本当の「お岩さん」をご存じ? 幸せな妻か、街を走る哀れな鬼女か?

文字数 3,734文字

それ、ぜったい祟りじゃないです。のんびりラーメン食べてたからです。

「お岩稲荷」が四谷に2つある、ってことは、以前から知っていた。ただ、中央区新川にも実はもう一つある、なんてことは最近まで知らなかった。3つだって! スゴいね。


あるのなら、行ってみなければならない。それでこそ「お岩さん所縁の地めぐり」だ。ただ、四谷からあっちの方、ってバスでは行きづらいんですよ。鉄路ならJR中央線に乗れば、簡単なんですけどね。


なのでここだけは事前に、綿密に調べておきました。結論、鉄路と同じく四谷駅まで歩いて(こちらの「お岩稲荷」の最寄りは一つ隣の「四谷三丁目」駅)、都バス「都03」系統に乗るのが一番いい、多分。


途中、ちょうどいい時間になっていたので地元の老舗ラーメンで腹ごしらえ。それからぶらぶら歩いて四谷駅へ。着いてみて初めて、時刻表を見る。むーん、と思わず唸ってしまった。次の発車まで、30分も空いている


まぁ、仕方がないですね。この路線、昼間は1時間に1本しかない時間帯もあるんですから。これは祟りではないでしょう、多分。

お岩さん、タイムトラベラー説。お稲荷さんも3つだし、これは大変。

せっかく間が空いたのでちょっと考察を進めときましょうか。東京都教育委員会の説明板によれば、貞女だったらしいお岩さん。仲睦まじかった筈の伊右衛門との夫婦が怪談のモデルにされてしまったのは、何故か


今回、主な参考文献にした『四谷怪談 祟りの正体』(小池壮彦/学研プラス)によると、「お岩の呪い」話が最初にこの世に出るのは、享保12(1727)年の『四谷雑談集』という本らしい。


田宮家の娘、岩は婿の伊右衛門に浮気され、裏切られたことを知って憤怒のあまり四谷の町を走り去り、行方知れずになった。その後、伊右衛門の関係者など18人が変死し、田宮家は断絶した、という内容だという。


夫の裏切り、その後の祟りという部分は同じものの、お岩さんは毒を飲まされてもいないし、死んだかどうかすら分からず幽霊になってもいない。ただ、何人もの変死という奇妙な現象が続いた、というだけである。


ここで大切なのは年代。説明板にあったお岩さんの死は寛永13(1636)年でしたよね。ここのところをよく、覚えておいてください。

この「バス縛り」が、すでに祟りなのでは⁉ 
↑都03&東15(四谷駅→勝鬨橋南詰め→新川二丁目)

そうこうする内にようやく出発時刻になりました。

バスは跨線橋を離れるとすぐ、左折。更にすぐまた左折して、甲州街道を皇居方面に向かいます。半蔵門のT字路で、右折。皇居のお濠を見下ろすようにして走ります。これは、眺めがいい!


この路線、以前は新宿と晴海埠頭とを結んでました。その頃には、乗ったことがあった。ただ現在では、新宿と四谷との間が切られ、短縮してしまったような形。私からすると不便になったので、ずっと乗ってなかった。いやぁこんな気持ちのいい車窓だったんですね。すっかり忘れてた。


その後、日比谷から有楽町のガード下を潜って銀座のど真ん中を走り抜け、築地の前を通ると勝鬨橋で隅田川を渡る。渡り終わったすぐ先、「勝どき橋南詰」バス停で途中下車します。通りを渡って反対側、同じバス停から都心部方面に戻る便を待つ。次に乗るのは、「東15」系統。


時刻表を見ると、たった10分で来るらしい。ほぅらやっぱり、祟りじゃない


ところが停留所に滑り込むバスを撮ろうと位置を定めて待つんだけど、来るバス来るバス、違う便。いやそりゃ、ここのバス停を通る路線が多いのは確かですよ。でもねぇ。同じ系統が2回、来たりもしてるのにお目当ての「東15」は来ない。カメラを構えちゃ、やっぱまた違う、と肩を落とすのが続きました。


結局、10分遅れでやって来た。これまで何本、違う便をやり過ごしたことかーー

「東15」は勝鬨橋を逆戻りするように渡り、渡り終わったかと思ったとたん右折する。片側1車線の細い車道を走ります。聖路加病院の前などを通り、「南高橋」を渡ったところで左折。「新川二丁目」バス停で、下車。

