(2/8) 『占い師オリハシの嘘』第1話試し読み

文字数 5,630文字

 占い師オリハシの「代役」は、まずは場の雰囲気作りから。

 天井の明かりは少し抑えめに。仏壇から拝借してきたLED蠟燭を適当に立て、ローブに見せかけた濃い色の「着る毛布」を被る。机の上に何を置こうかと引き出しを探った結果、百人一首を裏返して数枚並べておいた。どれもこれもスピリチュアルな効果なんてないけれど、そもそも奏がすることは、占いなんて神頼みなものではない。

 パソコンを立ち上げ、占い師オリハシ専用のウェブ会議システムに接続する。これは姉の──本物の占い師オリハシの仕事道具だ。

 依頼者には事前にアドレスを伝えてある。約束の時間になると、間もなく一人の男性が画面に映った。

 眼鏡の男性。奏の目には自分よりそこそこ年上に見える。事前にメールで届いた情報には、三十一歳と記載があった。個人情報とかプライバシーとかの兼ね合いが面倒だと、以前に姉がぶつぶつ言っていたけれど、今回の依頼者はこちらの提示した質問項目に余さず答えてくれたので有り難い。三十一歳、男性、会社員。名前欄には「サカイ」と書いていた。これが彼の本名かどうか、知る方法はいまのところない。

 奏はウェブカメラに向けて、深々と頭を下げた。

「星の巡りに導かれし迷える子羊よ。お初にお目にかかります──わたくしが、占い師のオリハシでございます」

 両腕を振って着込んだ毛布の袖を大きく翻しつつ、いかにもな挨拶をする。その方が、「らしく」見えて大多数の依頼者に「ウケる」のだ。

「……あ、どうも」

 依頼者がまごついているのは見ないふりで、言葉を続ける。

「このたびはご依頼をありがとうございます。どうぞ、楽にして、ご自由にお話しください。ご依頼は『結婚運を占ってほしい』とのことでしたが」

「え、ええ、はい。……結婚を考えている人が、おりますので」

 もそもそとした頼りない喋り方は、ウェブを使った話し合いに慣れていないのではなく、地なのかもしれないと感じた。

 結婚。その言葉を口にしたサカイ氏は、照れくさそうに顔を背けた。大学生の奏には、結婚なんてまだ遠い未来のことで、依頼者のその表情を見るだけでむずがゆい気分にはなるが、それは当座の問題でない。きりりと顔を引き締めて、聞くべきことを口にする。

「サカイ様。失礼ですが、そのことに関して何か、人に言いにくいことを抱えておいででしょうか?」

 ディスプレイに、サカイ氏が目を見開く様子が映る。──やはり。

「どうして──」

「いえ。そのように、星が申しておりますもので」

 実際にはこれも推測の結果だ。

 サカイ氏のメールの文面は遠回しな表現が多いというか、妙に歯切れが悪かった。自分の悩みをメールにして送るということは、取りも直さず「相談内容が文字として残る」ということだ。彼の打った文章はそれを厭うているように見えた。

「正確なところを伺わないと、適切な占い結果を出すことはできません。どうぞここでは、サカイ様の思ったことや感じたことを、正直にお話しください。もちろん、ここで見聞きしたことはオリハシの中に留めておき、一切他言しないことをお約束いたします」

 と言いつつ奏は本物のオリハシではないが、そこは代役ということで。修二には将来的に折橋姓を名乗ってもらえば問題なかろう。いずれにせよ占い師の方からそう告げることで、依頼者の口が高確率で緩みやすくなることは確かだ。

「……はい」

 そして今回もご多分に漏れず、そのタイプの依頼者だった。

 サカイ氏のはっきりしない発声は変わらずだが、奏の言葉を受けていくらか表情に力が入った。落ち着かない視線は、画面の少し下に向けられている。

「メールでも申し上げたことですが、わたしには、学生時代から交際している恋人がおります。彼女はわたしより二つ下の二十九で、会えば結婚のことも意識するようになってきました。ただ」

「ただ?」

 奏はカメラに映らないところでノートにペンでこそこそ走り書きしながら、彼の言葉を繰り返す。恋人、女性、二十九歳、結婚の話。

「最近、どうも彼女の様子がおかしいのです」

 様子が、おかしい。

 結婚で様子がおかしいというと、心変わりかマリッジブルーか。もしくは他に好意を抱いている人が……いや。どれと判断するにも、まだ情報が足りない。

 奏はタロット代わりの百人一首を取り上げ、十字形に並べる。一枚一枚に正しい置き場所があるかのように丁寧に置きつつ、目算を誤って左端だけ詰まってしまうがそ知らぬふりを決め込んで。

