還暦記念百物語 第10話/嶺里俊介(最終回)
文字数 2,478文字
『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんによる、tree書下ろし連載第3弾スタート!
今回は還暦を迎えた主人公と学生時代からの仲間が挑む、実録(?)『還暦記念百物語』、今回で最終回です!
第10話 百物語が終わるとき
電灯が灯され、部屋は蛍光灯の光に包まれた。
スマホの着信音が部屋に響いた。
守田はスマホを取り出し、「はい、守田」と話し始めた。
タイミングのせいか、病院へ担ぎ込まれた中月の容体が気になる。病院の高畠から連絡が入る手筈になっている。
広間の出入り口のドアがノックされた。ドアの磨りガラスに人影が映っている。
「ドアを開けてくれ」高畠の声だった。
「高畠か!」
ドアに近い私が立ち上がったが、ひどいめまいを覚えて足がふらついた。頭痛もする。
「荷物でもあるのか。まあ入れよ」
私がドアのノブに手をかけたとき、背中から守田の声が響いた。
「待て! ドアを開けるな!」
振り向くと、スマホを手にした守田が立っていた。
「高畠だと……」守田は声を震わせた。
「高畠は、いま俺と話してるんだぞ」
通話をスピーカーにして、守田はスマホをこちらへ向けた。
「いま中月はベッドの上だ。点滴を打って安静にしてるところだよ」
スマホから高畠の声が響く。
守田は声を荒らげた。
「お前、誰だ」
磨りガラスの人影が消えた。同時に、頭の中に声が響く。
「ドアを開けるんだ。いますぐに」
声が変わった。亡くなっている、私たちの恩師だ。
「宇崎先生……」
突然、客席の1人が椅子から頽おれた。
客席をよく見ると、口を激しく動かして呼吸している者が何人もいた。口許のマスクにかけた指やマスクから覗く唇の色が紫色になっている。頭痛だろうか、頭をおさえつつ顔をしかめている。
参加者たちが、次々と席から身体を落として床に横たわった。
――なんだ、これは。いったいなにが起きている。
めまいがする。部屋がぐるぐると回り出す。身体が痺れてきた。
もしかして、百本の灯が消える前に百話を語り終えることができなかったせいか。これもルールの代償なのか。
……いや待てよ。この感覚には覚えがある。
学生時代の冬に、友だちの下宿で徹夜麻雀を繰り返した。それも昼夜ぶっ通しで、誰も「もう止めよう」とは言わず、四畳半の部屋で牌を握った。これはそのとき体験したものだ。
肩が大きく上下して、無意識に深く呼吸をしている自分に気がつく。吐き気が止まらない。
私はドアに近づき、腕を伸ばして目の前に揺らぐドアのノブを掴むと、力任せにドアを全開にした。
「さあ、遠慮なく入ってこい」
いま私たちに必要なのは、外気だ。
「お前ら、馬鹿か」
中月と一緒に病室へ入ってきた高畠は、ベッドに横たわる私らを一瞥するなり呆れ顔をつくった。
「いくら熱中していたからといって、空調が故障して止まったことに気づかないなんてどうかしてるぞ。下手すりゃ死んでたところだ」
高畠の怒りは思いやりの裏返しだ。
「いいか、二酸化炭素の屋内基準濃度は屋外の約3倍、1000ppmだ。だが、そこへ石油ストーブを持ち込むと、換気されない部屋なら一気に3倍になる。それが3台、しかも大人数で長時間だ。さらにマスクをしていたら、マスク内の酸素は2割減、二酸化炭素の濃度は30倍になる。密室でのマスク着用は、意識して着脱を繰り返さないと体調に影響するんだぞ」
さすが葬儀場の運営を仕事にしている高畠だ。蝋燭を灯した屋内管理について詳しい。
私は天井を見上げながら太い息を吐いた。
「……てっきり百物語ルールの代償かと思ったよ。蝋燭の灯が消える前に100話を話し終えることができなかったからな」
「ん? それはないぞ」小松原の声が答えた。
「ライターのオイルがなくなったから、私は目の前にあった蝋燭の火で煙草に火を点けたんだ。これで100本目の蝋燭の火は煙草へ移ったことになるだろ。その煙草を吸い終える前に語り終えたから、しっかり間に合ったんだよ」
「間に合っていたのか……」誰ともなく呟いた。
4人部屋の病室である。私と守田、泰丸と小松原がベッドに就いている。村岡や他の倒れた参加者たちは別部屋だ。軽症だった者は自宅へ引き上げている。
「中月、お前は無事だったんだな」泰丸が声をかけた。
「拙僧は持病の不整脈からの発作でした。幸いにしてすぐに回復したのは、これも御仏の取り計らいでしょう」
彼は胸の前で手のひらを合わせた。
「あれはいったいなんだったんだろな」
守田が部屋に現れた高畠について説明すると、中月はふむふむと顎を撫でた。
「亡くなられた宇崎先生が教え子たちの危機に現れたのでしょう。本当に命が危ないところでしたから」
訥々と語る中月住職の姿は、すっかり坊さん然としている。
私はネタをとるために胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせていたが、ドアからの声は録音されていなかった。
「還暦まで届くどころか夭折した同期もいるだろ。亡くなったと知らずに案内を送ったからな。そいつらも来ていたんじゃないか」
私は放課後の教室を思い出した。校庭から聞こえてくる声。雑誌を広げながら時間を忘れて語り合った仲間たち。
「『百物語』が成功したらなにか起きるって話だったが、このことか」村岡が零す。
「いつまでも受け身でどうするよ。俺たちはもう還暦だぞ。なにか起きることを期待するより、起こす側だろ」
「違いない」泰丸の言葉に守田が大きく頷く。
「さて、いよいよ人生の後半戦スタートだ。まだまだ人生折り返しだぞ。亡くなった奴らの分まで頑張ろうぜ」
「応!」
私たちは握り拳をつくり、天井に向かって腕をぴんと伸ばした。
嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)
1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。