『無限の月』(2023年7月12日発売) 須藤古都離

文字数 8,927文字

メフィスト賞を満場一致で受賞した
『ゴリラ裁判の日』でデビューした須藤古都離さんの第2作、
『無限の月』冒頭部分を先行公開!


 私は一人だった。
 死ぬまでずっと一人なのだろうと思っていた。
 いつからか、あなたが私のもとへ来るようになった。
 夢を見る時、私たちは一緒だった。
 目を覚ませば、また一人になってしまう。
 それでも、あなたがまた来てくれると分かっているだけで、私は満ち足りていた。
 

1 満月

 町の写真を撮りたいって人がいるから案内してやってくれ。(ジョウ)じいさんにそう言われた時に、徐春洋(シュー・チュンヤン)は楽な仕事だと思った。こんな辺鄙な村まで来て何の写真を撮るのかと、気にはなった。観光名所も、豊かな自然もない。広い中国の、どこにでもある普通の田舎町だからだ。周じいさんの話では、カメラマンはオランダだかスイスだか、とにかくヨーロッパから来た外国人さんだということだった。だから町で一番英語が上手だと思われている春洋に依頼が来たのだ。もともと内装業を生業にしているのだが、何でも屋のような仕事になってしまっている。頼まれれば、観光客の相手でもなんでもする。
 丁寧に接すれば、いくらかギャラも弾んでくれるだろう。そう思った春洋はカメラマンが町に着く前に、近所をドライブして景色がいくらか綺麗な場所を探しておこうと思った。もう少し遅い時期なら、広い水田に実る稲穂が美しかっただろう。だが、どれだけ写真撮影に良いスポットを探そうとしても、この町にはそんなものは無いのである。ささやかな花畑ならあるが、それこそそんなものは世界中のどこにでもあるだろう。
 中国の田舎の写真を撮りたいのなら、もっと伝統的な暮らしを営む場所なんていくらでもある。このあたりは都会から離れてはいるが、農家はそれなりに稼いでいることもあって、伝統的な暮らしなんて残っていない。豊かではあるが、都会ではない。経済的な発展に取り残されたわけではないが、逆に言えば無個性で、中途半端な土地だ。わざわざここまで来るカメラマンのことを考えると、一、二時間かけてドライブして周辺の観光地を案内することになるかもしれない。
 そんなことを数日間考えていた春洋だったが、バス停で待ち合わせたカメラマンと話をしてみると、全て杞憂だったことが分かった。カメラマンはわざわざ、この何もない町を撮りたかったらしい。二年前に中国を旅した時にこの町の景色に惚れ込んで、次はここで撮影をすると決めていたらしい。
 何がカメラマンを魅了したのか、春洋には全く分からなかった。そんな価値のある光景があるとは、春洋にはとても思えなかった。
 春洋はグレゴリーと名乗った赤毛の大男を助手席に乗せて車を走らせた。すると彼はまるで子供のように窓に顔を貼り付けて、感嘆の声をあげた。
「何がそんなに面白いんだ?」やたらと興奮しているカメラマンを訝しんで訊ねた。自分に見えない何かが見えているのだろうか?
「家だよ。どの家も素晴らしい。こんなに面白い家は世界中探してもないよ!」
 春洋は窓の外を見た。見えるのは何の面白みもない、普通の家ばかりだ。
 とは言え、面白みがないのは外見だけだ。この町の家を知り尽くしている春洋はそのことを知っていたが、彼にそのことが分かるはずがない。
「家が素晴らしい? そうなのか? ちょっと分からないな」
「よく分かりますよ。大体そういうものです」彼は人懐っこい笑顔で答えた。
「長く住んでいる人は、その場所の良さに気付くのが難しいものです。旅人の目でしか見えないものというのはどこにでもあります。この村の家の写真を撮ったら絶対に楽しいと、この二年間ずっと思ってました。今、またここに来て、その思いは確信になりました。きっと面白い写真が撮れますよ」
「やっぱり分からないな。ここの家は君の目にはどう映ってるんだい?」
「じゃあ、ちょっと車を止めてもらえますか? 僕もここから撮影してみたいし」グレゴリーはそう言いながら、既にカメラをカバーから出していた。
 車を路肩に止め、少し高い位置から馴染み深い町並みを見下ろした。
「良いですね、この角度。思い描いていた通りの構図です」グレゴリーがファインダーを覗きながら言った。
