第4回 浄土へ行くための修行とは歩くこと、だが膝が悲鳴をあげている

文字数 1,268文字

 歩いても、歩いても、熊野古道。これは熊野古道を歩いた多くの人たちの実感ではないかと思う。熊野古道はとにかく長い。僕が歩いた中辺路(なかへち)の滝尻王子~熊野本宮大社はそれほど長くないが、それでも約38キロある。

 ただただ歩きつづけていると、足や膝の痛みに寄り添うように飽きが迫ってくる。

 しかし熊野古道は歩かなくてはならない。浄土へ行くための修行とは歩くこと……この道をプロデュースした山伏たちが規定してしまった。そのコンセプトに平安時代の天皇や貴族が受け入れていく。それをいま風にコピー化すれば、「浄土への修行パッケージツアー」ということになる。


 しかし熊野古道は長い。

 2日目。なんとか発心門王子まで辿り着いた。王子は神社に似た施設で、熊野古道を拓いた山伏たちがつくっていった。僕にとっては休憩所であり、歩く目標地点になった。

 前夜、民宿のベッドの上で、2日目のコースを睨んでいた。厳しい登り坂は迂回路だった。2011年の台風で地すべりが発生し、本来の熊野古道の一部を歩くことが難しくなってつくられた道だった。迂回路のピークまで300メートル近い登り坂があった。その次にきついのは三越峠への登り坂だった。

 このふたつの難所をなんとか乗り越えた。しかし右膝が悲鳴をあげはじめていた。予感は前日からあった。人にはそれぞれ、歩き方の癖がある。僕の場合は、疲れてくると、どうしても右膝に負担がかかる歩き方になってしまう。いたわり、なだめすかし、なんとか発心門王子までやってきた。ここから先、登り坂はない。熊野本宮大社にむかってだらだらとくだっていく。しかし3時間近くかかる。この膝の状態では4時間はかかるかもしれない。


 水呑王子、伏拝王子を通り、最後のくだり坂に入った。その途中に展望台があった。ここから大斎原(おおゆのはら)が見えるはずだった。

 1ヵ月ほど前、僕は3時間ほど熊野古道を歩き、そこからバスで大斎原を訪ねていた。そこで熊野古道のマジックにかかってしまったのだ。熊野古道を歩き通し、そこから大斎原を眺めなければ、熊野古道を歩いたことにならない……。中辺路歩きの目的は大斎原を眺めることだった。展望台がその場所だった。

 熊野本宮大社に向かう古道をそれ、展望台に向かう。少し前から雨が降りはじめていた。雨具も出さずに展望台に向かう。

 見えた。大斎原の大きな鳥居が眼下にあった。写真を撮ろうと思い、ベンチにあがろうとした。しかし左膝に力が入らない。僕の膝は限界に近づいているようだった。


下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、おもにアジア、沖縄をフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『シニアひとり旅 ロシアから東欧・南欧へ』(平凡社新書)、『シニアになって、ひとり旅』(朝日文庫)など著書多数。


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