『ゴリラ裁判の日』(須藤古都離)
文字数 1,991文字
本は友だち、人生の伴走者――。
本の森セルバBRANCH岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!
(須藤古都離)
言葉に焦がれてきた人生だった。
それは私が本がすきなことと大いに関係があるだろう。
子供の頃から本を読むのがすきだった。
けれど周囲に本を読むひとはほとんどおらず、それが不思議でたまらなかった。
世の中には面白くて楽しいものがたくさんある。そう分かっていても思うのだ。
私の人生を豊かに彩ってくれたのは、物語から受け取った色とりどりの言葉だと。
こう言った彼女は私と同じように、いや私以上に言葉に焦がれ翻弄される人生を送る。
彼女は聡明で気高く美しかった。
彼女の真っすぐな言葉は心の深くにまで浸透するものだった。
本作の主人公の名は、ローズ。
世界にたったひとりの言葉を話すローランドゴリラだ。
アフリカ・カメルーンのジャングルで生まれ育ったローズは、手話を用いて言葉を話す母と、母に手話を教えた研究者たちから言葉を授かった。
彼女にとって言葉を知ることは世界を知ることで、言葉の獲得は幸福の拡大と同じ意味を持つ。しかし、特別な娘と母はゴリラの群れの中にいる時に手話で話すことはない。
強く逞しく皆にとっての偉大な父が形成した家族の中で、浮いてしまうのは賢明ではない。ローズは言葉を使えることは異端なことだと理解していた。
尊敬してやまない父と親愛なる母。群れの中の子供と遊ぶ時間は至福の時だった。
彼女は大自然の中での暮らしを愛していた。
けれど、ローズの存在が外部に漏れてしまうことは避けられない。
手話を口語に翻訳するグローブを使ってローズが人と会話するCMが流れると、研究所の電話は鳴りやまなくなった。
研究者たちはローズをカメルーンからアメリカに連れていく計画を立てていた。
類まれなる能力を持つ唯一無二のゴリラは長きにわたる研究の結実であり、国家間の利潤をももたらす。
ローズは流されたのでも、騙されたのでもない。
自分らしく生きるため、そして言葉とともにある人生を生きるために、すすんでアメリカへと渡る。
アメリカの動物園で暮らすことになったローズは永遠とも思える隔離生活の末、新しい生活の拠点となるゴリラパークに足を踏み入れる。
思考するがゆえに純然なゴリラのふるまいをせずには溶け込むことはできない。
しかし、父にも似た威厳をまとう群れのリーダーと目が合った時、ローズはこの場所で暮らす許可を与えられ、思い描いた夢が叶う予感を抱いた。
ローズは彼と新たな命を育むはずだった。
言葉を使えたとしても人間にはなれない。
次々とやって来る面会者の言葉はローズの鼓膜をすり抜けた。
言葉と行動が合致しない人間だけが持つ側面はローズをただただ混乱させた。
親友になった人間が言う「私たち」の中に自分は含まれていないのだと悟った。
ゴリラにも人間にもなりきれないローズの孤独は誰ひとりとして理解することはできない。
そして、言葉をもったローズに神からの試練が降りかかる。
友人と明るい未来を語り合っていた時だった。不穏な発砲音が空気を裂いた。
普段は穏やかな園長が取り乱しながらローズに告げた言葉は信じがたいものだった。
ゴリラパークに転落した男の子の命を救うために愛する夫が射殺されたのだ。
ローズは言葉で戦う道を選ぶ。
人間が作り上げた法の下、夫を奪われたひとりの女性としてローズは法廷に立つ。
それは、切り捨てられた命の無念を訴えるものであり、ひとと動物どちらの命に重きが置かれ、何を基準に選別されるのかという問題提起だ。
ローズの言葉は、命あるものすべてが有するはずの “尊厳”の真意を問いかけるものだった。
ローズの訴えは、常識や思い込みによる差別、人間と動物の間に生じる意識にすら上らない優劣を知らしめ、人間の非情さを容赦なく炙り出す。
自らの発する言葉だけでなく、ぶつけられた言葉によって変化するローズの心情に触れ、読む者は自身の傲慢さや浅薄さと向き合わざるを得ない。
投げかけられた矛盾にたったひとつの言葉さえ紡ぎ出せなくとも、考えることをやめてはいけないのだろう。
繊細な言葉と優しく寛大な心をもつローズの物語は、受け取ったもの一人ひとりが生涯をかけてたどり着かねばならない「答え」を探す旅路へと誘う。
それは彼女からの命を賭した糾弾であり、抱えきれないほどの愛を宿した贈り物だ。
これは、言葉とともに生きる“私たち”の覚悟を問う物語だ。
横田かおり(よこた・かおり)
1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバBRANCH岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。