第5話 鳥飼茜と浅野いにおの結婚に勝手に衝撃を受ける

文字数 2,810文字



たった20分で、鳥飼茜のことを好きになってしまった。
7つのルールをもとにその人の人生観を映し出す、『セブンルール』というテレビ番組で彼女が言った言葉。
「誰かにとって(作品が)予行演習の場になれば」
「現実逃避の漫画はいっぱいあるから、それは私じゃないやつを読めばいいから。見たくないものを描かなきゃ」

スマホの小さい画面なのに胸がいっぱいになって、見終わってから巻き戻して、2回見た。
あんなえげつない漫画を、男と女と性のしんどい部分を見つめて描く人がそういうことを言ってくれる喜びというのはひとしおで、それだけでなんだか救われたような、なんとも言えない気持ちになれる。
過去の自分を総動員して描いている誰かの作品というのは、強い。良くも悪くも。

ルールのなかには、ある程度の歳になると不機嫌っぽい顔は洒落にならないので「毎日2回笑顔の練習をする」というものもあった。
それだけのことなんだけど、それでも彼女のことを相当好きになってしまった。
だって、世の中には不機嫌な顔をデフォルトに設定し、周りをびくびくさせながら平気な顔して生きている人たちが山ほどいるのだ、そして鳥飼茜はおそらく愛嬌もそんなにいい方ではなく、不必要にニコニコするのがしんどいタイプのはずなのだ。
そういう人が、周りに気を使わせないようにするのが礼儀、と至極大人な考えをふまえて、毎日笑顔の練習をしてるなんて、ものすごく真摯でいじらしい。

自分の母親や友人が日に2回も笑顔の練習をしていると知ったら、その生真面目さにわたしはなんでそんなことしてんの、と笑ってしまうと思う。
ただ鳥飼茜のことは、作品やエッセイを通して知っている気がしていたから、そのルールに対し、笑うよりも先にしみじみしてしまった。


気になる小説家や漫画家の作品をしばらく追っていると、会ったこともないのに、高校のクラスメイトや大学の同期よりも彼ら彼女らを知った気になってしまうことがある。

生身で会ったこともない人間に知られた気になる作家は苦痛で仕方ないとは思うし、わたしもそんな見方はやめたいのだけれど、それでも同じ作家が描いたものを何作品か読んでいると、その人が人生においてなにを求めているのか、なにに怒っているのか、そういうことはほんのりとわかってしまう気がする。

鳥飼茜もそのひとりで、わたしにとっては女であることに常に怒っている人、生きづらそうな人、自分に苦しんでる人、という鳥飼茜ビジョンがあった。
で、浅野いにおと結婚すると聞いて、その頃彼女の作品は「先生の白い嘘」しか知らなかったので、この人が浅野いにおと結婚……⁉︎ という衝撃がスマホの画面からダイレクトに目ん玉に刺さってしまい、素っ頓狂な声を出したのちに心配でたまらなくなってしまったのだ。
浅野いにおって大丈夫なのそれ?! となってしまったのだ。


浅野いにおの作品はわりと買い集めていて、金髪だし才能あるし、でも他人を特別視するの好きじゃなさそうだしなーと至極失礼なことを思っていて、そういうイメージがある彼と生きづらさを煮詰めたような彼女が結婚することがあまりにも衝撃的だった。
これ以上ないほどにお似合いでもあるし、どう考えても噛み合わないような気もする不思議なふたりだ。

鳥飼茜がエッセイ本を出すと聞いて、そこに浅野いにおのことも書かれていると知り、浅ましく俗世的でミーハーなわたしは早速買った。
鳥飼茜の視点で見る浅野いにおはどう見えるのか、漫画家でない互いの一面をふたりはどう捉えているのか、気になって気になってたまらなかったからだ。

エッセイ本にも種類がいくつかあると思う。
その日あったことを江國香織のように淡々と表面的に綴った記録かつ小説に近いもの、あたかも脳内ポイズンベリーのように議題を決めてひとりで脳内議論していくもの。
そのなかで鳥飼茜のエッセイは、とことん自分の心境を吐露している、「本当に誰にも見せてはいけない深夜の日記」だった。

結論から言うと、鳥飼茜は相当に浅野いにおが好きなんだということがわかった。
めちゃくちゃ好きで、でもその分しぬほど苦しんでいる様子が3ヵ月間にわたり、まざまざと記されていた。
見てられなかった。
勝手に他人の恋愛模様に絶望するなよという感じだが、鳥飼茜が恋愛している自分を惨めだと自負する理由がよくわかるエッセイだった。
わたしが鳥飼茜なら、恋人の捉える愛とか結婚とか、そういうものの差に、週に3日ぐらいはやるせなくなって悲しくなってだらだら泣いてしまうと思う。


その後、浅野いにおのエッセイ本も出版され、そちらも鳥飼茜がどう描かれているのか興味本位で読んだのだが、恋人に対してそこまでの熱量のない文章、恋愛や他人が自分にもたらしてくれるものに対しそこまで重要視していないらしい姿勢に、なおさらわたしの絶望は深まり、会ったことのないふたりへの感慨深い思いが蓄積されただけだった。

その衝撃的なエッセイのあと、鳥飼茜の最新作『サターンリターン』が刊行された。
本当に頭を殴られたような重たさのある漫画で、2019年に出会ったどの作品よりも衝撃的で、きもちわるくて、ぞくぞくした。
漫画というよりは小説や映画に近いような、とんでもない流れに巻き込まれていくような作品で、安易なわたしは、しぬほど好きな人と結婚した(であろう)人間がなんでこんなえげつない作品を描けるんだろうと、脳がぐらぐらした。

結婚後の鳥飼茜の心境は大丈夫だろうかと、あたかも近所のおばちゃんのように野次馬半分に心配していた矢先に、この番組を見られて本当によかった。
「思ったようにならないってことがいかに生きづらいかってことで自分も苦しんできた」鳥飼茜が、
「見たくないものを描かなきゃ」
そう言ってくれて、かつ本当に見たくないようなものを真摯に描き続けてくれていることはものすごく心強い、気がする。
好きなのはそっちの都合でしょ、とか結構なことを言う男がパートナーなだけある。
それすらも作品に落とし込んで糧にしてしまえる彼女の強さに、作品が面白いとか以前に、一人間として好きになってしまった。

鳥飼茜がこんなにも魅力的で、強くなくても強くあろうと歯を食いしばって、自分の経験からなにかを生み出そうとする人だということ。
そういうことを改めて知れて本当によかった。
『サターンリターン』の続きが楽しみ。

★次回は7月22日(水)に公開予定です!

こみやまよも
 春から営業として働くこじらせ女子。
  好きな人は、いくえみ綾とoyumi。
  就活でことごとく出版社に落ちたのを根に持っている。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み