「サカイ様の彼女さんは、どのような方ですか? あ、ええと……その、彼女の星の巡りも併せて占いをいたしましょう。星座やお人柄など教えていただけたら」

「魚座だったと思います。積極的なタイプで、興味のあるものには真っ直ぐな性格をしています。……大学時代、教室で彼女がわたしに話しかけてくれたのが、親しくなるきっかけでした」

 出会った頃のことを克明に思い出したのか、ふにゃり、とサカイ氏の頰が緩んだ。

「とても魅力的な子なんですよ、彼女。堂々としていて、話しぶりも立派で、頭の回転も速くて。彼女に惹かれた男性は、僕が知っているだけでも両手の指じゃ足りません。だのに彼女は、なぜか僕を選んでくれて。告白も、彼女からしてくれて……いやぁ、僕にはまったく高嶺の花で、釣り合わないと思ったから何度も断ったんですが、押しに押されて三回目の告白で、ほとんど無理やり首を縦に振らされました。彼女のことは心から愛しているんですが、いや本当、彼女の恋人が僕なんかでいいのかなぁって、いっつも……」

「様子がおかしい、というのは?」

 残念ながら当店は占い処であって、のろけを聞くサービスは対象外だ。

 そもそも自分の恋路すらまだ片思いでうまくいっているとは言い難い状況で、依頼者とはいえ他人ののろけを平常心でいつまでも聞いてやれるほど奏は大人ではなかった。彼の情報が脇道に逸れてきたところで、咳払い一つ、彼の早口に割って入る。彼は頰を染めて「失礼しました」と一言、話を本筋に戻した。

「オリハシ先生。先ほど先生は、わたしの思ったことや感じたことを、正直に……とおっしゃいましたね。少し、非現実的なことを伺ってもいいでしょうか」

「どうぞ」

「先生は、呪いや、魔女、というものが実在すると思いますか」

 そんなもんあるわけないでしょ、何をバカなこと言ってるんですか大の大人が──

 と、喉もとまで上がってきたのを奏はなんとか押しとどめた。いまの自分は女子大生・折橋奏ではなく、占い師オリハシ(代役)だ。細く長く息を吐いて、喋る速度を落とす。

「実在するともしないとも、占い師であるわたくしの口から断言することは差し控えましょう。しかし、サカイ様。この話の流れであなたがそれを口にするというのは、まるでいまのサカイ様が」

 一拍置いて。

 カメラを見つめ。

「あなたか恋人さんのいずれかが魔女に呪われていると、信じているかのようです」

 ディスプレイに映る依頼者の、頰が明らかに引きつった。

 奏は何も言わず、カメラを見つめて静止する。そのままじっと眺め──依頼者が息を吞んだとき、微笑むように自分の目の力を抜いた。大丈夫、と安堵を誘うように。

 ディスプレイの向こうで、依頼者が泣きそうな顔をした。

「先生。……笑わないで、聞いてくださいね」

 ようやく彼が、口を開いた。彼との根競べに勝ったのだ。

「昨今の彼女は──つねに、誰かと話しているのです」

「誰かと、というと」

 どういうことだろう。奏が繰り返すと、サカイ氏は「ええ」と頷いた。

「とても聞き取りにくい声で、誰とどのようなことを話しているのか、内容まではわからないのですが。うつむき加減で、もごもごと……ときどき聞き取れるのは『わたしは』『君が』と。まるでここにいない誰かと、何かについて会話しているようで」

 一人称と二人称。それは確かに、相手がいて成立するものだ。

「認識の共有のため、確認をさせてください。それは、サカイ様とともにいるときも、サカイ様ではない誰かと話しているということですね。電話などでもなく──それが恋人さんの対話相手だと、サカイ様が認識することのできない誰か、もしくは、何かと」

「そうです。振る舞いも、心ここにあらずといった様子でいることが多く……と思えば、落ち着きがなく。妙に、そわそわしているときもあります」

 その様子は確かに異様だ。いま聞いただけの奏ですらそう思うのだから、誰より近くにいるサカイ氏ならば、さらに違和感を覚えただろう。

「それと」

「はい」

「最近、あまりにそうしてぼうっとしていることが多いから、具合が悪いのなら病院に行こうよと声をかけたんです。呪文のように何かをぶつぶつとずっと言っているから、どうかしたのかい──と。すると彼女は『呪文。そうかもしれない』と。どうしてか、わたしがそう表現したのが彼女にはいやに面白かったようで、笑いました。彼女にしては珍しく、声を上げてケタケタと……何かに呪われ、あるいは取りつかれたかのように。そして『ならばわたしは、呪いをかけようとしている魔女なのかもしれないわ』と」