「まず誤解してほしくないんですが、僕がこれから言うことは、この町やここに暮らす人を馬鹿にしたり、下に見ているってことではないんです」彼は丁寧に話した。興味本位で写真を撮ることの暴力性を自覚している者の言葉だった。
「僕がこの町の家を見た時、そこに見えるのは家という機能ではなく、家という概念のように見えるんです。これだと分かりづらいですね。普通、家というのは歴史的な流れの中で人が居住する場なので、文化的な文脈があります。様式というか、そこにはどうしてもある種の息遣い、統一感、もしくは人の営みが生み出す重みがあります」
 春洋は彼の言葉を聞いていたが、どうも要領を得なかった。
「ですが、ここの家はそういった伝統や歴史から切り離されて、突然ポンポンと建てられたような軽さがあるんです。なんといったら良いか、家主がそれぞれに建てたい家を好きなように建てたんでしょうね。どの家も驚くほど個性的なんですが、どれも、なんというか、子供の絵本に描いてあるお城みたいに見えるんですよね」
 絵本のお城と聞いて、春洋は堪らずに声を出して大笑いした。
「本当だ、絵本のお城みたいだ!」
 どの家も毎日見ている、と言うよりもどの家の住人とも付き合いがあるのだが、そんなことは言われるまで気が付かなかった。
 畑や水田が広がる中に、ポツンポツンと建つ大きな家々はお城のように見えた。それも本物の重厚な様式のものではなく、借り物のデザインのように粗雑だった。経済的な豊かさを手にした農村で、新しい家を建てることになった時に中国的なデザインは好まれなかった。お城のようなデザインは、豊かさの象徴のように思えたのかもしれない。
 先ほど彼が言っていた、伝統や歴史から切り離された家、というのはとても正しい表現のように思えた。
「分かってくれましたか? ちょっと待っててください。今、試してみますから」
 グレゴリーはしばらく写真撮影をした。ガードレールにカメラを置いてみたり、いろいろなアングルから写真を撮ってみたり。春洋はスマホでネットを見ながら時間をつぶした。
「ちょっと見てみますか?」
 彼が撮影した家の写真は驚くほど現実離れしていた。
「なんだこれ、ミニチュアみたいだ」
 すぐそこにある家のはずなのに、ディスプレイに表示されている家は玩具のように見えた。小さくて軽いものにしか見えない。面白いと思う反面、どこか不気味だった。
「そうなんですよ。逆チルト撮影といって、昔からある撮影技法なんです」グレゴリーが嬉しそうに語りだした。
「人が小さいものを見る時の焦点の当て方を、カメラで再現した撮り方なんです。普通の街並みを撮っても面白いんですが、ここの家はそもそも絵本のような外観なので、この技法を使うとまるでドールハウスみたいですよね」
「本当に、まるで人形の家みたいだな」春洋はカメラのディスプレイと、すぐ目の前にある現実の家を見比べた。
(ホアン)さんのところは小さい女の子がいるから、この写真を見せたら気に入るかもな」
「知り合いなんですか?」
「もちろん。この町の人は全員知ってるよ。俺は内装業をやってるもんでね。内装といっても本当はネット回線や通信の部分がメインなんだが、頼まれればなんでもやる。どの家もお客さんだし、家族ぐるみの付き合いだ。まぁ、小さい町なんてどこもそんなもんだな」
「良かったら、その家族と話せますか? できれば、家の外観だけでなく、そこに住んでいる人たちにも焦点を当てたいんですよね」
「いいよ、誰でも紹介してあげられるよ。きっとみんな喜ぶんじゃないかな。この町が魅力的だなんて、海外の人から言われたら、みんな協力してくれるはずだよ。食事にも誘われるんじゃないか?」
 春洋の予想は当たっていた。黄さんの家まで車で行くと、家族そろって嬉しそうにグレゴリーの写真を眺めた。
「このお家の玩具が欲しい」とまだ六歳の女の子が言うと、みんなで笑った。
 家族写真を撮りたいとグレゴリーが言うと、近所に遊びに行っていた祖父母も呼んできて、家族五人が笑顔で家の前に並んだ。彼が撮った写真は黄さん一家の幸せを余すところなく写し取った。
 グレゴリーと春洋は黄さん一家の夕飯に招かれた。まだ夕飯には早い時間だったが、黄さんが持ってきた酒を庭で楽しんでいるうちに、すぐに日が暮れ始めた。
「しかし、カメラってのは見たまんまのものを撮るものだとばかり思ってたね。こんなに現実離れしたものが映るとは面白いね」
 白酒をグイッと飲むと、黄さんがグレゴリーの肩を叩いて言った。春洋はそれをグレゴリーに訳して伝える。
