第1回 長い道のりを歩いた先にある浄土、熊野マジックにはまる

文字数 1,360文字

今年の2月から熊野が頭から離れない。あの土地はなんなのだろうか。もちろんはじめは、熊野古道の知名度に惹かれて熊野へ向かった。古道を歩く……という本を書いてみたかった。日本で古道といえば、やはり熊野古道である。「浄土」、「霊域」……熊野古道の解説にはそんな言葉がちりばめられている。僕の苦手な世界だった。若い頃から神とか霊感といったものとは無縁の人生を歩んできた。バックパッカー風の旅を本にまとめてきたが、そんな旅をつづけることができたのも、そのおかげかと思うことがある。つまりは鈍感なのだ。

 感性を研いで熊野を歩かなくてはいけないのかもしれない。そこで熊野古道の入口を富田川にした。かつてこの川は岩田川と呼ばれていた。この川を渡ると熊野の霊域に入るといわれていた。 紀伊田辺駅前から乗ったバスを稲葉根王子でおりた。そこには稲葉根王子という神社風の建物があり、目の前を富田川が流れていた。水垢離場という碑があった。熊野詣に向かう人たちは、この地で身を清め、川を渡る。霊域に入る儀式である。浄土を死後の世界と解釈すれば、この流れは三途の川である。

 土手に座り、富田川を眺める。しかしただの川だった。上流に向けて川の流れを辿り、対岸のこんもりとした山に目を細めても感じるものはない。石ころが広がる河原の間の流れは平凡な川だった。そう思ってしまう僕は熊野古道を歩く資格がない? 軽い自己嫌悪に襲われた。

 そこからバスで滝尻王子に出、熊野高原神社まで歩くことにしていた。3時間ほどの道のりだ。70歳になろうとしている僕の足腰はすでに頼りない。その道は、熊野古道のなかでも最も歩く人が多い中辺路の一部である。熊野本宮大社をめざす一般的な中辺路は38・5キロもある。その距離を歩き切る自信はなかった。

 3時間ほどの古道歩きでお茶を濁す? そんなつもりはなかったが、古道歩き体験といった軽い気持ちもあった。

 しかし熊野古道は甘くなかった。いきなりの急登路だった。熊野は雨が多い。むき出しの根が古道を覆う。荒い息を鎮めようと見あげると、濃密な木々が風に揺れている。何回も休み、膝をいたわるように古道を登った。やっとの思いで熊野高原神社まで着いた。

 ここまで来たのだから熊野本宮大社は見ておこうと思った。車道までくだり、バスで大社に向かった。大社の前に大斎原がある。かつてここに大社があったが、水害で大社は高台に移転。その跡地に立った。

 周囲を見渡す。ここは熊野川をはじめとする何本もの川が合流する中洲のような土地だった。熊野の山のなかに突然現れる盆地のような地形だった。穏やかな空気が流れている。

 これなのか。

 長い道のりを歩いた先にある浄土……。熊野古道マジックに出合った一瞬だった。



下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『シニアひとり旅 ロシアから東欧・南欧へ』(平凡社新書)、『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)など著書多数。



 


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