第9話 お笑いに「おもろい以外いらんねん」を『M1』で再確認した

文字数 2,622文字

『M-1グランプリ2020』を見た。
ずっと欠かさずに見ている数少ない番組。
年々テレビを見るのがしんどくなってきて、今は追いかけている番組もない。

だけど『M-1』だけは見てる。
とにかくげらげら笑いたい、面白いネタが見たい。
その欲求も強いけど、その1、2歩後ろぐらいには、自分にとってなにがおもろくて、なにがおもんなくなったのかを知りたい、という気持ちもしっかり控えてて、
だから普段ほとんど見ないテレビをつける。

小学生の頃から『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』が好きだったけど、なぜだか週1ペースでやるお笑い番組が年々なくなってきて、代わりに時代遅れなバラエティ番組が目につくようになってきて、自然とテレビからも離れてしまった。
そういう人、多いんじゃなかろうか。古臭い価値観にツッコむ気力も失せて、ハア? と思うことにも疲れて、動画配信サービスに流れていった人。
わたしもそのひとりだ。

そもそも芸能界、特に芸人の世界なんてごりごりのホモソーシャルで、大学のあのつまんなかった男の先輩たちのノリを思い出す。
男の先輩たちがほんまブスやなとか、抱けへんわとかそういうことを男女問わずにぶつけて笑いにしようとしていた、あのくだらないノリ。
べつにそれは全然面白くなかったし、たぶんわたしを含め周りの人間は空気を読んでへらへら笑ってただけだった。そんなつまんない空気、読む必要全くなかったのに。

彼らはたぶん芸人のようにそういうことを言って場を回してるつもりだったんだろうけど、笑えるぐらいどれも面白くなかった。
人の容姿で笑いをとるのって何様なんだろうと荒んだ気持ちになるのを耐えながら大学生活を過ごした。

去年ぺこぱが優勝したことで、「傷つけないお笑い」が話題になった。
お笑いが好きな人ほど反論していた議題だったと思う。
傷つけないお笑いとかぬるい。そんなのお笑いじゃない。そんなので傷つく奴は見んな。
まあ確かに誰も傷つけないお笑いとか存在しないだろうし、お笑いの手札がかなり減ることになったとはなったと思う。
ツッコミに対してなんで笑うのかっていったら、それはボケがボケであるという共通認識の元の前提(不細工な人が自分をイケメンだと言ったりするのがおかしい)とかがあるわけで、そのボケの認知のギャップに対してツッコミが代弁してくれるのが面白かったわけで。

でも個人的には、べつに誰も傷つけないお笑いに拘泥しているわけじゃなくて、つまんないもんはつまんなくね? が一番しっくりくる。
不愉快なもんは不愉快じゃね? という。

これまではどんなネタでもわりと笑ってきていた。
でもここ数年ぐらいで、
「○○人(海外)かと思ったわ」「可愛くて性格のいい子? いないよ」「そんなブスでパリコレ出れるわけないやろ」
などなど、もう本当にヴッ… となるワードが増えてしまった。
知識や視点が増えると、それまで楽しめていたものが楽しめなくなることが往々にしてある。
わたしにとってのそれは、テレビで、映画で、漫画で、お笑いだ。
ここ数年で、ハア? と思えることが増え、笑えなくなったり素敵だと思えなくなったりした作品のなんと多いことか。

今回でいえば、「不倫したいからマッチングアプリ使ってる」に対しても、おもろいやんけ、とはならなかった。
だってその事象は面白くもなんともないし、笑える代物ではないから。
その入りのときには見事なぐらいに誰も笑ってなくて、よかった、これが今の世間の価値観と温度感なんだ、と少し安心した。
尖ってるとかじゃなくて、純粋に「不倫したくてマッチングアプリを使う」ことが面白さに転ばない共通認識があることに安心した。

とはいえ、皮肉ったり不謹慎なことを言ってる感じのネタが全部無理になったわけではなく、今回のニューヨークの倫理観がめちゃくちゃな軽犯罪を大量に出してくるネタは好きだった。
「それは実際にそういう人がいて、ツッコミどころがある」という認識があるから、尖ってて面白い、という評価になるんだと思う。

もう結局のところ、「おもろい以外いらんねん」の一言に尽きるんだろうな。
人を傷つけないお笑いとかそういう小難しい言葉じゃなくて、純粋に時代遅れなボケやツッコミはおもんなくなってきただけなんだと思う。
従来の価値観がアップデートされてきた人と、そのままで不便がなかった人、そのままでい続けたい人の大前提に乖離ができているだけで、そう考えたらこれまでのお笑いでわりとみんな違和感なく笑っていた時代の方が異様だったんじゃないか。
今までの煩わしい様々な文化を積み重ねてできてきた共通認識が崩れかけているだけのことで、個人的にはその方が健康的に感じる。

お笑いがただ面白かったはずなのにストレスを感じるようになってきたのは、もはや自分のなかでそのネタが、そのワードが、「尖っているお笑い」という認識から「中途半端に人を不愉快にさせるやりとり」に変化してしまったからだ。
だって他人の容姿を蔑んだり、しかもその蔑む例えとしてまた他の人間を引っ張ってきたり、それがお笑いとしてまかり通っていたのはおかしい。
そういうしょうもないやりとりを現実世界でも持ち込んでくる人間がいることにも、うんざりしていたし。
自分はこれでよかったな、と思う。
不愉快だと感じることが増えていることに。

人を傷つけないお笑いってなんやねん、なめてんのか、と思う人は大前粟生の『おもろい以外いらんねん』を読んでみてください。
直近のお笑いに対するもやもやが多少クリアになったので、わたしは今読めてよかったと思えました。

もう「転がってるだけで優勝できる」じゃなくて、「他人を不愉快な気持ちにさせないで優勝するしかない」の時代だ。

もやもやもしたけれど、やっぱり『M-1』はおもろかった。
それが世間にとって笑いになるのか否かでその時代の変化が露骨に見えるリトマス試験紙的な役割も果たしてくれている、すごい番組だ。
永遠に見続けたい。
見取り図が優勝するのを夢見て、来年も見る。

★次回は1月22日(金)に公開予定です!

こみやまよも
 春から営業として働くこじらせ女子。
  好きな人は、いくえみ綾とoyumi。
  就活でことごとく出版社に落ちたのを根に持っている。

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