第1話「SMバーにいってきた」
文字数 7,705文字

先日、SMバーに行ってきました。
もうね、圧倒そして混乱、みたいな、想像以上のど迫力だった。
店を出てからも興奮が冷めやらず、行ってから数週間は経っているのに、ふとしたときにあの場所のことを思い出してはぼんやりしてしまうという、そんな有様。
結論、自分のなかでこれだけは確定したのは、SMの扉は簡単に開かないほうがいいということ。
人生が変わってしまうと思います。本気で。
それぐらいの力がSMにはある。
SMバーとはその名の通り、SМ好きの方々とお酒を飲みながら楽しく交流できるバーのこと。
ハードなプレイをするための場所ではなくて、あくまでもショーや会話を楽しむのがメイン。
今回行ったバーは、在籍してるSM嬢たちがSMショーを日に3回やってくれるという、初めてSMを体験するのにはうってつけの場所だった。
店内には、5人ほどが座れる小さなバーカウンターと、その奥にキャバクラを模したようなスペース。
そのスペースには、ソファとテーブルが7セットほど円を描くように置いてあり、その真ん中にぽっかり空いてる空間がそのままステージになる。ようは目と鼻の先でSMショーを見ることができるのだ。すごい。
ショー以外の時間はSM嬢たちがお酒を作り、話してくれる、という優れたシステムで、そういうところもキャバクラっぽい。
キャバクラと明確に違うのは、その内装。店に一歩踏み入った時点でとにかく赤くて、仄暗い。
やばい空間なんだということが瞬間的にわかるつくりになっている。
ステージになる空間には人の背丈ほどもある赤い十字架がぶっ刺さっていて、天井からはホラーゲームでしか見たことのないような鉄製の輪っかが大量にぶら下がっている。
十字架の傍らには、真赤な縄や鎖、大きさも細さも違う鞭が壁にずらりと並んでいて、ぱっと見のビジュアルはもはや拷問部屋に近い。
失礼ながら、お店に行く前は、めちゃくちゃハイレベルな高校の文化祭って感じの内装なのかな〜と思っていたけど、思わず怯んでしまったよね。完全に異世界。魔界ってたぶんこういうところなんだと思う。
なにより、ぴったぴたのボンテージや、透け透けのキャミソールにTバックという、歩く痴女のような服装を見事に着こなすSM嬢たちが、その世界観をより確固たるものにしていた。
私たち一般人が着るボンテージのファッションと、プロが着るそれの違いを考えたことがありますか。 身体のラインが美しいとか、そういう有り体なことだけじゃない。
女王様であることの自信、この仕事に対する誇りが凄いんですよね。だから気圧されるぐらいの美しさがある。
ここ数年爆発的な人気を誇るハロウィンで、たまにセクシーなボンテージのボディースーツを着ている女の子がいるけど、あまりにも愚かだと思ってしまった。
通り過ぎざまにさらっと言われる、えっろ、とか、可愛いじゃん、には、なんの価値もない。
他人を萎縮させ黙らせてこそのボンテージファッションなのだ。
私はSMバーで絶対に緊縛してもらいたかった。というか、緊縛してもらうために来たようなものだ。
緊縛は気持ちよくなれる、というネットの胡散臭い情報を確かめたかったのだ。ようは、縄一本で気持ちよくなれたら最高では? という安易な下心で来たのです。
お店についたのは20時半だったのに、店内はもうほぼ満席だった。客層の男女比率は半々ぐらいで、年齢層は20代中盤から50代までと幅広い。
ステージの右端に位置するソファに案内してくれた女王様は、首から爪先まで、包帯巻き巻きのミイラちっくな格好が何故か抜群に似合っていた。
一通りお店のシステムを説明してくれたミイラの女王様が、水割りを作りながら、「初めてだよね? なんでお店に来たの?」と会話をリードしてくれる。
「いやあの、一度縛ってもらってみたくて……」と若干の照れを醸しながら答えると、「縛ってあげよっか?」。神。話が早くて助かる。
「体調いい?」
「いいです」
「服脱ぐ? 紐の色着いちゃったりすることあるから」
「えっ脱ぐのはいいです、大丈夫です」
ラリーのスピード感がすごい。照れてる暇がない。
