(3/8) 『占い師オリハシの嘘』第1話試し読み
文字数 4,879文字
「修二さん、これおいしいですよ。生クリームたっぷりで甘くておいしいですよ。はい、あーん。あーん」
「……俺、甘ったるいもの苦手で」
奏の目の前に運ばれてきたのは、先日ウェブで一目惚れした、今月限定のスフレパンケーキ。山のように盛られた大量の生クリームと色とりどりの初夏のフルーツで色鮮やかに飾られたそれは、事前情報どおりにインスタ映えする見た目だし、そして何より、甘党の奏の口にはとても合った。
ぜひとも修二に味わってほしくて一切れ差し出すものの、彼は見た目だけで充分に衝撃的だったらしく、やんわりと辞退されてしまう。
「満足か?」
「もちろんです! あとでツイッターに写真上げよう」
口の中を満たすふわふわふるふるの食感。顔を綻ばせる奏と対照的に、修二はうんざりした様子で「よく胸焼けしないよな」と言った。
修二はタブレットで流れている動画に視線を落としたままだが、一方で奏の話も聞いてくれている。マルチタスクのできる脳が羨ましいと思いながら、今度は生クリームだけを口に運んだ。
「そういえば胸焼けってしたことないです、わたし。どんな感覚なんでしょう」
「俺はそろそろ揚げ物系が駄目になってきた。歳を感じるな」
「わたしは修二さんに介護が必要になっても、修二さんを好きでい続ける自信がありますよ!」
「動画、終わったぞ」
すかさず売り込んでいくものの、あえなくスルーされた。
礼とともに差し出されたタブレットを受け取り、下部のスクロールバーを人さし指で右へ左へと動かす。画面の中で依頼者が語ることは、結婚運、二人の馴れ初め、恋人の行動──それから、
「概要は理解した。それで『魔女に呪われている』か」
「そうなんですよ。いったいどう『占い』をしたらいいやら」
奏は頰に手を当て、はあ、と大きなため息をついた。修二は「魔女。呪い。本物だったら本人にインタビューも取りたいところだ」などと上機嫌そうにしているが、いい気なものだ。
占い師オリハシの主な仕事は、占いにより依頼人の腹の底にある悩みを覗き、あるいは知って、依頼人を最適な未来に導くことだ。しかし占いなどできない奏は、それ以外の方法で彼らへアドバイスを行っている。
それは、調査と推測。依頼人の話をもとに彼らの行動を調査し、それの持つ意味を推測して、彼らの未来に適切な助言を考え出すこと。また、推測によって考え出した助言を占い師然とした雰囲気で語ること。それこそが、奏の「代役」としての仕事である。
しかし今回は、なんとも一癖ある依頼が来てしまった。そういうのは姉本人がいるときに来てほしいと思うが、占い師側の事情など依頼者たちは知るよしもない。
魔女。西洋の歴史やおとぎ話にたびたび現れる、人の女性の姿をして呪術を扱う超自然的な存在のことだ。人を助ける物語、血塗られたエピソード、おとぎ話にはいずれも存在するが、中世の「魔女狩り」など、歴史上ではいい意味で使われたことの方が少ない。
「今回の相談で依頼者が用いたのは、歴史に準じて使ったわけではなく、単純に『呪文を使い人に害為す謎のもの』の象徴としてのものだな」
「ええ──ところで」
趣味と実益を兼ね、ほくほくと饒舌になる修二の話を遮って、
「修二さんは結婚とか、そろそろご興味ありますか? 年齢的にはアラサーってことで、依頼者さんと同じくくりになりますけど……」
上目遣いで、問いかける。
しかし奏のアプローチが届いた様子はかけらもない。腕を組み小首を傾げて、
「年齢が近ければ似たことに興味がある、ってわけでもないだろ」
「そうですかぁ?」
「その理屈で言うと、同じくアラサーの折橋も結婚にご執心だって話になるけど」
想像する──姉の結婚。
