第7回 朝鮮半島南部に暮らす若者が、科挙試験を受けるために歩いた道

文字数 1,128文字

 室町時代から江戸時代にかけ、日本にやってきた朝鮮通信使が歩いた道、鳥嶺古道。韓国にあるその古道を歩いた旅は、『日本ときどきアジア 古道歩き』(光文社知恵の森文庫)に収録されている。


 鳥嶺古道には三つの関門があった。第一関門から第三関門と呼ばれていた。第一関門から第三関門に向けて坂道をのぼっていくのが一般的な歩き方だった。しかし僕は逆のコースを辿った。ソウルを出発して日本に向かう朝鮮通信使の旅を追体験したかったからだ。

 第三関門がある場所が峠だった。そこから古道をくだっていくことになる。


 坂道を歩きながら本に収録される原稿の書き方で悩んでいた。

 韓国の旅を書く原稿は神経を使う。旅といっても社会状況と無縁ではない。その世界に入り込むと、反日と親日という壁にぶつかってしまう。前・文在寅政権下、韓国は日本製品の不買運動である「ノージャパン運動」に揺れた。その背後には、日本統治時代への反発が横たわっている。

 僕は日本人だから、つい韓国で目にした日本に触れてしまう。中立の立場を保とうとするのだが、ときに反日・親日両派からクレームが届いたりする。

 しかし第一関門から第三関門までの話はかなり昔の話だ。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時期なのだ。三つの関門は、豊臣軍を迎え撃つためにつくられた楼閣だった。


 反日派はこの朝鮮出兵をどうとらえているのだろうか? 日本統治と同列の問題なのだろうか。

 古道を歩く前、できるだけブログや資料をチェックした。韓国語が読める知人に頼み、朝鮮出兵にまつわる韓国人の感情を調べてもらった。しかしよくわからなかった。

「400年以上も前の話だし、竹島のように領土問題が絡んでいるわけでもない。朝鮮を統治したわけでもないし……。韓国人も評価に困るんじゃないかな」

 知人はそういった。


 資料を読んでいてわかったことは、大方がこの古道を「科挙の道」として論じていることだった。朝鮮半島の南部に暮らす若者が、科挙の試験を受けるために歩いた道……という解釈である。「科挙の道」とすれば日韓関係に触れずにすむ……そんな配慮があったのかはわからないが。

 第三関門の手前には科挙の試験に向かう青年の像があった。


下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『シニアひとり旅 ロシアから東欧・南欧へ』(平凡社新書)、『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)など著書多数。


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