お店のSM嬢には、緊縛ができる方とそうでない方がいるらしく、S嬢、いわゆる女王様はほぼ皆さん縛ることができるし、逆にM嬢は、縛ることはできない人が多いのだそう。
ソファから立たされるや否や、薄手のニットの上を真っ赤な縄が身体に沿って締まっていく。かなりのスピードに、おおお… え、すご…… とか間抜けな声が出てしまい、性的なことをしているという気分に全くなれなかった。
恥ずかしいとかよりも、プロの職人技を近くで見れる感動が勝ってしまうんですよね。
緊縛は縄をかける力が一定であったり、縛るときに避けなければならない動脈があったりで、素人がおいそれと手を出してはいけないと聞いていたけど、この手つきを見ていると、まじで素人がやるのは無理だなとわかる。みんな講習会に行こうね。
私の語彙力が低下しているうちに、緊縛が完成。 手も後ろに回して縛ってもらったので、上半身が完全に動かせなくなった。
これがまあ本当にえろい。紐で赤いブラジャーをつけてるみたいなビジュアルになるのだ。後手縛りと言うらしいので、気になった方はググってみてください。
ついてきてくれた友人に写真を撮ってもらったのだけれど、あとで見返したら立派なM女が写っていた。
「初めての縄はどんな感じ?」
女王様が聞いてくれても、ろくな答えができない。
「なんか、むちゃくちゃ変な感じですね……」
上半身をコントロールできなくなったことで、自分の肉体に対して支配力を失った感じがした。他人に人権を奪われた気分になったのだ。それがあまりにも衝撃的だった。
今この女王様に命令されたら、形だけの抵抗をしたのち、たぶんなんでも言うことを聞いてしまう。それが肌感覚でわかってしまうのが怖い。
まじで緊縛には思考を鈍くする作用があると思う。
期待していた安易な気持ちよさには繋がらなかったけれど、自分の身体を他人に明け渡してもいいかー、という一種の諦めに身を委ねることの気持ちよさがあった。恐ろしすぎる。
緊縛を解いてもらってからは、鞭で叩いてもらった。まさか一日のうちに鞭デビューまでしてしまうとは。
軽く叩いてもらえるぐらいかな、と思いきや、まさかの四つん這い。
他に5、6人のお客さんも一緒だったので、そんなに恥ずかしくはなかったものの、女王様の年齢の数だけ鞭で叩かれていくという謎プレイをさせらました。
軍隊みたいに、「いーち!」「にーい!」とか声を張り上げながら、お客さんに笑われ、知らない男女とともに尻を打たれる空間。なにこれ?
女王様が使用した鞭がバラ鞭という初心者用の鞭だったため、あまり痛くなかったのが救いでした。腰に打撃の重みがくる感じで、痛さはほぼない。乗馬鞭だったら死んでた。
でも四つん這いでの鞭打ちも案外受け入れてしまえるから不思議だ。
縛られるのも、鞭打ちされるのも、しばらくすると慣れるのだ。人間の適応力のすごさをこんな形で知ってしまった。
鞭打ちが終わって全員がソファに戻ると、ショーが始まった。
店全体の照明がさらに一段と暗くなり、真ん中のステージとなる空間だけがスポットライトでぽっかりと照らされ、BGMが流れ出す。
ブラジャーとショーツの上に透け透けのベビードールを着ただけの格好で、スポットライトのなかに現れ、裸足で立ち尽くす黒髪のM嬢。
その直後にゆったりとした足取りで現れる、黒いエナメルのボンテージのボディスーツに身を包んだ長身の女王様。きわどいハイレグなのに、安易ないやらしさとは無縁の気迫がすごい。
女王様が登場した途端、戸惑ったような表情を見せ、後ずさるM嬢。
ショー中の台詞は一切なく、ふたりの関係は明言されないため、設定などはよくわからないものの、M嬢が顎クイされるときの抵抗のなさから、普段からふたりがこういうことをしてる関係性なのかなとなんとなく想像ができる。演目中のSM嬢の関係性を想像できるのも醍醐味ですね。
正直、SMショーを見るまでは不安があった。
SMショーがAVと同じようにあまりにも芝居がかっていたり茶番じみていたら、自分はきっと醒めてしまうんだろうな、楽しめるのかな大丈夫かな、という不安。
SM自体が、大仰な反応をすることを前提に成り立っている大人のごっこ遊びと同じだと思っていたからこそ、なおさら。だって大人になってからそんな大声で悶え苦しむこととかある? なくない?
