『きこえる』 (道尾秀介)

文字数 2,038文字

本を開けば人々の声が聞こえる、知らない世界を垣間見れる。 

本は友だち、人生の伴走者――。


本の森セルバ岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!

今回横田さんがお届けする一冊は――

『きこえる』

(道尾秀介)

本をめくって6ページ目。

黒く塗りつぶされた背景の中、白く切り取られた四角の上にあるQRコードを読み取ると、シンプルなメロディに澄んだ女性ボーカルの音楽が流れた。

しかし、本当に耳を傾けないといけないのはその前後の音声だった。

歌が始まる前に流れるのは、工事現場を彷彿とさせる音。

最後のサビの後には、女性が何かを訴えかけているような不明瞭な声が聞こえ、その「音声」を聞いた者の戸惑いの声が入り込む。


すべての音に理由があり、意味があった。

鼓膜から侵入した物語は、読者の脳を容易く支配し、もうこの企みを知らなかった世界に引き戻せないと知らしめる。

そうこれは、全く新しい試みをもって書かれた「きこえる」ミステリーだ。


この小説は五話で構成されていて、各物語の前後・中盤にQRコードが印字されている。

コードをリーダで読み込むか、表記されたアドレスを打ち込めば、物語と紐づけられた音声が流れる。

冒頭部分で紹介したのは、第一話の音声部分だ。


「聞こえる」は、恋人との別離がきっかけで、心身に不調をきたしていた良美の視点で物語が展開される。

都内でライブハウスを経営する彼女は、地方で見つけた夕紀乃という少女の歌声に魅了された。音楽で成功するという夢を抱きながら、ままならない現状を送る夕紀乃を、良美は熱心に説得し上京を促した。

しかし、夕紀乃の才能が陽の目を浴びる機会は訪れなかった。

二人で作った歌を初披露した夜、先に帰宅したはずの自宅に彼女の姿はなく、やがて良美のもとに警察からの連絡が入った。

それは、夕紀乃が何者かに命を奪われたというものだった。


自分が果たせなかった「夢」を夕紀乃に託していた良美は、居てもたってもおられず、夕紀乃の実家に向かう。そこで、夕紀乃にそっくりな面持ちの疲れはてた母親に、彼女はほとんど家出同然で良美のもとに行ったのだと告げられた。


夕紀乃の歌声が録音されたCDから、良美の耳だけにきこえた彼女の声。

それは、死の間際に夕紀乃が良美に残した最後のメッセージ――警告だったとしたら。


一転、第三話の「セミ」は音声なしには解読できない、いや音声によって奇妙にねじ曲がったがゆえの、思いもよらない感動の結末が享受される。

主人公は小学四年生の秀一。

祖父と祖母とともに田舎で暮らすようになったのは、秀一の両親が相次いで彼のもとから姿を消したからだ。

小学一年生の時、お母さんは家に帰ってこなくなった。

秀一が生まれてすぐに心臓の病気になったお父さんは、お母さんがマンションを出ていった二年後のまったく同じ日付に、トラックにはねられた。

まだ幼い秀一に伸し掛かった不幸はあまりに重く、子供には「わからない」事情が多すぎた。


越してきた先のクラスメイトはみなどこか田舎臭く、けれど秀一にはこの場所で生きていくしか術はない。

気に入らないことがあれば大きな体で暴れる、という理由から表面的な友達付き合いしかしてもらえない「セミ」と呼ばれる少年。彼がそのあだ名で呼ばれているのは、嘲りの意からだが、当の本人は全くそれに気づいていない。セミを中心に放課後遊ぶグループのメンバーは明らかにセミをバカにしていて、秀一にもセミの悪口を吹き込んでいた。

でも、嫌われ者のセミと、癒えない傷を抱える秀一は、ある日を境に距離を縮めていく。


秀一が赤ん坊の時、うっかり録音ボタンに手が触れて残された音声がある。

母と父の懐かしい声に、セミこと星矢の名前も入り込んだ過去の思い出だ。

赤ん坊の時から実は関わり合いがあったという事実は、少年たちの心を通わせた。

二人で過ごす時間は増え、無邪気でばかばかしい遊びを彼らは無数に編み出した。

しかしある日、セミが何気なく口にした言葉に、秀一の心は凍り付く。

それは、父の事故の真相と結びついているものだった。


物語の最後におかれた音声をきけば、星矢の不可解な言動の意味がわかる。

すべてを「きいた」私たちの目にも、粗暴で不器用な、うんとやさしい心を持つ少年の姿が見えるだろう。


ひたすらに文字を追う読書という行為は、自らの内側に言葉から得た情報を積み上げていくことで、その困難も至福も、替えの利かない圧倒的な“体験”だと信じる。

けれど、文字だけでは踏み込めない領域へと飛ばされてしまうという未知の経験を、この小説で私ははじめて味わった。

それは、子供の頃の読書にも似て、心からワクワクするものだった。


想像をやすやすと超える仕掛けと、壮大な遊び心に満ちた一冊を、あなたもきっと体感するだろう。

横田かおり(よこた・かおり)

1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバ岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。

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