『〈本の姫〉は謳う』

文字数 2,407文字

本を開けば人々の声が聞こえる、知らない世界を垣間見れる。 

本は友だち、人生の伴走者――。

本の森セルバ岡山店に勤務する現役書店員・横田かおりさんが、「あなたに届けたい!」と強く願う一冊をご紹介!

今回横田さんがお届けする一冊は――

『〈本の姫〉は謳う』

(多崎礼)

本書は2007年にC☆NOVELS(中央公論新社)として刊行された。

今、この時代に単行本として再刊されたことは、私には運命だったとしか思えない。

時は十分に満ちた。

多くの人へと届けられるべきこの一冊は、福音のように授けられた“真実の書”だ。

 

物語では二つの世界が交互に描かれ、いずれも大小二つの月が浮かんでいる。

奇数ナンバーが振られた物語世界の主人公の名はアンガス。

彼は〈本の姫〉とともに、邪悪な力を宿す「文字」(スペル)を探し、回収する旅の道中にある。

 

この世界では「スタンダップ」の呪文を唱え本を開くと、ページ上に幻想(ビジョン)が浮かぶ。現れるものは本によって様々だが、アンガスがともに旅をする『本』にはある秘密がある。

開いたページ上に浮かぶ、実際の人間の六分の一ほどの女性。

褐色の肌に豊かな黒髪と琥珀色の瞳に、美しく澄んだ歌声の〈本の姫〉。

二人は当然のように言葉を交わすが、話せるビジョンは姫以外に存在せず、その姿や声が聞こえるのは、生きた「文字」に触れたことがある者だけだ。

世界には四十六の文字があり、すでに活動を停止しているものは二十二。

しかし、『滅日』と呼ばれる楽園崩壊以降に出現した二十四の文字には、いまだ『文字の精霊の力』が宿っていて、その悪しきエネルギーは心を蝕み、精神を狂わせた。

 

姫と出会って七年。一緒に旅を始めてからは三年という月日が流れた。

アンガスが見つけた「文字」に姫が歌い、呪いを無力化して『本』の中に封じ込める。

それは魔力に侵された人々を救うため。

そして、失われた姫の記憶と体を取り戻すためだ。

 

偶数ナンバーが振られた、刻印暦一六六六年からはじまる物語。

主人公は『悪魔の子』と呼ばれ名前を持たない〈俺〉。

生まれ育ったのは第十三聖域『理性』(リーズン)。

みなが楽園と信じるこの地は、牢獄であり理想郷という名の棺であると、彼は分かっていた。人工的に培養された新生児の出自は、その時刻までもがプログラムによってコントロールされる。

聖域全体に張り巡らされた精神ネットワークは、思考原野と呼ばれる無意識の領域に集められたエネルギーを動力へと変換し、他者の記憶や体験を自身に同期させるための情報網であった。

より多くのエネルギーを集めるために「個」の概念を剥奪され、子供の頃からいわば洗脳のように『鍵の歌』を歌わされる人々は、その不自然さに何の疑問も抱かない。

 

誕生以前より、精神感応力がずば抜けて高かった〈俺〉は、同時に生まれてくるはずだった九十九人の命と引き換えにこの世に生をなした。

彼の強烈な思考エネルギーに触れると、多くの人は依存症に陥り廃人になった。

彼が拒めば、波及効果で瞬く間に歌うことをやめる子供が続出した。

しかし『刻印に触れる四大天使』のガブリエルは、彼のエネルギーに呑まれることがなかった。

自由に羽ばたく翼を捥がれた見せかけの楽園で、唯一心を交わし、知識と情報の窓でもあったガブリエルだけが、彼がこの世界に留まるための命綱だった。

 

なぜ刻印は生まれ、何のために自分は生まれたのか。

真実を知るために彼は思考原野に潜っていく。

 

アンガスと〈俺〉には似たところが多くあった。

二人には自分のものではない記憶があり、自分が学んだこと以上の知識が備わっていた。

「天使還り」と呼ばれ忌み嫌われる容姿をしたアンガスと、高すぎる精神感応力ゆえに首輪を与えられた〈俺〉。

危険因子と見なされ、明るい場所にいることを許されない境遇の二人はしかし、他者のために自らを投げうる気高き精神を持つ。

 

物語を紐解く上での重要な鍵になる『本』と「文字」は謎と示唆に満ちている。

二十二の刻印である「文字」の力によって天使族が築き上げた世界は崩壊したが、歌い継がれる『鍵の歌』は、〈本の姫〉が文字を回収する際の呪歌として現存する。

今や姫しか知らないはずの『解放の歌』は、過去に大賢人が発見したもので、二つの歌を歌うことでしか「文字」を封印することはできない。

 

アンガスの右目に隠された秘密。姫の身に降りかかった悲劇。

それらはきっと、〈俺〉が知りたいと願う真実とつながっている。

冒険の涯に開示されるであろう真理の気配は、物語が進むごとに確信へと変わっていく。

 

壮大な物語世界は複雑かつ難解でありながら、読む者を圧倒する緻密さで練り上げられる。

立ち上る映像は圧巻の迫力で、現実と変わらぬ重力で私たちに疑問と問いを投げかけた。

物語で描かれる世界の在り方は、現世で私たちが置かれた支配構造と同じものだ。

だからこそ、彼らがたどり着く“真実”を私たちは目撃しなければならないと強く思う。

そこには私たちがこれから進み行く、明るい未来の造形がきっと描かれている。

 

物語と現実世界は奇妙にリンクし、いずれの世界も漆黒の闇が私たちの視界を塞ぐ。

しかし、物語は示し出す。

暗黒の世界と知りながらも果敢にこの地に生まれ落ちた、魂に炎を宿す私たちの姿を。

自らの内側から発する光をもって、世界をまばゆく照らし出す私たちの姿を。

私たちはここから光に満ちた世界を創っていくことができると信じられた。

 

たった一冊の物語によって、新たな時代に通じる世界の扉はひらかれた。

そこでは本当の希望が芽吹き、真の幸福が蝶のように舞っている。

 

あなたに届けたいと願う物語が、生まれつづけるこの世界を。

本と言葉とあなたとともに。

 

命尽きるまで、永遠に。

横田かおり(よこた・かおり)


1986年岡山県生まれの水瓶座。本の森セルバ岡山店勤務。担当は文芸書、児童書、学習参考書。1万円選書サービス「ブックカルテ」に参画中。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色