懸念通り、女王様がM嬢を顎クイするあたりまではやや芝居がかって見えた。
苦笑いになっている私と同じように、周りのお客さんもまだのめり込んでないような表情。テレビをつけていたら流れてきた金曜ロードショーをぼんやり見てるぐらいの熱量だった。
だけどそこからが本番だった。ラストまで私も含めお客さんみんなの口が半開きだった。
女王様はM嬢の顎を持ち上げてキスしたかと思うと(たぶん舌は入れてない)、彼女の長い黒髪を乱暴に引っ張って、真っ赤な縄で縛りだした。もうね、その手つきの鮮やかさよ。熟練とはこういうことだ。
ぶっちゃけ他人が縄で縛られていること自体は、自分が縛られたときと同じように、官能的ではなかった。なんかもうミス一つ許されないオペとなんら変わらない超絶技巧の迫力なので、えっち〜! とか囃し立てられるようなものではないんですよね。
ただ、縄がかかっていく最中、ときどきM嬢が切なげな吐息を漏らす声だけがBGMとともに聞こえてきて、それが生々しくて、だんだんどきどきしてきてしまう。どんな気持ちで見たらいいのかわかんないなこれ……。
観客は全員気持ち前のめりな感じで、言うなれば、欲情してる空気感がある。大学生とかによくあるような、男女数人の宅飲みで変な空気になったペアにあてられてこっちまでぎくしゃくしてしまう感じ。まあそんなもの経験したことはないが、とにかく気まずい。
女王様はM嬢の気持ちよさそうな表情にときおりかわいがるような視線をやり、M嬢の首から股間までの胴体を見事に縛りあげた。
なに縛りかはわからなかったけど、M嬢はこの時点でもう相当気持ちよさそうだった。
客席からはおお〜と小さく歓声が聞こえる。海外で緊縛がアートとして評価されてる理由がわかる。柔らかな人間の肉体が硬い縄でがんじがらめになっているのは、純粋に美しい。
女王様に顎で指示され、M嬢が自由な手足を使って自ら四つん這いになる。人権、というワードが脳内でチカチカした。
女王様の手には新しく持たれた真っ黒な鞭があり、それを床に数回打ちつけると、M嬢がびくっと身体を震わせた。
女王様はその様子を愛おしそうに見つめた矢先、鞭をM嬢のお尻に打ち付ける。本日初の悲鳴。M嬢と同じタイミングで反射的に飛び跳ねる自分の身体。
痛そうで見てられない。合意の上の、ショーとしてのプレイだとわかっていても、目を逸らしてしまいたくなる。それなのに顔をしかめながら見ずにはいられないのだから、恐ろしい。
なんじゃこの世界…… という怯えと期待が同じ速度で膨らんでいった。
鞭がしなってはM嬢のお尻に打ち付けられ、そのたびに悲鳴とも嬌声ともとれる生々しい声が聞こえる。女王様がそんなM嬢の反応をめちゃくちゃ楽しそうに見ていたのがかわいかったです。
時間が経つとともに、M嬢はどんどん悲鳴も喘ぎ声も大きく、反応が大胆になっていく。
矛盾しているようだけれど、縛られるとその分自分を解放してしまえるのが緊縛なんだろう。
女王様がふいに鞭打ちをやめた。
突然のお預けに、M嬢は物足りなさそうな喘ぎ声を漏らす。
SMというのは形だけ見れば女王様が一方的にいたぶっているように見えるけれど、こうして間近で見ていると、お互い存分に楽しんでいるのがわかる。
初めからそうなのだが、もう完全にふたりの世界だった。腐女子がよく言う、推しの家の観葉植物になり、推しカプのいちゃいちゃを永遠に見ていたい、というやつ。SMショーを見るということは、あの状況に限りなく近かった。
十分焦らしたあとの一発の破壊力は凄まじかった。一際大きい打撃音に負けじと響くM嬢の喘ぎ声。崩れる四肢。圧巻だった。
人はあまりにも扇情的なものを見ると、その衝動に耐えきられず、つい笑ってしまうことがわかりました。なんだこれえろすぎだろ…… と半笑いになってしまう自分を止められなかった。
男性は勃ったりしてしまわないんだろうか。こういうときだけは女でよかったなと思う。
派手なAVが一番そそるという人には、SMを生で見てみてほしい。同じ虚構だとしても、情欲のジャンルが全く違うのだということを私は初めて知った。
なにも喋らず、胸や性器を全く愛撫せず、わかりやすい喘ぎ声ではないほどに、人はぞくぞくするし、釘付けになってしまうのだ。
今まで私がセックスしてきたなかで、あのM嬢のように我を忘れ、骨抜きにさせられたことは、たぶん、ない。
緩急、強弱、抑揚。そのすべてを使いこなし、目の前の奴隷を見事にどろどろに溶かす女王様は、もう本当に、完全に女王様だった。
ショーのラストで縄を手早く解き、満足感からかぐったりしたM嬢の頬を、女王様は愛おしそうに撫でた。