「見たまんま、というのは現実そのものではありません。それは人の目が世界をそう見ているというだけなので。他の動物の目からは違う世界が見えます。例えば魚眼レンズというのは水中で魚が上を見た時にこう見えるだろうという想像から作られたレンズです」
 春洋は彼の説明を聞いて深く納得した。さすがプロのカメラマンは、カメラについて語れば面白いことを言うものだ。
「なんだなんだ、宴会するなんて俺は聞いてないぞ?」
 春洋が後ろを振り返ると、すぐ近くまで(ワン)さん夫婦が来ていた。
「おお、王さん。良いところに来たな! お客さんが来たから、歓迎会を始めたところさ。あんたも交ざっていくかい?」
「すまんが明日も早いからね。どうせ飲み始めたら朝まで帰してくれないだろ?」
「そんなことないさ。奥さんが残ってくれるなら、あんたはいらないから帰してやるよ」黄さんは大声で笑った。
「黄さん、もうすっかり出来上がってるじゃないか。まったく、まだ夕方だってのに」王力洪(リーホン)は呆れたように言った。
「グレゴリー、良いモデルが来てくれたぞ。この町一番の美男美女夫婦だ」春洋が一声かけると、彼は嬉しそうにすぐにカメラを手にした。
「美男美女だなんて、そんなことないですよ」王さんの奥さんが照れくさそうに英語で応えた。
「英語ができるんですね」グレゴリーが嬉しそうに言うと、「少しだけです」奥さんは謙遜した。
「何だって?」英語が分からない王力洪は、奥さんの隣で少し不機嫌そうだった。
「町一番の美男美女夫婦だって言ったんだよ」
「この田舎町で一番? そんなこと言われたって嬉しくないね」王力洪は鼻で笑った。
「何言ってんだよ。美人の奥さんをもらってから、いつもニヤニヤしっぱなしじゃないか。羨ましいね。いいから飲めよ!」黄さんは大声で騒いだ。
 グレゴリーは黄さんと話す王さん夫婦の写真を少し離れて何枚か撮っていた。その場でディスプレイを確認するグレゴリーの後ろから、春洋も写真を覗き見た。
 楽し気な宴の一枚。農村の団欒の一場面。どの写真を見ても、みんなの表情は明るく、嬉しそうだ。
 だがその中に、一枚だけ不穏なものがあった。
 奥さんが英語で話しているのに、何を話しているか分からず困惑している王力洪。自分の妻を睨むような彼の視線の鋭さは、困惑というよりも怒りに近いかもしれない。奥さんはその表情に気が付いたのか、怯えているようにも見えた。
 次の写真の中の二人は笑顔だった。一瞬、表情が固まっただけだろう。
 そこになんの意味もないはずだ。
 だが、なぜかその一枚の写真が、他の多くの写真よりも春洋に大きな印象を残した。
 王夫婦はグレゴリーの写真を見て嬉しそうに笑いあった。少しだけ宴に交ざったが、十分もしないうちに帰って行った。
 家の中に入って夕飯を食べているうちに、あたりは暗くなってしまった。夜景の中の家も撮りたいとグレゴリーが言うので、少し空気がひんやりとしてきた外にみんなで出た。
 グレゴリーは家の真正面に三脚を立ててカメラを構えたが、少し頭をひねった。
「明かりは一階だけの方が綺麗に見えるかもしれませんね。もし面倒でなければ二階と三階の明かりを消していただけますか?」
 グレゴリーが申し訳なさそうに言う。春洋が黄さんにそれを伝えると、黄さんはグレゴリーをチラッと見て微笑んだ。
「勿論、問題ないよ」黄さんはそう言うと、ポケットからスマホを取り出して少し操作した。すると次の瞬間に、二階と三階の明かりは消えた。
「驚きました。スマホで操作できるようになってるんですね」グレゴリーは大げさに驚いて見せ、黄さんは嬉しそうに笑った。
「ここは田舎だけど、良い技術者がいるからね。最初は騙されたかと思ったが、意外と便利なもんだよ」
「失礼なことを言いますね。黄さんが最新の技術を試したいって言ったんじゃないですか」春洋が言い返した。
「この辺は田舎だけど、みんな新しいもの好きだからね。どの家もスマホで家電が操作できるようになってる」春洋は自分の仕事を自信満々に語った。
 グレゴリーがその後に撮った写真は、今まで以上に芸術的なものだった。夜の闇に覆われる家と、家族の温かな団欒が対比的に見えるようだった。
 その日から三週間かけて、町の全ての家とその住人を撮ると、グレゴリーは町の住人に惜しまれながらオランダに帰ることになった。