チャペルの中、真っ白なドレスで着飾る姉。
ヴェールに顔を隠し、神に永遠の愛を誓う姉。
ライスシャワーを浴びながら、愛しい人を見上げてはにかむように笑う姉──
「すみませんでした」
「わかればいい」
自分の非を認めて素直に頭を下げると、修二も肩をすくめた。自由奔放という言葉が具現化したようなあの姉に、「結婚」の二文字は到底合わない。
こめかみに手を当てて二度三度と首を振り、つい思い浮かべてしまった珍妙な映像を払って、仕事を自分の片思い事情に利用しようとしたこともついでに反省しつつ、依頼の話に戻ることにする。──結婚運。プロポーズ。魔女。呪文。
「しかし今回の依頼者は、やけに自信なさそうな感じの人だな」
「そうなんですよ。恋人さんが素敵な方なのは理解しましたけど、終始自分に自信がない感じで。最後も、『自分が原因なら解放してあげた方が』って。その恋人さんがこの人を選んだんですからそれでいいじゃないですか。そう思うならさっさと別れたら早いんじゃないですか……って思いますけど、お仕事上そうとも言えませんのでうまい具合に『占い』ましょう」
なむなむ、と手を合わせる。
「なんまんだぶ」
「それは占いじゃないだろう」
しょせんは『代役』だ、細かいことは気にしない。
まずは、相談内容から得られた情報を整理していくことにする。
「読んでいたっていう雑誌の名前は?」
「あ、聞きました。なんだっけ、さな……そう。ローマ字でSANAっていう雑誌だそうです。ちょっとネットで検索してみますね」
「いや、探すよ」
彼はポケットからスマートフォンを取り出すと、親指で画面に触れた。
「修二さん、雑誌記者さんなのにファッション雑誌のことは詳しくないんですね」
「オカルト専門誌の関係者に何を期待してる。……あった」
検索結果を表示させると、スマートフォンをテーブルの上に置いた。「ファッション雑誌情報」と銘打たれたそのサイトには、各社の発行するファッション雑誌の表紙画像とその傾向がずらずらと並んでいる。
スクロールして、目当ての雑誌を表示した。
「SANA。比較的メジャーなファッション雑誌だな。『大人カジュアル』月刊誌で、メインターゲットは二十代後半から三十代前半の女性。オフィスカジュアルとか通勤に合わせる流行のファッションをメインに紹介しているけど、季節のイベントを押さえた特集にも毎月ページを割いていて……ふうん」
自然な仕草でコーヒーにミルク差しを傾けながら、雑誌の内容を読み上げる修二。
「で、依頼者の彼女が読んでいたのはSANAのバックナンバーだったわけだ。最新号ではなく」
「ええ。雑誌自体にはVol.49って書いてあったそうですよ。恋人さんの『呪文』っていうところから考えると、おまじない特集みたいなのが組まれていたりするんでしょうか?」
可能性の一つとして挙げてみるが、修二は渋い顔。
「雑誌のメインターゲット層が義務教育世代の女子だっていうなら、おまじない関係の記事っていうのも否定できないけど、大人相手のファッション雑誌じゃ難しいと思うぞ」
「まぁ、そうですよね」
「載せるとしても、星占いが関の山だろ。……それからなんだっけ、腕時計?」
「あ、はい」
奏は鞄からメモ用のノートを取り出してめくる。雑な筆跡で書かれたものの中に「時計」の二文字があった。ウェブカメラとディスプレイに顔を向けながらの筆跡だから、どの文字列もノートの横線には沿っていない。
時計。人がそれを頼るのは、目を楽しませるためだったりファッションのためであったり、時刻を知る以外にも存在価値はさまざまだ。彼女が探した、高価な腕時計のことを思う。あれだって、時を刻む以外の意味があるから価値があるのだ。さて、彼女はなぜ高級ブランドの時計など探していたのか?
