をゆるめた。
「お行儀が悪いわね。窓は出入り口じゃないわよ」
母親がこどもをなだめるような言いかただった。
校長は無表情で感情が読み取れない。ただ、こいつもメメと同じでまったく焦っていないことはわかった。
生徒会室に緊張が走る中、
「サキ、開けろよ。”校長が殺した”ってどういうことだよ⁉」
扉の外からドンドンと音がする。
アクアだ。
あたしは扉に向かっていき、鍵を開けた。
中に入ってきたアクアは目をまん丸くする。
「あれ、校長先生⁉ なんで……」
メメと校長の座っていた机の上には、行方不明になった女子生徒と男性教師の写真や、いろんな書類が置かれていた。
やっぱり”あの二人”というのは、付き合っていたこいつらのことだ。
「メメ、校長と協力して二人を殺したのか?」
あたしが切り出すと、
「校長先生、あとは私が」
メメは校長に微笑みかけた。
「わかりました。では、失礼します」
校長は無表情でメメに頭を下げ、生徒会室を出て行った。
……なにかがおかしい。さっきの会話も今の校長の態度も。
「なんで校長よりメメのほうが偉そうなんだよ?」
アクアは困惑していた。
そう、いくらメメが生徒会長だからって、実家がこの学校に大金を寄付してるからって、校長が生徒に頭を下げるなんてありえないのだ。
それに、さっきの会話も……。
メメと校長は立場がおかしかった。まるでメメが校長に「二人を殺せ」と命令していたみたいに……。
そのときだった。
「私、この学校を買ったのよ」
メメはなんでもない顔で言った。
あたしもアクアも固まる。
理解できなかった。言葉の意味はわかる。けど、ジュースやお菓子を買うのとはわけが違う。女子高生が学校なんて買えるわけがないのだ。
「買った? いくら金持ちだからって……つーか、学校って買えるのかよ?」
アクアが戸惑いの笑みを浮かべる。
「言ったでしょ。すべてのことはお金に換算できるの。あの二人のことも、あらゆるところにお金をばら撒いたから、私が消したと誰にもバレていない」
「……本当なのか?」あたしは確認する。
「ええ」メメは即答した。
真顔のメメを見て、真実を言っているとわかった。
あの二人を消したことも、学校を買ったことも、本当のことだ。そう考えると、校長との会話のやり取りにも納得がいく。
「なんで……高校なんて買ったんだよ?」
アクアが困惑しながら聞くと、メメは窓際まで歩いて夕日を見つめた。
「もっとお金を増やすため」
「十分あるだろ?」アクアはメメに歩み寄る。
「足りないのよ」メメは大袈裟に眉を下げる。
「総資産の五十億を百億に増やしたいの。高校運営はその手始めよ」
普通じゃない——。
メメの総資産が五十億もあることも、この高校を買ったことも、総資産を百億に増やそうとしていることも、すべてが常識離れしている。
だけど、メメは希望に満ちあふれた笑顔をしていた。本気でこの計画を達成しようとしている。
メメの計画はわかった。つまり、そのために……。
あたしは口を開く。
「金を稼ぐためには、この学校の評判を落としたくない。だからあの二人を殺したのか?」
生徒と教師が付き合っていたら学校の評判が落ちる。入学希望者も減るし、寄付金も集まらない。ほかの学校を絡めたビジネスもやりにくいだろう。
「そうなのかよ?」
アクアがメメの肩を掴む。すると、
「評判? 殺す?」
メメは呆れ顔をして首を傾げた。
そして静かに笑い出す。クスクスと笑い、声をあげて高笑いした。
あたしとアクアは呆然とその光景を見つめる。
やがて笑いを止めたメメは、目の縁に貯まっていた涙を手で拭った。
「そんなことして私になんの得があるのよ。校則を破ったからよ」
「……校則?」
予想もしてなかった言葉を聞き、あたしは声をもらす。
「そう、ただの罰」メメは機嫌良く答えた。
「罰って……」アクアが不可解そうな顔をする。
「心配しなくても生きてるわ。名前を変えて別の土地で暮らしてる。もちろん、二人は一生会えないけど」
そういうことか——。
メメが言っていた「消す」というのは「殺す」ではなく「戸籍を消して別人として生きさせる」という意味だったんだ。
それでも、校則違反くらいで……?
「なんでそこまでするんだよ?」あたしは聞いた。
「校則を破ったからよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」メメはきょとんとする。
「本当に……校則を破っただけでそこまでしたのかよ?」
アクアの問いかけに、メメは「ええ」と当然のようにうなずいた。
「だって、私の学校なのよ。私の決めた規律に従わない人間はいらない。私はこの学校を完璧に統治したいの」
夕日をバックに両手を広げていたメメはどこか神々しかった。
その理由は……自信だ。こいつは全能感に包まれている。自分にできないことはないと思っている。
実際、メメはなんでも実現してきた。まだ17歳なのに、突き抜けた頭脳と行動力で金も地位も名声も手にしている。このままだと、この学校はメメの思い通りにコントロールされるだろう。
けれど、考えかたがあまりにも極端すぎる。
「万引きをする生徒を見つけるたびに消すのか?」
あたしは静かに聞いた。
「そうかもね。暴力を肯定しているあなたも消すかもしれない」
メメはいかにも悲しそうに眉を寄せる。
「メメ、どうしちゃったんだよ。なんでこんなふうに……」
アクアが眉間を寄せると、メメは鼻で笑った。
「私はなにも変わってない。あなたたちが私を知らなかっただけよ」
バカにするような笑顔であたしたちを見つめる。
——あたしは伝えなきゃいけない。
メメはあたしたちの友達だと。その言葉を伝えれば変わるはずだ。このまま道を踏み外してしまう前に——。
「メメ、あたしたちは友達だろ?」
あたしの言葉に、メメは目を丸くした。
アクアも真剣にメメを見つめている。あたしと同じよう思っているはずだ。メメを助けたいと。
あたしは続ける。
「こうなるまでに、なにかあったんだよな? なんでそんなに金を増やしたいんだよ? なんでそんなに規律にこだわるんだよ? 話せよ。あたしたちが力になるから。だって、あたしたちは友達——」
「笑わせないで」
メメが顔から表情が消えた。人形のように感情が見えない。
凍えるような冷たい瞳だった。この世の誰も信じていないような濁った瞳をしていた。
メメはあたしたちを完全に拒絶している。メメとあたしたちのあいだには越えられない溝があると感じた。
無表情のまま、メメは続けた。
「私には友達なんていない。最初からひとりもいなかった」
夕日に照らされたメメを見つめながら、あたしは悟った。
これ以上、どんな言葉をかけてもメメは変わらないと。もうなにを言っても無駄だと。それほどメメの問題は深いのだと直感した。
だけど、同時にあたしは決めた。
メメはこのままだときっと危険だ。
そして、メメがこうなってしまったことには理由がある。
今はまだ無理でも、いつかメメを助ける。
どんなに拒絶されようが、あたしは絶対に諦めない。
どんなに道を踏み外してもメメを見捨てない。
あたしはそう決めた。
だって——あたしたちは友達なんだから。