月光の海 第一章(3) / 伊岡瞬

文字数 5,350文字

第一章 ダンチ(一九九六年)

 あれは――。 
 あの(じょう)()は自分のものらしい。しかし、どうしてガンタマが持っているのだ。さっきから、話の流れがさっぱりわからない。
「――ここに名前が書いてあるぞ。えー、(きた)(はら)小学校、四年一組、(みな)(かみ)(しゅう)(へい)。――どこかで聞いた名前だな。念のため確認したが、四年一組にそういう児童はいない。全校全体でも、そういう名前は一人しかいない。たぶん、四年生のときから書き直してないだけだろう。――それはそれとして、だ。不思議だな水上柊平。家にあるはずの定規がどうして道に落ちていた?」
 ガンタマが嫌みったらしく話すあいだに、言い訳は考えた。
「あの、下校の途中に落としたんだと思います」
「途中とはどこだ? 水上柊平」
「通学路です」
「だからどこの通学路だ?」
「ええと……」
「もういい。とぼけるのはやめろ。これはな、今朝、ある人が届けてくれたんだ。その人は昨日の夕方、停めておいた車に石をぶつけられて、きずがついたそうだ。ぶつけた児童を問い詰めると『やっていない』の一点張りで、(すき)を見て逃げてしまった。しかも、自分は(みどり)(しょう)の児童だと嘘をついて。やましいところがなければ、嘘をつく必要などないな。そして()()けたことに、走って逃げる際に、ランドセルからこの定規を落としたそうだ」
 つい「逃げてはいません」と言いそうになった。あのメガネ男が話を作っている。
 定規はいつもランドセルに差してある。走ったぐらいで落ちるとは思えない。たぶん、その直前に空き家の中を通り抜けたとき、前屈みになって、落ちかけていたのだろう。ということは、あの場所へまた戻ってきたということか。やはり、しつこい性格なのかもしれない。
 クラスの中は静まり返っている。さすがに、この展開で(ちゃ)()したり、余計な冗談を言う(おろ)かなやつはいない。
「どうした、水上柊平。何か言い分はあるか」
「あの、それは、たぶん違います」
「何が違うんだ」
 もはや言い逃れの言葉もみつからず、うつむいた柊平の頭上を、ガンタマの声が渡っていった。
「水上柊平、それに()(はら)(ひとし)。いますぐ職員室へ来い。ほかのものはしばらく自習すること。学級委員、しっかり監督すること」
 前の席に座る均は首をすくめ、学級委員である隣席の(ほり)()(あや)()は、元気よく「はい」と答えた。
 綾香をちらりと見ると、綾香のほうでも同情するようなあきれたような視線をこちらに向けていた。