 グレゴリーを空港まで送って帰ってくると、春洋はそのままベッドに倒れこんだ。既に夜も遅くなっていた。シャワーを浴びようかと一瞬悩んだが、ベッドの柔らかさに体が馴染んでしまうと、立ち上がるのは面倒だった。春洋はスマホを操作して、家の戸締りを確認すると、電気を消した。
 春洋はすぐに深い眠りについたが、残念なことに長くは続かなかった。
 突然家中の明かりが一斉に点いたのだ。
 それだけではなく、テレビが勝手に大音量で映像を流し始め、パソコンのスタート画面が立ち上がった。エアコンが季節外れの冷房で部屋を急速に冷やし始めた。洗濯機がガランガランと回り始めて、春洋は驚いて目を覚ました。
「クソ、何なんだよ」
 帰って来た時の薄着のままで寝ていた春洋はまずエアコンを止めて、それから騒音を立てているテレビと洗濯機を止めた。
 どうやら、家のシステムがハッキングされたらしい。何の目的だか分からないが、愉快犯だろうか。だとしたら、まずはパソコンをネットワークから切り離さないといけない。春洋は寝ぼけ眼でパソコンに向かい合った。
 画面を見て、心臓が止まった。
 ノートアプリが立ち上がっていた。そこには恐ろしいメッセージが繰り返されていた。
〈助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡 助けてくれ、警察に連絡……〉
 画面を見ている間にも、そのメッセージは止まることなく繰り返されている。
 春洋は一瞬躊躇ったが、それが偽のメッセージである可能性を考慮して、パソコンのネットワークを切断した。勿論、それで文面は止まった。
「何だったんだよ……」 
 全ての異常が終わったかと思った瞬間、隣の家から同じようにテレビの騒音が聞こえてきた。隣の家も同じようなハッキングの被害にあったのだろうと、窓の外を見て、春洋は自分の目を疑った。町の半分以上の家も同じように明かりがついており、電化製品が誤作動を起こしているようだった。
 高台の上にある春洋の家からは、自分がネットワークを構築した家が、ことごとく被害に遭っているのが見えた。これから苦情の嵐がくるのだろうと思うと、眩暈がした。小さい町では信用が何よりも大事だ。こんな騒動をおこして、自分が糾弾されることがあったら、引っ越すほかない。
 なんとしても、この騒動をおこした犯人を捜さないと、全部自分のせいにされてしまう。そう思った春洋は不思議なことに気が付いた。
 どうやらハッキングされているのは町の半分だけだ。理由は謎だったが、黄さんの家から先はまだ電気がついていない。つまりハッキングされていない。
「どういうことだ?」春洋は目を細めて町を眺めた。何か理由があるはずだ。
 考え込んだ次の瞬間、黄さんの家から先も同じように家の明かりが点いていった。それも、移動するように順番に電気がついていくのだ。
「あそこにいるのか! 畜生、捕まえてやるぞ」
 春洋は薄着のまま家を出て車に飛び乗った。家の前の車止めから、大通りに出るとすぐにアクセルをべた踏みした。黄さんの家の前に信号があることを春洋は思い出した。犯人は車に乗って移動しているに違いない。近くの家のネットワークに侵入しては、機器を弄り回しているのだ。
 春洋は窓から見た場所まで向かう途中、犯人を見つけてどうするつもりなのか考えた。弱そうな相手だったら、殴りかかればいい。だが、武器を持っていたり、複数だったりした場合はどうする?
 その場合は警察を呼ぶしかない。そう思った時に、先ほどのメッセージを思い出した。誰がどうやったのか知らないが、ハッキングした相手も警察を呼ぶように言っていたのだ。被害者を惑わすためのメッセージだと春洋は判断した。だが、もしあれが本当に必要な伝言だったらどうする?
 このハッカーは、望んで町を混乱に陥れたわけではないのかもしれない。何か恐ろしい事件に巻き込まれた被害者で、本当に助けを求めているのかもしれない。
 いずれにしても、なにをどうすべきなのか春洋には何も分からなかった。分からないまま、車を飛ばして、異常の原因に近づこうとしていた。
 走りながら、フロントガラス越しに町の光景を確認する。まだ少し距離があるが、春洋の車は突然点灯する現象に近づきつつあった。ハッカーはまだ同じようにメッセージを送り続けているようだった。
 真夜中ではあるが、通りを走る車がないわけではなかった。春洋はやっと移動する光の近くまで来た。
 今、同じ信号で止まっている車の中のどれかにハッカーが乗っているのは確かだ。だが、怪しい車は五台もある。どれがハッカーを乗せた車なのか、判断が付かなかった。その五台すべてを無理やり止めることも難しいし、止めたところでハッキングの証拠をつかむことは困難だろう。
 信号が青に変わり、車が一斉に動き出すと、やはり周りの家の電気が点いた。ハッカーがこの五台の中にいるのは間違いない。だが、一緒に走る以外にどうすることも考えつかない。やがて、車の一団は高速道路の入り口まで来た。二台は北に向かう方面に、残り三台は逆方向に車を進めた。
「畜生!」春洋は仕方なく車を路肩に止めた。もうどうすることもできない。
 何がなんだか分からないが、とにかく警察に電話するべきだ。
 そう思って、春洋はスマホをポケットから取り出すと、既に着信履歴が十件以上残っていた。これから夜通し、町中のネットワークを確認させられることになるかもしれない。思わずため息が漏れた。
 犯人を捕まえたらぶっ殺してやる。春洋は仕方なく町に帰ることにした。
 車をUターンさせると道路の遥か上に、赤く輝く満月が見えた。