やっぱり簡単にはお参りさせてくれない。「方向音痴」と言うなかれ。

ここで初めて地図を見る。目的地に近づいたところで見た方が分かりやすいからだ。


あぁあの交差点の、先だな。一つ向こうの路地を入ればいいらしい。見当をつけて、歩き出した。

ところがあれだと思った路地を覗いてみたけれど、違う。お宮らしい茂みがない。とたんに訳が分からなくなった。方向感覚にはこれで、自信があるのに。地図を見れば即、どう行けばいいか分かってたのに。


結局、「南高橋」を渡ってすぐ左折したのを忘れてました。方向感覚が90°ズレてたわけですね。これじゃ辿り着けるわけがない。

元の交差点に戻って90°、曲がりました。そして1つ目の路地……あぁ、あったあった。家並みの向こうにそれらしい茂みが見えた。


ところが、入り口が分からない。神社の入り口って普通、通りに面して鳥居がどんと立ってますよね。なのに、見当たらない。

あれ、入り口はあっち側かしらん? 1つ向こうの路地に移ってみました。でもやっぱり、鳥居はない。


元の路地に戻ってみると、あったあった。こんな、目立たない入り口。敷地に入った奥に、鳥居が立ってました。何でこんなに目立たなくしてるの!? と不思議に思うくらい。まるであまり、参拝者に来て欲しくないみたいじゃない


「お岩稲荷」が現場の四谷だけでなく、こんなところにもあるのは、何故か。

お芝居で『四谷怪談』を掛ける時、祟りがないように関係者は、「お岩稲荷」に参詣に行くのが常だった。ところが説明板にもあった通り、四谷の方は火事で焼けちゃったんですね。


それで初代市川左團次の勧めで、こっちに勧進したんです。こちらには当時、芝居小屋も多く参詣にも便利だったから。一説にはここは、左團次の所有地だったとか。よく見るとお賽銭箱にも「明治座」と書かれてますね


間に合わない⁉ お願いだから、電車に乗っちゃってください!

さぁ何かと苦労もあったけど、「お岩稲荷」を全部回ることが叶った。

最後は、「お岩さんのお墓」です。場所は、西巣鴨。またここからは随分と、行きにくい!


バス停に戻って「東15」系統で終点、東京駅八重洲口へ。「東42−1」系統に乗り換えます。日本橋を渡り、三越前を通ったかと思えば、人形屋の並ぶ浅草橋やオモチャ問屋の町、蔵前など面白いところを走り抜ける路線ですね。


ずっと行くと労働者の町、山谷も通るなど東京の色んな顔が見られるんだけど、今日は「東武浅草駅前」で途中下車。道を渡って「草64」系統に乗り換え。これで、目指す「西巣鴨」に行くことができます。


ただ、ルート図を見てもらえば分かる通り、かなりの距離があります。時刻は見る見る過ぎて行く。陽が傾いて行く。窓の外が薄暗くなって行く……

↑東42-1(東京駅八重洲口→東武浅草駅前)
↑草64(東武浅草駅前→西巣鴨)①
↑草64(東武浅草駅前→西巣鴨)②
夕闇の中、お岩さんの墓参り⁉ これは怖い!

はっきり言って暗くなってから、墓地なんかにはあまり行きたくない本音がある。

おまけにお岩さんのお墓なんですからね。やっぱり明るい内に行っておきたい。それに何より、写真を撮らなきゃならない用もある。


だから今回ばかりは、バスの中で地図を確かめましたよ。降りてからのルートを頭の中で確認した。さっきの「お岩稲荷」の時のように、道に迷っている余裕なんてない。


結局バス停に着いたのは17時半。まだ何とか、空は明るさを保っている。よし、間に合ったぞ!

早足で目指す「妙行寺」へ向かった。ところがーー


何と非情にも、門は閉まってた。開門は17時までだったんですね。これじゃ急いでも、どうせ無理だった。


どうしようもないですね。出直すしかない。

諦めて家路に就きましたよ。バス停に戻る足取りが重い。何とか1日で全部、回りたかったのに、なぁ。


「そんなに簡単に成就できるような、甘いモンじゃないよ」お岩さんがどこかで、そう言っているみたいでした。

『四谷怪談 祟りの正体』小池壮彦(学研・知の冒険シリーズ) 

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅をご報告。

「おとなの週末公式サイト」の連載コラム「路線バスグルメ」も楽しいよ!

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