4

「もう一度訊く。石をぶつけたのは間違いないんだな」
 柊平は答えずにいたが、均が小さくうなずきながら「はい」と答えた。均は黙っていることが苦手だ。
「おまえら、一緒にいたんだな? え、水上」
 しぶしぶうなずく。
 柊平は、ガンタマに対してよりも、均に対して腹を立てていた。ガンタマがどこまで知っているのか、たしかめながら小出しに答えればいいのに、職員室に呼ばれたら、あっさりぜんぶしゃべってしまった。体はでかくて力もあるが、根性のないやつだ。
「きちんと声に出して返事をしろ」
 ガンタマは最初から怒鳴りっぱなしだ。すでに一時間目の授業が始まっているので、職員室にはほとんど教師の姿はない。だから誰にも遠慮せず怒鳴り放題という雰囲気もある。
 ただ、職員室の一番奥の壁を背にした机に、教頭が座っている。柊平はなんとなく、ガンタマは教頭先生に聞かせるために大声を出しているのではないか、という気がしていた。もしかすると、自分のクラスから問題児を出したりすると、ボーナスの〝査定〟というものに影響するのかもしれない。
 柊平は最近まで考えたこともなかったが、今の父親が「サラリーマン教師」というような表現を何度もするので、ああそうか、先生も普通に給料をもらっているのだなと、妙な納得をした。
「どうなんだ。はっきりしろ」
「はい」
「はい」
 柊平と均がほぼ同時に声を上げるのを待ちかまえていたかのように、ガンタマは手に持っていた丸めた雑誌でふたりの頭をばすんばすんと叩いた。
「いて」
 均が声を上げて、頭に手をやる。
「まったく、ばかなことしやがって。いいか、おまえたちはな、この学校の名前に泥を塗った。そして、それだけじゃない。教頭先生や校長先生、そのほかの先生がたや、学校の仲間のことも(おとし)めたんだ。貶めるという意味がわかるか、井原」
 均が素直に「はい」と答える。
「はいじゃないだろ」
 そしてまた、頭を雑誌で叩く。
 柊平はうなだれたまま、この先どうなるのかを考えていた。
 これだけ説教されたのだから、それで許してもらえるかもしれない。ただ、あのメガネ男の執念深さを考えると、それでは()まないかもしれないという気がしている。「放課後、先方に謝りに行け」と命じられるかもしれない。それだとかなりめんどくさい。――しかし、親に知られずに済むなら、謝るぐらいはしょうがないかと思い直した。
 柊平の疑問にガンタマが答えてくれた。
「先方さんはな――ああ、(あら)()さんというんだが、きずを修理する代金を弁償してもらえれば、大ごとにはしないとおっしゃってる」
「べ、弁償ですか」
 これも均が先に反応した。
「あたりまえだろう。人の車にきずをつけたんだ。警察に連れていかれないだけましと思え」
「でも、ほんの少しコツンって当たっただけです」
 柊平は初めて抗議した。あれっぽちのことで、弁償だとか警察だとか、そんな大げさな話になるほどのきずがついたとは思えない。
「どうせ、おまえらがそうやってとぼけるだろうと思って、荒木さんはきずのようすを写真に撮って、わざわざプリントして届けてくださったんだ」
 ガンタマが、机の平引き出しを開けて、中からプリント写真を二枚取り出し、まず柊平に渡した。
「えっ、うそ」
 二枚のうち一枚は、きずのついたあたりを中心に車のほぼ全体が写っている。たしかに、昨日石を当てた車だ。ぶつけた位置ははっきりと記憶にないが、だいたいこのあたりだった。
 そっちはいい。問題なのはもう一枚の写真だ。きずの部分をアップにしたもので、何か堅いものでひっかいたように、爪楊枝ほどの長さで塗料が()げている。小石が当たっただけとはとうてい思えない。
「こんなに大きい傷はつけていません」
 抗議する柊平の手から、均が写真を受け取り、やはり「ええっ」と声をあげた。
「ほんとに、コツンって当たっただけです」
「コツンだろうがドスンだろうが、現にそうやってきずがついているだろう。ばかったれどもが」
「でも」
「つべこべ言ってると、警察に通報されるぞ」
 ずっと前に、小学生は逮捕されないという話を聞いたような気がするが、自信はない。ガンタマがこれだけはっきり言うのだから、本当に警察に連れていかれるのかもしれない。
「どうしたらいいんですか」
 均が上目遣いで訊く。
「だから言っただろう。弁償すれば許してくれるそうだ。学校の名前も表には出さないと。――ここに書類がある。わざわざ荒木さんが作ってきてくれたんだ。親に正直に言って、この書類にサインしてもらってこい。いいか、親に書いてもらうんだぞ。印鑑も必要だからな。いいな。明日、必ず忘れずに持って来いよ」

