還暦記念百物語 第6話/嶺里俊介
文字数 1,983文字
『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんによる、tree書下ろし連載第3弾スタート!
今回は還暦を迎えた主人公と学生時代からの仲間が挑む、実録(?)『還暦記念百物語』です!
第6話 忌明けの声
「拙僧の番手ですね」
中月が壇上へ上がった。中等科時代の同期だが、二年生のときに専門の学校へ転校して僧籍に入った男だ。袈裟の下に赤いちゃんちゃんこが覗いていることもあり、独特な雰囲気を纏っている。
壇上に並ぶ蝋燭の炎が当初より大きくなっているように見える。
「どうも妙なものが寄ってきているようです」
彼が蝋燭の灯をねめつけると、心なしか蝋燭の炎が揺らいだ。
「45年ぶりの再会だというのに、なかなか骨の折れるイベントではありませんか。とはいえ、たいへん興味 深い寄り合いなので、最後までお付き合いしますよ」
中月住職は蝋燭の前で手を合わせ、一礼すると徐ろに語り始めた。
「話の60と6……」
とあるご遺族の忌明け――四十九日法要へ呼ばれて、読経を任された席での話です。
遺骨を置いた祭壇の前で経を唱えていると、呟くような小さな声が聞こえてきました。
「……って……る」
後ろに控えているのはご遺族たちですが、そのうちの誰かが呟いたようです。
拙僧は気にせず読経を続けました。
「ま……がえ……ぞ……」
また声が聞こえました。嗄れた、男性の声です。
しかし声が低く、断片的なので、なにを言っているのか分かりません。
「……ちがえ……てる……」
はて、経文を間違えたか。いやいやそんなはずはない。瞑目したままでも半日は唱え続けることができる経文だ。
しかも背後に並ぶご遺族が動いた気配はありません。立ち上がる気配も、畳が擦る音もしませんでした。
杢魚を鳴らして一拍するときに、さりげなく後ろのご遺族の様子を窺ったのですが、皆一様に黙祷したまま正座しています。誰も動いた様子はありません。
やはり気のせいか。
気が乱れることはなくとも空耳とは拙僧もまだまだ未熟だわい、と読経を続けました。
「ぼうさ……よお……」
すぐ近くに気配がありました。後ろからではなく、前からです。
興奮しているのか、妙に息が荒い。
しかし拙僧の前には、御仏のお骨を納めた壺が祀られている祭壇があるだけです。誰の姿もありません。
さては迷うたか。なんとか御仏を成仏させねばなるまいと心に決めて手を合わせたときでした。
「おいっ、坊さ……。……ってる……だ……」
いくぶん声に怒気が籠もっています。声とともに荒い息を額に感じます。
「こい……ら……しらね……」
骨壺が震えて音を立てました。
拙僧はリン棒に手を伸ばし、握りしめました。そして読経に一拍おいて、魔を祓うために力強く鐘(リン)を鳴らしました。
ひときわ高く、鐘の澄んだ音が仏壇に響きます。
しかし霊の気は膨張し、叫びとなって発現しました。
「あんたら、骨を取り違えてるんだよ!」
なんたること!
葬儀場のほうで不手際があったに違いない! なんという失態、取り返しがつきません。
後ろのご遺族たちがざわつきはじめましたが、これはもう、なにもなかったことにするしかありません。
もはや、やぶれかぶれです。
「喝ーっ!」
拙僧は禅宗ではありませんが、全身全霊で無手勝流の気合いを込めて叫びました。ご遺族がたは突然の大声に驚き、中には腰を抜かした方もいたくらいです。
骨壺や周囲に漂っていた霊気やご遺族のざわつきは霧散しました。
……いやあ、あのときの後始末は本当にたいへんでしたよ。
語り終えた中月は66本目の蝋燭の火を消した。残り34本の蝋燭は、どれも半分以下の長さになっている。
さすが住職、滑らかで耳に馴染む語りだった。
「お疲れさん。お茶と汁粉で休んでくれ」泰丸が手招きをする。
「ありがたい。ではお茶を馳走になります」
「たしかに火葬場でのお骨の取り違えトラブルはたまに起きる」
高畠は腕組みしながら小さく頷いた。
「む、うっ」
壇上から下りたところで、中月は呻き声を上げた。
袈裟を揺らして激しく咳き込んでいる。顔色が悪い。発汗もひどい。
「近くに夜間もやってる救急病院があるから診てもらおう」
高畠が車を出して中月を送ることになった。
彼らを見送りながら、守田が呟いた。
「まさか、寄ってきた〝妙なもの〟が憑いたわけじゃないよな」
嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)
1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。