3人の女優が名演技を魅せる舞台劇のような佳作 『隣人X』 / 出口治明

文字数 1,370文字

 異星人といえば、何と言っても、H・G・ウェルズの名作『宇宙戦争』だ。人類より遥かに文明が進んだ火星人を倒して人類を救ったのはウイルスだった。コロナウイルスによりステイホームを余儀なくされている別府市の寓居で、『隣人X』を読みながら、僕は何故かデイヴィッド・ロッジの『絶倫の人』を思い出していた。



 惑星生物Xは、透明な綿帽子のようなもので、19××年、初めて地球に降り立った。当時はXの母星で「第二次大戦」と呼ばれる内紛が起きていた。富裕層はスペースシャトルを共同所有し、内紛を逃れて地球に移住してきたのである。Xは完璧なスキャン能力を有しており、人間にも雛罌粟にもクジラにもなれた。Xは、人間は異質な存在を忌み嫌うことを学び、目立たず静かに暮らしてきた。



 20××年、母星で「第三次大戦」が勃発し、Xは再び地球を目指したものの宇宙空間で人間に見つかってしまった。既にXが地球に生息していると知れば、人間がパニックになることは必至と考えたXは、地球人と初めて接触したように振るまい、難民として受け入れてくれるように懇願して認められたのである。こうして舞台の幕が上がる。



 演じるのはハケンの紗央、アルバイトを掛け持ちする良子、ベトナム人留学生のリエン。この3人は偶然の縁によって結ばれている。それぞれが、人生の挫折を経験し、生きにくさを感じている。それ故に、Xのように目立たずひっそりと暮らそうとしている。しかし、ちょっとした事件がそれぞれの平穏な生活を突き崩す。著者は、私たち一人ひとりが実はXであり、難民ではないのかと問いかける。



 日本でも移民や、難民の問題が紙上を賑わすようになった。著者と同じくフランスに在住している小坂井敏晶は、同一性と変化の問題を探求しているが(『社会心理学講義』)、この2つの相は互いに矛盾する。あるシステムが同一性を保てば変化できないし、変化すれば同一性は破られる。同一性を維持しながら変化するシステムは、どのように可能なのか、おそらく移民や難民問題の本質はここにあるのだろう。



 とりわけ、コロナウイルスによる緊急事態宣言の下で、「自粛警察」などという禍々しい言葉が安易に生まれる同調圧力の強い日本では、Xが住みづらいことは容易に想像がつく。人間は顔がそれぞれ異なるように一人ひとりが違って当たり前なのだ。本書は、3人の女優が名演技を魅せる舞台劇のような佳作だ。突きつけられた問題は深い。

出口 治明(でぐち・はるあき)
1948年、三重県に生まれる。京都大学法学部卒。1972年、日本生命相互会社入社。国際業務部長などを経て2000年に退社。同年、ネットライフ企画株式会社を設立、2008年にライフネット生命保険株式会社と社名を改名し、社長に就任する。10年が過ぎた2018年、ライフネット生命保険株式会社の創業者の名を残し立命館APU学長に就任、実業界からの異例の転身を図る。大胆な大学改革と併せて、講演・執筆活動等幅広く活動中。
主たる著書に『「全世界史講義1、2』(新潮社)、『部下を持ったら必ず読む「任せ方」の教科書』(KADOKAWA)、『教養は児童書で学べ』(光文社新書)、『人類5000年史1』(ちくま新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『座右の書 『貞観政要』』(角川新書)など多数ある。

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