 教室に戻ると、クラスの連中はあきらかにふたりとは距離を置いていた。
 教室にいるときに、皆が見ているまえで(しっ)(せき)されたのなら、それはからかいの対象となる。たとえば、授業中にとんちんかんな発言をしたような場合は、しばらくそのネタでからかわれる。下手をすると、新しいあだ名のもとになったりもする。
 しかし、職員室に呼び出されるのは話が変わってくる。単なるいたずらや宿題忘れとは、格が違うのだ。
 柊平にも覚えがあるが、「あいつら、一体なにをしでかしたのか」という、好奇心と警戒心とある種の畏敬に似た感情で遠巻きに観察する。
 半年ほど前に、あまりテレビで娯楽番組を見ない今の父親が、めずらしく映画を観ていた。
 その映画にはゾンビもエイリアンも出てこず、話が暗くてあまり面白くはなかったが、めったにない機会なので、我慢して観ていた。その中に「あいつはムショガエリだから――」というせりふが何度か出てきた。
 主人公の男は「ムショガエリ」が理由で、仕事仲間に道具を壊されたり、現金がなくなったときの犯人にされたりするのだ。面白くないと思って観ていた柊平も、だんだん腹が立ってきた。そして「ムショガエリ」とは「刑務所に入っていた」という意味だとわかった。
 そこまで大げさではないが、似た雰囲気はある。それに加えて「あいつら『ダンチ』だからな」という目で見られている気もしている。六年生に団地から通っている児童は三人いる。ひとりは隣のクラスで、この組には柊平と均のふたりきりだ。
 この日も、柊平と均のそばにはほとんどの児童が近寄ってこなかった。ただ、もともとクラスの中では浮いた存在の二人にとって、あれこれ質問攻めにされるよりは、無視されるほうがせいせいする気分だ。
 一人だけ例外だったのは堀江綾香だ。しょげて職員室から戻った二人のところへ近づいて「大丈夫なの?」と訊いてきた。
 柊平が答える前に、均が「うっせえよ」と言い返した。
「また、変なことしたんだ」
 同情気味に話しかけてきた綾香が、均の言葉に冷たい視線を投げて去っていった。
 次の休み時間になって、二人は校庭に出た。職員室からは見えない場所にある鉄棒に、意味もなくぶら下がったりする。
「これ、なんて書いてあるかわかるか、柊ちゃん」
 親に渡すまで封を開けるなと、きつくガンタマに止められていたにもかかわらず、均は我慢できずに手紙の中身を出してしまった。
 柊平はまだ開けていなかった。今の父親は、いたずらのことより、封を開けたことを怒りそうな、変わった性格なのだ。
《確認書。北原小学校六年二組井原均(以下『甲』と称する)は、5月13日17時頃、下校の途中において荒木(きよ)(ふみ)(以下『乙』と称する)が一時停車した車に――》
 難しいところは飛ばして読んだが、次第に面倒になって、声には出さずに目で追った。そこに書かれているおよその意は把握できた。
「なあ、どういう意味?」
「これな、たぶん、均が車にきずをつけたことを素直に認めて、均の親が修理の金を弁償しますって書いてあるんだと思う。だから、本気ですっていう意味で、サインしてハンコ押してもらえってことだろう。たぶんだけどな」
「ええっ」と均が悲しそうな声を上げた。「いくらだって?」
「ちょっと待て――金額は書いてないな。《実費》って書いてある」
「ジッピってどういうことだ?」
「実際に修理してかかった金額のことだろ」
「まじかっ」
 均は情けない声を出して、鉄棒に(ひたい)をごすんごすんと打ち付けた。痛くないのかと、見ている柊平が心配になるほどの勢いだ。
「だけどなあ。あんなきず、つくかな」
 柊平がぼそっと漏らしたひとことに、均が食いついた。
「だろ。そうだよな。だってさ、コツンだったぜ。ほんとに、コツン」
 興奮気味に話す均の額が赤くなっている。
「あれ、なんか嘘臭いよな」
「柊ちゃんもそう思うだろ」
「もしかすると、たまたま小石がぶつかった場所の近くにあった、別なときにできたきずを、おれたちのせいにして金をとろうとしているのかもしれない」
「そうか。それだ。そうに決まってる。ちくしょう。あいつ、どこに住んでるんだ」
 均が悔しそうにもう一度書類を広げた。
()(わたり)3の2の10-―戸渡ってどのへんだろう」
 心当たりがあった。半年ほど前、テレビでニュースが流れているときに、夕食の準備中だった母親がおたまを持ったまま言ったのだ。
 ――あらやだ。戸渡って、近いじゃない。
 画面を見ると、強盗だか殺人だかの犯人らしい、人相の悪い男が連行される場面だった。背景に映っている家並みには、たしかに見覚えがあった。
「『ヒラヤ』のほうだよ」と均に教える。「あの辺がたぶん戸渡っていう住所だったと思う」
「えっ、『ヒラヤ』か」
 均が驚き、語尾の元気がなくなった。
「――でもさ、昨日のあの場所は違うよな」
「たまたま停めてたんだろう」
「でも、でもさ」
 柊平に抗議すればその事実が変えられると思っているかのように、均が食い下がる。
 そのとき、休み時間終了三分前のチャイムが鳴った。いまから大急ぎで教室に戻らなければ、次の授業に間に合わない。
「見に行くか」
 走りながら柊平が提案した。
「どこへ」
「決まってるだろ。あいつの家だよ」
「『ヒラヤ』に?」
「もちろん」
 昇降口に向かって走りながら、均は迷っているようだった。
(つづく)

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