私たち客には聞こえないけれど、なにかを囁き、声をかけ、労ってあげているのがわかった。
その瞬間、明確に羨ましいと感じてしまった。羨ましさと興奮で、ショーを見ていたときとは比にならないぐらい、肌が一気に粟立った。
涎を垂らし、涙を流し、大声をあげ、その他のおびただしい体液でぐちゃぐちゃになったとしても、自分をかわいいと肯定し、愛でてくれる存在がいるということ。
どんなにみっともない自分を見せても、丸ごと受け入れてくれる相手がいること。
相手が他の誰にも見せたことのない姿を自分だけの独り占めにできるということ。
その唯一無二の関係性が、羨ましくなった。
ショーを見終わったあと、すぐにでもSMをしたくなった。
今まで自分が抱いていた「好きな男のアナルを開発したい」という謎に強い願望の根源も、ショーを見たことではっきりわかった。好きな人が他の誰にも見せたことのない姿を見たかったのだ。その欲求を叶えてくれるリストの上位にたまたまアナル開発が君臨していただけの話だ。
友人も「彼氏のアナル開発は興味ある」と同意してくれたので、この願望は普遍的なものだということにしておきます。
ショーのあとでお店のママ(色気と貫禄が凄まじい女王様)が席についてくれた。深いスリットが入った黒色のドレスを完璧に着こなしていて、さながら吸血鬼のようだった。
「SMをしてみたくなったら、どうやってパートナーを見つけたらいいんですか」
「こういうお店で見つけるのがメジャーかな」
前のめりで尋ねる私に、ママが微笑んでくれる。
こういった店で気の合う人がいれば一番いいけど、そうじゃないことも多いらしい。
SMにはセーフワードが必須だ。「(M側から)この言葉が出たら必ずプレイを中断する」というもの。SMプレイでの死亡事故は普通にある。
だからこそのセーフワードだけど、たったひとつの性行為でセーフワードが必要になってくるのってやばくないですか。もはやSMはバンジージャンプとかと同じレベルで危険な気がしてくる。もし万が一のことがあってもサインをした同意の上なので文句は言いません、みたいな。
ただ気が合うだけじゃなく、「命を失う可能性がある性行為」をしてもいいと思える相手を、見つけられるかという点は難易度めちゃ高。個人的にはヒマラヤ並み。
「パートナーが見つかったとして、やっぱりSMのパートナーと恋人は分けるものなんですか? そこで罪悪感を覚えたりうまく割り切れない人もいそうですけど」と尋ねたら、なぜかママがちょっと答えにくそうに話を逸らしたので、その点に関しては迷ったり大変な思いをしてる人もいるんじゃないだろうかという勝手な予想。
となると、SM好きな人とつきあうのがベストだろうけど、好きになった人ががっつりSM好きだった、っていう確率って、どう考えても低くないですか?
好きになった人が週に4日ナポリタンスパゲティを食べる人だった、ぐらいの確立かなと思う。そういう人たちがいることは知っているけど、自分の周りでなかなか会えたことない、みたいな。
一度SMに目覚めてしまったら、もう普通のセックスでこれまで通りの快感を得られなくなるんじゃないだろうか。お店にいる幅広い年齢層のSM嬢と客たちが、それを物語っている。
おそらく肉体的な快感とは違う精神的なところでめちゃくちゃに気持ちよくなってるだろうから、SMは普通のセックスでは代替が効かないのだろう。
そうなるとSMと私生活を切り離せない私のような人間は、恋愛に対するハードルがすごく上がってしまうと思う。
自分が好きになった人、自分と恋人関係になってくれる人という項目の時点でそれなりのハードルなのに、そこに「SMプレイ(役割別)もできる人」という項目も追加することになる。ただでさえ難しい恋愛というベン図の共通部分をさらに狭めてしまうことになる。恐ろしい。
今でも十分生きるのに必死なのに、SM沼にハマったら人生がさらにハードモードになってしまう。絶対にハマっちゃだめなやつだ。
終電間際、ママは「また来てね」と笑顔で見送ってくれた。本当に、非現実的で妖艶的で、謎の吸引力がある空間だった。
次行ったら沼だぞ…… もう行かないぞ…… と自分を律しながら、たまにあのお店のホームページを覗いたりしている。
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こみやまよも
春から営業として働くこじらせ女子。
好きな人は、いくえみ綾とoyumi。
就活でことごとく出版社に落ちたのを根に持っている。