【読書エッセイ】第四話 なわとびの入り方 

文字数 2,466文字




  「スーパーマーケットという名の生活の切れ端」  三宅香帆 


なぜもっともコミュニケーションをとるべき家族と、日本人は、ディスコミュニケーション状態に陥りやすいのだろう……。なんて、壮大な疑問を浮かべてしまった。これが本書の第四話「なわとびの入り方」を読んで最初に浮かんだ感想である。
断っておくと、私がこんな疑問をもつのは、この短編小説集がものすごく上手に、いまの人々を切り取り、コロナ禍以降の社会を的確に表現しているからだ。すぐ近くにいそうな、なんなら隣のマンションに住んでそうな、身近な住人たち。その人々の暮らしや、生活にまつわる葛藤、そしてそのきらめきが、この本には詰まっている。
本書のリアリティといったら、たとえるならば高校時代の友人の話を久しぶりにZoom飲み会でぼーっと聞いている時のようだ。ページをめくりつつ「そ、それでなんでそんな結論に至ったの!?」と思わず急に身を乗り出してしまいそうになった。そして「あ、これって小説だったわ、私の友達の話というわけじゃないんだ」と我にかえる。そんな稀有な読書体験だった。
本書に収録された第四話「なわとびの入り方」について書くと、主人公は、アラサー女性・咲希。彼女は二十六歳のとき、婚活アプリで出会って付き合っていた彼氏・貴文にプロポーズされた。周囲の女友達の結婚ラッシュや、あるいは実家からのプレッシャーによって結婚願望が高まっていた彼女は、安堵しながら貴文と結婚することにする。しかし三年経って、三十歳も目前になった彼女は、不妊治療がうまくいかないことに悩んでいた。専業主婦にまでなったのに、自分は誰かの役に立つ人生を送れないのか。そんな悩みをしっかり聞いてくれたのは、学生時代からの友人、裕香だけだった……。
『かごいっぱいに詰め込んで』は、町のスーパーマーケットを舞台とした連作短編集である。咲希もまた、自分がなににとらわれていて、どんな抑圧を自分に課してしまっていたのか、スーパーマーケットでの会話をとおして気づく。普段会話しないのが当たり前となってしまった、地域のスーパーマーケットの風景。ここが、いつもと異なるコミュニケーションの場になることによって、はじめて咲希の日常は色を違える。
咲希は、裕香との会話や、スーパーマーケットでの会話をとおして、自分が言葉にしてこなかった無意識の抑圧に目を向ける。そう、これはひとりで内側に目を向けるだけでは自分の抑圧に気づかなかった咲希が、他人とのコミュニケーションをとおしてはじめて、自分を見つける物語なのである。
面白いのが、咲希は、不妊治療や結婚生活について一番話すべき相手である夫と、ほとんど大切なことを話さずに終わることだ。夫・貴文との間には、ほとんどディスコミュニケーションしか存在しない。少なくとも物語で描かれている限りにおいては。おそらく物語が終わってからまた夫婦のコミュニケーションが始まるのかもしれないが、それにしたって咲希は夫婦の関係性をつくりあげるうえで重要な結論を、夫とはほとんど何も話さずに終わる。
とはいえ、このような状況を読んでいても、珍しいことだとは私は全然思わない。周囲を見ていても、女友達とのコミュニケーションは頻繁にとる人であっても、夫婦間のコミュニケーションはあまり多くない、という人は結構いる。それは夫婦のどちらかが悪いというよりは、この国の家族観とか、そういうものに原因がある気がする。夫婦はコミュニケーションをとらなくてもいいという無意識の規範を私たちは共有しているのかもしれない。咲希もまたその規範にとらわれているひとりなのかもしれず、そこを解いてくれたのはスーパーマーケットの会話だけだったのだろう。
「なわとびの入り方」を読んでいた時、私がもし咲希の友達だったら「咲希ちゃんは裕香に愚痴をきいてもらって元気を回復したら、とりあえず夫さんとがっつり話す必要があるのでは!? 話さずに自分で不妊治療だ離婚だ家出だと決め込むのはさすがにディスコミュニケーションすぎない!?」とZoomでツッコミを入れている気がする。残念ながら読者なので、咲希には私の声は届かないであろうが……。女性への世間の声とか、役割期待とか、そんな大局的な話よりもまず夫とのコミュニケーションだよ! とお酒でも飲みながら咲希に言いたくなってしまう。いや、なんか咲希ちゃんには嫌な顔されそうですが。すまん。
とはいえ、そんなツッコミを入れたくなる読者がここにいるくらい、本書はいろんな人がいろんなことをやいやい言いたくなるような、身近で、現代的で、何より面白い小説である。咲希の問題は、決して咲希だけの問題ではない。日本全体に蔓延する家族の問題であるように思う。
スーパーマーケットのかごには、さまざまな現代日本の生活の切れ端が詰まっている。だからこそ本書は生活する私たちの胸に届く。それはきっと、あなたの暮らしにも触れることができる物語でもあるのだろう。日本中にいるであろう咲希ちゃん、がんばれ。私はあなたを応援している。



三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年高知県出身。文芸評論家。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。
著書に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない ー自分の言葉でつくるオタク文章術ー』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『人生を狂わす名著50』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』など多数。

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