 魔女。呪い。奏はそんなものを信じてはいないが、いまこの場では、そうとはっきり断言できない。依頼者がそれを原因として強く疑っている以上は、可能性を無下にできない。ノートに「魔女」「魔法」「呪い?」と書いた。ちょっとのストレス解消を兼ねて、矢印を描き「超非科学的」とも。

「わたしのことが嫌いになったとか、そういうことではないようです。……親しい友人に頼み、彼女の様子をそれとなく調べてもらいましたが、浮気や、他の人に気移りしたという様子もないそうでした」

「何か最近、彼女さんが新しく手に入れたものとか、新しく行った場所とかありますか。えっと、その、お気に入りのものとか、方角とかから占えることもありますし。もし何かに……取りつかれているとしたなら、その元凶がわかるかもしれません」

 呪いも憑依もあまりに非科学的だが、ここはそう言わざるを得ない。ローブの中の手をそっと背中に回し、覚えたかゆみを擦りながら、表情だけは真顔を保って尋ねる。

 依頼者はしばらく顎に手を当てて唸っていたが、はたと顔を上げた。

「手に入れたもの……そういえば」

「お心当たりが?」

 尋ねると彼は、ええ、と頷いた。カメラの死角でペンを握る。

「手に入れた、というと語弊がありますが。最近、腕時計に興味があるようです」

「腕時計?」

「はい。まだ買ったわけではないようですが、高級ブランドのカタログをいくつも取り寄せているようで……わたしも彼女も、あまり身に着けるものに金をかけるタイプではないですから、珍しいこともあるものだと思っていました」

 身に着けるものにこだわらない。その言葉が事実であることは、いまの彼の服装からも知れる。ノーブランドのシャツとパーカー。

 何らかの理由があって、彼女の趣味が変わったということか──あるいは。

「それと最近、よく図書館に通っているみたいです。もともと、本にはあまり興味ないタイプだったので、彼女の性格を考えると、図書館にいるのは珍しいことです。彼女の自宅が目黒区立図書館の近くで、ときどき、わたしが迎えに行くこともあります」

「本に興味がない。では、料理のレシピか何かを探しているとか?」

 それとも。呪術に関する──と暗い方向の想像が過ぎったが、幸か不幸か、依頼者はかぶりを振った。

「読んでいるのは、少し古めの、ファッション雑誌でした。最新のものではなくバックナンバーで、貸し出しが可能だったので『借りて帰ったら?』と聞いたんですが、『いいのよ』と言ってそのまま戻してしまいました」

「立ち読みで用は済んだ、ということでしょうか」

「わたしもその日は、そう思ったんですけど……その二日後、彼女の家のリビングに、その雑誌が置かれていたんです」

 おや。

「その雑誌に強い興味があって、購入なさったってことですか」

「というわけではなく、図書館の蔵書印があったので、後日、わたしのいないときに、わざわざ借りにいったんだと思います。どうしてここにその雑誌があるのか、聞いてみようかと思ったんですが」

 先を言いよどむあたり、どうなったのかは予想がついた。

「尋ねることは、かなわなかったんですね」

「雑誌は少し目を離した隙に、リビングからなくなっていて」

 まるで彼女が、彼の目から隠すように。

「聞きづらくて。そのままになりました」

「なるほど。……では、ファッション雑誌が彼女のその日のラッキーアイテムだった、とかいうわけでもなさそうですね」

 冗談で言ったというわけでもないけれど、彼は「ですね」とちょっと笑ってくれた。

「……そうだ、それから、彼女の家では、雑誌と一緒に真っ白な包みがあって」

「包み?」

「ええ。大きめのハンカチのような、レースのついた白い布が一緒に置かれていましたね。中を見ると、土台の錆びたブローチ、水色の太い蠟燭。あとは新品の鏡も入っていました。どれにも、妙な雰囲気が……まるで……」

「魔女の呪いの道具のようだったと?」

 彼は肯定も否定もせず、奏をちらりと見た。正確には多分、奏の格好と、机の上に置いたマジックアイテム(もどき)などを。

「わたしは、彼女が魔女だとは思いません。ならば彼女こそが、魔女のような何か、おぞましいものに呪われているのではないか。もし原因が何かの呪いでなかったとして、わたしがともにいることがストレスになって、いまの状態にあるのなら、結婚の申し込みどころか、いっそ、関係を白紙に戻した方がいいのではないか。そう悩んでいたところ、オリハシ先生のお噂を耳にしました。先生の占いはよく当たる、と。それで」

 大事な人の未来のため、自分はこの先どう動くべきか。

「教えていただきたくて、先生にメールを送った次第です」

 彼の、組んだ手に力が入ったのが、画面越しにも見て取れた。


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