2 新月


 あなたと一緒にいる夢をみた。私たちはいつもの川沿いの道を、たわいのない話をしながら歩いている。
 大切なものに触れるみたいに優しく、あなたは私の手を握っていた。夕焼けが綺麗で、私たちは足を止めた。
 この素敵な一瞬をいつまでも覚えていたくて、私は夕焼けの写真を撮ろうとする。
 夕焼けなんていつでも見れるじゃないか、とあなたは笑った。
 私が覚えていたいのは夕焼けなんかじゃないのに、あなたにはそれが分からない。
 秋が終ってしまうような、そんな風が吹いた後、あなたはいなくなってしまった。
 私はベッドに横になっていた。窓の外に綺麗な夕焼けが見えた。
 点滴がぽつりぽつりと滴り落ちる。ゆっくり一滴ずつ落ちる様子は、なぜだか悲しい。
 丸い雫が、しとしと降り続ける秋の雨を思い出させるからだろうか。
 そっと近づいてきた看護師が私の点滴の様子を見て、プラスチックの弁を操作する。
 ゆっくりと落ちていた点滴が、だんだん速く落ちるようになっていく。
 雫のリズムを見ているうちに、私の呼吸や鼓動がそれにあわせて速くなるような気がして、胸が苦しい。
 せわしなく動く看護師たちの足音と、同じ病室にいる他人のうめき声が聞こえる。
 私は泣いていた。
 冬が近づいていた。

※刊行前のデータです。刊行時に、改稿される可能性があります。




【須藤古都離(すどう・ことり)プロフィール】
1987年、神奈川県生まれ。青山学院大学卒業。2022年「ゴリラ裁判の日」で第64回メフィスト賞受賞。

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