『レーエンデ国物語』(多崎礼)

文字数 2,635文字

本を開けば人々の声が聞こえる、知らない世界を垣間見れる。 

本は友だち、人生の伴走者――。

本の森セルバBRANCH岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!

今回横田さんがお届けする一冊は――

『レーエンデ国物語』

(多崎礼)

銀霧の森を抜けた先に広がる、残酷なまでに美しい物語

夜空を見上げると、雲の狭間から少し欠けた月が淡い光を放っていた。

まるで座標が狂ったようにいつもより大きく見える月を眺めながら、私の世界は変わってしまったのかもしれないと、ふと思う。

銀霧の森の先、まざまざと見せつけられたのは残酷なまでに美しい物語だった。


今回あなたに届いてほしい一冊は、多崎礼さんによるファンタジー巨編『レ―エンデ国物語』だ。


この物語はある女性の誕生からはじまる。

聖イジョルニ歴五二二年二月十日、四年に一度の天満月の夜。

のちに『レ―エンデの聖母』と呼ばれる運命の女性、ユリア・シュライヴァは産声を上げた。

母から譲り受けたつややかな金色の髪と芯の強さを宿し、祖母、そして母から受け継いだ月光石を纏う彼女の生き様は後世にまで語り継がれることとなる。


神の声を聞くというライヒ・イジョルニが建国した聖イジョルニ帝国は、法王領と帝国十二州に分割され、治世は各地方の領主に任せられた。

しかし、帝国内にありながらいずれにも属さぬ呪われた土地・レ―エンデが物語の舞台だ。


レ―エンデが呪われた土地と言われる所以。

それは「銀呪病(ぎんしゅびょう)」という全身が銀の鱗に覆われる不治の病に罹る危険と常に隣り合わせであるからだ。治療薬も特効薬もなく発症すれば数年のうちに死に至るこの病は、外地からやってきた者を狙う。


満月の夜。絹の光沢を帯びる銀色の霧。

流れる大河、逆巻く急流のような銀色の中を半透明の異形の魚――幻魚の群れが幻の海を泳ぐ。

時化に巻き込まれると銀呪発病のリスクが高くなるが、その幻想世界は畏怖すら抱くほどに美しい。


ユリアは六歳の頃、民から絶大な信頼を誇る騎士団長の父、ヘクトル・シュライヴァからレ―エンデについて聞かされた。

外地出身の母はユリアを出産後に亡くなっており、災禍を招くとされる天満月生まれの少女は、周囲のひとからの心ない雑言や陰口に耐えていた。

レ―エンデ遠征から予定より大幅に遅れて無事の帰還を果たした父が語るこの地は、まるでお伽の国のようだった。

幼きユリアにとって、いつか父と一緒にレ―エンデで暮らすことはとても魅力的に思えた。


十五歳になったユリアに待ち焦がれた機会がやってきた。

シュライヴァ州の首長であるヘクトルの兄からの命を受け、シュライヴァとレ―エンデの交易路設置のため、そして父の悲願である銀呪病根絶のため、父とともにユリアは念願の地に足を踏み入れる。

私はレ―エンデにやってきたのではない。レ―エンデに還ってきたのだ。

過酷な旅路の末にたどり着いた外地との境界・見返り峠で、ユリアの胸に強い確信が芽生える。


レ―エンデには古代樹の洞に住居を構えながら、自給自足の暮らしをする妖精のような風貌をしたウル族が暮らしている。

迷信深く保守的な種族であるが、父の戦友だったイスマルの家族がユリアに向けるまなざしは温かい。

しかし、イスマルの娘・リリスとは上手く関係を築くことができずにいる。

互いの髪色が本当は羨ましいこと。恋のライバルだと勘違いをしていたこと。

本音を打ち明け合ったことで、二人は唯一無二の親友になる。


そして――夜を思わせる浅黒い肌に闇のような昏い瞳を宿してなお、惹かれてしまう運命のひと。

森の外れに暮らすウル族の青年、トリスタン・ドゥ・エルウィンとの出会いは、ユリアを“使命”の道へと押し進めていく。


逃げるように故郷を飛び出したユリアは空っぽの自分を深く恥じながらも、自身に対する誇りと意志を持てずにいた。

かつてヘクトルが率いる隊の射手として死線をくぐりながら、ある事情から除隊されたトリスタンが心に負う傷は深い。

父の背中に隠れてばかりのユリアと、英雄ヘクトルの腹の内を図りかねるトリスタンの間には大きな隔たりがある。


二人が心を通わせ始めたのは、ヘクトルという無双の男を守るという決意を互いが秘めていると知ったからだった。

出自にまつわる暗い過去、誰にも打ち明けられない秘密。

痛みを分かち合うほどに惹かれあう二人の間にはしかし、レ―エンデの呪いが刻一刻と迫っていた。


ユリアは銀呪病に罹患した患者たちの終の棲家である森の家で立ち働くことで、自立とともにある自由を獲得していく。

心を閉ざすことでしか自らを守れなかったトリスタンは、ユリアやヘクトルと過ごすうち、本来の強く優しい自分を取り戻していく。


互いの命を守るためなら、二人の間に宿った“希望”を守り抜くためならば、どんなに危険な道であっても突き進むことができた。

たとえ身体が灰になり、海へと還る時が迫っていようとも――

誰にも奪い去ることのできない愛が、二人の中にはあり続けた。


血で血を洗う争いが物語の中にもあって、それは目を覆いたくなるほど残虐だ。

人間の業の凄まじさは、現実世界においてもそこここで火種をまき散らすものと同じで、そこには非難と糾弾というメッセージが込められているのかもしれない。

しかし、物語というファクターを通じて知らしめられるのは、世界の過酷さや醜さだけではなかった。


伝説となったユリアは、最初から偉大な人物だったのでは決してない。

大きな城の中で縮こまり自分の意思すら持てなかった少女は、幸せを求めること、自由に生きていくという当たり前の幸福の享受を許していく。

その姿は読者に勇気と希望を与えるだけでなく、自らの人生を鑑みずにはおれないくらい力強いものだった。


銀霧の森の中、銀色に輝く獣や虹色に光る泡虫。

幻想をたゆたうものの息を呑むような美しさに私は圧倒された。

まるでこの地に迷い込んだような錯覚に囚われたのは、細部にいたるまで緻密に紡がれた物語を「見て」しまったからだ。

この幻想世界を私は一生忘れることができないだろう。


いま気高き聖女が駆け抜けた涯に私は立つ。

ここから見える景色を言葉にすることは、到底できそうにない。

だからこそ、どうかあなたにも物語の奥深くにまでたどり着いてほしい。

横田かおり(よこた・かおり)

1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバBRANCH岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。

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