⑤近代文学とSF

文字数 1,830文字



 今夏、第一部が邦訳された劉慈欣のSFシリーズ『三体』は、中国ではすでに中国SF史ひいては中国文学史の里程標として評価されている。私たち日本人もこの異色の大作を狭義のSFのジャンルにとどめず、より広いコンテクストのなかで理解するべきだろう。私自身は中国のSF=科幻の専門家ではないが、できる範囲で、文献紹介も兼ねつつ『三体』の文化史的な位置づけを概観しておきたい。

(「群像」2019年11月号掲載)





 梁啓超らの仕事に続いて、百年前の1919年の五四運動では「科学」と「民主」が旗印として掲げられ、魯迅や胡適の世代がその担い手となった。梁啓超や呉趼人と同じく、魯迅は文学ジャンルとしてのサイエンス・フィクションに参加したというより、サイエンスとフィクションを交差させたと言ったほうが正確だろう。


 もともと医学を学んでいた魯迅は、作家となる前に科学的なエッセイを残しているが、文学史的に重要なのは1903年にジュール・ヴェルヌの『月界旅行』と『地底旅行』の翻訳を刊行したことである(この中国語訳『月界旅行』は1880年から翌年にかけて日本の井上勤が英訳本から日本語訳したヴァージョンに基づいており、原著よりも縮約されている)。魯迅はヴェルヌを介して、西洋の知識を中国に導き入れようとした。そして、未知の世界の冒険旅行というヴェルヌ的なモチーフは、先述した『新石頭記』を含めた中国の初期SFにおいて好んで採用された。


 もとより、魯迅は1918年の「狂人日記」によって中国近代文学を本格的に起動させた作家である。それ以降、彼の文学はヴェルヌ的な「旅行」とはちょうど対照的なノスタルジーや暗い実存感覚を強調するようになった。だが、その魯迅こそが中国SFの種を蒔いていたのは興味深い。「中国近代文学の起源」と「中国SFの起源」は対立を含みつつ、部分的にオーヴァーラップしてもいたのだ。


 ここで重要なのは、近代以前の中国の小説が、しばしば共同体の教師としての役目を果たしたことである。例えば、『三国演義』や『水滸伝』も日本ではもっぱら娯楽として受け取られているが、中国では世界認識を示す書物であった(そこには知性偏重を戒めるような──つまり本来の意味での「反知性主義的」な──態度も見出せる)。中国小説の影響を受けた日本の曲亭馬琴にしても、『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』を、地理学から文芸批評までを含んだ百科全書として書いた。魯迅にとって、ヴェルヌのSFもそういう総合的な知識システムであっただろう。後述するように『三体』にも似たところがある。


 ところで、魯迅自身はSFを書いたわけではないが、晩年の短編集『故事新編』はSF的な文明批評に半歩近づいたようなところがある。特にその巻頭の「補天」で、魯迅は地質学的なイメージを活かして太古の地球を描きながら、女媧(中国神話の有名な女神)の世界創造をパロディ的に語り直している。すなわち、女媧が土から捏ねあげた小人たちは、やがて珍妙な儀礼と言葉遣いを仰々しく重んじる、中身のない儒者へと進化してしまうのだ。魯迅はここで進化論を形だけ借用しつつ、中国における文明的=儒教的な人間像をブラックユーモアによって笑い飛ばしていた。


 この挑発的なアイロニーに満ちた短編集は、現代の作家にも刺激を与えている。例えば、ノーベル賞作家の莫言は、現代小説の特徴──ブラックユーモア、意識の流れ、マジックリアリズム──が『故事新編』に収められた「鋳剣」にすべて先取りされていると述べていた。表向きは立派に見える文明の欺瞞を暴き、偉人をもコケにする『故事新編』は、莫言のみならず、余華や閻連科らの隠れた文学的源流になっていると私には思える。それは恐らく劉慈欣も例外ではない。『三体』の読者ならば、VRゲーム「三体」のなかで周の文王や孔子のような聖人がすさまじい災厄の前で無力なピエロになってしまう場面を覚えているだろう。ここにも『故事新編』ふうのブラックユーモアが図らずも繰り返されていた


 詳しくは、金文京+福嶋亮大「世界認識としての「三国志」」『ユリイカ』(2019年)参照。

『莫言対話新録』(文化芸術出版社、2010年)193頁。


【福嶋亮太】

文芸評論家。81年生まれ。著書に『神話が考える』『復興文化論』『厄介な遺産』『百年の批評』など。


⇒「文化史における『三体』⑥新冷戦時代の百科全書的SF」へ続く


⇒TREE TOPへ



登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色