腕組みをした修二が、のんびりと言う。
「時計と魔女、ファッション誌……ねぇ。ファンタジー的に考えれば、呪文によって何かの魔法を発動させるため、時計と雑誌を必要としたって感じだろうか。時を戻すための魔法?」
からかうような表情と、あまりにも現実離れした内容。修二としては場を和ませるための冗談だったようだけれど、彼の言葉に奏は、別のことを思い出していた。
「修二さん、学生時代は小説家志望だったって本当なんですね」
「……誰に聞いたそれ」
「お姉です」
「そうだろうな畜生」
聞くまでもないことだった、とばかりの苦虫を嚙み潰したような顔。
大学時代の修二は、小説家を目指してさまざまな活動をしていたそうだ。姉も、何度か彼の作品を読んだことがあるらしい──奏が姉にその際の感想を聞いたところ、曖昧に笑って何も言わなかったから、つまりはそういうことだったのだろうが。
結局その才能は芽吹くことがなく、小説家としての道は諦めたものの、幻想への憧れ自体は消えることがなかった、とか。
奏はかわいらしい夢だと思ったが、本人にとってかつて物語を書いていたことはよい思い出ではないようだ。羽虫を追い払うような雑な手ぶりをして、
「昔の話だし、いまの魔法云々は冗談だ。どっちも忘れろ」
「修二さんの小説ってどこに行ったら読めますか? あっウェブとかで公開されてます?」
「蒸、し、か、え、す、な」
一音一音を区切るように言われた。
想い人が書いた物語なんて──たとえ一笑に付す程度のできだったとしても──魔女の扱う魔法やら占いで知る未来などより、はるかに有り難いものに決まっている。奏は心底から興味があって聞いたのだけれど、残念ながらいまはその機でないようだ。話を戻す。
「ええと……最近ちまたで話題のブランドとかあるんですかね。時計って」
「学校で、友達と話題になってたりするものとかないのか。それこそ、そのパンケーキみたいに、どこかでバズってたりとか。学生は流行に敏感だろう」
パンケーキの最後の一切れを口に運びつつ、眉根を寄せた。
どうだったろうかと、友達との会話を思い出そうとする。ついでにSNSも。最近のこと、流行のもの。
「わたしの観測範囲内では、時計が話題になってたような記憶はないです。……学校でも、そんなにですね」
「そうか」
「そもそも学生の間でいま一番売れているものって言ったら、必修科目の教科書くらいなものじゃないですか。いま五月ですし、新学期すぐはなかなかの勢いでお金が出ていきますから、各種ブランド品なんて、気になっても買えたお財布じゃないですよ」
今日のペンダントだって、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったものだし。そもそも時刻なんて、スマートフォンのロック画面で見られるものだ。わざわざ高い金を出していい腕時計を手に入れる気にはなれない。
ついでに自分の財政難も思い出し、しょんぼりと項垂れる。食べ終わったパンケーキの皿が視界に入った。
「ここのパンケーキも、意外と高かったし」
「別のメニューにしておけばよかったのに」
「だって食べたかったんですもん。今月限定のパンケーキですよ。次に来たってそのときにはもう食べられないんですよ」
「お前は本当に、限定モノに弱いな」
くっくっと笑いながら言われるが、限定という謳い文句に惹かれるのは珍しいことではないだろう。限定とか、特別とか、希少性で煽る文言に人は弱い。……例の「恋人」が高級ブランドの腕時計を欲しいと思ったのも、そういう気持ちからなのだろうか。それとも?
奏は、皿をまじまじと見た。
「お皿のクリーム、舐めておいた方がいいでしょうか」
「品がないからやめとけ。ここは俺が奢ってやるから」
「本当ですか。修二さん好き」
「お前の『好き』は、聞くごとに安くなるんだよなぁ」
「大好き!」
「株価暴落中だな」
ハグを求めるように両腕を突き出すが、もちろんテーブルが邪魔してかなわない。修二はそんな奏を見ながら、コーヒーを飲み干した。
「これ以上、ここで悩んでいても埒が明かない。情報収集に行こう」
「情報収集?」
「書店でも覗きに行こう。魔女や呪いの資料だとか、ファッション雑誌もたくさんあるだろうし。ここで空いた皿を睨んでいるより遥かにいいだろう」
伝票を取り、立ち上がる修二を見ながら奏は思う。──つまりそれは言い換えると、
「本屋デートですね!」
「情報収集」
両腕を振り上げて喜んだものの、あえなく訂正された。