『邂逅の滝』 遠田潤子

文字数 2,104文字

本を開けば人々の声が聞こえる、知らない世界を垣間見れる。 

本は友だち、人生の伴走者――。

本の森セルバ岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!

今回横田さんがお届けする一冊は――

『邂逅の滝』

(遠田潤子)

今回ご紹介する本との出合いは、思いがけずお送りいただいたことがきっかけだった。

以前に刊行された著作を読んだ時、濃密な筆致に現実世界にうまく戻ってこられなくなったことをよく覚えていた。

あの読書体験は、未消化のまま私の中に残っていて、自ら手に取るには本来ならば幾許かの時が必要だったように思う。

けれど、それを待たずして紐解くことになったのは、逃れられない運命の潮流にすでに巻き込まれてしまっているからなのか。


物語は五章で構成されていて、現代より明治、安土桃山、文政、南北朝と時代を行きつ戻りつしながら、恋に落ちては別離へと進む男女の壮絶な愛の軌跡が描かれる。

男の名は、どの時代も望月といった。

女は、久礼に始まり、こう、あとり、みよ、暮葉と名を変えた。

二人が何度も身体を重ねたのは、大阪、奈良、和歌山にまたがる深い山の中、紅滝町にある滝口屋という小さな旅館。 もともとは茶屋で古くから滝の祠へお参りをするために茶と草餅を出しており、歴史を遡れば、建物が焼け落ちたことも、女郎屋をひっそりと営んでいたこともあるという。

祠には、戦の渦中に愛する男に置き去りにされた哀れな紅姫――久礼が祀られているが、いつの頃からか観光客を呼び込むための祭り行事になった。

しかし元来、紅姫を慰めるために始まった祭祀は災難も多く、行列に巻き込まれた「みよ」は二度と歩けない身体になり、紅姫に選ばれた「暮葉」は祭りの夜にひき逃げに遭い命を落とした。


――必ず一人で参ること。決して口をきかぬこと。


今なお呪いが蔓延る地に土足で踏み入るものがあれば、女の身に容赦なく災厄が降りかかり、望月は愛する人のいなくなった世界に置き去りにされた。


祠の先は断崖で、眼前にどうどうと落ちる滝は「紅滝」と呼ばれている。

滝の落差は三十メートルほどで、祠まで上がらないと見えないそれは美しく神秘的だ。 秋には紅葉の盛りが祠を覆い燃え盛る炎を想起させるが、実は美の絶頂は二月にある。

滝までも凍りつく極寒の如月に、差し込む朝日によって滝は薔薇色に輝く。


戦乱の世、名も役職も与えてくれた宮様に仕える望月四郎と、十の時に罹患した流行り病の後遺症でほとんどの視力を失った久礼。 裏切りの末、捕らえられた宮様のそばにいるために都から鎌倉へと旅立った二人だが、その命を救うことはできず、宮様の御首と、彼の御子を宿した鶴子と共に都への帰路を急ぐ。

追手が迫る中、望月の子を宿した久礼は、親愛なる鶴子と愛する望月の命を長らえさせるため、子の命もろとも自らを犠牲にする選択をする。


「俺はそなたの望みを叶える。代わりに、そなたも俺の望みを聞き入れるのだ」

「そなたは俺を怨むのだ。」

「久礼は全身全霊を掛けて望月様を懸けてお怨みいたします。ですが、きっと望月様をお赦しいたします。」


凍てつき、くれないに輝く滝を二人でいつか見届けるという約束は「怨み」という言葉をもって女に託された。

しかし、読者である私たちはそうそうに知るのだ。

望月が幸福そうに旅立ったことを。

ごおっと吹く風が怒りの色をもう帯びていないことを。

長い年月を経て、くれない色に輝いた滝がその証左であった。


数百年にも亘る時の中、男と女は姿と名前を変えながら、何度も出合い命を分ってきた。

別離が訪れると知るはずもない二人に死の影は纏い、命懸けの情交は相手もろとも焼き尽くさんほどの熱情がやどった。

ただぬくぬくと、安穏な日々を望むものには決して到達し得ない、男と女の究極の境地がここにはあって、二人が生きる世界へ身を投じることを望むのであれば、命さえ差し出す必要があると伝える。

対価のあまりの重さを前に逃げ出す方が、正しく賢明な道だろう。

束の間であるからこそ燃え上がる愛に命をかけてもいいと思うのは、恋の熱に浮かされていたからだとしても、その情動は金貨を積んで得られるものではない。

生まれ変わっても出会いたいと思える人があることは、生きるよすがになり、死ぬ間際に救いになった。

替えの利かないたった一人を得ることは、失う恐怖をも受け入れることで、その脆弱さと底知れぬ悲しみが真に迫り、心が裂かれる痛みすらあった。

なのに、なぜ。

こんな愛を知る二人を、たまらなく羨ましいと思ってしまった。


この世に生まれてきた理由など、知る由もない。

けれど、過去生で出会ったあなたとの「約束」を果たすために、私も再びこの地に生まれ落ちたのであれば。

今度こそ私は、私たちは――その使命を果たさなければならないのかもしれない。



本当の望みを物語が突きつける。

魂のつがいとの再会を欲していると忘れてしまった”私たち”は、こんな物語と出会う必要があっただろう。

横田かおり(よこた・かおり)

1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバ岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。

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